第28話 新たな舞台
あの夜から数日後の朝。
事後処理のため不在だったクロードが、久しぶりに朝食の席に姿を現した。エミリアは思わず視線を向けたが、兄はこちらを一瞥もせず淡々と席に着いた。
(まだ怒っているのかしら……)
エミリアの耳の奥に、あの夜クロードがエミリアに向けた激しい声が蘇る。ただ怒っているだけではない、もっと別の感情が混ざっていたような気がするが──
エミリアは少ししゅんとなりながら、紅茶に口をつけた。
ベルナードとディアーヌはいつも通りの様子で朝食を取っている。カチャリ、と食器がぶつかる音だけがやけに大きく響く。普段は気にも留めない紅茶の香りも今朝はなぜか鼻につく。どこか重苦しい沈黙が食卓を支配していた。
やがて、クロードがナイフとフォークを置いた。彼はナプキンで口元を拭くと、誰に言うでもなく──しかし、明らかにエミリアに聞かせるように口を開いた。
「……それにしても、先日は失態でした」
その一言に、ディアーヌは怪訝な表情でクロードに目を向けた。
「失態ですって? 見事に『彷徨う鎧』を討伐したのでしょう?」
「結果的には、そうです。しかし、問題はそこではないんです」
彼は腕を組み、苛立たしげに続けた。
「最後の号令──あれを誰が放ったのか、今も分かりません」
エミリアの、口に運ぼうとしたフォークが止まった。思わず皿に戻す。
(え……誰が号令を……?)
「私ではない。警備隊長殿でもなかった。誰かの声に、魔導士部隊が反射的に反応してしまった形です。結果的に『彷徨う鎧』は仕留められましたが、指揮系統としては最悪です。まったく、連携がなっていない。反省すべき点です」
ベルナードが眉をひそめる。
「誰の声か分からないとは、穏やかではないな」
「ええ。実戦で声の主が不明なまま攻撃命令が下るなど、あってはならないことです。騎士団の規律が問われる事態です」
(あの時……誰かが号令を出した。でもそれが誰なのか、誰も分からない……?)
エミリアの脳裏にあの瞬間の光景が蘇る。鎧が自分の前に跪き、青白い目で見つめていたあの瞬間。そして放たれた雷撃。崩れ落ちる鎧。
(あの鎧は……私を守ろうとしていたのに)
クロードは視線をエミリアに向けた。その目にはあいかわらずの厳しさがある。
「それと、エミリア」
「──! ……はい」
「警備隊長殿は気にされてなかったが、おまえも反省しろ」
ベルナードが怪訝そうに口を挟んだ。
「エミリアが何かしたのか?」
「いえ」クロードはそっけなく答えた。
「探偵の真似事をしていたので咎めただけです」
「そうか」とベルナードは特に気に留めず、紅茶を飲んだ。
エミリアはそこに割り込む言葉が出なかった。うつむき、黙々と食事を進める。
クロードは再び誰に言うでもなく続けた。
「それに……教会が、あの鎧を『聖遺物』だと言って回収してしまった。あれが何なのか、結局分からずじまいです」
枢機卿は以前、聖遺物の認定には時間がかかると言っていた。だが今回は、まるで何かを隠すかのような早さだ。エミリアの心に小さな疑念が芽生えた。
朝食が終わり、エミリアが自室に戻ろうと廊下を歩いていると、クロードから声をかけられた。
「エミリア」
振り返ると、兄が腕を組んだまま立っていた。
「あの……先ほどは……」
エミリアが言いかけると、クロードが遮った。
「ひとつ貸しだ」
「……え?」
「二つ持ちとはいえ、最近発現したばかりだ。まだノースキルみたいなものだぞ。調子に乗るな」
嫌味を言うためにわざわざ呼び止めたのか──カッと頭に血がのぼるのが分かった。借りを作った覚えなど微塵もない。エミリアは一歩も引かずに、兄の上からの視線を受け止めた。
「お言葉ですが──」
だが、クロードはエミリアの反論を待たず、視線を受け流すように目を逸らしながら、ぼそりとつぶやいた。
「まあ……大事なくて良かった」
(え……今、何て……?)
