第55話 兄弟の罠
神託祭の喧騒が一通り収まった深夜。王宮の謁見の間。
重厚な扉が開き、デルナムと枢機卿ロイデンが騎士団に連行されてきた。二人の両脇には騎士が張り付き、一切の勝手を許さない様子だ。
デルナムは怒りと動揺が入り混じった表情で、枢機卿は表面上は平静を装っているが、その目は落ち着きなく泳いでいた。
謁見の間には既にライモンド、ジュリアン、そして宰相をはじめ数名の重臣が揃っている。
ライモンドは玉座の階段に腰掛け、冷ややかな視線で二人を見下ろしていた。ジュリアンは柱に寄りかかっているが、いつもの軽薄さとは違う鋭い眼光を湛えている。
エミリアも証人として呼ばれており、室内の隅に控えていた。ソフィアの姿もある。イルダも証人として、父親である副団長ルーエン卿の傍らに立っていた。彼女は疲労の色が濃く、今にも倒れ込みそうだったが、それを支えるようにクロードが寄り添っていた。
誰一人言葉を発しなかった。
静寂が支配する謁見の間には、松明が石壁に揺らめく影を落としていた。
「さて」ライモンドが口火を切る。
「言い訳くらい聞こうか」
その声は冷たく、感情を削ぎ落としたようだった。
デルナムは喉を鳴らし、堰を切ったように口を開く。
「殿下、これは誤解なのです。私は何も──」
「イルダ嬢を拉致監禁した事実は?」
ライモンドの刺すような言葉がデルナムの弁明を遮った。言い訳を聞くとは言ったものの、その冷たく固い表情から、端から聞く気などないことは明らかだった。デルナムの顔が引きつる。
「それは……彼女が勝手に屋敷に忍び込んで──」
「ほう、娘が侍女の身にもかかわらず王宮を抜け出して、あなたの屋敷に忍び込み、捕まった、と……デルナム卿、もっとマシな言い訳を言ったらどうです?」
副団長──ルーエン卿の声が響いた。副団長の声には抑えきれない怒りが滲んでおり、今にも飛びかかりたい衝動を必死に抑え込んでいるようだった。
「これを誘拐監禁と言わずして何と言う!」
副団長は顔を真っ赤にさせ、デルナムへ怒号を浴びせた。側に控えていた騎士が、思わず彼を制止しようと身構えた。
枢機卿が緩やかに口を挟んだ。
「副団長殿、落ち着いてください。きっと、これは単なる行き違いでは──」
「猊下も共犯の疑いがあることをお忘れなく」
ジュリアンが冷笑を浮かべた。枢機卿の表情がわずかに歪み、押し黙る。
デルナムの肩が大きく上下した。追い詰められた獣のように荒い息をつき、歯を食いしばる。そして顔を上げると、もはや取り繕うこともせず、憎悪と狂気を滲ませた目でライモンドを睨みつけた。
「我々……我々は王国のために動いたのです!」
その声は、もはや弁解ではなく叫びだった。
「血脈の弱い姫など、神に選ばれるはずがない!」
重臣たちの間にざわめきが走った。一部の反王太子派と思われる貴族は複雑な表情を浮かべ、顔を見合わせた。
「王国の伝統を守るため、法王国の知恵を借りて正しい道を──」
ライモンドが静かに遮った。
「つまり、神託祭を妨害したと認めるのだな」
「妨害ではない!」
デルナムが声を張り上げる。
「正しい結果へ導こうとしただけだ!」
ソフィアは唇を噛み、デルナムを見つめていた。その表情は、悲しみと失望、そして哀れみが複雑に入り混じっていた。
この一年、巫女を務めるにあたって数々の悪意に晒されていた彼女には、デルナムの正当性を主張する言葉が、どれほど多くの人々の本音を代弁しているか分かってしまう。「どうしてこんなことに」と問いかけるように、彼女は目を伏せ、小さく首を振った。
その時、ジュリアンが柱から身を起こし、前に一歩出た。
「デルナム卿」
その声音が変わっていた。いつもの軽薄さが消え、鋭く冷たい響きがある。
「貴侯は一つ大きな勘違いをしていたようだな」
その言葉の意味が分かりかねたのか、まだ息の荒いデルナムが力の抜けた顔を上げた。
「何を言っている」
ジュリアンの鋭い眼光がデルナムを射抜いた。
「貴候は、私が兄上と対立していると思い込んでいたな?」
デルナムの顔から血の気が引いた。
「……え?」その声は震えていた。
「私が反王太子派、血脈信奉の旗頭だと信じて寄ってきた」
ジュリアンは一歩、また一歩とデルナムに近づく。
「そこまではよい。どんな組織でも派閥はできるものだ」
彼は一拍、間を置いた。
「しかし貴侯は……法王国と手を組んだ」
デルナムが震える声でつぶやく。
「殿下……まさか……」
「私と兄上の不仲は」
ジュリアンは鼻を鳴らし、冷たい笑みを放った。その視線には明らかな侮蔑の色が見える。
「こういう不貞の輩を炙り出すための芝居だ。釣り針に見事に食いついてくれたな」
謁見の間に衝撃の波が走った。重臣たちの誰もが顔を見合わせ、ざわめきが大きくなる。反王太子派と思われていた者たちの中には、青ざめる者もいた。
エミリアも驚きを隠せなかった。
(殿下たちの対立は……演技だった!?)
