第31話 兄弟の諍い
翌日も、エミリアはニーナの代わりにソフィアに付いていた。
ソフィアの私室で朝食の準備をしながら、昨日の出来事を思い返す。神託の杖を見た時の『ステータス確認……特定ユニット』という声、そして枢機卿と貴族の密会。いろんなことが頭の中でぐるぐる回っている。
「おはよう、エミリアさん。今日もよろしくね」
寝室から起きてきたソフィアの穏やかな声で我に返った。北方諸国出身の彼女は血脈を重視しない文化で育ったためか、身分差を感じさせない親しみやすさがあった。
「おはようございます、殿下。本日もよろしくお願いいたします」
他の侍女とともに朝食を給仕しながら、皆との会話が弾む。ソフィアとともに北方諸国からやって来た侍女もいるため、普段耳にする機会のない北方諸国の話を聞いたり、王都の様子や最近読んだ本のことなど話題は尽きない。こうした穏やかな時間は王宮のしがらみを忘れさせてくれる。
朝食後に部屋を片付けていると、扉がノックされた。
「失礼する」
入ってきたのはライモンド王太子だった。端正な顔立ちに威厳をまとい、まさに次期国王に相応しい風格を持っていた。
「おはよう、ソフィア。体調はどうかな」
「ええ、おかげさまで元気です。殿下」
壁際に後ずさり、王太子に頭を下げた。彼の視線がエミリアに向けられた。
「君が、テルネーゼ卿のご息女か。『二つ持ち』と噂の」
「はい、殿下。エミリアと申します」
エミリアが恭しくお辞儀をすると、ライモンドは少し考えるような表情を浮かべた後、意外な言葉を口にした。
「何かと周りがうるさいと思うが、何かあったら王妃を頼るといい。母上は君のことを気に入っているようだからな」
その言葉には表面的な親切以上の何かが含まれているように感じられた。まるで、これから何か起こることを予見しているかのような──胸の奥底がわずかにざわめいた。
「……ありがとうございます、殿下」
ライモンドはソフィアと少し話をした後、退室していった。
ライモンドの風貌や知的で紳士的な佇まいがジルベルトを思わせる。彼もいずれ、あんな感じになるのかな──思わずそんなことを考えていたことに気づき、頬がわずかに赤くなった。
(そういえば、ジルベルト殿下も王子様なのよね……まだ慣れないわ)
王宮に出仕して以来、ジルベルトとはたまにすれ違ったときに一言二言話す程度だった。以前のようにゆっくり古代史のことを語り合う機会もなく、王宮図書館でも出会えなかった。
さすがに王子と侍女が二人きりで話すのはマズいよね──そう思いながらも、少しの寂しさを感じていた。
午後、王妃の部屋へ戻るために広い回廊を歩いていた。前方にはライモンド王太子が数名の側近と歩いていた。そこへ向こう側から、第二王子ジュリアンが侍従や侍女を引き連れて現れた。
ジュリアンは兄とは対照的に、軽薄そうな笑みを浮かべていた。母親譲りの金髪を優雅になびかせ、まるで舞台役者のような華やかさだ。
「おや、兄上。ご機嫌麗しく」
ジュリアンの声には、わざとらしい親しみやすさと隠しきれない皮肉が混じっていた。
「ジュリアン」ライモンドの返答はそっけない。
「そういえば、義姉上が巫女役を務められるそうですね。血脈の弱い方が神託の儀を……いやはや、前代未聞なことで」
ジュリアンの軽口に、ライモンドの表情が険しくなる。
「母上──王妃殿下のご推薦にケチをつけるつもりか?」
「とんでもない」
ジュリアンは肩をすくめた。
「冗談ですよ、兄上。そう睨まないでください。ただ、万が一失敗でもしたら王家の威信に関わりますからね」
「余計な心配は無用だ」
ライモンドは冷たく言い放つ。
「おお、怖い怖い。では失礼」
ジュリアンは茶化すように一礼すると、従者たちを引き連れて去っていった。
しかし、すれ違う瞬間、エミリアと一瞬目が合った。その瞳の奥に、先ほどの軽薄さとは違う鋭い光が宿っているのを見た気がした。
