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国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅


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10/10

第10話 終わらない旅とプロポーズ


波の音がリズミカルに響いている。


ザザーッ、ザザーッ。

寄せては返す白い波頭が、月明かりを浴びて宝石のように煌めいていた。

ここは東の海岸。

王都から遠く離れた、大陸の果てだ。


私は砂浜に展開したテラス席で、冷えた白ワインのグラスを傾けた。

潮風が少しベタつくけれど、すぐに車内のシャワーで流せると思えば気にならない。

むしろ、この野生的な空気感が、今の私には心地よかった。


「焼けたぞ、エリカ」


トングを持ったカイルが、私の皿に熱々の物体を乗せた。

巨大なロブスターのような甲殻類。

彼が先ほど、素潜りで捕獲してきた獲物だ。

もちろん、呼吸魔法も潜水装備もなしで。

この竜騎士の肺活量は、どうやら海洋生物をも凌駕するらしい。


「ありがとうございます。バターの香りが最高ですね」


私はナイフを入れた。

プリッとした弾力のある身が顔を出し、香ばしい湯気が立ち上る。

醤油と焦がしバターのソースを少し垂らして口に運ぶ。


「……んっ」


濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。

新鮮な素材と、私の完璧な調味、そしてカイルの絶妙な焼き加減。

これぞアウトドアの醍醐味だ。


「美味いか?」

「ええ、絶品です。カイル様もどうぞ」

「ああ」


彼は殻付きのまま足を一本掴み、バリバリと豪快に頬張った。

ワイルドだ。

けれど、その食べっぷりが不思議と品良く見えるのは、彼の育ちの良さか、あるいは単に顔が良いからか。


私たちは焚き火を囲みながら、静かな食事を楽しんだ。

パチパチと爆ぜる薪の音が、波音と混ざり合う。


つい先日まで、泥のような怪物と戦ったり、宰相を相手に契約書を突きつけたりしていたのが嘘のようだ。

あの王都での騒動は、私の口座に毎月振り込まれる「システム利用料」という莫大な数字だけを残して、遠い過去になりつつある。


「……平和だな」

カイルがポツリと呟いた。

彼はワインではなく、ジョッキのエールを飲み干し、夜空を見上げている。

「戦場にいた頃は、こんなふうに空を見上げる余裕なんてなかった。星は単なる方角を知るための道具でしかなかったからな」


「今はどうですか?」

「綺麗だと思う。……あんたの瞳と同じくらいにな」


唐突な口説き文句。

私はグラスを持つ手を止めた。

以前、温泉でパニックになっていた初心な彼はどこへ行ったのか。

どうやら、一緒に旅をする中で、彼も少しずつ私の扱いに慣れてきたらしい。


「……酔っていますね?」

「シラフだ。竜騎士は酒では潰れん」


彼は真面目な顔で否定した。

その金色の瞳が、焚き火の炎を映して揺れている。

そして、その視線がゆっくりと私に向けられた。


空気が変わる。

いつもの「大型犬」のような人懐っこさは消え、一人の男としての、強い意志を秘めた表情。


「エリカ。話がある」

「……なんでしょう。昇給交渉ですか?」

「いや、もっと重要な契約の話だ」


カイルは椅子から立ち上がった。

そして、私の前に片膝をついた。

砂の上に膝を突き、私の手を取る。

騎士が主君に忠誠を誓う時の、最上級の礼だ。


心臓が大きく跳ねた。

これから何が語られるのか、察しないほど私も鈍感ではない。


「俺は、あんたに拾われて救われた」

彼の低く、よく通る声が、波音に負けずに届く。

「最初は飯と風呂に釣られただけだった。だが、今は違う。あんたの作る飯が好きだ。あんたの作ったこの『家』が好きだ。そして何より……」


彼は私の手を強く握り締めた。

その掌は熱く、固いタコがあり、とても頼もしい。


「どんな困難も、知恵と度胸で笑い飛ばす、あんた自身が好きだ」


直球だった。

飾り気のない、実直な言葉。

それが一番、私の胸に刺さる。

かつてアルフレッドが囁いた、詩集から引用したような薄っぺらい愛の言葉とは重みが違う。


「俺は、ただの護衛じゃ満足できなくなった。あんたの隣で、同じ景色を見て、同じものを食べて、共に生きていきたい」


カイルは懐から何かを取り出した。

それは宝石ではなかった。

美しく研磨された、虹色に輝く鱗だ。

