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【第3部更新中】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
王宮編

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第43話 信じた道

 春の夕暮れが、食堂の窓から柔らかな光を投げかけていた。テルネーゼ侯爵邸の食堂には、いつものように格式ある食卓が整えられている。純白のテーブルクロス、磨き上げられた銀の食器、季節の野菜を使った料理の数々──だが、今夜の食卓はいつもより静かだった。

 里帰り最後の夕食。明日には王宮へ戻らなければならない。


 エミリアは席に着きながら、奥に座るベルナードの表情を伺った。彼は書斎での仕事を終えたばかりなのか、少し疲れた様子が見えた。ディアーヌはいつもの穏やかな笑みを浮かべているが、どこか夫に気を遣っているようだった。クロードは夜警の任務で不在だ。


 静かに食事が始まった。フォークとナイフが皿に触れる音だけが、やけに大きく響く。


 ディアーヌが優しく声をかけた。


「エミリア。王宮はもう慣れたかしら?」

「はい、お母様。侍女の仕事にも慣れてきました。王妃殿下やソフィア妃殿下にも良くしていただいています」


 エミリアは努めて明るく答えた。ディアーヌの表情がほっと緩む。


「それは良かったわ。王宮という場所は大変なところだから、心配していたのよ」

「サラという友人もできました。彼女が色々と教えてくれるので、とても助かっています」

「お友達ができたのね。それは本当に良かったわ」


 ディアーヌは心から嬉しそうに微笑んだ。


「……そうか」ベルナードも短く応じた。だがその声には、どこか複雑なものが混じっている。エミリアは父の顔を見つめた。


(お父様……何か言いたそうなのに)


 ベルナードは皿の上の料理に視線を落としたまま、それ以上何も言わなかった。


 沈黙が降りる。ディアーヌが話題を変えようと口を開いた。


「春の催しは、どうでしたの?」

「はい、とても華やかでした。各国の使節団も訪れて、王宮は賑わっていました」


 エミリアは、できるだけ明るい話題を選んで答えた。だが、胸の奥には重いものがのしかかっていた。


『テルネーゼ侯爵家も中立、強いて言うなら王派ですし』──あの日のサラの言葉。それは、エミリアにとって初めて知る事実だった。


(それなのに、お茶会での一件で完全に王太子派と見なされるようになった……私のせいで)


 エミリアはフォークを持つ手に力を込めた。


(お父様は中立でいたかったはずなのに、派閥争いに巻き込んでしまった……)


 お茶会でのこと。ルーエン伯爵夫人たちがソフィア妃の血脈を遠回しに批判していた。エミリアは思わず反論してしまった。『血脈の強さだけが、全てではないと思います』と。

 王妃が自分を支持してくれた。ソフィアも救われたと言っていた。あれは間違った行動ではなかったと、今でも信じている。でも──


(お父様を困らせてしまった)


 罪悪感が胸を締め付ける。


「お父様」エミリアは意を決して顔を上げた。

「……何だ」ベルナードがフォークを置き、娘を見た。

「王宮で派閥のことを知りました」


 その言葉に、ベルナードの動きが一瞬止まった。ディアーヌも驚いたように夫を見る。


「……派閥?」

「はい」エミリアは父の目をまっすぐ見つめた。


「王太子派と第二王子派。王宮には、二つの大きな派閥があると」


 ベルナードの表情がわずかに硬くなる。


「それで、お父様は……元々、どちらの派閥にも属さない中立の立場だったと聞きました」


 静寂が食卓を包んだ。


 ベルナードは何も言わない。ディアーヌが心配そうに夫と娘を交互に見ている。


 エミリアの声がかすかに震えた。


「それなのに、私がお茶会で余計なことを言ってしまったせいで、我が家が王太子派だと見なされるようになった……」


 涙を堪えながらエミリアは続けた。


「申し訳ございません」深く頭を下げた。

「私のせいでお父様を派閥争いに巻き込んでしまって。中立でいたかったお父様の立場を……台無しにしてしまって」


 長い沈黙が続いた。


「……エミリア」ようやく、ベルナードが口を開いた。その声はいつもより低く、重い。


「顔を上げなさい」


 エミリアがゆっくりと顔を上げると、父の厳しい表情と目が合った。だが、その瞳の奥には、複雑な感情が渦巻いているように見えた。

 ベルナードは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「おまえは……間違ったことをしたわけではない」

