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【第3章完結!】国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅
第2章

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第4話 すれ違う正義



バッグをソファに放り投げた。


ドサッ、という鈍い音が、張り詰めた空気をさらに重くする。

レストランから戻ってきてもなお、私の怒りは収まるどころか、燻る炭のように熱を持っていた。

正面に立つカイルもまた、いつもの柔和な表情を消し去り、頑固な岩のように腕組みをしている。


「……頭を冷やせと言ったはずだ、カイル様」

「冷やすべきはそっちだ。あんな男の招待になど乗るな。奴は敵だ」


カイルの声は低い。

私を心配してくれているのは分かる。

けれど、その決めつけが気に食わない。

彼は私の判断力を信じていないのだ。


「敵かどうかは私が決めます。ヴァインさんは私の技術を高く評価してくれました。共同開発の提案も、合理的でメリットのあるものです」

「口先だけなら何とでも言える。奴の目を見ろ。あれは獲物を狙う獣の目だ」

「貴方の勘だけが頼りですか? 具体的な証拠は?」

「……ない。だが、俺の勘は外れたことがない」


またそれだ。

「俺に従え」「俺が守る」。

かつてアルフレッド王子に言われ続けた言葉と重なる。

私は守られるだけの姫ではない。

自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の手で利益を掴み取る商売人だ。


「……もう結構です」


私はため息をつき、クローゼットを開けた。

外出用の厚手のコートを取り出す。

その内側に、護身用の魔道具を次々と装着していく。

高電圧スタンロッド、目くらまし用の閃光弾、緊急防壁展開ユニット。

油断しているわけではない。

リスク管理は完璧に行う。


「どこへ行く気だ」

カイルが鋭く問う。

「ヴァインさんの工房へ視察に行きます。約束の時間ですので」

「行かせるわけがないだろう!」


カイルが私の前に立ちはだかり、ドアを背にして塞いだ。

その威圧感に、思わず足が竦みそうになる。

だが、ここで引けば、私は一生彼の「庇護対象」のままだ。


「どいてください」

「駄目だ。絶対に行かせない」

「……カイル様。貴方は私の何ですか?」


私の問いに、カイルが言葉を詰まらせた。

「夫だ。そして、お前の護衛だ」

「ええ。契約ではそうなっていますね。ですが、私の行動を制限する権利までは譲渡していません。これは業務命令です。……そこを、どきなさい」


私は冷徹に告げた。

カイルの金色の瞳が揺れる。

悲しみと、焦燥と、そして諦め。

彼はしばらく私を見つめていたが、やがて力なく肩を落とし、横にずれた。


「……好きにしろ。だが、何かあったらすぐに呼べ。絶対にだ」

「自分の身くらい、自分で守れます。貴方はここで、頭でも冷やしていてください」


私は捨て台詞を残し、逃げるようにハッチをくぐった。

背後でドアが閉まる音が、酷く寂しく響いた。

心臓が嫌なリズムで脈打っている。

これが正解ではないことは分かっている。

けれど、引き返すにはプライドが高すぎた。



迎えの馬車は、すでに待機していた。

御者は無言で扉を開け、私を招き入れる。

黒塗りの高級馬車だ。

乗り心地は悪くないが、『スイートホーム号』の快適さには遠く及ばない。


(……カイル様、怒っているかしら)


