<閑話10> 雨上がりの練兵場
イルスレイド王都の空に、数日ぶりの晴れ間がのぞいた。
まだあちこちに水たまりが残る王宮の練兵場では、騎士見習いや新兵たちが泥を跳ね上げながら久々の訓練に興じていた。
「よぉし、いったん休憩だ!」
クロードが声を張った。彼はふう、と一息つくと、足元の泥に視線を落とした。
分隊長であるクロードが騎士見習いの訓練を見ることなどほぼない。彼の脳裏に、先日警備隊長から告げられた言葉が蘇る。
「分隊長……しばらくの間、見習いの訓練を見てやってくれないか」
警備隊長は、申し訳ないといった様子でクロードに命じた。言葉を濁しながら指示を出すその態度は、あきらかにどこからかの圧がかけられているように見えた。
だが、クロードには思い当たる節があった。最近、皆がどことなく自分を避けている。直属の部下はさすがにそのような態度をとることはないが、それでも自身を取り巻く微妙な空気をクロードは感じ取っていた。
それは、異端審問官が屋敷を訪れてからのことだった。誰かがその様子をたまたま見ていたのか、それとも教会経由で広まったのか──いずれにせよ、王都では噂が独り歩きするのが常だった。
(まあ、剣を振れるなら、どこでもいい)
クロードは騎士として立身出世を望んでいるわけではない。もちろん、分隊を預かっている以上、その練度の向上と職務の徹底は大事だ。だが、実のところクロードの目的は、武の血脈を磨き、剣の道を極めたい──ただ、それだけだった。
とはいえ、いずれ家門を継ぐ者として、今の自身を取り巻く状況があまり好ましいものではないことも十分理解していた。
ふと、練兵場の片隅で剣を振る侍女が目に入った。雨上がりだというのに感心なことだ──彼女が剣を振るたび、左腕の銀の腕輪がキラリと陽に輝いている。
一心不乱に剣を振る侍女は──先日クロードたちが救出したイルダだった。
見習いたちが休憩所へ向かう中、クロードはイルダの様子を眺めていた。
イルダは、幼い頃より父である副団長──ルーエン伯爵から手ほどきを受けてきたことで知られている。その太刀筋はここにいる見習いたちなどまったく歯が立たないほどの鋭さを持っていた。そして──素直だ──クロードはなぜかそう感じた。
王宮の噂話などまったく興味のないクロードでも、イルダの性質は耳にしている。
だが、空をまっすぐに切り裂く彼女の剣先からは、そのような評価が実は表面的なものに過ぎないのではないか──そう思わせる何かがあった。
刹那、イルダの剣先がわずかに揺らいだ。彼女は顔を歪め、うなだれるように剣を下ろす。肩で息をしながら汗を拭うその横顔には迷いが滲んでいた。
「振り抜けないのか?」
クロードは思わず声をかけていた。その声にイルダは一瞬驚いたような顔を見せると、さっと目を逸らした。
「……怖いのです」
イルダは震える声でつぶやいた。だが、剣を握る手には、わずかに力が込められていた。
「……そうか」
クロードはそれ以上踏み込まなかった。
訓練を続ける衛兵の掛け声と、休憩所から漏れる見習いたちの歓談が、練兵場にさざ波のように漂っている。
何も言うまい──そう思ったクロードだったが、うつむくイルダを見て、そのまま立ち去ることがためらわれた。
「剣に生きる者は、剣でしか救われない」
思わず口にした素っ気ない言葉。だが、剣しか知らないクロードには、そんな言葉しか思いつかなかった。
イルダはその言葉にハッとした表情を見せた。
「それは……分かっております!」
彼女はキッとクロードを睨んだ。だが、クロードと目が合うと、また慌てて目を伏せる。
余計なことだったか──クロードの胸の内が、わずかに軋んだ。だが、目の前でもがくイルダを見て、どうしても放っておけなかったのだ。
「イルダ嬢、構えてみろ」
なぜそんなことを口にしたのか自分でも分からない。だが、クロードはイルダが顔を上げる前に剣を構えた。
「クロード様……!?」
「振るんだ」
イルダは戸惑いながらも剣を上げた。そしてクロードを見据えた。
クロードは静かにうなずいた。
「はい!!」
イルダは喉を破らんばかりの声を上げると、剣を振りかぶって大きく踏み出した。剃刀のような鋭い剣筋で振り下ろす。
クロードはイルダの剣先を見極め、剣で止めた。
だが、イルダは止まらなかった。体重を乗せ、剣をさらに押し込んでくる。
二人の剣がジリジリと鈍い金属音を立てる。
ふっとクロードは口角を上げた。
「そうだ。あなたはまだ振れる」
イルダが目を見開いた。身体から力が抜けたように、剣をぶらりと下ろす。
「クロード……様?」
「あなたの剣は強く……美しい」
クロードは、自分でも何を言ってるんだと内心困惑した。急に気まずい思いが湧き上がり、思わず顔を背けた。
「あの……クロード様」
「なんだ?」
「また……稽古をつけていただけませんか?」
「……? まあ、構わんが……どうせしばらくは、練兵場通いなんでな」
イルダはわずかに笑みを浮かべた。
「クロード様。ではまた……」
そう言うと頭を下げ、駆けるように練兵場を後にした。
(らしくないな……)
イルダの後ろ姿を見つめながら、クロードは小さく息を吐いた。これまで、他人に対してこんな風に自分から踏み込んだことなどあっただろうか。クロードは、自分でもよく分からない感情が湧き上がるのを感じた。




