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【第3部更新中】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
精霊使い編

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第61話 潮風と湯煙

「海だあああ!!」


 ラウルは馬車の窓から身を乗り出し、子どものように叫んだ。


「エミリア、見てみなよ! すごいよ! 海だよ、海!」


 はしゃぐラウルに、アンナは目を吊り上げた。


「もう、ラウルさん。はしたないですよ!」


 そう言いながらも、ラウルをたしなめるアンナの視線も窓の外に釘付けだった。生まれて初めて目にする光景に思わず目を輝かせている。


「これが……海……」


 エミリアもまた、目の前に広がる、まるで絵画のような景色に息を呑んだ。


 果てしなく続く青。空と溶け合うような水平線。秋晴れの光を受けて、海は無数のきらめきを揺らめかせている。

 三人はしばらく言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。


 ──内陸国であるイルスレイド王国の人々にとって、海は絵や物語の中でしか知らない存在だ。実際にこうして目の当たりにすれば、誰もが立ち尽くしてしまうだろう。


 やがて馬車が再び軋みを上げ、ゆっくりと動き出す。


 イルスレイド王国を南下し、国境の山間部を抜けて一週間。シャリューン王国は中央地域に砂漠が横たわり、その周辺に丈の低い草原が広がっている。

 一行は砂漠を避けるように山麓沿いの街道を南下し、この海岸へと辿り着いた。ここから先も、王都まではなお一週間ほどの道のりが続く予定だった。




 半日ほど馬車が進むと、丘の下に広がる入江に白亜の建物がひしめく街が見えてきた。堅固な城壁で囲まれたその街並みは、イルスレイド王国のものとは大きく異なる意匠を見せていた。


「たぶん、あれがセレナリアだな。交易が盛んな街らしいぞ」


 ラウルが懐から手帳を取り出し、ページをめくっていた。あの出発までの短い時間で寝ずに予習したらしい。いかにもラウルらしいと苦笑してしまう。


 馬車は街に入り、大通りを抜けていく。

 通りの両脇には様々な露店が立ち並び、神託祭のバザールで目にしたような異国情緒あふれる品々が所狭しと並んでいた。

 商人たちは声を張り上げ、客たちは足を止めて談笑している。その合間を縫うように、交易都市らしく仲買人たちの威勢の良いやり取りが飛び交っていた。


 一行は庁舎前の広場に馬車を止めた。

 前の馬車に乗っていた、使節団長やシェナ、ジルベルトが代官へ挨拶に向かったらしい。衛兵から、しばらく馬車で待機するよう指示を受けた。


「ねえ、ラウル。こうやって街へ入ると、シャリューン王国ってやっぱり異国なのね」

「そうだな。みんなが着ている服も全然違う」

「こっちは秋でもあまり寒くならないのかな?」

「どうだろう。でも、たしかにみんな薄着だな」


 シャリューン王国で初めての街らしい街だった。この一週間、一行は野営や、良くて麓の宿場などで寝泊まりしていた。人の息づかいに触れるのは久しぶりだ。


 扉がノックされ、降りるよう告げられた。

 馬車を降りると、すでに他の馬車の一行も集まっていた。長い移動でこわばった肩や腰を、それぞれが伸ばしたり、さすったりしている。


「お姉様」


 エミリアを呼ぶ、か細い声。シェナが歩み寄る。


「今夜はここで宿を取ります」


 やっと柔らかなベッドで眠れる──さすがのエミリアも、この一週間の睡眠事情はいささか堪えていた。


「宿についたら、夕食の前に皆で『テルム』に行きませんか?」

「テルム……ですか?」


『テルム』とは何だろう? 初めて聞く言葉だ。気づかぬうちに眉が寄っていたようで、それに気づいたのかシェナが一呼吸置いて言い換えた。


「ええと、大きな浴場なんです」

「……浴場、ですか?」


 イルスレイド王国にも風呂はあるが大きなものではない。湯を用意するだけでも一苦労で、貴族であっても頻繁に入れるものではなかった。平民に至っては、さっと水浴びをするくらいがせいぜいだ。


 そういえば、昔ラウルが魔法で湯を沸かすといって、風呂桶を燃やしたことがある──ふと、昔のことを思い出し内心で苦笑した。


「お姉様、道中は王国よりも埃っぽかったでしょう? 汚れを落としましょう」

「でも、私だけというわけには……」

「いえ、テルムでは身分の上下は関係ないのです。さすがに男湯と女湯は分かれていますが」


 なるほど、そういう伝統なのか。だったらみんなで楽しめそうだ──初めての体験に胸が躍った。



   ◇ ◇ ◇



「うわあ、すごい!」


 テルムの大浴場に足を踏み入れると、思わず声を上げてしまった。

 石造りの浴場の中央には巨大な石風呂があり、もうもうと湯気が立ちのぼっている。天井にはガラス窓がはめ込まれ、窓から差し込む夕日が湯気を照らしていた。それに、タイルのはずなのに足元が暖かい。


