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【第3章完結!】国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅
第2章

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第6話 帝国の提案



「エリカ・フォン・クロイツ。貴女を保護する。」


天井の穴から降り立ったセシリア皇女は、瓦礫の山の上で高らかに宣言した。

地下工房に満ちる火薬と土煙の匂い。

彼女の背後には、赤い軍服を纏った帝国兵たちが銃を構えて展開している。

対するヴァインの私兵団も、慌てて遮蔽物に身を隠し、応戦の構えを見せていた。


三つ巴の混沌。

その中心で、私はカイルの背中に守られながら、セシリアを見上げた。


「保護、ですか? ずいぶんと物騒なご挨拶に見えますが」

「言葉通りの意味だ。この違法工房の主、ヴァインは国際法違反で検挙する。貴女はその被害者であり、かつ重要参考人だ。帝国の管理下で安全を保証しよう」


セシリアの声は理路整然としていた。

もっともらしい理屈だ。

だが、その瞳の奥には、決して獲物を逃がさないという狩人の光がある。

「保護」という言葉は、外交用語ではしばしば「軟禁」と同義だ。

一度帝国の手に落ちれば、私は二度と自由な商売も、気ままな旅もできなくなるだろう。

私の技術は骨の髄までしゃぶり尽くされ、国家のために飼い殺しにされる。


「……お断りします」


私は即答した。

セシリアの眉がピクリと跳ねる。


「断る権利などない。見ろ、この状況を」

彼女は周囲を示した。

「ヴァインの私兵は最新鋭の魔導兵器で武装している。我々帝国軍の介入がなければ、貴女など数分で蜂の巣だ。それとも、その薄っぺらなコート一枚で生き残れるとでも?」


確かに、状況は絶望的だ。

私一人の力では、ここを抜けることは不可能に近い。

だが、私には最強の「契約者」がいる。


「カイル様」

私は彼の背中に声をかけた。

「貴方はどう思いますか? 元許嫁の提案に乗って、安全を買いますか?」


カイルは剣を構えたまま、動かなかった。

一瞬の沈黙。

その背中から、迷いのようなものが伝わってくる気がした。

帝国に戻れば、私の安全は確実に保証される。

彼はそれを誰よりも理解しているはずだ。

だからこそ、揺れている。


けれど、彼は振り返り、私を見てニッと笑った。

「……俺の雇い主は、籠の中の鳥がお嫌いだろう?」


その笑顔に、胸のつかえが取れた気がした。

そうだ。

彼は知っている。

私が何を望み、何を嫌うか。

私たちは、ただ守り守られる関係ではない。

互いの意志を尊重するパートナーだ。


「ええ、大嫌いです。行きましょう、カイル様。私たちの家に」

「了解だ。……しっかり捕まっていろよ」


カイルが私の方へ向き直り、片膝をついた。

私は迷わずその背中に飛び乗った。

逞しい背中。

鎧越しでも伝わる体温と、鋼のような筋肉の躍動。

彼は私をおぶると、軽く跳躍して体勢を整えた。


「交渉決裂だ、セシリア! 俺たちは俺たちの足で帰る!」


カイルが叫ぶと同時に、地面を蹴った。

爆発的な加速。


「なっ……撃て! 逃がすな!」

セシリアの号令が飛ぶ。

帝国兵が一斉に魔導銃を発砲した。

同時に、混乱に乗じてヴァインの私兵たちも攻撃を開始する。


銃弾と魔法の光が交錯する嵐の中へ、カイルは躊躇なく飛び込んだ。


「邪魔だッ!」


カイルの剣が一閃する。

不可視の衝撃波が走り、飛来する弾丸を空中で弾き飛ばした。

彼は右へ左へとジグザグに駆け抜けながら、立ちふさがる傭兵を蹴散らしていく。

私を背負っているとは思えない速度だ。


「きゃっ!」

至近距離で爆発音が響き、私は思わず彼の首に腕を回してしがみついた。

瓦礫の破片が頬を掠める。

怖い。

けれど、不思議と絶望感はなかった。

