第64話 精霊の宮
宴の翌日。明日の出発を前に荷物を整理する必要があり、一行は朝から慌ただしかった。というのも、王都エルマースは砂漠のオアシスにあるため馬車では行けず、ラクダに乗り換える必要があったのだ。
「お嬢様、ラクダって乗るの大変ですかね?」
荷物を詰め直しながら、アンナが不安そうに尋ねてきた。
「そうねぇ、なんか、馬とは少し違う感じよね」
この国に入ってから度々目にした不思議な見た目の生き物。荷を運ばせたり、移動に使ったりと、この国の人々は馬のように使っている。
馬には多少乗れるが、いきなり乗れるものなのだろうか? シェナは「馬とは少し揺れ方が違いますが、すぐ慣れますよ」と軽く答えていたが、たしかに少々気がかりだった。
「お姉様、よろしいですか?」
シェナが客室へ入ってきた。約束していた『精霊の宮』へ向かう時間だった。アンナに続きをお願いして、シェナの案内で『精霊の宮』と呼ばれる建物へと向かった。
街外れまで歩くと、日干しレンガで組み上げられた大きな建造物があった。端から端まで一区画分ほどあり、ぱっと見には入口が分からない。角を曲がると、ようやく荘厳な装飾が施された扉が現れた。
「こちらが『精霊の宮』です」
シェナが扉の前で立ち止まった。
「このあたり一帯の精霊の〝核〟が棲まう場所なのです」
「〝核〟……」
扉の荘厳な装飾に目を向けた。〝核〟とは何だろう。精霊はそれぞれ別の存在ではないのか? 脳裏に疑問が浮かぶ。
「ということは、精霊って一つの大きな生物? 存在? そんな感じなんですか?」
「そうですね。実は、精霊使いは精霊が見えるわけではないのです。ただ、存在を感じることができるというだけなので、実際のところよく分からないのです」
シェナは少し考える素振りを見せたが、扉を押しながら淡々と答えた。
精霊使いは精霊が見えない──だったら、シェナの周りに見えた光の粒子がもし精霊だったとしても、それは自分にしか見えてなかったということになる。
中へ入ると、そこは外観の大きさとは不釣り合いな、こじんまりとした円形の空間だった。壁や天井は漆喰で塗り固められ、そこには幾何学模様や植物の蔓を思わせる紋様、波紋のような流水形の紋様が複雑に絡み合うように描かれている。
壁の高い位置に設けられた採光口から、外で浴びていた日差しと同じものとは思えないほどの柔らかな光が差し込み、室内を淡く照らしていた。
「ここが聖堂です。みなさん、この部屋で精霊に祈りを捧げます」
聖堂の左右の壁には、それぞれ扉があった。シェナがその一つに近づく。
「ここから先は、精霊使いしか入れません。でも、お姉様は導師かもしれませんし、父から許可をいただいてますので大丈夫です」
シェナはそう言うと、扉を開けた。そこにはさらに小さな部屋があり、奥にもう一つ扉が設けられていた。
シェナがその扉を開けた瞬間、目の前に広がったのは──広大な庭園だった。
庭園の中央にある池には小さな島があり、草花が生い茂っている。その中心に、一本の木が静かに根を張っていた。飛び石が畔から島へと続いている。
周囲を見渡すと、屋根付きの回廊が庭園をぐるりと取り囲んでいた。外で見た長大な壁はこれだったのかと、思わず息を呑んだ。
「シェナ様ではないですか。お久しゅうございます」
畔に設けられた土壁の庵から、年季の入った神官装束の老人が顔を出した。長い白髭を生やしたその穏やかな佇まいに、先ほどまで静謐さに身構えていた身体が、ようやくほぐれる。
「宮の管理を任されているナシム殿です。この方も精霊使いなのです」
ナシムへ会釈すると、彼は眉を寄せた。
「シェナ様、その方は……?」
「この方はエミリア様。〝私たちのお母様〟かもしれない方です」
