第27話 鎧の忠誠
クロードの号令と共に、騎士たちが一斉に鎧に迫る。最初に斬りかかった騎士の剣が、鎧の胸部を捉える──
ガキィン!
火花が散り、騎士の剣が弾かれた。だが、音が違う。金属同士がぶつかる音ではない。もっと──硬く、冷たく、異質な響き。
「くっ、硬い……いや、これは……」
騎士が困惑する。普通の鎧とは手応えがまるで違う。まるで剣で水を切ったような、掴みどころのない感触。しかし──硬い。
鎧は反撃に転じた。右腕を再び刃の形状に変形させ、騎士たちを薙ぎ払う。しかし──致命傷は与えない。あくまで〝排除〟するかのような、計算された動きに見える。
「ぐあっ!」
一人の騎士が弾き飛ばされた。だが、剣で受け止めた腕に軽傷を負っただけで済んだ。
橋の上のエミリアは、その不可思議な戦い方に困惑した。
(殺す気はない……? でも、なぜ?)
騎士たちは訓練された連携で次々と攻撃を仕掛けるが、鎧の動きは人のそれを遥かに超えていた。まるで未来の動きが見えているかのように、すべての攻撃をかわし、軽々と受け流す。
クロードが正面から斬りかかる。武の血脈──剣技の達人である彼の一撃。しかし、鎧は最小限の動きでそれをかわし、クロードの剣を左腕で受け止めた。左腕が、まるで盾のように変形していた。ギィィンという金属音が夜空に響く。
「なんという反応速度……!」
押し合いの中、クロードは鎧の赤い目を見た。そこには、感情、殺意、恐怖──何も感じられない。ただ冷たく計算されたような視線だけが、彼を見つめていた。
(人でないとしたら、いったい何なんだ?)
クロードも、剣で必死に鎧の剣を押し返す。
副隊長たちが加勢しようとした瞬間、鎧は驚異的な跳躍力で後方へ飛び退いた。屋根の高さまで──いや、それ以上に跳び上がり、月明かりを背に宙を舞う。その美しくも不気味な跳躍に、騎士たちは一瞬動きを止めた。
音もなく着地した鎧はゆっくりと周囲を見渡した。頭部の赤い光が一人一人を走査するように動く。まるで、何かを──誰かを探しているかのようだった。
警備隊長が叫ぶ。
「囲みを崩すな! 包囲を維持しろ! 魔導士部隊、打てえ!」
魔導士たちが前に出て一斉に詠唱を始める。足元に雷の魔法陣が浮かび上がり、空気が帯電していく。ビリビリという音が夜の静寂を震わせた。
「雷よ、矢となりて──ライトニングアロー!」
数本の雷の矢が鎧に向かって放たれた。光の軌跡が夜空を切り裂く。
しかし、鎧は身をかがめ、ありえない速度でそれらをかわした。雷の矢は虚しく石畳に着弾し、火花を散らす。
「くそっ! かわされた!」
「なんだ、あのスピードは!?」
魔導士たちが悔しげに叫ぶ。二発目、三発目の雷の矢が放たれるが、やはり鎧はそのすべてを予測したかのようにかわし続ける。
その時だった。鎧の赤い目の光が一瞬強く輝いた。そして──橋の上を向いた。
瞬間、エミリアはその光と目が合った。胸の鼓動が跳ねる。
(まさか……私を……?)
次の瞬間、鎧は大きく跳躍した。騎士団の包囲網を軽々と飛び越え、その着地点は──橋の上。エミリアの目の前だった。
「え……?」
エミリアは凍りついた。鎧との距離、わずか三メートル。赤い光が、まっすぐに彼女を──いや、彼女〝だけ〟を見つめていた。
「エミリア! 逃げろ!」
ラウルが短剣を抜いて前に出る。しかし、その手は震えていた。
「待て! お嬢さん、動くな!」
警備隊長の声が響いた。
「下手に動けば──」
しかし、誰もが予想しなかった事態が起こった。鎧の赤い目の光が──青白く変化した。
『──捜索モード、終了』
無機質な声がエミリアの脳内に直接響いた。あの声だ。聖石の時、鉄巨人の時、幽霊騒動の時に聞いた、あの声。
『対象者確認……支援モードへ移行します』
そして──
カツン。
鎧は、ゆっくりと片膝をついた。
右手の刃を元の腕の形に戻し、頭を垂れている。まるで騎士が主君に忠誠を誓うかのような、完璧な恭順の姿勢だった。
「え……? な、何……これ……?」
エミリアの声が震える。ラウルは呆然としながら後ずさった。周囲の騎士たちも、警備隊長も、クロードも、誰もが呆然とその光景を見つめていた。時が止まったかのような静寂が辺りを包む。
ラウルが震える声でつぶやいた。
「エミリア……これは……一体……」
「私にも……分からない……」
エミリアは鎧を見つめた。片膝をついたその姿は、どこか痛々しくさえ見えた。まるで、長い孤独な旅の果てに、やっと探していた誰かを見つけた──そんな雰囲気を醸し出していた。
(この鎧は……私を探していた? でも、なぜ……?)
