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【第3部更新中】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
王宮編

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第42話 潜入調査

 朝日がデルナム侯爵邸の重厚な石造りの門を照らしている。アンナは門の前に立ち、深く息を吸った。手には子爵家の紹介状を握りしめていた。


(ここが……デルナム侯爵邸)


 テルネーゼ侯爵邸とはどこか雰囲気が違う。もっと冷たく、厳格な印象を受ける建物だ。アンナの手がわずかに震えた。


(お嬢様のために……何としても情報を掴まなくちゃ)


 緊張で口の中が渇く。でも、ここで引き返すわけにはいかない。


 アンナは笑顔を作り、門を叩いた。

 しばらくすると門番が顔を出した。


「どちら様で?」

「メイドの募集に応募に参りました。アンナと申します」


 門番は一瞬、アンナを値踏みするように見ると、うなずいた。


「中へどうぞ。執事が案内します」


 門が開く。アンナは一歩、足を踏み入れた。


(もう、後戻りできない……)


 執事に案内され、アンナはメイド長の部屋へと向かった。廊下は静かで足音だけが響く。テルネーゼ侯爵邸よりもどこか人の気配が薄い気がした。


 扉の前で執事がノックする。


「メイド長、応募者をお連れしました」

「どうぞ」中から落ち着いた女性の声が聞こえた。


 部屋に入ると、机の前に五十代くらいの女性が座っていた。メイド長マルタ──厳しい表情だが、どこか温かみも感じられる。


「アンナと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


 アンナは丁寧にお辞儀をした。


「ええ。紹介状は?」


 アンナは紹介状を差し出した。マルタはそれを受け取り、ゆっくりと目を通す。


「子爵家からの紹介とは……珍しいわね」


 マルタは少し驚いたような表情を見せた。


「はい。知人の紹介で……」


「そう」マルタは紹介状を机に置き、アンナをまっすぐ見た。


「前の職場での経験は?」

「貴族のお屋敷でメイドをしておりました。掃除、洗濯、料理の手伝いなど、一通りのことはできます」

「前のお屋敷を辞めた理由は?」


 アンナは心の中で一瞬躊躇した。でも、表情には出さない。


「母の看病のため、一時帰郷いたしました。母も回復しましたので、新たな職を探しております」


 嘘だ。母は王都近郊の村で元気にしている。でも──


(ごめんなさい……)


 マルタはしばらくアンナを見つめていた。その視線に、アンナは背筋に冷たいものを感じた。


(バレた……?)


 だが、マルタは静かにうなずいた。


「分かりました。紹介状にも問題ありませんし、明日から働いてもらえますか?」

「はい! ありがとうございます!」


(うまくいった……!)


 アンナは胸を撫で下ろす。


「それでは、部屋へ案内します」


 マルタが立ち上がった。


 部屋は一階の奥にあった。狭いが、清潔に保たれている。他のメイドたちとの相部屋だった。


「ここがメイドの部屋よ。荷物を置いて、少し休んでいいわ。夕方に改めて説明をするから」

「はい、ありがとうございます」


 マルタが去った後、アンナは部屋の中を見回した。ベッドが四つ。窓からは中庭が見える。


(ここが……私の新しい職場)


 アンナは小さな荷物をベッドの横に置いた。窓辺に立ち、外を眺める。


(お嬢様……私、潜り込むことができました)


 だが、これはまだ始まりに過ぎない。


(これから……情報を掴まないと)


 その時、扉がノックされた。扉が開き、二十代半ばくらいの明るい表情の女性が顔を出した。


「こんにちは! 新しい子? 私はリゼット。よろしくね!」

「あ、はい! アンナです。よろしくお願いします!」


 アンナは笑顔で応じた。リゼットも笑顔を返す。


「ようこそ! 分からないことがあったら、何でも聞いてね」

「ありがとうございます」

「それじゃ、夕方また会いましょう」


 リゼットは手を振って、部屋を出て行った。


 普通の人たちなのね──よく考えたら普通の貴族の屋敷だ。テルネーゼ侯爵家とたいして変わらない。だが、気は抜けない。焦らず馴染んでいかないと。


 その夜、使用人の食堂で夕食となった。アンナは簡単な自己紹介をし、リゼットや他のメイドたちと一緒に夕食をとった。アンナはテルネーゼ侯爵家のことを隠しつつ、他のメイドからの質問に応じた。メイドたちは皆優しく、アンナを歓迎してくれているようだった。


