第54話 喧騒と静寂
「イルダ嬢から、詳しく聞かせてもらった」
ジルベルトの声はいつもの優しい知的なものではなく、張りがあり、力強さが感じられた。
イルダが小さくうなずいた。美しいはずの栗色の髪は乱れ、疲れ果てた表情を見せていたが、瑠璃色の瞳には強い光が宿っている。
「拉致はもちろんだが──」
ジルベルトは貴賓席にいる枢機卿を見据え、指差した。
「枢機卿と結託しての杖のすり替え。これは王国に対する重大な罪である」
近くの観客たちの間にどよめきが走った。貴賓席の貴族や使節団の面々も一斉に枢機卿の方を見る。
「杖の入れ替え……!?」
「まさか、儀式を妨害しようと……?」
「デルナム卿と枢機卿が……!?」
騎士たちに囲まれた枢機卿ロイデンが、わずかに表情を歪めた。だがすぐに、にこやかな笑みを周囲に振りまいた。
「これは誤解です。私は──」
「猊下、発言はお控えください。後ほどゆっくりお伺いいたします。まずはあちらへ」
警備隊長は丁寧な口調で指し示す。しかし、目は鋭い光を放っていた。隊長の言葉に合わせ、周囲の騎士たちがゆっくりと剣を抜く。
貴賓席に緊張が走り、有無を言わせぬ雰囲気となった。
枢機卿の顔からついに笑みが消えた。
貴賓席のただならぬ様子を見たデルナムは、蒼白になって叫んだ。
「待て! 私は何も! 私は神聖な儀式を守ろうとしただけだ!」
普段の温和な振る舞いは影を潜め、口角から泡を飛ばさんばかりのデルナム。ジルベルトは狼狽える彼へ、冷たい視線を放った。
「では、なぜイルダ嬢を拉致する必要があったのですか?」
デルナムが言葉に詰まる。その目は恐怖に染まっていた。
ジルベルトが騎士団へ視線を送り、声を上げる。
「デルナム卿を、捕縛せ──」
「待て」
固く、冷たい制止の声。皆が声の方向を見た。
そこには、ライモンドとジュリアンが立っていた。
ライモンドはジルベルトに厳しい視線を向ける。
「ここから先は我々の仕事だ。ジル、おまえには騎士団の指揮権と、逮捕権はない」
なぜここに兄上たちが──ジルベルトは一瞬、驚きと戸惑いの表情を見せた。彼は口を開きかけたが、すぐにハッと目を見開く。
(そうか……騎士団長が二つ返事で対応した不自然さ、そして副団長を儀式から遠ざけたこと……)
──最初から兄上たちの想定の範囲内、いや、計画だったのか?
ジルベルトは複雑な表情を浮かべながらも、一歩下がった。
「……承知しました、兄上」
その声には、悔しさと、そして何かを悟ったような響きがあった。ジルベルトは平静を装っていたが、拳は固く握りしめられていた。
「いったん王宮へ」
ライモンドの指示で、騎士団がデルナムに歩み寄る。今にも崩れ落ちそうなデルナムは、ジュリアンを見ると懇願するような声を上げた。
「ジ、ジュリアン殿下……私は、殿下のために……」
「ははっ、笑わせる」
ジュリアンは冷たく言い放った。
「ようやく尻尾を出したようだな」
「──っ!」
デルナムが目を見開き、息を呑んだ。
「まあ、よい。続きは王宮で聞こうか」
デルナムの表情に絶望の色が浮かぶ。自分が御旗と信じていた人物が何を言っているのか、にわかには信じられなかった。だがたった今、この目の前の人物は自分の味方ではなくなったことは理解できた。
その時、ライモンドとジュリアンの後ろにアルザスが近づいた。彼は二人にだけ聞こえる声で囁いた。
「どうやら、私の出番は必要なかったようですな」
ライモンドが首を振った。
「いや、まだ分からぬ。開き直られても面倒だからな。念のため、所長も王宮まで来てもらえないか?」
アルザスはゆったりとうなずき、後へ下がった。エミリアは舞台の上からその様子を見ていた。
(アルザス所長……? なぜここに? それに、殿下たちと何か……?)
