第8話 ドレスという鎧
ベルナードがデビュタントを告げてから、しばらくの後、エミリアはクラウディアに手紙を送った。パーティーについて、先輩として相談したいことがあったからだ。
デビュタントを来週に控え、準備で慌ただしくなり始めた頃、エミリアは快諾してくれたクラウディアの屋敷を訪れた。
屋敷の庭園はあいかわらずの見事さで、白薔薇が初夏の風に揺れていた。東屋で待っていたクラウディアは、エミリアを見るなり駆け寄ってきた。
「エミリア様! お久しぶりですわ! お手紙をいただいて嬉しかったです」
「クラウディア、お忙しい中お時間をいただいて、ありがとう」
席に着くと、クラウディアはエミリアの様子を見て小首をかしげた。
「お手紙では『ご相談がある』とのことでしたが……なんだか浮かないご様子で」
鋭い指摘に、エミリアは苦笑いを浮かべた。
「実は、来週開かれるデビュタントに参加することになって……」
「まあ! それは素晴らしいことじゃありませんか!」
クラウディアの目がぱっと輝く。だが、すぐに疑問の色を浮かべた。
「でも、たしか昨年は……お父様が『まだ早い』とおっしゃって……」
エミリアの表情が微妙に曇る。真実を正直に話すわけにはいかない。
「そうなの……だから今さら参加って言われても、正直戸惑ってるのよ。──去年、私が参加しなかった時、みなさんどう思ってたのかしら?」
恐る恐る尋ねると、思わぬ質問だったのかクラウディアは一瞬困惑した表情を見せた。だが、すぐに顔が綻ぶ。
「それはもう、『さすが侯爵様』って皆さん微笑ましく思っていましたわ」
「え? 微笑ましく?」
エミリアは驚いた。てっきり陰で何か言われているものだと思っていた。
「『まだまだ愛娘を手放したくないのね』とか『〝世間知らずだから〟だなんて、お茶目なこと』そんな風に言われていましたのよ」
胸の奥に苦いものがこみ上げる。
(みんな、父が娘可愛さにデビューを見送ったと思ってたのね。まさか娘の血脈を恥じて隠していたなんて知らないから)
「でも正直、羨ましいと思う方もいらしたんですのよ」
「羨ましい?」
「縁談を急がされている令嬢たちが『エミリア様はいいなあ』って。デビューすると、たいていすぐに縁談の話が舞い込んできますから」
なんて皮肉なの。私が恵まれてるって思われてたなんて──エミリアは心の中で自嘲したが、気を取り直すために紅茶を口にした。
「実際のパーティーって、どんな感じ? 楽しいものなの?」
クラウディアの表情がわずかに陰った。
「そうですね……正直申しますと、華やかですけれど、品定めの場という側面も……」
「品定め?」
「はい。家格の序列がはっきり出ますし、縁談の場としての意味合いもありますから。それに……他の事でのグループ分けのようなものも」
他の事──血脈のことを指しているのだろう。
「わたくしの時は『伯爵家の次女』という立場で、いろいろと……まあ、序列というものを実感いたしました。表向きは皆さん笑顔ですけれど、やはり家格や……他の事で、微妙な空気が流れることもありますの」
言いづらそうに言葉を選ぶクラウディアを見て、エミリアは察した。
(クラウディアも何か嫌な思いをしたのね。でもそれは言えないことなのね)
伯爵という中位の爵位で、もし血脈が弱いことが薄々知られていた場合──クラウディアの立場は微妙なものになる。心ないことを言う者もいるだろう。
そうであれば、彼女が縁談にあたって自身の血脈を気にするのも分かる。
「でも今年は違いますわね。『二つ持ち』の噂で、各家の注目度が……きっと縁談の申し込みも殺到しますわ」
「クラウディアも……知っているのね」
「ええ。あちこちで噂になってますわよ」
なんと答えたらよいのか。真実はどうであれ、彼女がその噂を聞いたとき、友人が二つ持ちであることを隠していたように見えたのではないか。エミリアは胸が締め付けられる気がした。かといって、謎の力のことを話すのはためらわれる。
「……ごめんなさい。隠すつもりはなかったんだけど」
クラウディアは優しく首を振った。
「そんなことはありませんわ。血脈の詳細は家門の秘密。むやみにひけらかすものではありませんものね」
「クラウディア……でもやっぱり、血脈次第なのね、全部」
クラウディアの気遣いの言葉が、エミリアの表情をわずかに曇らせる。彼女は心配そうにエミリアを見つめると、励ますようににっこりと微笑んだ。
「エミリア様、大丈夫ですわ。今のあなたは、以前とは違って見えますもの」
「そうかしら...」
「ええ。なんだか……いきいきされてます。きっと素敵なデビューになりますわ」
いきいきしてる──その言葉が妙に心に残った。
(考えたことなかった……目標ができたからかな?)
