第6話 帝国の提案
「エリカ・フォン・クロイツ。貴女を保護する。」
天井の穴から降り立ったセシリア皇女は、瓦礫の山の上で高らかに宣言した。
地下工房に満ちる火薬と土煙の匂い。
彼女の背後には、赤い軍服を纏った帝国兵たちが銃を構えて展開している。
対するヴァインの私兵団も、慌てて遮蔽物に身を隠し、応戦の構えを見せていた。
三つ巴の混沌。
その中心で、私はカイルの背中に守られながら、セシリアを見上げた。
「保護、ですか? ずいぶんと物騒なご挨拶に見えますが」
「言葉通りの意味だ。この違法工房の主、ヴァインは国際法違反で検挙する。貴女はその被害者であり、かつ重要参考人だ。帝国の管理下で安全を保証しよう」
セシリアの声は理路整然としていた。
もっともらしい理屈だ。
だが、その瞳の奥には、決して獲物を逃がさないという狩人の光がある。
「保護」という言葉は、外交用語ではしばしば「軟禁」と同義だ。
一度帝国の手に落ちれば、私は二度と自由な商売も、気ままな旅もできなくなるだろう。
私の技術は骨の髄までしゃぶり尽くされ、国家のために飼い殺しにされる。
「……お断りします」
私は即答した。
セシリアの眉がピクリと跳ねる。
「断る権利などない。見ろ、この状況を」
彼女は周囲を示した。
「ヴァインの私兵は最新鋭の魔導兵器で武装している。我々帝国軍の介入がなければ、貴女など数分で蜂の巣だ。それとも、その薄っぺらなコート一枚で生き残れるとでも?」
確かに、状況は絶望的だ。
私一人の力では、ここを抜けることは不可能に近い。
だが、私には最強の「契約者」がいる。
「カイル様」
私は彼の背中に声をかけた。
「貴方はどう思いますか? 元許嫁の提案に乗って、安全を買いますか?」
カイルは剣を構えたまま、動かなかった。
一瞬の沈黙。
その背中から、迷いのようなものが伝わってくる気がした。
帝国に戻れば、私の安全は確実に保証される。
彼はそれを誰よりも理解しているはずだ。
だからこそ、揺れている。
けれど、彼は振り返り、私を見てニッと笑った。
「……俺の雇い主は、籠の中の鳥がお嫌いだろう?」
その笑顔に、胸のつかえが取れた気がした。
そうだ。
彼は知っている。
私が何を望み、何を嫌うか。
私たちは、ただ守り守られる関係ではない。
互いの意志を尊重するパートナーだ。
「ええ、大嫌いです。行きましょう、カイル様。私たちの家に」
「了解だ。……しっかり捕まっていろよ」
カイルが私の方へ向き直り、片膝をついた。
私は迷わずその背中に飛び乗った。
逞しい背中。
鎧越しでも伝わる体温と、鋼のような筋肉の躍動。
彼は私をおぶると、軽く跳躍して体勢を整えた。
「交渉決裂だ、セシリア! 俺たちは俺たちの足で帰る!」
カイルが叫ぶと同時に、地面を蹴った。
爆発的な加速。
「なっ……撃て! 逃がすな!」
セシリアの号令が飛ぶ。
帝国兵が一斉に魔導銃を発砲した。
同時に、混乱に乗じてヴァインの私兵たちも攻撃を開始する。
銃弾と魔法の光が交錯する嵐の中へ、カイルは躊躇なく飛び込んだ。
「邪魔だッ!」
カイルの剣が一閃する。
不可視の衝撃波が走り、飛来する弾丸を空中で弾き飛ばした。
彼は右へ左へとジグザグに駆け抜けながら、立ちふさがる傭兵を蹴散らしていく。
私を背負っているとは思えない速度だ。
「きゃっ!」
至近距離で爆発音が響き、私は思わず彼の首に腕を回してしがみついた。
瓦礫の破片が頬を掠める。
怖い。
けれど、不思議と絶望感はなかった。
この背中がある限り、私は傷つけられないという確信があったからだ。
「出口はあっちだ!」
カイルが指したのは、崩落した天井の穴ではなく、貨物用の搬出スロープだった。
急勾配の坂道が、地上へと続いている。
「止まれぇぇ!」
ヴァインの操る巨大な魔導重機が、スロープを塞ぐように立ちはだかった。
私の車を模した、醜悪な鉄の塊だ。
アームが振り上げられ、私たちを叩き潰そうと迫る。
「エリカ、頭を下げろ!」
カイルが加速した。
避けるのではない。
真っ向から突っ込む気だ。
「はあぁぁッ!」
気合一閃。
カイルは跳躍し、振り下ろされるアームを足場にしてさらに高く舞い上がった。
そして、すれ違いざまに重機のコクピット部分を両断する。
ズドオォォン!
