第36話 告白
午後の陽射しが差し込む王宮図書館。静けさの中で胸の鼓動だけが速くなる。仕事を早めに切り上げたエミリアは、約束の時間にあわせて閲覧室へ向かった。
扉を開けると、窓辺で古書に目を落とすジルベルトの姿があった。黒髪が陽に照らされ、黒曜石のような光を返している。
顔を上げたジルベルトが柔らかく微笑む。
「お待ちしていました、エミリアさん」
その声に、エミリアの胸がトクンと一拍打った。陽の光が彼の髪を縁取って淡く輝いて見えた。
「お待たせしてしまって、すみません。殿下」
「ジルベルトで結構ですよ。ここでは二人きりですから」
頬が熱を帯びるのが分かる。エミリアは少し照れながらうなずいた。
「では……ジルベルト様」
二人は奥の閲覧室へと進んだ。外からは気配の届かない静謐な空間。ジルベルトが席につくと、真剣な眼差しを向ける。
「エミリアさん。まず、これまでの出来事を整理しようと思うんですが」
──ジルベルトに相談することを決めた時、併せて決めたことがある。それは、自分の〝力〟と、それに関わる不思議な体験を打ち明けることだった。
血脈の詳細は家門の秘密。屋敷の者以外──それも王家の者に話すことは最後までためらわれた。だが、今の状況は自分の〝力〟と無関係ではない。隠したままでは前へ進めない。
エミリアは意を決して口を開いた。唇が渇き、言葉が震える。
「その前に……お話ししておきたいことがあります」
「というと?」
「私には……不思議な力があるんです」
ジルベルトの瞳がわずかに揺れ、身を乗り出した。
エミリアはこれまでの体験を語り始めた。
生命図譜の儀で解読不能とされたこと。ノースキルのはずなのに、強い感情を抱いたときや古代遺物に触れたとき、脳内で声が響き、不思議な現象が起こること。
さらに、枢機卿による聖別の際に聞いた『警告──不正アクセス検出』という声についても話した。
「神託の杖を見た瞬間、『ステータス確認……特定ユニット』という声が聞こえたんです。杖の表面に白銀の文様が浮かび上がって……でも、それは私にしか見えませんでした」
全てを語り終えると、エミリアは不安げにうつむく。
「……おかしいと思われるかもしれませんが」
沈黙が二人を包む。エミリアの鼓動が静寂の中でやけに大きく響いた。
ジルベルトはしばし言葉を失った。しかし、やがてその瞳に柔らかな光が宿る。次に浮かべた微笑みは迷いのないものだった。
「信じますよ、エミリアさん」
顔を上げたエミリアの瞳が揺れる。
「あなたは嘘をつくような人ではありません。それに──鉄巨人のことを私は覚えています。あの時、何か目に見えない力が働いたような気がしました」
彼の記憶にも、あの微かな光が焼きついていた。
エミリアの目に涙が滲む。
「一人で抱え込まなくていいんです。一緒に、真実を探しましょう」
エミリアは胸の奥から力が抜けていくのを感じた。救われた──そう、心から思えた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
かすれる声が震えながらこぼれた。手で顔を覆った瞬間、堰を切ったように涙があふれ出す。頬を伝い、掌の隙間からこぼれる雫が、机の上に小さな円を描いた。
ジルベルトは何も言わなかった。ただ静かに、穏やかな眼差しで彼女を見つめていた。慰めの言葉などいらない。ただ、その沈黙が優しさのすべてを語っていた。
──図書館の中に、柔らかな静けさが流れた。
「失礼しました……お恥ずかしいところを、お見せして」
エミリアは目元をハンカチで押さえながら深く頭を下げた。ジルベルトは小さく首を振り、穏やかに微笑む。だがすぐにその表情を引き締めた。
図書館の窓の外で夕陽がわずかに傾いた。優しさの余韻が消えぬうちに、ジルベルトは冷静な声で続けた。
「枢機卿が聖別を行ったときに、あなたの力が反応した。つまり、枢機卿が杖に何か不当なことをした可能性が高いですね」
エミリアがうなずくと、ジルベルトは続けた。
「それに、聖別についてですが、私も知識としては知っています。急に、しかもこのタイミングで聖別を行うのは、たしかに不可解です」
エミリアは、ジュリアンの忠告やデルナムと枢機卿の密談についても話した。「泥をかぶる役目は何人もいらない」という意味深な言葉。デルナムと枢機卿が親しげに話していた様子。
ジルベルトは顔をしかめた。
「兄上が何を考えているのか……でも、一つ言えるのは、デルナム卿と枢機卿が繋がっているということですね」
「もしかして、儀式を妨害するつもりでは……?」
「考えられるのは、杖そのものへの細工でしょう。もし杖が正常に機能しなければ儀式は失敗します」
エミリアは青ざめた。
「ということは、ソフィア妃殿下は不名誉な扱いを受け、王太子派の立場が弱くなる……」
「そうです。デルナム卿は反王太子派の中心人物です。儀式の失敗は彼らにとって好都合となります」
二人は深刻な表情で顔を見合わせた。
「まずは、神託の杖について詳しく調べましょう」
ジルベルトは司書に尋ね、特別書庫へ案内してもらった。図書館の最奥にあるこの書庫は限られた者しか入れない。薄暗い書庫には古い羊皮紙の匂いが漂っている。
ジルベルトは慣れた手つきで書架を探り、数冊の古文書を取り出した。
「これは『聖遺物の記録』、こちらは『神託祭の起源と変遷』……」
閲覧室に戻り、二人は古文書を読み始めた。
