第56話 王の覚悟
「皆、此度の件、大義であった」
国王は玉座に深く腰掛けると、手を挙げ、穏やかに労いの言葉を語った。その動作ひとつひとつに王としての威厳があった。
「面を上げよ」
低く、しかし明瞭な声が響いた。一同が顔を上げる。
国王の視線がデルナムに向けられた。デルナムは騎士たちに支えられ、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。
「デルナム。そなたは、我が国に対して重大な罪を犯した」
国王の声は静かだったが、その言葉には有無を言わさぬ力があった。
「陛下……私は……王国のために……」
デルナムが震える声で弁解を試みる。だが、国王は冷たく遮った。
「王国のためではない」
一拍の間。
「己の野心のためだ」
その言葉は、先ほどライモンドが言ったものと同じだった。だが、国王の口から発せられると、それは絶対的な審判として響いた。
国王は重臣たちに視線を送った。
「調査の結果を報告せよ」
重臣の一人が立ち上がり、手にした書類を開いた。
「デルナム卿の罪状を申し上げます──」
重臣の声が謁見の間に響く。
報告が終わると、国王はうなずき、デルナムを見下ろした。
「デルナム。そなたの爵位を剥奪し、投獄を命ずる」
「陛下! なにとぞ……なにとぞお許しを……!」
デルナムが懇願の声を上げる。だが、国王は表情一つ変えなかった。
「連行せよ」
騎士たちがデルナムを抱え上げる。デルナムはもはや抵抗する気力もなく、虚ろな目で宙を見つめていた。
「私は……悪くない……ただ、王国を……」
その声は次第に小さくなり、やがて扉の向こうへと消えていった。
謁見の間に再び沈黙が訪れた。
そして、国王の視線が枢機卿に向けられた。その視線には、長年積み重ねられてきた何かが宿っていた。
「枢機卿ロイデン殿」
枢機卿は姿勢を正した。その顔にはまだ余裕の色が残っている。
「そなたも同罪だな」
「陛下」
枢機卿が一歩前に出た。
「誠に遺憾ではございますが」
枢機卿は恭しく頭を下げた。だが、その声には明確な自信が滲み出ていた。
「私には外交官特権がございます」
まだ言うのか──謁見の間が再びざわめいた。だが、枢機卿は周囲のざわめきなど意に介せず、胸を張った。
「聡明なる国王陛下におかれましては、外交官特権を持つ私の扱いについては、十分ご承知のことと存じますが」
枢機卿は、穏やかだが狡猾さが滲む笑みを浮かべる。その笑みを、ライモンドとジュリアンは悔しそうに睨みつけた。
「これはまさに、正当に認められた権利の侵害でございます。ただちに解放いただきたい」
枢機卿が諸手を開いた。
だが、国王は冷静にうなずいた。その表情にはわずかに笑みさえ浮かんでいる。国王は、まるでこの瞬間を長く待っていたかのように目を細めた。
「なるほど、特権か」
その声は穏やかだった。だが、その穏やかさの底に、何か別のものが潜んでいるように感じられた。
「ならば、そなたに一つ問いたいことがある」
枢機卿がわずかに表情をこわばらせた。だが、すぐに笑みを作る。
「何なりと」
国王はゆっくりと口を開いた。その声には、長年の観察と忍耐が滲んでいた。
「教会税のことを、法王国へ問いただしてもよいのだが」
「──っ! そ、それは……」
枢機卿が初めて動揺を見せた。
国王は続けた。
「教会税は、各国が法王国に対して認めている権利だな」
「……ええ、いかにも」
「しかし、そなた──いや、法王国は──」
国王の声に、わずかに鋭さが増す。
「王太子派の貴族領の教会税を、意図的に高くしておるな?」
その瞬間、枢機卿の顔から血の気が失せた。
「教会税は、領民が自身の居住する地区の教会に対して納める慣習的な税だ。たしかに国によって税率は違い、それを決めるのも法王国の権利だ。しかし、この意図的な税率の差。これは明らかな政治的介入としか思えん。それも何年も前から、な」
エミリアは息を呑んだ。
(何年も前から……それって、 陛下はずっと気づいていらしたっていうこと!?)
