第73話 岩山の街
ガガン族の街は、赤茶けた岩山の麓に寄り添うように広がっていた。
エミリア達一行が街の入口でラクダを降りると、入口を守る衛兵は一行の衛兵たちやラウルの負傷した様子に目を見開き、表情をこわばらせながら声をかけてきた。
「大丈夫か!? 盗賊が出たのか!?」
シェナが歩み出て軽く会釈した。
「いえ、盗賊ではありません。おそらく……追手です」
「──シェナ様ではないですか! いったい何が……」
サマル族の姫、ダールノの弟子──シェナの顔は知られていた。衛兵は頭を下げたが、同時に困惑の表情を浮かべた。
「ダールノ様にお目通りを願いたいのですが」
「ダールノ様に……?」
衛兵は一行を見回した。困惑した表情は変わらない。王族であるシェナと彼女の侍女はともかく、包帯を巻いた衛兵たち、肩口をかばう魔導士風の若者、そして彼らの中心に立つ見慣れない異国の娘──たしかに組み合わせとしては不思議なのかもしれない。
「お待ちください。すぐに取り次ぎます」
衛兵が走っていった。
待つ間、エミリアは街の様子に目を向けた。通りの向こうに涸れかけた井戸が見えた。女たちが列をなし、順番に桶を下ろしているが、引き上げられる桶の水量は心もとなかった。
「水が……少ないわね」
エミリアがつぶやくと、シェナが静かにうなずいた。
「ガガン族の街は地下水脈に頼っています。でも、近年は水量がかなり減っていて……」
精霊の不調と水の枯渇。その因果を誰よりも感じているはずの彼女の横顔には、静かな痛みが滲んでいた。
やがて衛兵が白い衣をまとった女性を二人引き連れて戻ってきた。彼の目は伏し目がちで、その表情は曇っている。あまり良くない結果だったのか。
「申し訳ございません。ダールノ様は……お会いになれないと」
(やっぱりね)
衛兵は言いにくそうに付け加えた。
「その……族長会議でのこともあり、早々にお引き取りいただきたいと……」
エミリアは小さくため息をついた。予想どおりの門前払いだった。
だが、衛兵は二人の女性にチラリと目をやり、言葉を続けた。
「しかしながら、シェナ様。ダールノ様より、お怪我の手当てのみ許可が出ております。手当てが済みましたら──」
「──お引き取りを、ということですね」
シェナが苦笑した。
だが、手当てを受けられるだけマシかもしれない。
ラウルや衛兵たちが手当てを受けている間、エミリアはシェナと顔を見合わせた。
(ダールノ様は怪我人をすぐには追い返せなかった。つまり、完全に拒絶しているわけじゃない)
手当てが終わりかけた頃だった。
「シェナ様──少々よろしいでしょうか」
手当てをしてくれていた女性の一人が、シェナへためらいがちに声をかけた。
「この方々のお怪我ですが……刃物による切傷と見受けられます。それも、かなり鋭利なもので。相当な剣筋かと」
「ええ。私は剣にあまり詳しくありませんが、それでもかなりの腕に感じました……普通の兵士とは思えません」
その言葉に、女の顔色がわずかに変わった。
「……そのことを、ダールノ様にお伝えしてもよろしいですか?」
「お願いします」
シェナがうなずくと、女はすぐに族長邸へ向かった。
しばらく待つと、族長邸の門が開いた。
そこにいたのはダールノだった。
白髭の古老は門をくぐり、大股でこちらへ歩いてきた。その表情は険しかったが、族長会議の時の峻厳さとは違っていた。自分の領地で何が起きているのかを把握せねばならないという、族長の顔に見える。
「シェナ」
ダールノはまず又姪を見た。怪我がないことを確認するように一瞥し、次に負傷した衛兵たちを見回した。
「……追手とは何だ。誰に襲われた?」
エミリアが前に出た。
「ダールノ様。お時間をいただきありがとうございます。私たちは一昨日の夜、王都への道中で暗殺者の一団に襲われました」
「暗殺者だと?」
ダールノの眉がぴくりと動いた。
「姿を消す法衣を纏った兵に包囲されました。私にしか敵の姿が見えない状況で、衛兵たちが次々と斬られたのです」
「姿を消す法衣……」
ダールノは白髭に手を当て、顎を引いた。視線は宙の一点を見つめ、何かを思案しているように見える。
「そなたにしか見えなかった、とはどういう意味だ?」
「文字通りです。透明になる法衣で──他の者の目には見えませんでした」
ダールノは黙って歩み寄ると、衛兵たちに巻かれた包帯を見下ろした。
「確認させてもらうぞ」
そう言うと、衛兵の一人の先ほど巻かれた包帯を剥ぎ取った。女性が慌てて止めようとするが、お構いなしだ。
ダールノは衛兵の傷に鋭い視線を送り、その具合を確かめた。
「……なるほど、切り口が鋭い。その辺りの盗賊の仕業ではない──手練れだな」
ダールノは低く唸った。
「それで──その暗殺者に心当たりは?」
エミリアは一瞬ためらった。だが、ここで隠しても仕方がなかった。
「おそらく──法王国の刺客です」
ダールノの表情が固まった。
「法王国、だと?」
声がさらに低くなった。それは怒りとは違う、あきらかな警戒だった。
「根拠は何だ」
「敵は『神のご意志だ』と言いました。あのような言い回しは……法王国かと思います」
ダールノは腕を組み、しばし沈黙した。
「……異端審問官か」
その言葉は独り言のように漏れた。
「ダールノ様、ご存知なのですか?」
「知識としてはな。法王国には異端審問官という者がいるだろう? 教義の番人で審問、処罰──果ては処刑まで行うという。ただし、表立って処刑できない者は……暗殺も辞さぬらしい」
ダールノは眉間に深い皺を刻んだ。
「だが、腑に落ちぬ」
古老の目がエミリアを射抜いた。
「異端審問官が動くのは、法王国の教義に対する脅威がある時だ。そなたはイルスレイドの侯爵令嬢だろう? なぜ法王国が──大陸最大の宗教国家が、異国の小娘ひとりを暗殺しに来る?」
その疑問はもっともだった。エミリアにも、この問いが来ることは分かっていた。
「シャリューンの内政に首を突っ込んだ程度で、あの組織が動くとは考えにくい。仮に〝導師〟の件で目をつけられたとしても、暗殺はあまりに大袈裟だ。そもそも、導師のことは昔から知られている言い伝えだ」
ダールノは一歩、エミリアに近づいた。
「そなたは何者だ? なぜ命を狙われる?」
エミリアはラウルとシェナをチラリと見た。ラウルが小さくうなずく。シェナも、穏やかだが真剣な目でエミリアを見つめていた。
ここで明かすしかない──エミリアは息を整え、ダールノの目を真正面から見据えた。
「ダールノ様。私は──〝管理者〟と呼ばれる存在です」
ダールノの眉がぴくりと跳ねた。それは彼には聞き覚えのない言葉だった。




