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【第3部更新中】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
王宮編

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第34話 凍える茶会

 王宮の客間に隣接する温室には、少し早い春の柔らかな光が降り注いでいた。春の息吹が感じられる中庭に面したその場所は、王宮の中でも特に明るく、開放的な雰囲気に満ちている。


 本日は、王妃主催の定例のお茶会が開かれる日だった。招かれたのは王妃と親しい貴婦人や王都に住む上位貴族の夫人たちで、侍女であるエミリアたちも給仕役としてその場に控えていた。

 エミリアの母ディアーヌも招待されていたが、他の婦人たちの手前、娘がいる場に顔を出すのを遠慮し、辞退していた。


 純白のクロスが掛けられたテーブルには美しい茶器が用意され、春の光を柔らかく反射している。運ばれてくるのは宮廷菓子職人が腕によりをかけて作った菓子たち。紅茶の上質な香りが貴婦人たちのまとう上品な香水の匂いと混じり合い、優雅な空間を演出していた。


 会場にはいくつもの円テーブルが用意され、夫人たちは自然と気の合う者同士で集まって座っていた。中央の最も大きなテーブルには、主催者である王妃を中心に、王太子妃ソフィアや穏健派とされる夫人たちが席に着いていた。


 周囲には王太子派と見られるテーブルや、第二王子派、すなわち反王太子派と囁かれる夫人たちが集うテーブルがあり、それはまさに王宮の縮図そのものだった。


 エミリアたちは静かな足取りでテーブルの間を回り、ティーカップが空になるのを見計らっては優雅な手つきで紅茶を注いでいく。エミリアは王宮での作法にもすっかり慣れ、一連の動作は体に染み付いていた。


 お茶会は終始和やかな雰囲気で進んでいた。


「まあ、ソフィア妃殿下。その首飾り、とてもお似合いですわ。春の空の色を映したかのようですこと」

「ありがとう。王太子殿下からいただいたのです」

「あらまあ、仲がよろしいことで。羨ましいですわ」


 王妃の隣でソフィアは柔らかな笑みを浮かべていた。彼女の気取らない誠実な人柄は多くの夫人たちに好意的に受け入れられている。特に王太子派の夫人たちは、彼女を未来の国母として心から慕っているようだった。


 ソフィアは時折席を立ち、他のテーブルへも顔を出しては一人一人に丁寧に言葉をかけてまわった。その献身的な姿は、彼女がこの国に嫁いできた妃としての責任を真摯に果たそうとしていることの表れだった。


 エミリアは空になったティーポットを手に、一度給仕室へ戻ろうとした。その途中、反王太子派の夫人たちが集まるテーブルを通りかかった。そこには、あの栗毛の侍女イルダによく似た、勝ち気そうな顔立ちの女性──彼女の母親であるルーエン伯爵夫人の姿があった。


 エミリアが新しいポットを持ってそのテーブルへ戻ると、彼女たちの会話が自然と耳に入ってきた。


「それにしても、今年の神託祭は一体どうなりますことやら」


 一人の子爵夫人が扇で口元を隠しながら意味ありげにつぶやいた。その視線は向こうで談笑しているソフィアに向けられている。待ってましたとばかりに、ルーエン伯爵夫人が溜息混じりに言葉を継いだ。


「本当に。もちろん、王妃殿下自らがご推薦なさった方ですもの、素晴らしい儀式になるに違いありませんわ。……ええ、そう信じておりますけれど」


 言葉とは裏腹に、その声には棘が含まれていた。遠回しな、しかし明確な批判だった。


「北方諸国と我々とでは、神への祈りの形も違うと聞きます。伝統ある我が国の儀式を果たして滞りなくお務めになれるのか……少しばかり心配ですわね」

「神が与え給うた血脈を尊ばない祈りなど……恐れ多いですこと」

「血脈がお薄いと、神託を正しく受け取れないとも言いますし……」

「万が一、儀式が失敗にでも終われば、王家の権威に傷がつきかねませんわ」


 堰を切ったように、テーブルの他の夫人たちも同調し始める。それは不安を装った悪意の囁き──自分たちの正当性を主張するための、ソフィアの出自と血脈を貶める言葉の刃だった。


 その囁きは春の光の中に紛れるようでいて、ソフィアへ不思議と鋭く届いた。ソフィアの指がティーカップの縁でわずかに止まり、彼女の顔からふっと笑みが消えた。その美しい横顔がみるみるうちに曇り、悲しげに伏せられた瞳が誰にも気づかれないようにきゅっと固く閉じられた。


 エミリアは、そのテーブルの前に立ったまま動けずにいた。手にした銀のティーポットがずしりと重い。


(侍女が……口を挟むべきではないわ)


 頭の中では、冷静な自分がそう告げている。立場をわきまえろ、と。ここで何かを言えば、それはエミリア個人の問題では済まなくなる。テルネーゼ侯爵家の娘として、王妃付きの侍女として、大きな波紋を呼ぶことになるだろう。


(でも……)


 視線の先でソフィアが唇を噛み締めているのが見えた。異国の地でたった一人、見えない敵意に晒されている彼女の孤独。血脈という、自分の努力ではどうにもならないことで人を判断する理不尽さ。それは、自分もこれまで嫌というほど味わってきたものだ。