背後で重機が爆発炎上する音を聞きながら、私たちはスロープを駆け上がった。
外の光が見える。
夜の闇ではない。
街の灯りと、星の光だ。
「抜けたぞ!」
地上に出た瞬間、冷たい夜風が頬を叩いた。
そこは港湾地区の倉庫街だった。
地下での戦闘音を聞きつけた警備兵たちが騒ぎ始めている。
「車までは遠いか?」
「郊外の丘です! ここから三キロほど!」
「散歩には丁度いい距離だな」
カイルは息一つ切らさずに走り続けた。
街中を疾走する。
屋根から屋根へ、路地から路地へ。
彼の身体能力は人間を辞めている。
背中の上の私は、ただ振り落とされないように必死だった。
やがて、街の喧騒が遠ざかり、静かな森の気配が近づいてきた。
丘の上に、月明かりに照らされた『スイートホーム号』のシルエットが見える。
無傷だ。
ヴァインの手下も、帝国兵も、まだここまでは来ていない。
「着いた……」
車の前に到着し、カイルが私を降ろした。
私は膝から崩れ落ちそうになり、車体に手をついて支えた。
心臓が早鐘を打っている。
助かった。
本当に、生きて帰ってこられた。
「カイル様……ありがとう」
私は息を整えながら、彼を見上げた。
「貴方がいなければ、どうなっていたか」
「仕事をしただけだ」
カイルは剣を納め、短く答えた。
いつもなら、「もっと褒めてくれ」と冗談を言ったり、得意げな顔を見せたりするはずだ。
けれど、今の彼はどこか硬い表情をしていた。
視線が私から逸らされている。
「……カイル様?」
「追手が来る前に、ここを離れよう。乗ってくれ」
彼は私の問いかけを遮るように、車のハッチを開けた。
その背中に、違和感が棘のように刺さる。
地下でセシリアと対峙した時の一瞬の沈黙。
そして今、私と目を合わせようとしない態度。
私の中で、予感が確信へと変わっていく。
彼は何かを隠している。
それも、私たちの関係を揺るがすような、重大な何かを。
車に乗り込み、エンジンを始動させる。
助手席に座ったカイルは、黙って窓の外を見ていた。
いつもなら「腹が減った」と言うタイミングなのに。
車が動き出し、夜の街道を走り始める。
快適な空調と、静かな走行音。
いつもの日常が戻ってきたはずなのに、車内の空気は酷く冷たかった。
隣にいるはずの彼が、遠い場所にいるように感じる。
私はハンドルを握りながら、バックミラー越しに彼の横顔を盗み見た。
彼は何を考えているのだろう。
帝国のこと?
セシリアのこと?
それとも、私とのこと?
言葉にするのが怖くて、私はアクセルを踏み込んだ。
速度計の数字が上がっていく。
逃げているのは、追手からだけではないのかもしれない。
不意に、カイルが口を開いた。
「エリカ」
「……はい」
「少し、話がある」
その声の重さに、私は息を止めた。
来てしまった。
聞きたくなかった言葉が、すぐそこまで来ている。
車は暗い森の中へと入っていく。
ヘッドライトが照らす先には、深い闇だけが広がっていた。
次話、カイルの告白。そして訪れる決定的な決裂。