かつて彼が討伐したという、伝説の古龍エンシェント・ドラゴンの鱗。

この世界で最も硬く、最も価値のある素材の一つ。


「指輪を買おうと思ったんだが、俺にはこれが一番確かだと思った。……俺の武勇と、命そのものだ」


彼はその鱗を私に差し出した。

「エリカ・フォン・クロイツ。俺と結婚してくれ」


時間が止まったようだった。

波の音も、焚き火の音も遠のいていく。

目の前には、世界最強の男が、子犬のように不安げな顔で私の返事を待っている。


私は鱗を受け取った。

ずしりと重い。

金銭的な価値で言えば、国宝級だ。

だが、そんなことはどうでもいい。

これは彼の「全て」なのだから。


「……カイル様」

私は小さく息を吐き、わざとらしく溜息をついてみせた。

「貴方、分かっていますか? 私と結婚するということは、大変ですよ?」


「承知の上だ」

「私はお金にうるさいですし、快適さのためなら手段を選びません。貴方にはこれからも、魔力タンクとして働いてもらいますし、高いところの掃除もさせます」


「望むところだ。魔力など枯れるまで吸ってくれ」

「それに、私は一度手に入れた『所有物』は、絶対に手放しません。貴方が逃げようとしても、地の果てまで追いかけて連れ戻しますよ?」


かつて、私が私財を投じて作った車を取り返したように。

私の執着心は深いのだ。


カイルはニッと笑った。

少年のように無邪気で、けれど野性味溢れる笑顔。


「逃げるもんか。俺にとっての楽園スイートホームは、ここしかないんだからな」


その言葉が、私の心の最後の鍵を開けた。

私は椅子から立ち上がり、彼と同じ目線になった。


「……分かりました。その契約、お受けします」


私は彼の首に腕を回した。

「家(車)と食事と私。全部セットの『永久契約』です。返品は受け付けませんからね?」


「ああ。一生大事にする」


カイルの腕が私の腰を抱き寄せた。

そして、私たちの唇が重なった。


潮の香り。

微かなワインの味。

そして、彼自身の体温。

全てが愛おしく、心地よかった。


夜空には満天の星。

かつて王都の空で見上げた、人工的な結界越しの星空ではない。

何も遮るもののない、ありのままの光。

それが私たちの未来を祝福しているようだった。



翌朝。

私たちは早朝から活動を開始していた。


「ヨーソロー! 風向き良好だ!」

カイルがサンルーフから顔を出して叫んでいる。

彼は新しい役割——「夫」兼「副操縦士」として、張り切っていた。


私は運転席でシステムチェックを行っていた。

ダッシュボードには、昨夜もらった虹色の鱗が飾られている。

それは朝日でキラキラと輝き、この無機質なコックピットに彩りを添えていた。


「エリカ、次はどこへ行く?」

「そうですね」


私は地図を広げた。

この世界は広い。

北にはオーロラが見える氷の大地がある。

南には未知のスパイスが眠る熱帯の島々がある。

西には古代魔導文明の遺跡が眠る砂漠がある。


「南に行きましょうか。珍しいフルーツを使ったデザートが食べたい気分です」

「いいな! 南国の魔獣も美味いと聞く!」


思考回路が完全に食い気だ。

でも、それでいい。

美味しいものを食べて、美しい景色を見て、ふかふかのベッドで眠る。

それが私たちの旅の目的であり、幸せの形なのだから。


「では、出発しますよ」


私は魔石をセットした。

カイルの腕輪から、力強い魔力が供給される。

『スイートホーム号』のエンジンが唸りを上げ、反重力フィールドが展開された。


「発進!」


砂浜を蹴って、車体がふわりと浮き上がる。

青い海の上を滑るように加速し、私たちは空へと舞い上がった。


眼下には、白い航跡が真っ直ぐに伸びている。

もう、後ろを振り返ることはない。

王都のことも、元婚約者のことも、聖女のことも、すべては笑い話だ。


私はアクセルを踏み込んだ。

隣には最愛のパートナー。

足元には最強の移動要塞。

そして、懐には一生遊んで暮らせるだけの資産。


「……完璧ね」


私は小さく呟き、口元を緩めた。

窓から吹き込む風が、新しい冒険の予感を運んでくる。


「さあ、カイル。今日の夕飯の食材を探しに行きましょう!」

「応! 一番デカい獲物を狩ってやる!」


笑い声と共に、空飛ぶキャンピングカーは水平線の彼方へ。

私たちの「癒やしとカタルシス」に満ちた新婚旅行は、まだ始まったばかりだ。


悪役令嬢と呼ばれた女は、今、世界で一番自由で幸せな空の下にいる。


(完)


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