国王はさらに続ける。
「ちょうど神託祭のために各国の使節団が来ておる。他の国にも問い合わせてみようかの。法王国が各国で同様の政治的介入をしていないか、とな」
枢機卿の額に汗が浮かんだ。
「陛下、それは誤解でございます」
「誤解か」国王の声には、かすかな嘲りが混じった。
「ならば調査すれば明らかになろう」
国王の声は依然として穏やかだった。だが、その穏やかさがかえって恐ろしい。
「まだあるぞ」
国王が畳みかけた。その瞳に、一瞬だけ感情の色が宿った。
「我が国はソフィアのおかげで、ノルウェステン公国と縁ができておる」
ソフィアが驚いた表情で国王を見た。国王は優しくうなずき返し、そして枢機卿に視線を戻した。その視線には明らかな怒りがあった。
「そなたたちは、ソフィアの輿入れに難色を示しておったな」
「そ、それは……」
「我が息子の妃を選ぶのは、我が王家だ。──法王国ではない」
国王の声に力が込められた。
「たしか、公国は帝国の影響で、法王国から分かれた『帝国正教会』を信仰しておるな」
法王国の人間に『帝国正教会』という言葉を出す──その意味に、謁見の間に一瞬の緊張が走った。
「我が王家が宗派替えするとなったら、法王聖下はどうなさるかの?」
重臣たちが驚愕の表情を見せた。皆、顔を見合わせるが言葉が出ない。
枢機卿は明らかに動揺していた。
「陛下、そ、それは……我が法王国との関係が……」
「関係か」国王は冷徹な声を漏らした。その声の底には、長年の我慢が限界に達した者の静かな怒りがあった。
「我が国の妃を選ぶことにまで口を挟み、他国への内政干渉も辞さぬ法王国との関係など、考え直す必要があるやもしれぬな」
謁見の間が静まり返った。
国王は立ち上がった。その所作には、ついに決断を下した者の覚悟が見える。
「枢機卿ロイデン殿。そなたを即刻国外退去とする」
「陛下……!」
「今後一切の入国を禁ずる」
国王は枢機卿を冷たく見据えた。
「法王国へ戻り、聖下へよく伝えよ──これ以上の干渉はもはや許さぬ、と……おとなしくしておくことだな」
その言葉はただの脅しには聞こえなかった。本当に宗派替えも辞さない──王の静かな覚悟が込められていた。
枢機卿は拳を握りしめ、歯ぎしりした。だが、もはや抵抗できない。
ライモンドが騎士たちに命じた。
「猊下を国境まで〝警護〟せよ。道中、何かあってはならぬ。丁重に、しかし確実にな」
騎士たちが枢機卿を取り囲んだ。
連行される際、枢機卿が振り返り、エミリアを見た。
「……侯爵令嬢エミリア・シル・テルネーゼ」
その声色は不気味なほど柔らかく、エミリアは背筋に冷たいものが這うのを感じた。
枢機卿の唇が歪んだ笑みを作る。
「またお会いしましょう」
その笑みには悔しさと、そして何か別の感情が混じっていた。
──謁見の間に重苦しい空気が残った。
国王は再び座り、ゆっくりと重臣たちを見渡した。
「法王国と通じていた者たちも、追って処分する」
一部の重臣たちが青ざめ、思わず膝をつく者もいた。
「詳細は改めて。本日はここまでとする」
国王は深く息をついた。その表情には疲労と、そして、何かを成し遂げた者の安堵があった。
重臣たちが深々と頭を下げた。一同が静かに謁見の間を後にし始めると、ようやく硬く締め付けられた空気が緩みだす。
だが、エミリアの脳裏には枢機卿の不気味な笑みが貼り付いていた。『またお会いしましょう』──まだ何かを企んでいるのか。それは、今回の陰謀失敗への負け惜しみなどの単純な話ではないように思えた。
◇ ◇ ◇
ライモンドとジュリアンは、謁見の間からライモンドの執務室へ戻っていた。
ライモンドがふう、と一息吐き、椅子に深く腰を沈める。ジュリアンもソファーに腰掛けた。ジュリアンは指を組み、ぽつりとつぶやく。
「父上、ついにお覚悟を……」