「床下に蒸気が通っているんですよ」


 足元を凝視していると、その様子を見てシェナが微笑んだ。どうりで、脱衣場でサンダルを渡されたわけだ──その仕組みに思わず感心してしまう。


「あのう、お嬢様。これはちょっと……恥ずかしいですね」


 振り向くと、アンナがうつむきがちに布をひらひらさせていた。その恥ずかしがる様にシェナの侍女たちが微笑む。


 たしかに、薄く白い布きれ一枚を肩から掛け、腰で適当に回しているだけだ。

 今まで貴族の令嬢としてアンナに着替えを手伝ってもらっていたため、人前で多少肌をさらすこと自体にはさほど抵抗はなかった。だが、平民であるアンナにとってはまた別の感覚なのだろう。


「もう、アンナったら。テルムではみんな同じ格好。シェナ姫様も、身分も何も関係ないって仰ってたでしょう?」

「それはそうなんですが……」

「さあ、みなさま。まずはあちらで汗を流して、その後オイルを使って汚れを落としていただきましょう」


 シェナの侍女に、浴場に隣接する小部屋を案内された。

 小部屋で控えていた使用人に促されるまま、中央に並べられた石台に横たわった。

 使用人はゆったりとマッサージするように、全身にオイルや香料をたっぷりと塗り込んでいく。あまりの気持ちよさに、ふうっと浅い吐息が漏れた。

 ひと通り塗り込むと、使用人は金属のへらを取り出し、慣れた手つきで身体を擦りだした。すると、オイルとともに汚れがみるみるうちに落ちていく。


 心地よい刺激にうっとりとまどろんでいたが、ふと横を向くと、同じように横たわるシェナの左腕にアザのようなものがあるのを見つけた。それは波紋のような形状で、アザというには妙に意匠的に見えた。


「シェナ姫様。あの、その左腕のアザ……」

「これは……精霊使いの証なのです」

「証……ということは、精霊使いの方には、みなさんアザがあるのですか?」

「ええ。小さいときは薄いアザなんですが、力が増すにつれて濃くなります」


 シェナのアザは、まるでインクのような濃さだった。つまり、この歳にして相当な使い手であるということだ──汚れを丁寧に落とされ、ふう、と一息つくシェナの横顔をまじまじと見つめた。



   ◇ ◇ ◇



 一方、男湯。そこにはジルベルトとラウル、王国から付き添ってきた実務を取り仕切る官吏たち、それと衛兵の一団がいた。使節団や隊商の面々は雑務を済ませてから合流するとのことだった。


「あれ、運動場なんでしょうか?」


 衛兵の一人が男湯に隣接した中庭を指差した。そこでは男たちが運動をしたり、レスリングらしきことをして汗を流していた。

 壁際では飲み物を口にしながら涼をとったり、ベンチで歓談する者もいる。


「なるほど。風呂だけじゃなく、憩いの場ってわけだ」

「面白そうだ、我々も一丁やりますか」


 武器の類は入口で預ける決まりだった。つまり、この場に危険な者はいない。開放感からか、若い衛兵たちが衛兵隊長の制止も聞かず、中庭に駆けていった。


 ジルベルトがラウルに視線を向ける。


「ラウルさんはやらないんですか?」

「殿下、〝さん〟は……おやめください。私はただの平民魔導士です。ラウルとお呼びください」


 ジルベルトの問いにラウルは恐縮し首を振る。


「うーん……しかし、エミリアさんのことも、まだ〝エミリア〟と呼んでません。あなたを呼び捨てにするのはなんだか気が引けます」


まだ(・・)? ……まだ(・・)!?)