「え……?」エミリアは驚いて目を見開いた。

「おまえがソフィア妃殿下を守ろうとしたこと」


 ベルナードは娘から視線を逸らすことなく続けた。


「それは……侍女として正しい行いだった」


 予想外の言葉に、エミリアの胸が熱くなる。父が自分を認めてくれている──


 だが、すぐにベルナードは表情を硬くした。


「しかし、派閥というものはそう単純なものではない」


 ベルナードはグラスを手に取った。


「政治は、正しければ良いというものでもない。おまえの行いが正しくても、それが政治的な波紋を呼ぶことがある」


「でも、お父様は中立でいたかったのでは……?」


 ベルナードの手がわずかに震えた。彼は何も答えられず、ただグラスを見つめている。


 ディアーヌが静かに口を開いた。


「あなた……エミリアは心配しているのですよ」


 優しいが、どこか諭すような口調だった。ベルナードは妻の言葉に一瞬目を閉じた。


「……分かっている」


 そして、再びエミリアを見つめた。


「エミリア、ひとつ聞きたい」

「はい」

「おまえ、ジュリアン殿下のことで何か耳にしているか? ……例えば、その、妃とか」


(ジュリアン殿下の態度やイルダのことね……)


 ためらいがちに尋ねたベルナードの表情を見て、エミリアは言葉を選びながら説明した。


「派閥の貴族たちが、私を『ジュリアン殿下の妃候補』として見ていたようで……でも、お茶会の一件で、よく分からなくなりました」


 エミリアはしっかりとベルナードを見つめた。


「ですので、私からもお聞きしたいのです。お父様は、私を第二王子妃にされたいのですか?」


 ベルナードの顔色が変わった。彼はフォークを落としそうになり、慌てて皿に置く。ディアーヌも驚いた表情で夫を見た。


「な……何を言っている」


 ベルナードは即座に否定した。


「そんなことはない!」


 その狼狽ぶりにエミリアは確信した。


(やっぱり……お父様も何か知っている)


「余計なことを考えるな」


 ベルナードはやや強い口調で言った。


「エミリア、聞きなさい。おまえは侍女として王宮に仕えている。貴族としての本分を忘れるな。派閥がどうとか、縁談がどうとか……そのようなことに心を乱されるな」


 だが、ベルナードの口調は、明らかに動揺を隠しているかのように感じられた。


(お父様は何かを隠している。でも、言おうとしない。やっぱり、私のせいで何かあったんだ……)


「あなた……」ディアーヌが夫に優しく声をかけた。

「エミリアは、あなたのことを案じているのですよ……娘として心配しているのです」


 ベルナードは妻の言葉に少しだけ表情を和らげ、深く息を吐いた。


「……とにかく、今後もしっかりと務めを果たすように。侍女としての責務を全うすることがおまえの役目だ。それ以上のことは……考える必要はない」


 エミリアは、それ以上は聞けないと悟った。


「……はい」小さくうなずく。


 食事は重い雰囲気のまま再開された。ディアーヌが明るい話題を振ろうと気づかう。庭の花のこと、使用人たちのこと、近隣の貴族たちのこと──だが、どの話題も長くは続かなかった。


(お父様は結局何も話してくれなかった。でも、動揺していた……ということは、やっぱり何かある。派閥問題に家が巻き込まれている。いえ、もしかしたら、私の王宮入り自体も何かあったせいなのかも)


 言いようのない罪悪感が胸を重くする。


(なぜ、こんなに苦しいのだろう)




 食事が終わり、エミリアは自室へと戻った。月明かりが窓から部屋に差し込んでいる。エミリアは窓辺に立ち、夜空を見上げた。明日には王宮へ戻らなければならない。


(お父様は結局何も話してくれなかった。でも、私のせいで困っているのは間違いない)


 窓枠に手を置き、エミリアは深く息を吐いた。


(中立でいたかったお父様を、派閥争いに巻き込んでしまった。申し訳ないことをしたわ……)


 でも、と心の中でつぶやく。


(だからといって、ソフィア妃殿下を見捨てることはできないわ。私は正しいことをしたと信じている)


 だが、ふとアンナの顔が思い浮かぶ。


(アンナ……今頃、どうしているかしら。デルナム侯爵邸で危険な目に遭っていないといいけれど)


 ラウルは、週に一度連絡を取っていると言っていた。今のところ無事だと。でも、それは本当だろうか。


(私が余計なことをしたせいで、アンナまで危険に巻き込んでしまった)


 罪悪感がさらに深くなる。


(お父様も、アンナも……みんな私のせいで)


 エミリアは拳を握りしめた。


(でも……後戻りはできない。明日、王宮へ戻る。お父様には申し訳ないけれど、私は私のやるべきことをやるしかない。アンナの情報を待って、ジルベルト殿下に相談しないと)


 遠くで教会の鐘が鳴った。夜半を告げる音が静かな夜に響き渡る。


(お父様……お許しください)


 エミリアは月を見上げた。


(でも、私は進むしかないのです)


 春の夜風が優しく頬を撫でた。明日からまた戦いが始まる。


 エミリアは窓を閉め、ベッドへと向かった。胸の中には罪悪感と決意が入り混じっていた。でも、もう迷うことはできない。


 自分が選んだ道を進むしかないのだ。

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