「ああ、そうだな。法王国の干渉はもはや看過できないところまで来ていたからな」
ライモンドの声は低かった。
「特に、ソフィアの輿入れへの干渉は……」
「ええ。父上にとって許し難いことだったのでしょうね」
ライモンドはジュリアンの言葉にうなずき、声を潜めた。
「帝国の裏庭である北方諸国との縁組は、我が国の将来のためでもあったからな」
「と、いうと?」
「大陸の二大巨頭である、帝国と法王国に挟まれた我が国は、どちらの顔色も窺わねばならん。法王国派の国からの縁談を受けることは、我が国のさらなる〝法王国化〟に繋がりかねん。そうなっては、帝国からさらに警戒される」
「たしかにそうですね。しかし、父上が望んだ相手が公国だったというのもまた妙手だ」
「ああ。法王国が嫌がるのも当然だ。だが、帝国も諸手を挙げて歓迎したわけではない」
「やはり、帝国は〝挟まれる〟のを懸念したのですね」
──ガルナック帝国の領土はイルスレイド王国の西に広がり、その大きさはイルスレイド王国とは比べものにならないくらい広大だ。
だが、ガルナック帝国の北西に位置する北方諸国、その一つであるノルウェステン公国とイルスレイド王国に繋がりができるとなると、帝国の中の懐疑派は、たとえ小国同士であっても帝国を両側から挟む形になるのは地政学的にリスクが大きいと考えたのだ。
「そういうことだ。しかし皇帝は、ある意味理想主義者と聞く。最終的には黙認した」
「挟まれるリスクと、我が国の脱血脈化を天秤にかけた、というわけか……」
「まあ、そうなるな」
「ところで、宗派替えは本気なんでしょうか?」
「分からん。だが、父上の表情を見ただろう」
ライモンドはジュリアンの瞳をまっすぐに捉えた。
「あれは、本気で考えておられる目だった」
ライモンドの言葉に、ジュリアンは短く息を吐く。
「……法王国との関係は今後、慎重に扱わねばなりませんね」
「ああ。だが、父上の決断は正しい。このままでは、法王国の対帝国戦略の最前線にされる恐れがあったからな」
「しかし、たとえ宗派替えしたところで難しい舵取りになりますね」
「そうだ。今度は帝国に飲み込まれかねん。……だからこそ〝裏庭〟との縁組だったのだ」
二人は視線を落とした。
「それにしてもジュリアン、枢機卿の最後の言葉……あれは……」
「たしかに気になりますね」
「ああ。エミリア嬢への執着が感じられた」
「ただの恨みではない、何か別のものを感じましたが……」
「法王国があの娘に興味を持った、ということか……厄介なことになるかもしれん」
二人の表情は、危機を退けた者というよりも、さらなる脅威を予感する者のように固かった。
◇ ◇ ◇
ソフィアとエミリアは、ソフィアの私室に戻った。
「エミリアさん、今日は本当にありがとう。あなたは、私を、そして王国を救ってくれたわ」
「そんな……私はただ、妃殿下のお力になりたかっただけで……」
ソフィアがエミリアの手を取り、首を振った。
「いいえ。あなたにどれだけ勇気づけられたことか」
「妃殿下……」
二人の間に穏やかな空気が流れた。
「でも、エミリアさん。最後の枢機卿の言葉。あなた、法王国に目を付けられてしまったかもしれないわ。私のせいで……ごめんなさい」
ソフィアが目を伏せる。
「妃殿下、大丈夫です。お気になさらないでください」
だが、エミリアは微笑もうとしたが、うまくできなかった。たしかにあの言葉が気になる。神託の儀は成功した。デルナムと枢機卿の陰謀も暴かれた。しかしソフィアの言うとおり、これで終わりとは思えなかった。「またお会いしましょう」という言葉。あれは脅しではない。まるで避けられない約束のようだった。
(来るなら来なさい。私は……負けない)
そう心に誓いながらも、胸の奥に不安が渦巻いていた。
──こうして、神託祭初日の夜は更けていった。