 ティーポットを持つエミリアの手がかすかに震えた。胸の奥で冷静さと衝動がせめぎ合う。


 ルーエン伯爵夫人のティーカップが空になっている。エミリアは一歩前に進み、ポットを傾けた。紅茶が音もなくカップに注がれていく。その、ほんの数秒の間、エミリアの中で何かが決壊した。


「……血脈の強さだけが、全てではないと思います」


 澄んだ声が温室の空気を震わせた。

 一瞬、時すら止まったように誰も動かない。


 次の瞬間、全ての視線がエミリアに集まった。夫人たちの驚きと侮蔑が入り混じった視線。特にルーエン伯爵夫人は、信じられないものを見るかのように目を剥き、眉を険しく寄せていた。いくら貴族──侯爵家の娘であるとはいえ、今は侍女。それもただの給仕役が、茶会の客の会話に口を挟むなど礼儀知らずにもほどがあるからだ。


 温室の空気が、まるで冬に逆戻りしたかのように凍りつく。エミリアは自分の心臓が大きく脈打つのを感じていた。──言ってしまった。もう後には引けない。


 重苦しい沈黙を破ったのは会場の主である王妃だった。彼女は中央のテーブルから、穏やかな、しかし決して威厳を失わない口調で声を上げた。


「そうですね。エミリアさんの言う通りですわ」


 王妃はゆっくりと立ち上がると、エミリアと、そしてルーエン伯爵夫人たちの方へ視線を向けた。


「たしかに聖典には『神は民を導く者にその血を与えた』とあります。しかし、神は血脈だけをご覧にはなりません。その者がいかに誠実であり、いかに他者を思うか──その心の在り方こそを、神は量られるのです」


 その言葉は、エミリアのささやかな反論を絶対的な権威で肯定するものだった。王妃は静かに続けた。


「ソフィアさんは、誰よりもこの国を愛し、民を思う心を持っています。私にはそれが分かる。だからこそ、私は彼女を巫女に推薦したのです。──それとも、皆さんは私の判断を疑いますか?」


 最後の問いは、疑いようもなくルーエン伯爵夫人たちに向けられていた。彼女たちの顔からさっと血の気が引いていく。王妃の言葉に逆らうことは、王室に逆らうことに等しい。


「い、いえ、滅相もございません……!」


 ルーエン伯爵夫人は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。その顔は先程までの傲慢さが嘘のように青ざめていた。


「わたくしどもも、妃殿下ならば立派にお務めになられると信じております……」


 他の貴婦人たちも、それに倣って次々と立ち上がり、頭を下げた。


 王妃はそれ以上何も言わず静かに席へ着いた。しかし、一度凍りついた場の空気が元に戻ることはなかった。あれほど弾んでいた会話は途絶え、誰もが気まずそうに紅茶をすする音だけが、やけに大きく響いていた。


 お茶会は予定よりも少し早く、その重苦しい雰囲気のままお開きとなった。


 夫人たちが退出していく中、エミリアは後片付けをしながら、自分のしでかしたことの大きさに今さらながら気づき、内心でため息をついた。


「エミリアさん」


 不意に、背後から声をかけられた。振り返ると、ソフィアがそこに立っていた。彼女はエミリアのそばに寄ると、その手をそっと両手で包み込んだ。


「ありがとう。……あなたの言葉に、救われました」


 その声は少し震えていた。見上げると、ソフィアの美しい瞳が潤んでいる。


「殿下……」

「一人ではないのだと、そう思えました。本当に、ありがとう」


 心の底からの感謝の言葉に、エミリアは胸が熱くなった。自分の行動は間違っていなかったのだと、そう思うことができた。


 自室へと戻る長い廊下を歩いていると、サラが小走りで追いついてきた。


「エミリア様、すごいです。本当に勇気がありますね!」


 サラは興奮した様子でエミリアを称賛した。だが、その表情はすぐに曇り、複雑な色を帯びる。


「でも……大丈夫ですか? あの方、ルーエン伯爵夫人ですよ。イルダ様のお母様です。きっと、今日のことを根に持たれますわ。これから、エミリア様への風当たりがもっと強くなるかもしれません」


「分かっているわ」エミリアは静かにうなずいた。サラの心配はもっともだ。今日の出来事で、エミリアは第二王子派の有力者たちを完全に敵に回してしまったことになる。


「でも、後悔はしていないの」


 窓の外に目をやると、西に傾き始めた陽が王宮の尖塔を茜色に染めていた。


 血脈至上主義──それは、この国に深く根を張る、巨大な価値観だ。今日の出来事は、その根の深さと厄介さを改めてエミリアに突きつけるものだった。だが同時に、守りたい人がいるという事実が彼女の中に新たな決意を灯していた。


(ソフィア妃殿下をお守りする)


 それは、侍女としての務めを超えた、エミリア自身の意志だった。これからどんな困難が待ち受けていようとも、理不尽な価値観に屈するわけにはいかない。


 エミリアは固く拳を握りしめた。静かだが燃えるような闘志がその瞳の奥で揺らめいていた。

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