言いかけた言葉がすっぽりと抜け落ち、思わず息を呑んだ。兄の声にはいつもの侮蔑の色はなかった。ただ、素直に妹の無事に安堵しているような──そんな響きがあった。思いもよらない言葉にエミリアは視線が泳ぎ、反応に迷う。
クロードは踵を返し、立ち去りかけて、ふと足を止めた。
「それと……おまえが言っていた『不思議な部屋』だが」
「……はい」
「見つからなかったぞ」
(やっぱり……消えてしまったのかな)
「私たちが見た時はたしかにあったんです。古代の技術で作られたような、金属のような不思議な壁の部屋が……」
「信じている」クロードはそれだけ言って、そのまま立ち去った。
廊下に一人残されたエミリアは、さっきまで兄がいた場所を見つめていた。胸の中に、まるで氷を溶かす日だまりのような温かいものが広がるのを感じた。
(信じている……兄上が、そんなこと言ってくれるなんて)
口角が少しだけ上がる。不器用で、素直じゃなくて、嫌味ばかり言う兄だけれど──それでも、自分のことを心配してくれているのだと、初めて実感できた気がした。
同じ日の夕方。ベルナードは王宮での定例会議を終え、帰り支度をしていた。すでに日は傾き、廊下には長い影が伸びている。
「テルネーゼ卿」
振り返ると、官吏が恭しく頭を下げていた。
「陛下がお呼びです」
陛下がこんな時間に? ──ベルナードの動きが止まった。
「分かった。すぐに参る」
重厚な扉の向こうに通されると、玉座の間には王が一人、夕日を背に立っていた。
「ただいま参りました」
ベルナードが片膝をつくと、王は穏やかに手を上げる。
「楽にせよ。少し話がある」
「はっ」
王はゆっくりと玉座に腰を下ろし、ベルナードを見つめた。
「先日の『彷徨う鎧』の件、騎士団から詳しく報告を受けた」
『彷徨う鎧』……? いったい何のことだろうか。個人的に呼び出して話す内容ではない気がするが──
「そなたの娘──エミリア。なかなか興味深い娘だな」
(娘と『彷徨う鎧』に、何の関係が……? ますます分からない……)
しかし、「探偵の真似事をしていた」という朝のクロードの言葉が脳裏に蘇る。
(まさか、あの事件に首を突っ込んでいたのか? 何かやらかしたのか……?)
内心の動揺を押し隠し、ベルナードは慎重に口を開いた。
「恐れ入ります。……娘が、何か?」
王は穏やかに微笑んだ。
「騎士団の報告によれば、地下遺跡の調査に貢献したそうだな。探究心旺盛で知的好奇心も強い。王妃も以前、茶会でえらく気に入ったようだ」
「……き、恐縮です」
(地下遺跡……調査……? あやつ、そんなことまで……)
ベルナードの鼓動が速くなる。娘が何をしでかしていたのか、まったく把握していなかったのだ。
「それと、『二つ持ち』の噂も耳にしているぞ。そなた……縁談を断っているそうだな?」
ベルナードは一瞬言葉に詰まった。まさか陛下までご存知とは──冷や汗が流れた。
「……はい。娘はデビューしたてで、花嫁教育もまだ十分ではなく……」
「ならば、しばらく王妃付きの侍女として研鑽を積ませてはどうか」
「……は?」
「実は王妃から、ぜひにと言われてな。王妃の良き話し相手になってくれるよう期待しているぞ」
それは命令だった。断る余地など最初からない。だがベルナードの脳裏に、ある可能性が浮かんできた。これは縁談ではなく出仕の話だ。王の真意はさておき、縁談はデルナムら反王太子派が言っているだけではないのか?
ベルナードは素早く思考を巡らせる。ということであれば、出仕中は縁談を持ちかけられることもないだろう。時間稼ぎにはなる。
「……謹んで拝命いたします」
ベルナードは深々と頭を下げた。
その夜、書庫にいたエミリアは、ベルナードに呼ばれて書斎へ向かった。
「エミリア、少し話がある」
父の表情はいつになく真剣だった。
「……はい」
「おまえに、王宮への出仕を命じる」
「え……?」
エミリアは耳を疑った。これまで〝家門の恥〟だ、表には出せない、そんな扱いだったのに、まさか王宮とは。あまりにも突飛な話で理解ができない。
「王妃殿下付きの侍女として、しばらく王宮に仕えることになる」
「どうして急に! 私、まだそんな……」
「……いろいろ考えてのことだ。これは侯爵家としての命だ」
ベルナードはそれ以上何も言わず、エミリアを退室させた。
半ば追い出される形で書斎を出たエミリアは、しばらく書斎の前で立ち尽くしていた。
(王宮へ出仕って、どういうこと? もう、ちゃんと説明してよね!)