『対象者』──その言葉の意味は分からない。でも、確実にこの鎧は自分を〝探していた〟のだ。
しかし、思考する時間は与えられなかった。
「エミリア、今だ! そこから離れろ!」
クロードの厳しい声が響く。騎士たちが、じりじりと橋に近づいてくる。
「兄上、待って! これは──」
その瞬間、鎧が反応した。立ち上がり、赤い目が再び光る。エミリアと騎士たちの間に割って入るように立ちはだかる。
「させるか!」
クロードが号令を出そうとした、その時──
「待って!」
エミリアの必死の叫び声が響いた。
「誰も傷つけないで!」
鎧が動きを止めた。エミリアの方を向き、赤い目がエミリアを見つめる。
数秒の沈黙──
そして鎧はゆっくりと元の位置に戻り、再び片膝をついた。
静寂──誰もが、この異常な光景を理解しようと必死だった。鎧が──あの危険な『彷徨う鎧』が、一人の少女の言葉に従っているのだ。
「……エミリア」
クロードの声はいつになく低かった。怒りと困惑と、そして──得体のしれない恐怖が混ざっていた。
「おまえ……一体、何なんだ……?」
エミリアは答えられなかった。自分でも分からない。なぜこの鎧が自分の前にひざまずくのか。なぜ自分の言葉に従うのか。
警備隊長が慎重に近づいてくる。
「お嬢さん……その鎧に、何か心当たりは……?」
「私にも……わかりません……ただ、何度か聞いた声で……」
その時だった。
「魔導士部隊、放て!」
誰かの声が響いた。
クロードと警備隊長は声の方向へ振り向いた。誰の声だ!? ──しかし訓練された魔導士たちは、反射的に反応してしまった。
「待って!」
エミリアが叫んだ。だが遅かった。
「ライトニングアロー!」
十数本の雷の矢が一斉に鎧に向かって放たれた。光の奔流が夜の闇を引き裂き、まるで意志を持つかのように飛びかかる。
鎧は──かわさなかった。エミリアを守るように、その身で雷撃を受け止めた。
バリバリバリッ!
雷撃が鎧を貫いた。一本、二本、三本──立て続けに直撃する。
鎧の表面が焦げ、ひび割れが走り、崩れ始める。それでも、鎧はエミリアの前に立ち続けた。
青白かった目の光が、また赤く──そして、明滅し始めた。
ガシャン──
鎧が崩れ落ちた。金属の破片が地面に散らばり、月明かりを反射して輝く。その中心には黒く焦げた何かの核のようなものがあった。
──静寂が訪れた。
「や……やったのか……?」
騎士の一人が震える声でつぶやく。
「確認しろ!」
警備隊長の命令で騎士たちが慎重に近づく。しかし、鎧はもう動かない。ただの残骸になっていた。
エミリアは呆然と、その残骸を見つめていた。
(あれは……私を探していた。私を守ろうとした。なのに……なのに……!)
胸の奥に言いようのない喪失感が広がる。まるで、大切な何かを失ってしまったような──
「エミリア!」
クロードがエミリアの腕を掴んだ。その力は痛いほど強く、有無を言わせない。
「おまえってやつは……もういい。もう、ここにいるな」
エミリアは兄を見上げた。彼の目には怒りと同時に、心配の色があった。
「兄、上……あれは、私を……」
「分かっている。だが、今は……おまえはここを離れろ」
クロードは絞り出すような声でエミリアに命じた。
騎士たちが残骸の周りに集まり始める。警備隊長が何か指示を出している。魔導士たちは、まだ警戒を解いていない。
ラウルがエミリアの肩に手を置く。その手は震えていた。
「エミリア……帰ろう」
エミリアは振り返ってもう一度残骸を見た。黒く焦げた核が、わずかに──本当にわずかに、光を明滅させているような気がした。
しかし、すぐに騎士たちに囲まれて見えなくなった。
「さあ、行くぞ」
クロードに促されて、エミリアとラウルは橋から離れた。
振り返ると、騎士団が厳重に現場を封鎖し始めていた。松明の光が夜の闇に揺らめいている。エミリアの心の中で、あの無機質な声が何度も反響していた。
『捜索モード終了』
『対象者確認』
『支援モードへ移行』
(一体、私は何なの? なぜあの鎧は私を探していたの? 「対象者」って……私が? 何の?)
夜空を見上げる。十三夜月が冷たく輝いていた。
(あの声の主は……もういない)
胸の奥がひどく痛んだ。
「ここからは二人で帰れ、私は現場に戻る」
クロードと別れた二人はその後も言葉を発しなかった。ただ、夜の静寂と自分たちの足音だけが響いていた。
今夜起きたことは、誰にも──エミリア自身にも──理解できないままだった。ただ一つだけ確かなことは、自分を探し、自分を守ろうとして〝死んだ〟存在がいた、ということだけだった。
夜の帳が二人を包み込んでいった。