「なんと……!」
ナシムは目を見開いた。彼は飛び出すように駆け寄ると、エミリアの前で片膝をついた。
「よもや『導師』様にお会いできるとは! 申し遅れました。私、ナシムと申しまして、この宮のお世話を任されております」
「あの……ナシム様。私、自分が導師かどうか分からないんです。自覚がないというか……」
ナシムの突然の恭順に、目が泳いでしまう。皆が導師という言葉に特別な反応を見せている。自分でも本当かどうか分からないのに、話がひとり歩きしているようで胸の奥が落ち着かない。
「なるほど……まだお目覚めになられたばかりなんでしょうな。しかし、あちらはざわついておられるようですぞ」
ナシムは立ち上がると薄く笑みを向け、島の木を指した。
「昔から、あの木の周りに精霊が棲んでいると言われております。この宮も、その木を守るために造られたのです」
島へ視線を移すと、木の周りの空間にはいつの間にか光の粒子が現れており、チカチカと点滅していた。
「光ってる……」
「おお、やはり導師様には精霊の姿が見えるのですね」
ナシムが目を輝かせた。
「我々は存在を感じることができるだけなので……」
やっぱり私だけにしか見えないのか──心の底に、澱が沈むようだった。
「導師様、島へ渡られませんか?」
浮かない表情していたのか、ナシムが提案した。
「精霊へ直に触れると、何か分かるやもしれません」
「え? いいんですか!?」
「ええ。精霊たちも騒いでおるようです。喜んでいる……そんな気配がしますな。何か語りかけてくれるやもしれませんぞ」
シェナの方を振り向くと、彼女も静かにうなずいた。
恐る恐る、飛び石に足を乗せた。石は池の底から立ち上がっているようで、思いのほか安定している。一歩、また一歩と進んだ。
島に足を踏み入れた。生い茂った草が、湿り気を帯びて膝下を包む。目の前では、柔らかな光の粒子が静かに点滅していた。
自分に精霊と意思疎通ができるのか──そう思った瞬間だった。
目の前に幾何学模様の淡く蒼白い光の板が現れた。そこには何か、文字とも記号ともつかない、古代文字のような文様が浮かび上がっていた。
それはまるで、白銀の夢の中に出てくる光景だった。
(これって、夢で見ていたものと同じだわ……!)
胸がどくん、と波打つ──と同時に、いつもの無機質な声が、侵入するように頭の中で響いた。
《ステータス確認……系統番号不明。管理外ユニット》
(ユニット!? まるで『神託の杖』みたい)
あれは『特定ユニット』だった。では『管理外ユニット』は──
(野良、ってことなのかな?)
精霊は生き物なのか、それよりもっと高次の存在なのか──そう考えていた。だが、脳内の声を額面通りに受け取ると、目の前の〝何か〟は、極小の存在──みんなには見えない、ゴーレムのようなものなのかもしれない、と思えてしまう。
夢の中でやるように、光の板にそっと手を滑らせた。すると次の瞬間、光の粒がぶわっと広がり、エミリアを包み込んだ。
──光と自分の意識が混ざり合うような感覚を覚えた。だが、考える暇を与えないかのように、また声が聞こえる。
《リファレンス乖離状況……閾値オーバー。修復が必要です》
(修復……ということは、精霊が〝壊れている〟っていうこと? 私にこのことが分かるのは──私が導師だから? でも……声は、いつものあの声よ)
「どうやったら治せるの? 教えて!」
思わず、光の中で声を上げる。だが、光も声も、何も応えてくれない。ただ、光の板の文様が、流れるように何かを描いていた。
その文様を凝視してみたが、それが何を意味しているのか分からなかった。
(どうして……)
状態は分かるが、治す方法は不明ということか。それとも自分が理解できないだけなのか。何か手がかりは無いのか──胸の内に焦りが広がる。