『神々降臨の時代、神は地上の子らを導くため、聖なる杖を授けた。杖は神の力を宿し、選ばれし者のみが扱うことができる』
神々降臨の時代──旧聖典の時代なのか? 神の力とは、やはり血脈のことなのだろうか。
「興味深いのは、ここですね」
ジルベルトが『聖遺物の記録』の、ある箇所を指差す。
『杖の光を浴びた者は力がみなぎり、才能を開花させる。過去には、巫女が儀式後に血脈が強まった例も記録されている』
「つまり杖には血脈に影響を与える力がある、ということです」
さらに調べると、『神託祭の起源と変遷』の方に不穏な記述があった。
『300年前の神託祭において、儀式が失敗したという記録がある。当時の巫女は血脈が弱いとされ、杖が光らなかった。その後、その女性は不名誉な扱いを受け、修道院へ送られた』
「この記録では、当時の巫女が王家の人間だったかどうかまでは分かりませんが、何らかの対応がなされたようですね」
「もしソフィア妃殿下が儀式に失敗したら……」
「大丈夫ですよ。我々が守りましょう」
ジルベルトはエミリアの手をそっと握った。温もりが彼女の不安を和らげていく。
その時、閲覧室の扉が開いた。
「エミリア様、こんなところにいらしたのですね」
サラが心配そうな顔で入ってきた。
「サラ、どうしたの?」
「お仕事が終わって、エミリア様を探していました。何か深刻そうな顔をされていたので……」
「やあ、サラさん」ジルベルトが微笑む。
「殿下……!」サラはジルベルトに気づいて身体を硬直させた。慌てて深々と頭を下げる。
ジルベルトとエミリアは顔を見合わせ、サラに事情を説明することにした。ただし、エミリアの謎の力については伏せた。
サラは真剣な表情で聞き入る。説明が終わると、彼女は少し考えこんだ後、エミリアを見つめた。
「私も手伝わせてください」
サラの瞳には強い意志が込められていた。
「でも、危険かもしれないわ……」
「だからこそです。ソフィア妃殿下のためにも、エミリア様のためにも、私にできることをしたいんです」
ジルベルトがうなずく。
「心強いですね。では、三人で調べましょう」
三人は役割分担を決めた。ジルベルトとサラは、王子と侍女それぞれの立場で王宮内での不審な動きを探り、エミリアはラウルに魔道具の観点から相談することにした。
「ラウルさんというと、王立研究所の時の彼ですか?」
「はい、そうです。彼なら魔道具にも詳しいかと」
「彼は研究員たちとも対等に議論していましたよね。あの時、若いのに優秀だと思いました」
「はい。力になってくれると思います」
サラが感心したように尋ねた。
「エミリア様、そのような方がご友人なんですか?」
「……幼馴染なんです」
エミリアは、自分が褒められたかのように胸が熱くなった。
「そういえば、実は……私、以前ソフィア妃殿下と一緒に杖を見たことがあるんです」
エミリアは声を潜めるように打ち明けた。
「本当? いつですか?」
「年が明けたすぐの頃です。保管庫で」
ジルベルトの目が一瞬輝いた。だが、表情は冷静を装う。
「なるほど……では一度、杖を確認してみましょうか? もしかしたら何か分かるかもしれません」
ジルベルトはエミリアにだけ分かるように、ちらりと視線を送った。エミリアの力が反応するかどうかで何か分かるかもしれない、ということだろう。
「しかしながら……保管庫の聖遺物は、王族の方であっても自由に見ることはできないのではないですか?」
サラが心配そうな表情を浮かべると、ジルベルトは腕を組み、うなずいた。
「そうですね……まあ、警備の騎士に頼みこんだら入れるかもしれません。でも、理由が必要でしょうね」
エミリアが割って入った。
「ソフィア妃殿下に相談してみるのはいかがですか? ジルベルト殿下が心配されて、一度見たいとおっしゃっているって」
「それはいいですね。義姉上なら理解してくれるはずです」
「それから、ラウルにも手紙を書いて相談します」
ジルベルトは表情を引き締めた。
「今後は、より一層の慎重さが求められます。相手は教会と侯爵です。確実な証拠がなければ逆に我々の立場が危うくなり、下手すると危険にさらされます」
エミリアとサラは深くうなずいた。
まだ仕事が残っていました、とサラが先に戻り、エミリアとジルベルトは再び二人きりになった。
ジルベルトはエミリアをまっすぐに見つめた。
「エミリアさん、今日は勇気を出して話してくれてありがとう。あなたの力のこと、誰にも言いません。約束します」
「ありがとうございます、殿下」
「あなたは一人じゃない。それだけは忘れないでください」
エミリアは頬を染め、うなずいた。
「気をつけて。相手は我々の動きに気づいているかもしれない」
「殿下も、お気をつけて」
二人は別々に図書館を後にした。
エミリアは自室へ戻ると、すぐにラウル宛の手紙を書き始めた。
『ラウルへ──至急相談したいことがあります。神託の杖について、魔道具の観点から教えてほしいの。特に、杖や宝珠が本物かどうか見分ける方法について。魔導具店などに聞いてもらってもかまいません。──エミリア』
誰に見られるか分からない。他にも聞きたいことは山ほどあるが、これ以上詳しく書くのは危険だ。
窓の外、朧月が雲間から顔を覗かせている。
──儀式まであと半年。時間はあるようでない。でも、私は一人じゃない。ジルベルト様、サラ、ラウル、みんなで真相を突き止める。必ず、ソフィア妃殿下を守ってみせる。
エミリアは霞の向こうをじっと見つめた。




