第66話 お願いと指示
エミリアは光の粒子の前に立った。
精霊の宮で見たほど強い光ではないが、淡い粒子がふわふわと宙に漂っている。風に揺れるというより、そこに〝留まっている〟ような、不思議な存在感だった。
「お姉様、ここなんですか?」
「はい。ここで光っています」
シェナは神妙な表情で目を凝らすが、やはり何も見えないようだった。
「やっぱり……私には見えませんね。ここにいるのは感じるんですが。多分……ふわふわと浮いている感じですよね?」
「ええ、そうですね」
エミリアは、光から視線を外さないまま答えた。
──精霊と対話する。
そう考えてここへ来たはずだった。
だが、目の前の光を見つめていると、言葉を投げかける、呼びかける、といった発想がどうしても浮かばない。
(……違うわ)
胸の奥で、静かに何かが引っかかる。
お願いする、尋ねる、耳を澄ます──そういった行為は、相手が〝意思を待つ存在〟であるときの話だ。
だが今、自分の中にある感覚は、それとはまったく異なっていた。
精霊の宮でも同じ違和感を覚えた。まるで、意思があるようでいて、こちらの行為にただ反応しているだけの──そう、これは、誰の目にも見えない極々微細なゴーレムのようなものではないのか。
もしそうならば、それに対する行為は──
尋ねる、耳を澄ます、のではなく──確認する。
お願いするのではなく──指示する。
そうあるべきではないのか。
だがそれは、シェナが説く精霊に対する対応とはまったく異なるものだ。自分の直感が、あまりに異質なことに戸惑ってしまう。
それでも──自分にはそれが、もっともしっくりくきてしまうのだ。
エミリアは意を決して、光に向かって手を差し出す。これはきっと、精霊使いのやり方とはまったく違うはず──そう思いながらも、ある言葉を口にした。
「確認します」
それは、目の前の精霊に話しかけたというより、この世の何かの仕組みに向かって告げたような感覚だった。
だが脳内で、まるでその言葉に〝正しく〟反応するように、いつもの無機質な声が響いた。
《ステータス確認……系統番号不明。管理外ユニット》
(やっぱり──)
そう思ったのと同時に、手元に光る薄い板が現れた。そこにはやはり、文字とも記号ともつかない、古代文字のような文様が浮かび上がっている。
〝これ〟が意思を持っている存在かどうかは分からない。だが、やはりこの機械的な反応はそういった何かとは違う──そう確信した。
「お姉様、『確認』とは? それに、精霊が『私には名前はない』と答えたように感じましたが」
シェナが困惑した様子で、堪らず尋ねた。
エミリアはただ静かにうなずき、次の指示を出した。
「状態を報告して」
やはり、同じように声が答える。
《健康度……低下中。閾値オーバー》
「原因は?」
《不明……本ユニットからのアクセス権限エラー》
な
(なるほど……何かを参照する〝大元〟がある、ということね)
ふう、と一息つくと、エミリアは光の板から手を離した。その瞬間、光の板は霧散するように消えた。
「お姉様……いったい、何をなさったのですか? 私たちは、精霊との対話は心の中で念じます。お姉様はまるで使役するみたいに、〝言葉で〟やり取りされていました……」
使役か──エミリアは自分でも妙に納得してしまった。ただ、それは一面的な見方だとも思った。自分がやったことは、あくまでも確認と指示なのだ。
きっと、これは何かの仕組みで動いていて、それがこの国では『精霊』として認識されている。おそらく、ただそれだけのことなのだ。そして、その仕組みに冷徹に入り込むことができるのが管理者であり、導師と呼ばれているのでは──そうとしか思えない。
だが、目の前の幼い精霊使いには、この理解をそのまま伝えるわけにはいかなかった。彼女の力の拠り所を汚すわけにはいかない。
エミリアは言葉を選ぶように応えた。
「姫様。先ほど、精霊は姫様に何か言ってましたか?」
シェナは「そうですね……」と思い返すように答えた。
「身体が蝕まれている、と言ってました。でも、原因は分からないとも」
やはり〝変換〟されている──事象は同じでも見る方向が違うとこうなるのか、とエミリアの頭に確信めいたものがよぎる。
(姫様に「使いこなしたい」って話したけど、私の場合、〝気づく〟ことが重要だったようね)
「そうですね、姫様。私もそう受け取りました」
シェナは困惑しながらも、その瞳には驚きと嬉しさが見て取れた。
「お姉様はやはり『導師』なのです。きっとそうに違いありません!」
無邪気に顔を綻ばせるシェナを見て、エミリアは何も言えなくなってしまった。
だが自分としては、この力の謎をもっと知りたい。これだけでは精霊使いと変わらない。つまり、あの言葉──『オペレーター』のようなものではないか。『管理者』というからには、その力は何かもっと根本的に違う気がする──心の奥から、恐れと好奇心が湧き出す。
「姫様。もう少しお付き合いください」
エミリアは怪訝な顔を見せるシェナを尻目に、再び手を差し出した。光の板が浮かび上がる。
「後へ移動しなさい」
シェナが言った『使役』──つまり命令だ。精霊使いは〝お願いする〟。では、導師──管理者は『命令』できるのでは? エミリアははっきりとした声色で言い放った。
だが、光の粒子は微動だにしなかった。
(……なんでだろ? イケると思ったのに)
シェナも不思議そうに横へやってきた。
「あのう、お姉様。精霊は細かくお願いしないと理解してもらえないと言われています」
(細かくお願い……なるほど! つまり具体的に指示しないと動かないのか。私の意図を汲み取ってくれるわけじゃないのね!)
「姫様、ありがとうございます!」
再度、光の板に手を置き、指示を出した。
「隣の木の元まで移動しなさい」
すると、光の粒子が整然と並び、するすると隣の木まで移動しはじめたのだ。
「お姉様……精霊が……私には見えないはずなのに、まるで衛兵の行進のように感じられます!」
シェナは両手で口元を押さえ、目を見開いた。視界には何もないはずなのに、たしかに〝そこにある〟ものを見てしまったかのような顔だ。
「元の位置に戻りなさい」
エミリアが再び指示すると、光の粒子は混乱することもなく元の場所に戻ってきた。
自分にいつからこんな力が現れたのか。《第3次認証》がきっかけなのか、それとも──最初から持っていて、ただ〝気づいていなかった〟だけなのか。
しかし今のエミリアにとっては、その疑問は些末なことだった。自分が血脈とは異なる、見えない〝仕組み〟に介入できる力を持っている。それは、もはや疑いようのない事実となったのだ。
王都で経験した、聖遺物に対する反応まではまだ分からない。精霊と聖遺物──その関連は見えていない。
だが、挙動だけを見ればどこか似ている気もする。同じ〝仕組み〟の別の表れなのか、それとも、まったく別物なのか。今は、判断するには材料が足りなかった。
(でもまあ、まずはこんなところかな)
「姫様、ありがとうございます。ほんの少しですが……分かった気がします」
シェナは嬉しそうに何度もうなずくと、エミリアの手を取った。
「お姉様! 私……お姉様に来てもらえて、本当に良かったと思います! これでうまくいくはずです!」
満面の笑みを浮かべるシェナ。だが、その顔を見たエミリアは、胸の奥にじわりと不安が湧き上がった。
(姫様……それだけじゃダメなの。〝持っている〟だけじゃ……)
王宮で散々人の悪意というものを見て、そして自身も悪意に晒されてきたエミリアにとって、幼さゆえか、性格的なものか──シェナのあまりに無垢な様子に、エミリアの心はざわついた。




