第25話 地下水路にて
翌朝、エミリアとラウルは管理局を訪れた。さすがに地下水路はアンナには危険だ。彼女には留守番してもらうことにした。
「まあ、任せてよ。でもフォローよろしくね」
自信たっぷりのエミリアの様子に、ラウルは怪訝な顔をした。
「どういう作戦なんだ?」
「まあ、見てなさい」
エミリアは事務所に入るなり、いきなり涙声になった。
「すみません……エミリア・シル・テルネーゼと申します……」
「テルネーゼ? ……侯爵様の!」
職員が慌てて立ち上がる。
「実は……お願いがございまして……」
エミリアは袖で目元を押さえた。演技か本気か分からないほど自然な仕草にラウルは内心驚愕した。
「私が飼っている大切な猫が……地下水路に入り込んでしまって……もう三日も帰ってこないんです……」
「猫、ですか?」
「ええ……茶色の毛並みの、とても賢い子なんです。名前は『ラウル』っていうんです……」
(ラウル!? 俺、猫になったの!?)
ラウルは思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「それで、地下水路の鍵を貸していただけないでしょうか……お願いします……」
エミリアは上目遣いで職員を見つめた。
「い、いや、しかし規則が……猫一匹のために鍵を貸し出すなんて前例が……」
職員が困惑していると、ラウルがタイミングよく割って入った。
「お嬢様……諦めましょう。ここの方も規則があるんです」
わざとらしくエミリアの肩に手を置き、彼女の背を職員に向ける。そして、職員に小声で話しかけた。
「実は……その猫なんですが、旦那様が亡き奥方様の形見としてお嬢様に贈られた、大変思い入れのある猫でして……」
(亡き!? お母様、生きてるわよ!?)
エミリアは背を向けたまま、必死で笑いを堪えた。
「もしこの猫が見つからなかったとなれば、旦那様がどれほどお嘆きになるか……」
職員の顔が見る見る青ざめていく。
「それに、お嬢様のデビュタントを一年遅らせたという噂はご存知でしょう? 旦那様は、お嬢様をことのほか可愛がっておられるのです」
「──っ!」
職員は冷や汗を拭いながら、ぶるぶると首を振った。
「わ、分かりました! 特別ですよ、特別! ただし、今日中に必ずお返しください!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
エミリアは涙目から一転、満面の笑みで鍵を受け取った。
管理局を出ると、二人は顔を見合わせて吹き出した。
「俺が猫!? しかも茶色の毛並み!」
「亡き奥方様の形見って! お母様、元気に朝食食べてたわよ!」
「だって、どうせならもっと感動的な話にしないと説得力ないだろ? それに君、演技上手すぎ……あの涙、どうやって出したんだ?」
「内緒」エミリアは鍵をラウルの目の前で揺らしながら、いたずらっぽく笑った。
「……それにしても、家門を貶すくせに、家門をダシに使うなんてな」
「使わなきゃ損でしょ? それに、血脈制度は嫌いだけど、お父様の名前は便利だもの」
「たしかに……でも俺、猫じゃないからな」
「ごめんね。でも、茶色の毛並みの賢い猫って、ラウルにぴったりだと思わない?」
「全然思わない」
ラウルは呆れた表情でため息をついたが、その口元はわずかに笑っていた。
「さ、行きましょう。『ラウル君』を探しに」
「やめろ、その呼び方」
二人は笑いながら、東の橋へと向かった。背後で、管理局の職員が「無事に猫が見つかるといいが……」と心配そうにつぶやいているのが聞こえた。
(ごめんなさい、職員さん。でも、これも大切な調査のためなのよ)
エミリアは心の中で謝罪しつつ、地下水路への入口を目指した。
東の橋の袂で、エミリアは管理局から借りた鍵で鉄格子の錠を開けた。きぃ、と重い金属音が響き、格子がゆっくりと開いた。
「……本当に入るんだな」
ラウルが深呼吸をする。エミリアは不敵に笑った。
「なによ、今更怖気づいた?」
「まさか。ただ、何が出るか分からないからな。こういう所ってスライムとか棲みついてたりするし」
「大丈夫よ。マチルダの屋敷の地下も無事に探索できたじゃない。それに、私たち結構息が合ってるわよ」
「まあ、そうだな……でも、何が出ても、すぐ逃げられるように準備はしておこう」
「ええ。行きましょう」
二人は、ラウルが魔法で灯した淡い青白い光球を先頭に、暗闇の中へと足を踏み入れた。
石段を降りると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。地下水路は思ったよりも広く、天井は大人が背筋を伸ばして歩ける高さがある。壁は古びた石造りで、所々に苔が生え、湿気が漂っていた。
「うわ……本当に地下水路だ」
エミリアの声が反響する。床の中央には水路があり、静かに水が流れている。
「古代にこんな水路を造る技術があったんだな」
ラウルが壁を撫でながらつぶやく。
「でも……思ったより平和ね」
「ああ。魔物の気配もないし、罠もなさそうだ」
二人は慎重に奥へと進んだ。分かれ道に差し掛かるたび、ラウルがチョークで壁に矢印を描いた。
「こうしておけば、帰り道が分かる」
「賢いわね」
しかし、進めど進めど何も起こらない。ただ延々と続く石造りの通路と、水が微かに流れる音だけだった。