疑問が頭をよぎったが、今は状況を見守ることしかできなかった。
「行くぞ!」
ライモンドが告げると、騎士団に囲まれ、デルナムは広場から連行されていった。
広場は困惑の声と、事態にまだ気づいていない者の喧騒で混乱の渦にあった。貴賓席の貴族や使節団も困惑した様子で、お互い顔を見合わせている。
だが貴族の中には、思い当たる節がある者たちがいた──各地の教会と、表や裏で何らかの繋がりがある者たちだ。その中でも勘の良い一部の貴族は、先ほど目の前で起きた事態が、次は自身に降りかかることを想像した。
彼らは顔をこわばらせながらも平静を保ちつつ、そっと席を立とうとする。
しかし、騎士たちがそれらの貴族たちの動きも捉えていた。
「お席をお離れになりませんよう」
騎士たちの低い声が彼らの耳元で囁かれる。立ち上がろうとした貴族たちは、青ざめながら再び座り込んだ。
ライモンドが視線で従者に指示を送り、舞台に上がった。従者はうなずき、静かに退出する。
ライモンドは舞台の中央に歩を進めた。深く息を吸い、観客席をゆっくりと見渡すと、高らかに声を上げた。
「若干の不手際はあったが、神託の儀は素晴らしい結果となった。皆に神の祝福があらんことを!」
彼の口調は鷹揚と、しかし威厳あるものだった。その力の込められた声色に、観客の間に一瞬の静寂が走る。
しばらくして──
夜空に突然花火が上がった。金色、赤、青、緑──色とりどりの光が夜空を彩る。まるで光の雪が再び降り注ぐかのように、秋の夜空に幻想的な光景を作りだした。
広場全体が再び割れんばかりの歓声に包まれた。
「すごい花火だ!」
「王太子殿下、万歳!」
「儀式は成功だ!」
「綺麗ね〜」
「妃殿下様!」
エミリアとソフィアは、呆然と花火を見上げていた。ソフィアがエミリアの手を握った。
「エミリアさん……本当に……ありがとう」
その声は震えていた。目には涙を浮かべている。
「いいえ……妃殿下こそ。成功おめでとうございます」
エミリアも涙をこらえながら答えた。
二人の間には、王太子妃と侍女という立場を超えた何かが流れた。
舞台袖ではクロードがイルダを支えていた。イルダは力尽きたように、クロードの腕に寄りかかっていた。
「よく頑張った」
クロードの声は珍しく優しかった。イルダは涙をこらえながらも頬を染め、小さくうなずいた。
ジルベルトも花火を見上げていた。
(兄上たち……やはり最初から計画していたのか。私は、駒でしかなかったんだな)
唇を噛むその表情には、悔しさが滲み出ていた。
舞台を降りたライモンドに、ジュリアンが囁いた。
「花火まで用意して、兄上にしては粋な演出ですね」
「混乱を収めるには、これくらいやらないとな」
「まあ、儀式は〝失敗する〟予定でしたからね」
ジュリアンが、舞台でエミリアと手を取り合うソフィアに目を向ける。
「でもやっぱり、失敗するよりは成功する方がいいですよ。ほら、義姉上も嬉しそうだ」
二人に、わずかな笑みが浮かんだ。
「さて、兄上。我々も王宮へ戻りましょうか」
「そうだな。エミリア嬢にも来てもらおう。彼女も知る権利があるだろう」
「そうですね。私も彼女をずいぶん混乱させたでしょうから」
「おまえは人が悪いのだ」
「ふふっ。さあ、仕上げですよ」
「うむ。行こうか」
二人は歓喜に沸く広場を通り、出口へ歩き出した。




