5-6:猫と大事件 あとは勝つだけだ。
人影のような何かが鈍く輝く剣を構えている。
積極的に攻めて来ないのは救いだけど、出口の前で陣取っているから逃げられない。依城さんが駆けつけてくれれば楽勝だろうが、当然僕が罠にかかった時点で分断工作の一つや二つ始まっているはず。
つまり、ここは独力で切り抜けるか、あるいはせめて時間を稼ぐ事が生存のために必要になる。僕一人なら諦めもつくが可愛い猫と一緒なんだから死ぬわけにはいかないし、出来れば斬られたくもない。明日からの仕事が出来なくなるからね。
だから、さっさと奥の手を使う事にする。
温存する意味も無いし、温存したまま斬られるのも馬鹿らしいし。後で依城さんにバレるのはちと怖いが、その時はその時。
ちなみに、奥の手と言っても、僕に出来るのは強化魔術だけ。ただ、その使い方を変える。
変えるというよりも、より正しくはクロから伝えられた『本来の術式の在り方』に戻す。今までは自然体で行える範囲に留めていた強化魔術、そんな自分に甘い制限を無くし負荷を一気に上げる。
その瞬間、視界に映る世界の解像度が上がった。四肢に力が漲り暴れ出したくなる。それと同時に頭の中で何かが割れるような頭痛がする。
まだ僕には、このレベルは早いという事なのだろう。与えられた術式に身体が付いていけていない。明らかに制御しきれていない。
「■■■!■■■■!!」
クロが頭上で何かを言っているが、思考自体が大幅にクロックアップされた副作用で言葉として認識する事が出来ない。
だけど言いたい事は分かる。注意喚起だよね?
「影」が鈍く光る剣を突き出し、こちらに踏み込んで来ていた。
なるほど。攻めに消極的だったのではなく、単に魔力に反応して自動迎撃してたってところか。今更気付いてもどうしようも無いけど。それに、もう逃げる算段なんて立てる必要はないし。
準備は終わったんだ。
あとは勝つだけだ。
刺突を繰り出そうとしている影、それに対し、僕は大きく踏み込んだ。
一息で間合いが詰まり、僕の胸に吸い込まれるように剣が急速に近づいてくる。
だが見える。今の僕には剣の動きが正確に見える。
剣の軌跡を避け、影まで半歩程度のところまで更に深く踏み込んだ。身体の重心を右斜め下へと傾け、左手で迫りつつある剣の腹を叩く。
そう、魔術で大幅に強化された膂力で剣の腹を叩いたのだ。当然の結果として、影の身体は剣に引っ張られ僅かに体勢が崩れた。
この隙に、僕は上半身を捻りつつ影へと右足を更に半歩捻じ込んだ。
僕のすぐ横、それこそ息のかかるような距離に影の姿。
間合いの内へと捻じ込んだ右足を強く踏み込み、影の脇腹へ向け、右の裏拳を全力で振り抜いた。
踏み込みと上半身の捻りから生まれた運動エネルギーの全てが影へと叩き込まれ、砂袋でも叩いたような鈍い音とともに影は床に叩きつけられた。
影自体の硬度が高かったのだろうが、床板が盛大に砕け欠片が飛び散った。
相手が人間であったのなら、この一撃で再起不能・・・どころか原型を留める事さえ困難な損傷を負ったはず。実際、僕はこの一撃で勝負を決めるつもりで動いていたが
影は何事も無かったかのように体を起こし再び剣を構えた。
あれだけの事をしてダメージが無い?あの感触、まるで地面を殴りつけたかのような手応えの無いものだったけど・・・
いや、よく見ると剣先に震えが出ている。痛覚は無いのだろうが確かにダメージは入っている。
このパターンをうまく続ければそのうち勝てるって事か。だけど、正直この状態は長く続けられるものじゃない。あまりにも体への負荷が高すぎる。速攻で決めてしまわないと、強化魔術が維持出来なくなったら終了だ。
だから、今度はこちらから攻めにかかる。相手のダメージが抜ける前に出来る限り手数を重ねる事が恐らく唯一の正解だ。
先と同じようにまず真正面から距離を詰める。
剣が振るわれるより、こちらの手の動きの方が速い。後の先でいける。
だが、その瞬間、前触れなく斬撃が目の前にあった。
なんとか身体を捻り、眼前に迫った剣の腹を叩いて軌道を逸らし、後ろに跳躍し距離を取る。
まだ向こうの間合いまで2歩はあったはず。何が起こった?
休む間もなく立て続けに剣が振るわれる。
なんとか紙一重で避け続けるがうまく見切れない。反撃の糸口さえ見つからない。
今まで実力を隠していた?
動きを捉える事が急に出来なくなった。少しずつ斬撃が当たりだす。
速さが上がっただけではなく、動きそのものが良くなって来ている気がする。まるで斬り方を、剣を振るう方法を思い出して来ているかのように。
こちらには戦闘方法の引き出しなんて睡眠学習で学んだやつ以外に無いってのに。
時間が経つたび、剣が振るわれるたび、僕の勝ち目が消えていく。そして避け切れなかった腕や足に傷が増えていく。今はまだ浅い。でも、このままだと・・・
時間経過はまだ僅かなはずだが、動きが激し過ぎて傷の深さのわりに出血が多い。
追い込まれていく。
戦い方という意味では影が圧倒的。こちらが唯一勝っている機動力さえ時間経過で失われるだろう。それどころか単純に失血で意識を失う可能性さえある。
このままではジリ貧だ。勝ち筋を捜さないと。戦力差の要因を分析して、対応策を展開しないと。
何が、何が足りないのか。勝てない相手ではないはずだ。早く、早く考えないと。
・・・・・
・・・・
いや、分かっている。さして難しい話じゃない。
知識もある。経験すら『記憶』という形で頭の中にある。だが、それらを出力する僕自身に「実際の経験」が足らなさすぎる。それだけの話。知識偏重の状態では実戦には耐えられなかった。それだけの話。十全に自分の力を、ポテンシャルを引き出せていない。それだけの話。
器がまだ未成熟だった。ただ単純にそれだけの話だ。
だから、こんな■■■■■■の■■■■にすら苦戦してしまう。まぁ、事実上の初陣だ。■■■■、搾りかすとはいえ相手が本物ってのは荷が重かろう。
だが、まだ経験が足らないというならば、単純に出力で押し切れば良い。下らない小手先では、どうにもならないだけの「力」を発揮すれば良い。
幸いにもここはこんなにも■■の欠片が溢れている。これを変換すれば必要な魔力ぐらいはすぐ手に入る。どうという事も無い。
さぁ、始めよう。




