第26話 遭遇
光の線は複雑に入り組んだ通路を抜け、やがて行き止まりのような場所に辿り着いた。そこには他の壁と何ら変わらない石壁があった。
エミリアが指差す。
「ここ……よ」
「でも、ここは行き止まりだぞ」
ラウルは壁を調べるが、特に変わった様子はない。
しかし、エミリアには見えていた。石壁が淡く光っている。まるで何かが彼女にだけ語りかけているかのようだった。
「この壁……何かあるわ」
エミリアは恐る恐る壁に手を伸ばした。指先が石に触れた瞬間、こめかみがきゅっと締め付けられる。
──石壁は幻だったかのようにスッと消えた。
「な、何!?」
ラウルが驚愕の声を上げた。壁があった場所には開けた空間への入口が現れていた。冷たい空気が中から流れ出てくる。
「エミリア……君、一体……」
「私にも分からない……でも、入ってみましょう」
二人は慎重に中へ入った。
部屋の中は今まで見てきた石造りの通路とは明らかに違っていた。壁の材質が変わっている。金属のような、陶器のような、不思議な手触りの壁。表面は滑らかで継ぎ目が一切見えない。まるで一つの巨大な塊を削り出して作ったかのようだ。
「こんな素材……見たことない」
ラウルが壁を撫でる。魔法の反応はないが確実に〝何か〟がある。仄かに温かい。まるで生きているかのような微かな振動を感じる。
「こんな技術が本当に数千年前に……?」
エミリアも壁に触れながら、興奮を隠しきれない様子でつぶやいた。
部屋の中央には、同じ不思議な材質でできた棺のような物体が置かれていた。人が入れるくらいの大きさで、表面には複雑な文様が刻まれている。しかし、蓋は開いており中は空っぽだ。
エミリアは近づいて覗き込んだ。棺の内側には人の形に沿ったような窪みがあり、微かに焦げたような跡が残っていた。
「ここに、何かが眠っていたのね……」
そして、その時。
「チッ、チッ、チッ……」
規則正しい音が聞こえた。
「この音……!」
二人は顔を見合わせた。あの日、マチルダの屋敷で聞いた、あの機械的な音だ。音の方向を見ると、部屋の隅に小さな影があった。蜘蛛のような形をした六本の細い脚を持つ物体だった。
「あれは……マチルダの屋敷で見た……!」
「小型ゴーレム!」
小型ゴーレムはじっとこちらを見ていた。いや、〝見ている〟というよりは、何かを待っているかのように、その場で微動だにせずに佇んでいた。
「なぜ、ここに……?」
エミリアが恐る恐る近づくと、小型ゴーレムは「ピッ」という短い音を発した。まるで、エミリアの存在を認識したかのようだった。
エミリアは棺に手を触れた。すると脳裏にあの声が響いた。
《……ステータス確認》
《……予備ユニット起動処理完了済……捜索モード中……》
遠い、遠い記憶のような声。しかし、それだけではなかった。
《……対象……特定完了……》
《……座標……確認……》
「エミリア? どうした?」
ラウルの声が遠くに聞こえる。
「今、声が聞こえたの。『起動処理完了済』『捜索モード中』って……それに『対象特定』『座標確認』って」
「声? 俺には何も……」
ラウルは首をかしげ、小型ゴーレムを見つめた。
「なあ、エミリア。もしかして、この棺に『彷徨う鎧』が眠っていて、何かのきっかけで目覚めて……そして、このゴーレムも関係している?」
「そうかもしれないわね……でも、なぜ? 何のために?」
エミリアは棺から手を離した。
(『特定完了』……何を特定したの?)
(『座標確認』……何の場所……?)