窓の外を流れる夜の街並みを見ながら、私は唇を噛んだ。

あんな言い方をするつもりはなかった。

ただ、対等でいたかっただけなのに。

どうして私たちは、こうもすれ違ってしまうのだろう。


「エリカ様、到着いたしました」


御者の声で我に返る。

馬車が停まったのは、港湾地区の一角にある巨大な倉庫の前だった。

表向きはヴァイン商会の資材置き場だが、ここが工房への入り口らしい。


「お待ちしておりましたよ、エリカ様」


倉庫の扉が開き、ヴァインが満面の笑みで現れた。

昨夜の騒ぎなどなかったかのような、友好的な態度だ。


「昨日は失礼しました。夫が少々、荒っぽいもので」

「いえいえ、気にしておりませんよ。愛されている証拠ではありませんか。……おや、今日はお一人で?」

「ええ。仕事の場に、無粋な男は不要ですから」


私は強がって見せた。

コートの下のスタンロッドを意識して握りしめる。

ヴァインは「なるほど」と頷き、奥へと手招きした。


「では、ご案内しましょう。我が商会が誇る、最新鋭の魔導工房へ」


私たちは貨物用の昇降機に乗り込んだ。

ガコン、と重い音を立てて、籠が下降を始める。

地下へ。

予想以上に深い。

空気はひんやりとしており、油と鉄の匂いが漂っている。


「エリカ様の『空飛ぶ馬車』には感動しましたよ。あのコンパクトな車体に、居住空間と防御結界、さらには飛行機能まで詰め込むとは。まさに天才の所業だ」


ヴァインが背中越しに語りかけてくる。

その声色が、レストランの時とは少し違って聞こえた。

知的な響きの中に、粘着質な熱が混じっている。


「私の技術は、快適な旅をするためのものですから」

「快適な旅、ですか。……もったいない。その技術があれば、もっと世界を変えられるのに」


昇降機が止まった。

重厚な鉄扉が開く。


「さあ、ご覧ください。これが私の『夢』です」


ヴァインが両手を広げた先。

広大な地下空間が広がっていた。

無数の魔導ランプが照らし出すその光景に、私は言葉を失った。


そこにあったのは、無骨な鉄の塊だった。

いや、違う。

形状は見覚えがある。

四つの車輪、箱型のボディ、前面の操縦席。

それは、私の『スイートホーム号』を模倣して作られた、コピー品だった。


ただし、その目的は明らかに違う。

私の車のような流麗なデザインも、快適そうな窓もない。

分厚い装甲板がリベットで打ち付けられ、屋根には回転式の魔導砲塔が搭載されている。

そして、一台ではない。

十、二十……奥が見えないほど大量の車両が、製造ラインに並んでいる。


「これは……」

「貴女の車を参考にさせていただきました。反重力機構の再現には苦労しましたが、先日いただいたヒントのおかげで、ようやく実用段階に入りましてね」


ヴァインが愛おしそうに一番手前の車両を撫でた。

「素晴らしいでしょう? これさえあれば、荒地も湿地も関係なく進軍できる。兵站の維持も容易い。まさに戦争を変える『移動要塞』だ」


「戦争……?」

「ええ。帝国との交渉が決裂した際、この都市を守るには力が必要です。……いえ、守るだけではない。こちらから打って出ることも可能になる」


ヴァインが振り返った。

その目は、カイルが言った通りだった。

獲物を前にした、飢えた獣の目。

合理的で、冷徹で、そして狂気に満ちた商人の目だ。


「エリカ様。貴女の技術は、こんなリゾート旅行のために浪費されるべきではない。私と共に、新しい時代を作りましょう」


彼は一歩、私に近づいた。

私は反射的に後ずさり、コートのポケットに手を入れた。

スタンロッドの感触が、冷えた指先に伝わる。


カイルの警告が脳裏をよぎる。

『奴は敵だ』。

彼の直感は正しかった。

私は自分の技術への過信と、カイルへの反発心で、目を曇らせていたのだ。


「……お断りします」


私は震える声を抑え込み、努めて冷静に告げた。

「私は平和主義者です。私の技術を人殺しの道具にするつもりはありません。……契約は破棄させていただきます」


「残念です」

ヴァインは眉一つ動かさなかった。

「ですが、ここを見てしまった以上、ただでお帰りいただくわけにはいきませんね」


彼の合図と共に、物陰から数人の男たちが現れた。

全員が武装している。

商会の警備員ではない。

身のこなしからして、訓練された傭兵だ。


私は奥歯を噛み締めた。

完全に包囲されている。

カイルはいない。

助けは来ない。

私が「来るな」と言ったのだから。


(……自業自得ね)


けれど、諦めるわけにはいかない。

私は商人だ。

損切りは早めに、そして撤退は迅速に。


私はポケットの中で、スタンロッドではなく、別の魔道具を握りしめた。

閃光弾だ。

これを使って目くらましをし、昇降機まで走る。

勝算は薄いが、やるしかない。


「カイル様……」


無意識に、彼の名前を呼んでいた。

あの温かい手が、今はどうしようもなく恋しかった。

地下の冷たい空気が、肌に突き刺さる。

ここからが、私の本当の戦いだ。


次話、ヴァインとの直接対決。私の抵抗と、カイルの不在が招く危機。


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