王妃の部屋に戻ると、すぐ後にサラが心配そうな顔で入ってきた。
「エミリア様、先ほど廊下にいらっしゃいましたね。殿下たちの……」
「ええ、偶然居合わせてしまって」
サラは声を潜めた。
「あのお二人、本当に仲が悪いんです。王太子派と第二王子派の争いはもう何年も続いていて」
他の侍女たちも集まってきて、ひそひそと噂話を始める。
「王太子殿下は能力主義、ジュリアン殿下は血脈至上主義」
「でも最近、ジュリアン殿下の支持者が増えているらしいわ」
「ソフィア妃殿下の巫女役も、それで揉めていたのよね」
「聞いた話だと、ご兄弟の仲違いはここ数年だそうよ」
「妃殿下がお輿入れされた頃からだったかしら」
「王位継承を巡って、貴族たちも真っ二つに分かれているって」
皆の話を聞いていると複雑な気持ちになる。王宮という場所は想像以上に派閥争いが激しい。今、噂話をしている侍女たちも使用人とは違い貴族の出だ。けっして無関係ではない。
夕方、廊下でイルダと再び遭遇した。
「あら、『二つ持ち』さん。妃殿下のお部屋で王太子殿下とお話しされていたそうじゃない」
「たまたま居合わせただけよ」
(耳が早いわね……)
イルダは腕を組んで、値踏みするような視線を向けてきた。家格のことは言いたくないが、仮にも侯爵家の娘である自分に対して、伯爵家の人間がこんな態度でよいのだろうかとさすがに心配になる。
「ふん。でも気をつけなさいよ。この王宮では、中立なんて立場は存在しないんだから。いずれは、どちらかを選ばなければならなくなるのよ」
「私は王妃殿下にお仕えしているだけよ」
「その王妃殿下だって王太子派でしょう? ソフィア妃殿下を巫女に推薦したんだから」
イルダの言葉は鋭い。たしかに、王宮では誰もが何らかの派閥に属しているようで、中立を保っている父ベルナードが珍しいくらいだ。そのベルナードでさえ実は王太子派ではないかと疑う者もいる。
「でもね、教えてあげる。ジュリアン殿下の方が将来性があるわよ。血脈を重視する貴族の方が多いんだから」
そう言い残して、イルダは去っていった。
夜、王妃の部屋から戻る途中、数人の貴族が談笑しながら歩いていた。その中の一人は昨夜枢機卿と話していた人物だった。聞き耳を立てるつもりはなかったが、彼らの会話の断片が聞こえてきた。──どうやら、あの貴族はデルナム侯爵というらしい。思わず物陰に隠れた。
「……ソフィア妃殿下の血脈では、神託の儀は……」
「……もし失敗すれば、王太子殿下の立場も……」
「……その時こそ、ジュリアン殿下が……」
断片的に聞こえた限りでは、内容は神託の儀と継承争いの件だった。やはり神託の儀は単なる儀式以上の存在になっているようだ。
(やっぱりこういうのって、何か企んでいるのかな……?)
ソフィアの不安そうな表情が思い浮かんだ。
今日も終わったー──自室に戻ると、そのままベッドへ倒れ込む。しばしの間、枕の柔らかさを堪能し、ふと顔を上げた。
王太子と第二王子の対立は想像以上に深刻だ。そして、その対立の中心にソフィアがいる。血脈の弱い彼女が巫女役を成功させられるか──それが王国の未来を左右するかもしれない。
(でも、どうして王太子殿下は「何かあったら王妃を頼れ」なんて……)
まるで、これから起こる何かを予期しているような言葉だった。そしてジュリアン王子の瞳に見た、あの鋭い光。表面的な軽薄さの裏に何か別のものを隠しているような気がした。
(考えすぎかもしれない。でも……)
窓の外を見ると王宮の尖塔に明かりが灯っており、眼下には王都の夜景が広がっていた。平和に見える景色だが、その裏では確実に何かが動いている。
明日からもソフィアの側で彼女を支えよう。それが今の自分にできる最善のことだ。エミリアはそう決意した。しかし、胸騒ぎは収まらなかった。神託祭までまだ半年以上ある。その間に何が起こるのだろうか。