ひどく喉が渇き、掌が汗ばむ。得体の知れない不安と、それでも抑えきれない好奇心が胸の内を渦巻いた。だが同時に確信もあった。この空の棺と王都を彷徨う鎧は確実に繋がっている。
「……今は触らない方がいいかもしれないわ。先生に相談しましょう」
「そうだな。これ以上は危険だ」
二人は部屋を出た。石壁は再び現れ、何事もなかったかのように元の姿に戻った。
「信じられない……壁が消えるなんて」
「私にも信じられないわ」
先ほどの部屋といい、どうにも現実感がない。自分たちが住む街の地下にこんなものがあるとは。
二人は来た道を引き返した。チョークの印を頼りに、階段を上り、地下水路を通って、無事に地上へと戻る。
橋の袂に出た時、昼下がりの柔らかな光が眩しかった。背伸びをすると緊張でこわばっていた身体がほぐれ、ようやく周囲の喧騒が耳に流れ込んでくる。
「信じられないわ……あんな場所が王都の真下に」
「ああ。しかも、君には見えて、俺には見えないものがある」
ラウルは困惑と好奇心が同居しているかのような、複雑な表情を浮かべた。
「君の力……やっぱり、ただの『ノースキル』じゃない。何か特別なものがあるんだ」
「私にも分からない……でも、たしかに何かが起きてる」
エミリアは自分の手を見つめた。
「とにかく、先生に相談しましょう。何か分かるかも」
管理局に鍵を返した二人は屋敷に戻り、オルフェンを訪ねた。──猫は見つかったことにした。
「先生、地下水路で重要な発見をしました」
エミリアが興奮気味に報告すると、オルフェンは真剣な表情で聞き入った。二人は順を追って、隠し部屋のこと、空の棺のこと、小型ゴーレムのことを説明した。
「古代の技術で作られた部屋……空の棺……そして、子爵邸にいた小型ゴーレムと同じものが」
オルフェンは深く息を吐いた。
「エミリア様、ラウル。それは騎士団に報告すべきです」
「先生……」
「『彷徨う鎧』の捜索は騎士団の管轄です。これは、もはや個人で扱える問題ではありません」
「でも……私たちが発見したのに、蚊帳の外にされてしまうんですか?」
「お気持ちは分かります。しかし、エミリア様」
オルフェンは優しく、しかし断固とした口調で続けた。
「これを聞いた以上、私はあなたを止めなければならない。それが大人の責任です」
「……親父の言う通りだ、エミリア。君の安全が第一だ」
ラウルもうなずき、エミリアは渋々ながらもオルフェンの判断を受け入れた。
(癪だけど……正しい判断よね)
しかし心の奥では、やはり諦めきれないものがあった。自分が発見した謎を他人に任せてしまうことへの悔しさや、あの声が示唆していた〝何か〟への、抑えきれない好奇心が渦巻いていた。
夕方、エミリアとラウルは騎士団詰所を訪れた。受付で兄クロードへの面会を申し出ると、しばらく待たされた後、ようやく通された。
クロードは書類仕事の最中だった。彼は手を止めると、職場にまで押しかけてどういうつもりだ、とでも言いたげな冷たい視線を向けた。
「何の用だ、エミリア」
「兄上、ご報告があります。『彷徨う鎧』に関連するかもしれない発見です」
クロードは眉をひそめた。
「おまえたち、また勝手なことを……」
「いえ、兄上。これは重要な情報です」
エミリアは毅然と言い返した。クロードの冷たい視線にも、もう怯むことはなかった。それだけの情報を掴んだ自信があった。
「地下水路で、奥にある古代遺跡のさらに奥に、隠し部屋を発見しました」
「隠し部屋だと?」
クロードの表情が険しくなる。
「我々も地下水路は調査している。そんなものは見つからなかった」
「でも、たしかにあるんです」
ラウルが地図を広げた。
「ここです。私がチョークで目印を付けてあります」
クロードは地図を見つめ、副隊長と顔を見合わせた。
「……警備隊長殿をお呼びしろ」
しばらくして警備隊長が入ってきた。エミリアとラウルの説明を聞き、地図を確認する。髭を撫でながら、何度も地図と二人の顔を見比べた。
「なるほど……この場所なら、我々の調査範囲からは外れていますね」
警備隊長がクロードに目を向ける。
「分隊長、これは調査する価値があるぞ」
クロードは腕を組み、考え込んだ。執務室に沈黙が落ちる。エミリアは息を詰めて、兄の判断を待った。
「……分かった。今夜、現地調査を行う」
「では、私たちも──」
「おまえたちは来るな」
クロードは冷たく言い切った。
「『彷徨う鎧』が現れる可能性がある。危険だ」
「でも、私たちが発見したんです! それに、隠し部屋の入り方は私にしか──」
「いいか、もう一度言う。危険だから来るな」
クロードの視線は厳しかった。だがその瞳には、怒りだけでなく、何か別の感情も混じっているようにも思える。
「おまえに何かあれば、父上に何と報告すればいい? これは命令だ」
「……分かりました」
エミリアは唇を噛んだ。
詰所を出ると、エミリアは悔しさで拳を握りしめた。
「癪ね……結局、私たちは子供扱いか」
「エミリア……」
「……ねえ、ラウル」
しばらく黙り込んでいたエミリアが、急に目を輝かせた。これは何か、ろくでもないことでも思いついたに違いない──ラウルの脳裏に嫌な予感が湧き出る。