「……なんか、本当に何もないな」
「そうね……『彷徨う鎧』の痕跡も見当たらないし」
二人は顔を見合わせた。
「もしかして、空振り?」
「いや、まだ分からない。もう少し奥まで行ってみよう」
さらに奥へ進むと、水路の幅が広がり、天井も高くなった。ここは古代の貯水槽だったのかもしれない。水面が静かに揺れ、光球の光を反射している。
「広いわね……でも、やっぱり何もない」
エミリアが周囲を見回していると、ラウルが壁の一角を指差した。
「待って。あれ、見て」
壁の下部に小さな穴が開いていた。人一人がやっと通れるくらいの大きさだ。
「これ、何かしら?」
「排水路か何かじゃないか? でも……」
ラウルは光球を穴に近づけた。すると、穴の向こうに階段のようなものが見えた。
「階段? 地下水路のさらに下に何かあるのか?」
「行ってみましょう」
「エミリア、危険かもしれないぞ」
「でも、せっかくここまで来たんだもの。少しだけ覗いてみましょう」
二人は穴をくぐり、狭い階段を降りていった。階段は螺旋状に続き、やがて開けた空間に出た。そこは──
「これは……」
二人は息を呑んだ。
地下水路よりもさらに古い、石造りの通路だった。しかし、石の組み方が水路のそれとは明らかに違う。隙間なく精巧に積み上げられた石は、現代の技術では再現困難なほど精密だ。
「マチルダの屋敷の隠し通路と同じ雰囲気だわ……」
「ああ。あの時と同じ、古代の遺跡だ。王都創生期……いや、それよりもっと前に作られたやつだな」
ラウルが壁を撫でる。石は冷たく、しかし何か不思議な存在感がある。
「こんなものが王都の地下に……数千年前の技術だなんて信じられないわ」
エミリアは興奮に震えながら奥へと進んだ。
通路を進むと、突然ぬるりとした半透明の塊が姿を現した。
「スライム!?」
エミリアはすかさず短剣を抜く。それは犬ほどの大きさの、ゼリー状の生物だった。体内には小石や木片が浮遊しており、微かに脈動している。
「落ち着いて。スライムは動きが遅い」
ラウルが杖を構え、短い詠唱を始めた。
「炎よ、矢となりて──ファイアアロー!」
小さな火の矢が放たれ、スライムの中心を貫いた。ジュッという音とともにスライムの体が蒸発し、黒い煙を上げて消滅した。
「やった!」
「でも、油断するな。他にもいるかもしれない」
さらに奥へ進むと、今度はチューチューという鳴き声が聞こえた。
「何の音?」
「……ネズミか?」
通路の角から、巨大なネズミが姿を現した。体長は猫ほどもあり、鋭い牙を剥き出しにしている。
「うわ、でかっ!」
エミリアが短剣を構えると、巨大ネズミが飛びかかってきた。エミリアは咄嗟に身を翻し、ネズミの脇腹に短剣を叩き込む。
「キィー!」
ネズミが悲鳴を上げて倒れた。
「エミリア、後ろ!」
ラウルの声に振り返ると、もう一匹の巨大ネズミが襲いかかってきた。エミリアは短剣で受け止めるが、ネズミの力は強い。
「くっ……!」
エミリアは渾身の力で押し返した。ネズミがエミリアから離れた瞬間──
「今だ──ファイアアロー!」
ラウルの火の矢が二匹目のネズミを貫き、ネズミは焦げた匂いを放って倒れた。
「ふう……ありがとう、ラウル」
「どういたしまして。でも、この先にまだ何かいるかもしれない」
「ええ。慎重に行きましょう」
通路の奥には小さな空間が広がっていた。そこで、二人は天井から何かが降りてくるのを見た。
「蜘蛛だ! でかいぞ!」
それは人間の胴体ほどもある巨大な蜘蛛だった。八本の脚は鋭い鉤爪で覆われ、複眼が不気味に光っている。
「まずいな……あれは強そうだ」
「逃げる?」
「いや、通路が狭い。逃げ切れないかもしれない」
巨大蜘蛛は二人の姿を捉えると、ゆっくりと近づいてきた。エミリアは短剣を構え、ラウルは杖を握りしめる。
「目を狙うわ」
「分かった。俺がサポートする」
蜘蛛が前脚を振り上げた瞬間、エミリアは短剣を投げた。刃は蜘蛛の複眼の一つを貫き、蜘蛛なのにギィーと軋むような鳴き声を上げる。
「今よ、ラウル!」
「任せろ──ライトニングアロー!」
雷の矢が蜘蛛の胴体を直撃。蜘蛛は痙攣し、やがて動かなくなった。
二人は肩で息をしながら、その場に座り込んだ。
「……やったわね」
「ああ。でも、思ったより疲れた」
「私たち、結構やるじゃない」
エミリアは疲れながらも、達成感に満ちた表情だ。ラウルも笑った。
「まあ、息は合ってるからな」
「でしょ? だから言ったじゃない」
二人は再び立ち上がり、慎重に通路を進んだ。
エミリアは周囲を見回しながら考えていた。
(マチルダの屋敷の時、私には床の傷が光って見えた。もしかしたら、ここでも何か見えるかもしれない……)
エミリアは目を閉じ、心の中で願った。
(古代のものであれば……何か見えないかしら。お願い、私たちを案内して!)
目を開けた瞬間──
「──!」
エミリアの息が止まった。
通路の床に、淡い光の線が浮かび上がっていた。まるで誰かが道筋を示すように、光の線は奥へ奥へと続いている。
「ラウル、こっちよ!」
「え? どこに?」
ラウルは首をかしげた。彼には何も見えていない。
「床に光の線が見えるの。ついてきて!」
エミリアは光の線をたどって走り出した。ラウルは困惑しながらも、彼女の後を追った。