ふふっ、とライモンドがわずかに苦笑した。
「ジュリアンよ、随分と楽しんでいるようだな」
「兄上こそ」
ジュリアンが肩をすくめて、ニヤリと口角を上げる。
「私に悪役を押し付けて」
「まあ、おまえが適任だったからな」
二人の間に笑みが浮かんだ。そこには、長年にも渡る兄弟の信頼が窺えた。
デルナムの顔から血の気が失せていた。今にも膝から崩れ落ちそうな様子で、視線は宙を彷徨っている。だが、最後の悪あがきをするように声を枯らした。
「しかし! それでもあの杖の挙動は不可解です!」
その指がエミリアを指す。
「リハーサルの時とまったく違うではありませんか! やはりこの侍女が何か仕組んだのです!」
枢機卿も、まさにそうだと言わんばかりに大きくうなずく。
「そうです! あの光は明らかに異常でした! 何か魔法的な細工が──」
エミリアの胸がどくんと一拍打つ。このタイミングでそのことに触れられると、話がややこしくなる──努めて表情を保とうとしたが、内心では冷や汗が流れた。
(まずいわ……私の力のことが……)
ソフィアが毅然とした様子で一歩前に出た。
「エミリアさんは私を助けてくれました。あの方がいなければ──」
「妃殿下は騙されているのです!」
デルナムが必死の形相で訴える。だが、ライモンドは表情を変えることなく、静かに「そうか」とつぶやいた。
「ならば確認してみるとしよう」
彼は扉の脇に控えていた人物に視線を送った。
「所長、準備を」
扉の脇にはアルザス所長がいた。彼はライモンドの指示に、恭しく一礼する。
「承知しております」
研究員たちが大きな鞄を持って入ってきた。彼らは謁見の間の中央に大きな布を広げた、布には複雑な魔法陣が描かれている。さらに、複数の宝珠や測定器具を手際良く設置していった。
その様子を見ていたエミリアがハッとした。
(あの大きな鞄……まさか、あの夏の……)
エミリアの脳裏に、夏の日の夕方、王宮の廊下でアルザスと出会った景色が蘇った。あの時、アルザスの傍らには、今目の前にある大きな鞄を持った研究員が控えていた。
デルナムと枢機卿が、思わぬ状況に動揺の色を見せる。周囲の重臣たちも顔を見合わせた。
「いったい何を……?」
アルザスが説明を始めた。
「この宝珠には、神託の杖が持つ本来の魔力の形──いわば魔力の〝皺〟を記憶させてございます」
彼は宝珠を魔法陣の脇に置いた。
「本物で、しかも正常な状態であれば、この宝珠が魔法陣に干渉し、特定の光と文様が浮かび上がります」
アルザスは眼鏡を上げ、説明を続ける。
「逆に、偽物や改造された杖では、反応が現れないか、異なる文様が出ます」
重臣たちが息を呑んで見守る。
アルザスは慎重に、本物の杖──エミリアが取り戻したもの──を魔法陣の上に置いた。
杖を置いた瞬間、宝珠が淡く光り始めた。魔法陣に、複雑な文様が次々と浮かび上がる。それは古代文字のようにも見える幾何学模様だった。文様は金色に輝き、規則正しいパターンを描いていく。
エミリアの脳裏に、いつもの声が響いた。
《認証──正規アクセス検出》
「ご覧の通り、正常な反応です。杖の魔力の〝皺〟を記憶した宝珠と、杖の魔力の〝皺〟が適合すると、このように魔法陣が反応します。つまり、これが本物の証」
アルザスが満足そうにうなずくと、重臣たちから感嘆の声が上がった。
エミリアは内心で驚いていた。
(すごい……魔力を視覚化する技術があるなんて)
次に、アルザスが偽物の杖──儀式で使われようとしたもの──を置いた。
最初、宝珠はわずかに光った。だが、すぐに消えてしまう。魔法陣には不規則で断片的な文様がちらつくだけで、すぐに崩れてしまった。
「こちらは……」アルザスが眉をひそめた。
「明らかに異なる魔力構造です。宝珠そのものが別物というわけですな」
デルナムが完全に言葉を失った。枢機卿も「しかし、それは……」と弁解しようとするが、言葉が続かない。
だが、デルナムはそれでも必死に喰らいつく。
「では、なぜあれほどの光が! 説明してみろ!」
しん、と場が静まった。エミリアにも緊張が走る。心臓が大きく打ち、掌には汗が滲みでた。
アルザスは短く息を吐くと、冷静に答えた。
「それは妃殿下の血脈と、本物の杖の共鳴によるものでしょう」
彼は魔法陣を指差した。