この背中がある限り、私は傷つけられないという確信があったからだ。


「出口はあっちだ!」

カイルが指したのは、崩落した天井の穴ではなく、貨物用の搬出スロープだった。

急勾配の坂道が、地上へと続いている。


「止まれぇぇ!」

ヴァインの操る巨大な魔導重機が、スロープを塞ぐように立ちはだかった。

私の車を模した、醜悪な鉄の塊だ。

アームが振り上げられ、私たちを叩き潰そうと迫る。


「エリカ、頭を下げろ!」


カイルが加速した。

避けるのではない。

真っ向から突っ込む気だ。


「はあぁぁッ!」


気合一閃。

カイルは跳躍し、振り下ろされるアームを足場にしてさらに高く舞い上がった。

そして、すれ違いざまに重機のコクピット部分を両断する。


ズドオォォン!


背後で重機が爆発炎上する音を聞きながら、私たちはスロープを駆け上がった。

外の光が見える。

夜の闇ではない。

街の灯りと、星の光だ。


「抜けたぞ!」


地上に出た瞬間、冷たい夜風が頬を叩いた。

そこは港湾地区の倉庫街だった。

地下での戦闘音を聞きつけた警備兵たちが騒ぎ始めている。


「車までは遠いか?」

「郊外の丘です! ここから三キロほど!」

「散歩には丁度いい距離だな」


カイルは息一つ切らさずに走り続けた。

街中を疾走する。

屋根から屋根へ、路地から路地へ。

彼の身体能力は人間を辞めている。

背中の上の私は、ただ振り落とされないように必死だった。


やがて、街の喧騒が遠ざかり、静かな森の気配が近づいてきた。

丘の上に、月明かりに照らされた『スイートホーム号』のシルエットが見える。

無傷だ。

ヴァインの手下も、帝国兵も、まだここまでは来ていない。


「着いた……」


車の前に到着し、カイルが私を降ろした。

私は膝から崩れ落ちそうになり、車体に手をついて支えた。

心臓が早鐘を打っている。

助かった。

本当に、生きて帰ってこられた。


「カイル様……ありがとう」

私は息を整えながら、彼を見上げた。

「貴方がいなければ、どうなっていたか」


「仕事をしただけだ」

カイルは剣を納め、短く答えた。

いつもなら、「もっと褒めてくれ」と冗談を言ったり、得意げな顔を見せたりするはずだ。

けれど、今の彼はどこか硬い表情をしていた。

視線が私から逸らされている。


「……カイル様?」

「追手が来る前に、ここを離れよう。乗ってくれ」


彼は私の問いかけを遮るように、車のハッチを開けた。

その背中に、違和感が棘のように刺さる。

地下でセシリアと対峙した時の一瞬の沈黙。

そして今、私と目を合わせようとしない態度。


私の中で、予感が確信へと変わっていく。

彼は何かを隠している。

それも、私たちの関係を揺るがすような、重大な何かを。


車に乗り込み、エンジンを始動させる。

助手席に座ったカイルは、黙って窓の外を見ていた。

いつもなら「腹が減った」と言うタイミングなのに。


車が動き出し、夜の街道を走り始める。

快適な空調と、静かな走行音。

いつもの日常が戻ってきたはずなのに、車内の空気は酷く冷たかった。

隣にいるはずの彼が、遠い場所にいるように感じる。


私はハンドルを握りながら、バックミラー越しに彼の横顔を盗み見た。

彼は何を考えているのだろう。

帝国のこと?

セシリアのこと?

それとも、私とのこと?


言葉にするのが怖くて、私はアクセルを踏み込んだ。

速度計の数字が上がっていく。

逃げているのは、追手からだけではないのかもしれない。


不意に、カイルが口を開いた。

「エリカ」

「……はい」

「少し、話がある」


その声の重さに、私は息を止めた。

来てしまった。

聞きたくなかった言葉が、すぐそこまで来ている。


車は暗い森の中へと入っていく。

ヘッドライトが照らす先には、深い闇だけが広がっていた。


次話、カイルの告白。そして訪れる決定的な決裂。


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