うなだれるように、手を下ろした。
島から戻ると、シェナが息を弾ませ駆け寄ってきた。
「お姉様、何か分かりましたか? 何もない空中に手を差し出したように見えましたが。それに……精霊たちが『助けて、治して』と言っていたようですね」
(やっぱり、姫様にも見えていないのね)
それにしても──『助けて、治して』か。精霊たちの〝状態〟が、精霊使いにはまるで、精霊が意思を発しているように伝わっている。
それに、『リファレンス乖離状況、閾値オーバー』。これは、看過できないほど精霊の状態が良くない、と考えることもできる。
「精霊は〝壊れている〟ようなんです」
言葉を選んで説明した。
「精霊の声が聞こえにくかったり、お願いを聞いてもらえないのも、そのためかもしれません」
「壊れている……ですか?」
「はい。本来あるべき状態から、悪影響が出るほど歪んでしまっているようなんです」
エミリアがまるで物の状態を説明するかのように話したことに、シェナは眉をひそめた。導師であれば、精霊使いと同じ側の人間、つまり精霊の意思を聴くことができ、対話が可能──そう思っていたシェナにとって、エミリアの言葉は、違う立場や系統の言語のように聞こえたのだ。
それは精霊使いをはじめ、この国の常識では少々違和感を覚える言い回しだった。
シェナは困惑した表情を浮かべていた。説明が良くなかったのか──思わず別の言葉を探した。だが自分にとっては、先ほどの体験は、何かの物や仕組みを調べただけのような気がしてならない。
「姫様。私も……うまく言葉にできないのです。ですが、やはり精霊は何らかの〝治療〟が必要なのは確かです」
ナシムが口を挟んできた。
「導師様。治療というのは?」
「それは……教えてくれませんでした」
「そうですか……」
ナシムは髭を擦り、考えこんだ。
「シェナ様。いったん、族長会議で報告された方がよろしいかと」
「はい。明日、ちょうど王都へ向かうのです」
「そうですか。次の族長会議は……来週でしたな」
シェナはうなずくと、エミリアへ視線を向けた。
「お姉様。族長会議には、王都近隣に住む精霊使いも参加します。何か手がかりがあるかもしれません」
シェナの琥珀色の瞳が明るく輝く。そこには、解決に向けての第一歩が踏み出されたことへの希望が感じられた。
だが、シェナが族長会議で周囲の反対を押し切ったことが心に引っかかる。
そもそも、協力してもらえるのだろうか──シェナの屈託のない微笑みを見つめながら、一抹の不安を覚えた。
◇ ◇ ◇
翌日、一行は王都エルマースへと出発した。使用人たちが手際良くラクダに荷を積み込んでいく。
恐る恐るラクダに近づいたアンナは、ラクダが鼻を鳴らすと「ひっ!」と後ずさった。
ラウルがアンナの様子を見て、くすりと笑う。
「アンナさん、なにやってるんですか。大丈夫ですよ」
「だって……こんな間近で……生まれて初めてなんですよ」
「ほら、大人しいですって」
ラウルがラクダの首元に触れた──その瞬間、ラクダがぶんっ、と首を振った。「うわっ」とラウルが尻もちをつく。
「気性の荒いやつもいるぞ」
世話係が苦笑いを浮かべ、周りからも笑い声が上がった。
「ほらぁ、ラウルも気をつけなさいよ!」
エミリアは呆れ顔でラウルの手を引き上げた。
「では皆さま。出発しましょうか」
シェナの呼びかけに、一行はラクダに乗り込む。やがてラクダはゆったりと身体を揺らしながら、一歩一歩進み出した。
ラクダに揺られながらも、胸の内には謁見のことや族長会議のことが渦巻いていた。
(陛下は導師のこと、何とおっしゃるかしら……?)
荒涼と広がる砂漠の向こうを、ただ静かに見つめた。