 その後は、翌朝も早いため、早めの就寝となった。皆が寝静まった後、アンナはベッドに横になりながら天井を見つめた。今日一日、何も分からなかった。いや、当然だ。初日なのだから──いろんな思いが浮かんでは消える。


(……焦らない。少しずつでいい)


 アンナは自分に言い聞かせ、目を閉じた。




 アンナが潜入して数日が経った。

「アンナは飲み込みが早いわね」アンナの仕事ぶりに、マルタは満足している様子だった。面接の時に感じた厳しさは薄れ、柔らかな雰囲気を醸し出している。


「アンナみたいな子が来てくれて、本当に助かったわ」

「本当ですか、ありがとうございます!」


 だが、かすかな罪悪感を覚える。


「実はね、メイドが一人、急に辞めちゃって困ってたのよ」

「そうなんですか……何かあったんですか?」

「ええ、でもその前に……そろそろアンナも東棟の世話をやってもらうつもりなんだけれど」

「東棟……ですか?」


 マルタは、少し言いづらそうに口を開いた。


「ええ。旦那様はすごく信心深くてらっしゃって、神官の方を月に1〜2回お呼びして説法を受けられるの。その時は誰にも邪魔されたくないらしくて、説法の時に旦那様の書斎がある東棟へ入るのは禁止されてるわけ」


 屋敷へわざわざ神官を呼びつける? ──アンナは不自然さを感じた。


「で、その辞めた子なんだけれど、うっかり旦那様のお部屋の方へ行ってしまったらしいの。しかも、それを従者に見咎められちゃって。それが、旦那様の耳に入って、ひどくお怒りになられて……結局クビになっちゃったのよ、その子」

「え……そんなに厳しいんですか?」

「普段はお優しい方なんだけどねぇ。そういうところは厳しくて」


 マルタはため息をついた。


「そんなにホイホイ良い子が来るわけないから、それくらいでクビにすることはないのにって思うんだけどね。あ、これは内緒よ」

「はい……分かりました。気をつけます」

「ごめんなさいね、怖がらせるつもりじゃなかったんだけど」

「いえ、大丈夫です。教えていただいて、ありがとうございます」


(神官を呼んで説法って、やっぱり不自然よね。それに、それが本当だとしても、なぜそこまで神経質になるのかしら? 何か怪しいわね……)


 翌日、アンナが廊下を掃除していると──遠くから馬車の音が聞こえた。

 アンナはさりげなく窓の外を見た。黒い法衣の人物が館に入ってくる。遠目なので顔ははっきり見えないが、あきらかに神官だ。


(黒い法衣って、たしか偉い神官じゃなかったかな? 中央教会の神官とは別の方なのかな?)


 白衣の神官が数名従っているが、黒衣の神官に恭しい態度を見せていることから、この黒衣の神官が高位であることがうかがえた。


 これはラウルに報告しないと──アンナは箒の柄を握りしめた。




 数日後のある日、メイド長がメイドたちに尋ねた。


「誰か、市場へお使いに行ける人いる?」


 今日はラウルとの約束の日だ──アンナはすかさず手を挙げた。


「私が行きます!」

「あら、アンナ。助かるわ。じゃあお願いね」


 メイド長は嬉しそうに笑った。


 市場は、いつもと変わらず賑わっていた。アンナは買い物リストを手に、肉や野菜を買い込んでいった。だが、魚屋へと向かおうとしたところで足を止めた。


(あそこの女将さんには会えないわ……)


 顔見知りの魚屋。テルネーゼ侯爵家のメイドとして、何度も通った店だ。


(バレたら大変ね)