 どういう意味だ──ラウルの顔がわずかに引きつり、胸の鼓動がドクンと跳ねた。


「そうだ! それなら〝ラウル君〟と呼ばせてください」

「……ええ、それでお願いいたします……」


 ラウルは、ジルベルトの先ほどの言葉が胸に引っかかり、上の空で返事をした。──〝まだ〟ということは、いずれ〝エミリア〟と呼ぶつもりなのか。たしかに王族だから当然だろう。いや、そもそも深い意味などないのかもしれない。しかし、どうも胸の中がすっきりしない。




 やがて衛兵たちが戻ってきた。「殿下をほったらかすなど護衛としてけしからん」と小言を言う衛兵隊長をジルベルトがなだめると、彼らは照れくさそうに頭を下げた。

 そこへ官吏の一人が、蒸し風呂なるものがあると聞きつけ、皆で蒸し風呂へ向かう。


 全員、初めての蒸し風呂だった。中は想像以上の湯気と熱気で、気を抜くと倒れそうなほどの熱さだ。


「これは……効きますなぁ」


 官吏たちが流れる汗を拭いもせず、嬉しそうに顔をしかめた。衛兵たちも経験したことのない熱さに恍惚の表情を浮かべる。


 ラウルも熱さに顔を歪めていた。身体中から滝のように汗が噴き出し、ぽたぽたと雫が落ちる。ふと正面を見ると、ジルベルトは背筋を伸ばしたまま静かに目を閉じていた。額にうっすらと汗を浮かべているものの、その表情はひどく穏やかで、まるで瞑想でもしているかのようだ。


(これくらいは……負けられない)


 なぜかそう思った。そもそも、何に対して対抗心を燃やしているのだろう──湧き上がる疑念を熱気とともに押し流す。胸を張り、熱さなど何でもないような表情を作った。


「ラウル殿。腕、大丈夫ですか? 赤くなってますが」


 横に座る衛兵がラウルの左腕を見て心配する素振りを見せた。その声でラウルは我に返った。


「え? ええ、大丈夫ですよ。小さい頃の火傷の痕ですんで」


 ラウルの左腕にはアザのような傷痕があった。


「そうですか、ならいいんですが。それにしても、変わった形ですね。なんか、鱗みたいというか」

「こら、失礼だろ!」


 衛兵隊長がたしなめ、ラウルに頭を下げた。


「すまないね。遠慮のないヤツで」

「いえ。大丈夫です」


 ラウルはそう言いながらも、痕を右手でそっと隠した。


(おかしい……何なんだ、これは)


 この痕に違和感など、生まれてから一度も感じたことはなかった。だが、シャリューン王国へ入ってから、この蒸し風呂の熱気とはまったく異なる、内側から滲むような奇妙な熱を帯びている。自分の身体に起きている変化にラウルは困惑していた。



   ◇ ◇ ◇



 一行がテルムを出ると陽はすっかり暮れていた。

 風呂上がりに埃まみれの服を着るのはあんまりだろうということで、シェナの侍女が現地の服を用意してくれていた。海風が薄手の服を通り抜け、テルムで火照った身体を優しく冷やす。


 テルムの感想で盛り上がる一団。シャリューン王国では大きな街には大抵テルムが存在すると聞き、衛兵たちが喜びの声を上げていた。

 皆がリラックスし、この一週間の疲れがいっぺんに取れたかのようだ。


「あら、ラウルの半袖って久しぶりね」


 エミリアは、後方を一人歩くラウルに声をかけた。


「たしかにそうかもな。夏でも長袖だし」

「やっぱり……火傷の痕のこと……?」


 幼いころ、ラウルの腕の傷痕をしつこく尋ねてしまい、彼を怒らせたことを覚えていた。あれからラウルは腕を人目に晒すことがなくなり、お互いこの話題を無意識のうちに避けていた。


「いや、そういうわけじゃ……」

「なんか、赤くなってる」


 否定するラウルの腕の痕にそっと手を伸ばす。


 その瞬間──


《クラス照会……オペレーター》


 脳内に、あの声が突然響いた。


 聖遺物もないのに響く、あの無機質な声。まったく予想もしなかったことで、思わず手を引っ込めた。


(何? 今のは……『オペレーター』……?)


 初めて聞く言葉だ。これまでこの声は、聖遺物や自身の感情に呼応するように聞こえてきたはずだ。他人の何かに反応したことはない。


「──? どうした?」

「い、いえ。何でもないわ」


 不思議がるラウルの横で、エミリアは困惑した表情を浮かべた。胸の鼓動が激しく打っている。




 宿では、イルスレイド王国では珍しい、海の幸をふんだんに使った豪勢な夕食が振る舞われた。だが、先ほどの声が頭から離れず、エミリアは食べた気がしなかった。


 部屋に戻っても頭から消えない。テルムで一週間の汚れを落とし、ごちそうを食べ、ふかふかのベッドで横になる。すぐ眠りに落ちそうな状況にもかかわらず、意識は冴え渡っていた。


(『オペレーター』って何なのかな? 聖遺物もないのに、どうしてあんな声が? ラウルの傷痕に触れようとした時に聞こえたわよね……もしかして、あれはただの火傷じゃない……?)


 考えれば考えるほど疑問が膨らんでいく。夜が更けていく中、どうしても寝つくことができなかった。

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