第33話 疑惑の儀式
朝の光が窓から差し込む。エミリアはベッドに腰掛けたまま、ぼんやりと自分の両手を見つめていた。
イルダとの手合わせから数日が経った。あの時、木剣が光を放った瞬間のことが、まだ頭から離れない。
(これって何なのかな……?)
これまでも度々発生している不思議な力。どれも自分の意思とは関係なく〝何か〟が発動した。
(『ステータス確認』だとか『自動防衛システム』だとか……まるで、私の中に誰かが住んでいるみたい)
それに、ジュリアンの忠告も気になる。「あまり目立つな」──あの言葉には明らかに警告の意味が込められていた。
エミリアは深く息を吐いた。考えても答えは出ない。ならば調べるしかない。
午前中、エミリアは空いた時間を見つけて王宮図書館へ向かった。サラも一緒だ。
「エミリア様、今日は何をお調べになるんですか?」
サラが好奇心いっぱいの表情で尋ねてくる。
「古代遺物について、もっと調べたくて」
「まあ、エミリア様は本当に勉強熱心ですのね」
図書館の静謐な空気の中、二人は古代遺物に関する文献を探し始めた。以前もそうだったが、魔法陣、血脈、古代文明──どれも断片的な情報ばかりで、エミリアが知りたいことの答えには辿り着けない。
しかし、まったく知られていない、記録もされていない未知の現象。そういうものがはたしてありえるのだろうか? この世界で自分にしか現れない現象──それは逆に非現実的だ。
それでも、一つだけ分かっていることがある。
(この力が発現するのは……強い感情。それに、古代遺物や魔法に関わるものに対して何らかの思いを抱いた時。でも、自分の意思では制御できない)
古文書を読みながら、エミリアはふと思いついた。
(もしかして、強く念じれば、自分でコントロールできるのかな?)
サラが別の書架を探している隙に、エミリアはこっそり試してみることにした。目を閉じて、心の中で強く念じた。
(力よ、現れて!)
しかし、何も起こらない。
もう一度、今度はさらに強く念じてみる。だが、やはり何の反応もなかった。
「エミリア様、どうなさいました?」
サラの声に我に返る。
「ううん、何でもないわ」
エミリアはごまかすように微笑んだ。
(やっぱり、自分の意思ではコントロールできないのね……)
落胆と焦燥が胸の中で渦巻く。
「そろそろお茶の時間ですね。準備しないと。……戻りましょうか」
サラに促され、エミリアは図書館を後にした。
廊下を歩いていると、前方から法衣をまとった一団が近づいてくるのが見えた。先頭を歩くのは顎髭を蓄えた黒い法衣姿の男──枢機卿ロイデンだ。
エミリアの心臓が跳ねた。あの夜、王宮の一角でデルナム侯爵と密談していた人物。その後ろには数人の神官が従い、何か重そうな箱や道具を持っている。
「エミリア様?」
サラが不思議そうに見るが、エミリアは咄嗟に柱の影へ身を隠した。
「ちょっと待って」
小声で制し、物陰から様子を窺う。
「ご協力に感謝する。神託祭の成功のため、万全を期さねばならぬのでね」
枢機卿の声が廊下に響く。一行は保管庫の方向へ向かっていく。
(あの方向は……神託の杖が保管されている部屋……!)
エミリアの胸の奥で何かが警鐘を鳴らした。
「サラ、ごめんなさい。先に戻っていて」
「え? でも……」
「大丈夫。すぐに追いつくから」
困惑するサラを残し、エミリアは距離を置いて枢機卿たちの後を追った。
保管庫の前で警備の騎士と枢機卿が話している。エミリアは少し離れた場所の物陰に身を潜め、耳を澄ませた。
「本日は、神託の杖に『聖別』を施させていただきます」
枢機卿の声が聞こえる。
「聖別、でございますか?」
「ええ。杖に異常や劣化がないか調べるためです。法王国が聖遺物に対して定期的に行う儀式でして。王宮にも通達が行っているはずですが」
「はい、伺っております」
騎士は淡々と答え、保管庫の扉を開けた。まず騎士たちが入り、枢機卿と神官たちが続いて入っていく。重い扉が閉まる音が響いた。
(聖別……? そんなのがあるんだ……)
エミリアの心臓が激しく打つ。騎士は知っていたようだから、公式な手続きなのかもしれない。でも──
(あの夜……デルナム卿との話……何か関係があるんじゃない?)
胸の奥で不安が膨らむ。エミリアは物陰で息を潜め、じっと待った。
保管庫の中から、かすかに詠唱のような声が聞こえてくる。神官たちが何かの儀式を執り行っているのだろう。
その時だった。
《警告──不正アクセス検出》
突然、エミリアの脳内に無機質な声が響いた。
「──っ!?」
思わず息を呑む。身体がこわばり、心臓が喉まで飛び出しそうになった。
《特定ユニットへの不正な干渉を検知しました》
(え……今、何……!?)
エミリアの手が震える。
(不正アクセス? 神託の杖に何かしているということ? でも、なぜ私に警告が……!?)
冷や汗が背中を伝う。答えの出ない疑問が頭の中を駆け巡る。
その瞬間、保管庫の扉が開く音がした。
(ヤバい!)
エミリアは慌てて、より深い物陰へと身を隠した。
「これで問題ない。秋の神託祭は滞りなく執り行えるだろう」
枢機卿の声が聞こえる。
「はい、猊下。杖の状態も良好でした」
神官たちが応じる。一行が保管庫から出てくる気配。エミリアは息を殺して柱の影に張り付いた。
すれ違いざま、枢機卿の横顔が見えた。その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
(何かおかしい……)
だが、証拠はない。騎士も許可していたのだから公式な手続きなのかもしれない。しかし、エミリアの中で鳴り響いた警告は本物だった。それだけは確信できる。
一行が立ち去るのを待ち、エミリアはようやく物陰から出た。足が震えている。
「エミリア様!」
廊下の向こうから、サラが息を切らして駆け寄ってきた。
「どこに行っていらしたんですか? 探しましたよ」
「ごめんなさい、ちょっと……」
言葉を濁す。サラは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「お顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。少し考え事をしていて」
サラは何か言いたげだったが、それ以上は追及しなかった。
(この件は、もっと調べないと……でも、誰に相談すれば……?)
ジルベルトの顔が浮かんだ。彼なら信用できるかもしれない。そして──ラウル。
(春の里帰りまで待てない。今すぐ手紙を書こう)
その夜、エミリアは自室で机に向かっていた。ペンを手に取り、便箋に文字を綴り始めた。ペン先が紙を走る音が部屋に小さく響く。
『親愛なるラウルへ
実は最近、気になることがあって──』
書きたいことは山ほどある。枢機卿の怪しい行動のこと。保管庫で聞こえた警告の声のこと。ただし、詳細は書かずに、「相談したいことがある」という程度に留めた。手紙が誰かに読まれる可能性もある。
ペンを置き、エミリアは窓の外を見つめた。
(秋の神託祭まで、まだ半年以上ある。でも、既に何かが動き始めているような気がするわ)
エミリアは手紙を封筒に入れ、封蝋で封をした。明日、信頼できる使いに託そう。
(ソフィア妃殿下をお守りするためにも、真相を突き止めないと)
窓辺に立ち、夜空を見上げる。
(私は、見て見ぬふりはできない──)
エミリアの瞳に、静かな決意の光が宿った。