茶会は和やかに終わり、エミリアは馬車で屋敷へと向かった。道中、クラウディアの言葉を思い返す。
(みんな、父が愛情から参加を見送ったと思ってた……でも本当は、私の血脈を恥じていただけ。でも今年は違う。『二つ持ち』の噂で急に価値が出たから参加させるって。まだそうと決まったわけじゃないのに)
父の手のひら返しと気の早さに、やはり腹立たしさを覚える。
(結局、血脈次第なのよね、全部……クラウディアの話を聞いてると、貴族の女性って、結局は血脈と縁談のための装飾品扱いなのね。私はそんな人生は嫌。自分の価値は自分で決める)
けれど、その一方で──
(でも……やっぱり楽しみだな。王宮の大広間で踊るなんて、どんな子だって憧れるでしょ? それに、もしかしたらあの書店の人も呼ばれているかもしれないし……)
王国のデビュタントは他国とは少し趣が異なる。令嬢が自らエスコートを用意する必要はなく、会場には同年代の貴族の青年たちがあらかじめ招かれている。その仕組みが、この舞踏会を〝お見合い〟としての性格へと近づけていた。
屋敷に戻ると、アンナが満面の笑みで迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様! マダム・シャルロットがドレスをお持ちしましたわ!」
「もう出来上がったの? 早いのね」
「はい! とても美しく仕上がっております。早速お召しになってみてください!」
応接室に案内されると、マダム・シャルロットが恭しくお辞儀をした。その脇には、仕上がったばかりのドレスが飾られている。
淡いブルーのシルクが夕日を受けて、真珠のように柔らかな輝きを放っていた。繊細なレースと上品な刺繍が施され、まさに侯爵令嬢にふさわしい逸品だった。
「わあ……本当に美しいわ」
思わず感嘆の声が漏れる。
「お嬢様、大変お待たせいたしました。きっとお気に召すかと存じます」
マダムの隣で、アンナの方が待ちきれない様子で身を乗り出した。
「お嬢様、試着なさいませんか? 当日の髪型も合わせて確認したいですし」
アンナに手伝ってもらいながらドレスに袖を通す。シルクの滑らかな感触が肌に心地よい。鏡の前に立った瞬間、エミリアは息を呑んだ。
(あら……これ、ほんとに私?)
淡いブルーが彼女の肌を美しく見せ、普段着慣れない華やかなドレスが、彼女を一人の美しい令嬢に変えていた。
「お嬢様……とてもお美しいです」
アンナが感動したような声でつぶやく。
「髪も少しアップにして……こんな風に」
アンナの手によって手早く髪がまとめ上げられる。うなじにかかる髪がなくなり、鏡の中の自分が少しだけ大人びて見えた。その姿を素直に喜んでいる自分に気づく。自分にも乙女心というものがあったらしい。
(社交界って大変そう。でも……やっぱり綺麗になるのは嬉しい。これって矛盾してるのかしら? いえ、きっと、これも私の一部よね)
「でも、着飾るだけが貴族の女性じゃないわ」
鏡の中の自分に向かってつぶやく。
「もちろんです。お嬢様は、お美しいだけでなく、とても聡明でいらっしゃいますから」
「ありがとう、アンナ。私は私らしく参加してみせる。血脈に頼らない、私だけの輝き方で」
「ええ、きっと素晴らしいデビューになりますよ」
窓の外では夕日が沈み、星がひとつふたつと瞬き始めていた。ドレスを脱ぎながら、エミリアは胸の奥で静かに燃える決意を感じていた。
社交界の現実は厳しそうだ。デビュタントの広間は、まさに剣闘士の闘技場なのかもしれない。さしずめこのブルーのドレスは〝鎧〟で、扇は〝剣〟か。
それでも──いえ、だからこそ、自分らしく挑んでみたい。明日からまたダンスの練習を頑張ろう。ラウルと一緒に。