「太古より伝わる〝正統な〟聖遺物が儀式本番の中で、妃殿下の潜在的な力を解放したと考えるのが、まあ自然ですな」
ライモンドがアルザスの答えにうなずいた。
「つまり、侯爵令嬢は何もしていない。ただ本物の杖を渡しただけだ」
エミリアは内心、ほっと一息ついた。ライモンドはひとつ咳払いをし、続ける。
「そもそも論点はそこではない。そこにある偽の杖、これはどういうことだ?」
ジュリアンがゆっくりとライモンドの前に歩み出た。
「兄上、一つ興味深い証拠がありますよ」
彼は従者から書類を受け取ると、それを掲げた。
「これは王都の魔道具店『銀月堂』の取引記録です」
『銀月堂』という言葉に、枢機卿が眉を寄せ、顔を引きつらせた。
「私の部下に命じて調べさせていました。教会関係者が、神託の杖の宝珠と酷似した仕様の宝珠を発注した記録がございます」
デルナムは驚きの表情を見せ、枢機卿の顔を見据えた。
「発注者はリトーエル教区となっておりましたが、支払いに使われた銀貨の刻印は……」
ジュリアンは間を置いて、枢機卿をチラリと見た。
「法王国のものでした」
「動かぬ証拠だな」重臣の一人がつぶやいた。
ライモンドも枢機卿を見据える。
「宝珠を持ち込むには手続きが必要だからな。足がつかないよう、王国内で探したのが裏目に出たようだな」
ジュリアンがライモンドの言葉にうなずき、枢機卿へ視線を向けた。
「法王国発行の銀貨で支払ったのは手落ちだったな。それにリトーエル教区などと、教会関係の名を名乗らせたのもよろしくない。……部下の選定はもっと慎重に行うべきだな」
ジュリアンが嫌味混じりに冷たい笑みを浮かべると、枢機卿は拳を握りしめ、歯ぎしりした。
デルナムは身体から完全に力が抜け落ち、その場に膝をついた。騎士たちに支えられながらも、もはや抵抗する気力もない。
「私は……王国のために……」
うわ言のようにつぶやく彼の目は虚ろだった。
「王国のためではない」
ライモンドは冷たく言い放った。
「己の野心のためだ」
デルナムはうなだれたまま、もはや反応する気力も見せない。
「……ふふふ」
静まり返った謁見の間に、枢機卿の低い笑い声が響いた。
「何がおかしい」ライモンドが眉をひそめた。
「殿下。私を捕縛することはかないませんよ」
枢機卿が姿勢を正し、胸を張った。
場がざわめく。
「私には外交官特権がありますので」
「何だと?」ジュリアンが枢機卿を睨みつける。
「法王国の正式な使節として、この国に滞在している以上、捕縛も裁判も不可能です。これは協定で認められた権利。まさか、貴国はこれを踏みにじるおつもりで?」
枢機卿の余裕の笑みに、重臣たちの間に動揺が走った。
「せいぜい、私を国外追放にするのが関の山でしょうな。そうなれば私は本国に戻り、この件を報告するだけです。貴国が法王国の聖職者を不当に扱ったとね」
だが、ライモンドは冷静にうなずいた。
「いかにも、貴殿の特権については承知している。だが、それが剥奪されるとなったらどうかな?」
枢機卿も笑みを崩さない。
「それができるのは国王陛下のみ。しかし、そうすれば法王国との関係は、いかがなりますかな?」
まさに脅迫だった。謁見の間が重苦しい沈黙に包まれた。
エミリアは拳を握りしめた。
(そんな……このままじゃ……)
ソフィアも唇を噛み締め、悔しそうな表情を浮かべている。
枢機卿が勝ち誇ったように諸手を開く。
「さあ、私を解放していただきましょうか」
その時、謁見の間の扉が静かに開いた。一同が扉の方を振り向く。そこに立っていたのは、国王と王妃だった。
「父上!」
「陛下!」
皆が驚きの声を上げた。重臣たちが深々と頭を下げ、騎士たちも膝をつく。エミリアも慌てて頭を下げた。枢機卿はわずかに表情をこわばらせたが、すぐに恭しく礼をした。
「これはこれは陛下。お疲れのところ申し訳ございません」
国王はゆっくりと謁見の間に入ってきた。その足取りは重々しく、威厳に満ちている。王妃も静かに傍らに立った。国王は玉座に向かって歩みながら、枢機卿を一瞥した。その視線は冷たく、しかし何も語らない。
その様子に、枢機卿がわずかに動揺の色を見せた。
国王は玉座の前で立ち止まった。謁見の間が、さらなる静寂に包まれる。誰もが息を呑んで、次の言葉を待った。
国王の口がゆっくりと開かれようとした──