父の一方的で言葉足らずな話ではとうてい納得できない。だが、家門としての命であれば仕方がない。エミリアでも、さすがにそれは理解した。
それからの半月は、出仕の準備で目の回るような忙しさだった。
「さあ、エミリア様! 背筋を伸ばして! 王宮の侍女は常に優雅でなければなりません!」
侯爵家の広間で、ベルトラン夫人の厳しい指導が続く。
「歩き方、お茶の注ぎ方、言葉遣い──すべてが王室の流儀に則っていなければなりません!」
夫人のやる気に満ちあふれた指導に、エミリアはため息をついた。
「下位貴族の出仕の目的は箔付け。ですが、上位貴族の出仕は──」
夫人は目を輝かせて断言した。
「ずばり、王室入りですわ!」
「……は?」
「妃として寵愛を受けるチャンスなのです! これを逃す手はございませんわ!」
(この人、本気で言ってるのかしら……)
悦に浸る夫人の表情を、エミリアは呆れ果てた顔で見つめた。
その日の講義が終わり、ふらふらになりながら書庫へ向かうと、アンナとラウルが待っていた。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか? 王宮は権謀術数渦巻く場所だって……」
アンナは自分のスカートの裾を固く握りしめ、今にも泣き出しそうな声で尋ねた。彼女は最近王宮ものの小説にハマっているらしかった。
「エミリア、何かあったらすぐに連絡してくれ。俺もできる限りのことはする」
ラウルもいつになく真剣な表情だ。
「大丈夫よ。王妃殿下はお優しい方だし、サラもいるし。それに、王宮図書館にもっと通えるようになるわ」
突然の命令に呆然としていたのも束の間、出仕の準備に追われるうちに、エミリアの心にはいつしか未知なる日々への微かな期待が芽生えていた。
そして、出仕の日が訪れた。晩秋の穏やかな朝、エミリアを乗せた馬車が王宮の正門をくぐる。
(とうとう、王宮暮らしが始まるのね……)
『また王宮でお会いしましょう』──王妃の言葉がこんな形で実現するとは──期待に胸は高鳴り、同時に、これから始まる日々の重圧に身体が少しだけこわばるのを感じながら、エミリアは馬車を降りた。
「エミリア様!」
明るい声が響き、サラが駆け寄ってきた。
エミリアは、駆け寄ってきたサラの華奢な体を思わず強く抱きしめていた。彼女の温かさと香りに、張り詰めていた心がほっとほぐれるのを感じる。「会いたかったわ」「私もです!」短い言葉に、これまでの不安と再会の喜びの全てが詰まっていた。
「それでは、王妃殿下がお待ちですので、ご案内いたします」
サラが歩き出そうとした時──
「その前に、私からもご挨拶を」
聞き覚えのある声。まさか──振り返ると、サラの後ろに一人の青年が立っていた。
「ジル……様……?」
青年は優雅に一礼した。
「改めて自己紹介させていただきます。私はジルベルト・ヴァン・イルスレイド。この国の第三王子です」
一瞬、全ての音が消えた。目の前で優雅に微笑む青年が、あの書店の彼が、王子……? 思考が現実を理解することを拒絶する。
(えぇぇぇ!?)
その思考の絶叫を止めたのは、サラの小さな囁き声だった。
「エミリア様、お辞儀を……!」
はっと我に返ったエミリアは慌てて膝を折った。
「し、失礼いたしました! 王子殿下とは存じ上げず……!」
「いえいえ。あなたと対等に本の話ができて、とても楽しかったですよ、エミリアさん。いえ……」
ジルベルトは悪戯っぽく微笑むと、そっと顔を近づけてきた。間近で見る整った顔立ちに、心臓が大きく跳ねる。
「これからは、エミリア、とお呼びすべきでしょうか」
カッと頬に血が集まるのが分かった。
(どうしよう……あんなに気さくに話しちゃってたのに……! それに、あの夜会の時、エスコートまでお願いして……!)
「さあ、参りましょう。王妃殿下がお待ちです」
ジルベルトが促すようにエミリアへ視線を向け、ゆっくりと歩き出す。その後ろ姿を見つめながら、エミリアはまだ熱い頬を両手でそっと押さえた。
混乱と羞恥と、そしてほんの少しのときめきが胸の中で渦を巻く。──エミリアの王宮生活はそんな嵐のような幕開けだった。
◇ ◇ ◇
──石造りの薄暗い部屋。燭台と暖炉の炎が揺らめき、部屋に影を落としている。
「猊下、続報でございます」
白い法衣姿の神官が、今回の事件に関する報告書を恭しく差し出した。
重厚な椅子に座った人物──顎髭を蓄えた黒い法衣姿の神官がそれを受け取る。
「……ふむ」
男は報告書に目を通し、やがて顔を上げた。
「──対象の破壊と回収が完了。管理者候補との接触は阻止、か」
白法衣の神官が頭を下げた。
「はい。『支援ユニット』は完全に機能を停止させ、回収いたしました。これで当面の脅威は──」
「二人、か」
男は報告書を見つめたまま、低くつぶやいた。
「……猊下?」
神官が怪訝そうに顔を上げる。
「神も心配性なことだ……」
枢機卿は報告書を暖炉の火に投じた。炎が紙を舐め、黒く焦げていく。
「引き続き、テルネーゼ侯爵家の娘を監視せよ」
「御意」
神官が退室すると、男は一人、炎を見つめた。
「管理者……やはり、時が来たということか」
報告書を燃やす炎の光が、その冷たい横顔を照らし出していた。
これにて第1部「覚醒編」完結です。
お読みいただきありがとうございました!
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【予告】
さて、次回より第2部「王宮編」開始です!
様々な思惑が重なり、ついに王宮へ出仕することになったエミリア。
・神託祭と、妃候補の行方は?
・エミリアに宿る「謎の力」の正体とは?
・屋敷に残るアンナやラウルたちの今後は?
・そして、第三王子ジルベルトとの関係は?
舞台を王宮に移したエミリアの活躍を、引き続きお楽しみください!
今後もよろしくお願いします。