「こっそりついていかない?」
「は?」
「だって、あの部屋の入り方、私にしか分からないかもしれないのよ。もし兄上たちが入れなかったら?」
「それは……そうだけど」
やっぱり──ラウルは困惑した表情を浮かべる。
「でも、命令違反は──」
「命令は『来るな』よ。『近くにいるな』とは言ってないわ」
エミリアは悪戯っぽく笑った。しかし、その笑顔には強い意志が宿っていた。
「橋の上から様子を見るだけ。危険があったら、すぐ逃げる。約束するわ」
「……君は本当に無茶をする」
ラウルは長いため息をついた。
「分かった。でも、本当に遠くから見るだけだぞ」
「ありがとう、ラウル」
エミリアは嬉しそうに微笑んだ。
深夜。エミリアとラウルは橋の上で身を隠していた。あと数日で満月だった。目が慣れると辺りの様子が分かるくらいの月明かりだ。
橋の袂にはクロードの分隊をはじめ騎士団の数隊が集結していた。松明の明かりが彼らの鎧を照らし出す。総勢二十名ほど。魔導士部隊も数名混じっているようだった。
「目標地点は地下水路のさらに奥だ」
クロードが地図を広げ、部下たちに指示を出している。
「チョークの印を目印に進む。魔導士部隊は中央に。いいか、慎重にな」
「了解!」
騎士たちが返事をする。訓練された動きで、次々と装備を確認していく。
エミリアたちは息を潜めてその様子を見守った。
(兄上……ちゃんとチョークの印に気づいてくれるかな)
夜風が頬を撫でる。秋の冷たい空気が緊張した心をさらに引き締める。
「準備はいいか? では──」
クロードが地下水路への入口に向かおうとした、その時──
「分隊長、お待ちください!」
先発で様子を見に行っていた騎士が慌てて駆け戻ってきた。
「どうした?」
「それが……入口の奥に、何かが見えます!」
「何?」
クロードは眉をひそめた。
「何かとは?」
「分かりません……しかし、たしかに何かが動いて──」
言葉が途切れた。その瞬間──
地下水路入口の鉄格子の向こうに何かが現れた。月明かりに照らされ、金属のような輝きが見える。
「何だ、あれは……!」
騎士たちが身構える。剣を抜く音が、夜の静寂の中に鈍く響いた。
そして次の瞬間──
ヌルリ。
鉄格子の隙間から、金属の塊が滲み出てきた。
「な……何!?」
エミリアは目を見開いた。
まるで液体のように。いや、スライムのように。金属の塊が形を変えながら、鉄格子の狭い隙間をすり抜けてきた。固体であるはずの金属が、まるで意志を持った液体のように格子の間をすり抜けていく。
「ば、化け物か!?」
騎士の一人が叫ぶ。
地上に現れた金属の塊は、ゆっくりと人の形を取り始めた。
頭、胴体、腕、脚。
全身を覆う滑らかな金属の装甲。継ぎ目のない、未知の技術で作られたとしか思えない鎧。表面は月明かりを反射し、鈍く光っている。頭部には、赤く光る目のような何かがあった。
「彷徨う鎧……!」
エミリアは息を呑んだ。
鎧は人ほどの大きさだった。しかし、ただ立っているだけで異様な存在感を放っている。まるで、人ではない何かが人の形をしているようだ。
「取り囲め!」
クロードが即座に指示を出す。
騎士たちが素早く隊形を組み、鎧を包囲する。しかし、鎧の動きはどこかぎこちなかった。誰もが、目の前の〝何か〟が今までに見たことのないものだと本能で理解していた。
鎧はゆっくりと騎士たちを見渡した。頭部の赤い光は一人一人を順番に〝見て〟いるかのようだった。
(何を……探してるの……?)
エミリアはじっと鎧を見つめた。その視線が、まるで自分を探しているような──そんな錯覚に襲われた。
「動くな! 抵抗すれば──」
クロードが叫びかけた時──
鎧は、右手を前に出した。
ゆっくりと。
まるで何かを示すかのように。
騎士たちが身構える。魔導士部隊も呪文の詠唱を始めた。雷の魔法陣が彼らの足元に浮かび上がる。
緊張が空気を支配する。そして、次の瞬間──
ジャキン!
鎧の右手の先が、溶けた水飴のようにするっと伸びた。それは音ともに硬さを持ち──刃の形になった。
剣だ。
いや、剣ではない。
右腕そのものが、剣に変形したのだ。
「な……!?」
「変形した……!?」
「あんなこと、できるのか……!?」
騎士たちが驚愕の声を上げる。包囲陣が一瞬、揺らいだ。クロードも一瞬だけ動きを止めた。しかし、すぐに冷静さを取り戻す。
「やはり、人ではないな……」
警備隊長が厳しい表情でつぶやく。
「やっぱり、あれは人じゃない!」
その時、橋の上からエミリアの声が響いた。
クロードが一瞬、声の方向を見る。
「エミリア!? なぜここに──」
だが、今はそれどころではなかった。
鎧が戦闘態勢に入ったのだ。
「ゴーレムよ!!」
エミリアが叫ぶ。
「古代のゴーレム! あれは機械なの!」
エミリアの叫び声にクロードは歯噛みした。妹のことは後だ。今は──
「魔導士部隊、準備!」
警備隊長が号令を出す。
鎧は微動だにせず、ただそこに立っている。しかし、右腕の剣が月明かりを受けて鋭く光っていた。
クロードは剣を掲げ、大きく息を吸った。
「全員、かかれ!!」
号令が、夜の空気を切り裂いた──