 アンナは別の魚屋へと向かった。


(知ってる人に会わないように気をつけないと)


 万が一バレたら──考えたくない結末が脳裏をよぎる。アンナは平静を装い、周囲を窺いながら裏路地へと歩を進めた。


 市場の裏路地──人通りの少ない薄暗い場所。約束の場所にラウルが待っていた。


「アンナさん!」ラウルが駆け寄ってきた。

「無事でしたか? 危ない目にはあってないですか?」


 ラウルは心配そうにアンナを見た。


「はい、大丈夫ですよ。みんな良い人で」

「エミリアが心配してます。何かあったらすぐに逃げてくださいね」


「分かってます」アンナはうなずいた。


「それで……何か分かったことは?」

「はい。まだ一週間ですが、いくつか分かったことがあります」


 アンナは周囲を窺うように声を低めた。


「デルナム卿は神官をよく呼んでいます。月に1〜2回くらい」

「神官を屋敷にですか?」

「はい。先日は黒い法衣の神官が来ました」


 ラウルの表情が険しくなった。


「その神官、顎髭を生やしてませんでしたか?」

「遠目に見ただけなので、はっきりとは……でも言われてみたらそうかも」

「おそらく……それは枢機卿ですね。その神官が来たときは、特に注意しておいてください」

「分かりました。それと神官が来る時、東棟──デルナム卿の部屋がある場所には、神官が来た時は近づくなと厳命されています。以前、うっかりその近くに行ったメイドがクビになったそうです」


 ラウルは腕を組んだ。


「そこまで……やはり、知られたくないんでしょうね。でも、無理に探らない方がいいですね。バレたら危険すぎます」

「そうですね。でも……もっと情報を掴みたいんです。お嬢様のために」


 アンナの目は真剣だ。


「気持ちは分かります。でも、命あってこそですよ」


 ラウルは真剣な表情でアンナを見た。


「焦らないで。少しずつでいい」

「……はい」

「次の連絡はまた一週間後、この場所で。それまで無事でいて」

「分かりました。では」


 アンナは、買い物袋を持ってデルナム邸へと戻った。




 それからさらに数日後のこと。夕方、仕事を終えたメイドたちが控室でお茶を飲んでいた。アンナも、リゼットや他のメイドたちと一緒に座っていた。


「アンナ、もう慣れた?」リゼットが尋ねた。

「はい! みなさんのおかげで」


 アンナは笑顔で答えた。


 別のメイドが紅茶をすすりながら言った。


「そういえば、今年の神託祭、楽しみよね」

「四年に一度だものね、今から楽しみよね」


 リゼットも相槌を打つ。


「私はシャリューン王国のバザールが楽しみかな。珍しい物がたくさん見られるし」

「そうね。初日の夜にある神託の儀も神秘的だけど、バザールもいいわよね」


 メイドたちが次々に口を開く。なにしろ四年に一度の、王国で最も大きな祭だ。メイドたちが春のうちから楽しみにするのも無理はない。


「でも今年は、神託の儀は見られそうにないわよ」


 年配のメイドが口を挟んだ。


「今回は、神託の儀の夜に内輪のパーティーを開くらしいのよ。執事が話してたわ」

「えっ!? どうして?」

「なんでも、神官様や他の貴族の方々を招いて、慰労を兼ねたお祝いをするんですって」

「わざわざ、この日に? もう、私、神託の儀を見たかったのにー」


 若いメイドが口を尖らせる。


「私たちも給仕で忙しくなるわね」

「まあ、まだ数か月先の話だけどね」


 メイドたちは笑いながら話を続けた。だが、アンナは笑顔で相槌を打ちながら、内心では疑問を抱いていた。


(神託祭の夜にパーティー……なぜ?)


 でも、表情には出さない。アンナは何事もなかったかのようにお茶を飲んだ。


(お嬢様……もう少しだけ待っててくださいね)


 アンナは心の中でつぶやいた。潜入調査はまだ始まったばかりなのだ。

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