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「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
覚醒編

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第12話 氷の微笑み

 研究所訪問からしばらく経った、ある朝。エミリアの部屋に、アンナが嬉しそうな顔で飛び込んできた。


「お嬢様、アルディス伯爵家からお手紙が届いております!」


 差し出された封筒は、上質な紙に美しい筆跡で宛名が書かれ、蝋封されていた。エミリアが封を切って読むと、それは夜会への招待状だった。


「あら、クラウディアの婚約者の方からね」


 アルディス伯爵家の次男カーレルは、クラウディアが夢中になっている相手だ。デビューを終えたばかりのエミリアにとって、こうした正式な夜会への積極的な参加は、社交界の一員として欠かせない礼儀でもある。


 もっとも、今回の夜会は若い子女を中心とした気楽な集まりらしく、招待状にも気軽に来訪してほしい旨が記されていた。


「それで、エスコートはどうなさいますか?」


 アンナの問いに、エミリアは眉を寄せた。


「お父様は体面のために誰かをつけようとするでしょうけど、知らない方なんて絶対嫌よ」


 ラウルは勉強仲間として頼りになるが、貴族ではないためエスコートはできない。


 ふと、エミリアの脳裏に、あの知的で穏やかな青年の顔が浮かんだ。


(そうだ、あの人なら……)


 その日の午後、エミリアは『賢者の書房』を訪れた。店の奥にある閲覧スペースには、期待通り、古い書物に没頭するジルの姿があった。


(いつもいらっしゃるわね。日課なのかしら? まあ、嬉しいけど)


「こんにちは」


 声をかけると、ジルは顔を上げて微笑んだ。


「やあ、エミリアさん。今日はどのような本を?」


 エミリアは勇気を振り絞り、本題を切り出した。


「実は……あの、もしご迷惑でなければ、お願いしたいことが」

「どのようなことでしょう?」

「実は明後日、アルディス伯爵家の夜会にお招きいただいているのですが、エスコートを……もしお時間がございましたら」


 その瞬間、ジルの表情がわずかに揺らいだように見えた。それは驚きなのか、それとも喜びなのか。あいわらず、彼の表情の下までは読み取れない。


 だか、やがて彼は優しく目を細めた。


「光栄です。ぜひ私にエスコートさせてください」  

「本当ですか? ありがとうございます。きっと楽しい夜会になりそうです」


 あまりにもあっさりとした快諾に、エミリアは拍子抜けしたが、思わず頬が緩んだ。



   ◇ ◇ ◇



 夜会当日の夜、アルディス伯爵家の邸宅は華やかに彩られていた。無数の蝋燭が灯されたシャンデリアが優雅に輝く大広間に、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが集っている。楽団の優雅な調べが響く中、人々はダンスや談笑に興じていた。


 エミリアはジルにエスコートされ、会場に足を踏み入れた。淡いブルーのドレスが蝋燭の光を受けて真珠のように輝き、謎めいた美貌のパートナーと共に現れた侯爵令嬢に、会場の視線が自然と集まった。


「あら、あちらはテルネーゼ侯爵家の……」

「『二つ持ち』の噂の御方ね」

「お相手の男性は……どなたかしら?」


 ささやき声が聞こえる中、エミリアは会場を見回した。


(あれ? クラウディアはいないのかな……?)


 今夜の主催者であるアルディス家の次男カーレルは、大勢の取り巻きや令嬢たちに囲まれ、楽しげに談笑していた。その容姿端麗な姿は、まさに物語に出てくる王子様のような男性だ。あれは凄いね。クラウディアが落ちるはずだ──エミリアは思わず息を呑んだ。


 感心したようにカーレルを眺めていた、その時だ。カーレルが近くの令嬢の耳元で何やら囁き、令嬢が頬を赤らめて「まあっ!」と嬌声を上げたのが見えた。


(たしかにお顔立ちは素晴らしいけれど……婚約者がいるのに、あの振る舞いは何なの?)


 その軽薄さに、エミリアは呆れたような表情で眉をひそめた。


「あまり良い気分ではありませんね」


 気遣うように、ジルが静かに声をかけてきた。


「ええ、正直なところ……」


 エミリアが小さくため息をつくと、ジルは優雅な所作で手を差し出した。


「でしたら、まずは私といかがですか?」


(まずは主催者のカーレル様へ挨拶に行くべきなんでしょうけれど……ま、いいか!)


 エミリアは微笑んで彼の手を取った。


 ワルツが始まると、ジルのエスコートは驚くほど自然だった。ラウルとの練習では、お互いに手探りで、時には足を踏み合うこともあったが、ジルは違った。まるで彼女の動きを先読みするかのように、優しく、確実にリードしてくれる。


「お上手ですのね」

「あなたが素晴らしいパートナーだからですよ」


 エミリアの賛辞に、ジルは謙遜の微笑みを返す。彼の手は温かく、力強いのに決して強引ではない。エミリアは自然と身を委ねている自分に気づいた。ラウルとのぎこちない練習とは全く違う、大人の男性に導かれる安心感があった。


(ダンスって……こんなに心地良いものなのね)


 音楽に合わせて回転する瞬間、エミリアはほんの少しめまいを覚えた。それがダンスのせいなのか、それとも……


「大丈夫ですか?」


 ジルの気遣う声に、エミリアは我に返った。


「ええ、とても……素敵でした」


 ワルツが終わると、二人は会場の端へ移動した。給仕から飲み物を受け取り、一息入れる。


 しばらくして、カーレルがエミリアの存在に気づき、こちらへ向かってきた。


「はじめまして、エミリア様とお見受けいたします。アルディス家のカーレルでございます」


 彼は優雅にお辞儀をし、ダンスを申し込んだ。ジルは静かにうなずき、二人を送り出した。


 ワルツが始まると、カーレルは甘い声で囁き始めた。エミリアに添えた指先は必要以上に近く、境界を試すその感触に、彼女の身体がわずかにこわばる。


「『二つ持ち』の血脈をお持ちとは、まさに神に愛された方ですね」

「そのような……」

「我が家でも、優秀な血脈を持つ令嬢をお迎えしたいと常々思っておりまして」


(──!?)


 エミリアの表情がわずかに曇る。


「わたくしの血脈について、ずいぶんとお詳しいのですね」


 エミリアの声に、わずかな冷たさが混じる。それに気づく様子もなく、カーレルは言葉を続けた。


「もしよろしければ、今度改めて、二人でゆっくりとお話でも……」

「あの、カーレル様」


 エミリアはワルツのステップを止め、彼の瞳をまっすぐに見つめた。

 唐突な停止に、周りで踊っていた者たちも何事かと動きを緩める。


「素敵なお誘い、本当にありがとうございます」


 エミリアの声は氷のように澄んでいた。


「ですが、あなたには、わたくしの大切な友人であるクラウディアという婚約者がいらっしゃるのではなくて?」


 カーレルの顔が見る間に青ざめた。周囲もこちらの様子を窺い、ざわめきが広がる。


「そ、それは……まだ正式には……」

「正式でなければ、他の女性を誘っても構わないと?」


 エミリアの声は静かだったが、拒絶の響きは固く冷たかった。


「正式でなくとも、婚約者がおられる殿方と二人きりで会うなんて。恐れ多いですわ」


 エミリアは優雅に一礼すると、冷ややかな微笑みを浮かべた。


「大切な婚約者様へ、よろしくお伝えくださいませ」


 その言葉を残すと、彼女は踵を返し、ジルの元へ戻った。


「お疲れ様でした。素晴らしい対応だったと思いますよ」

「でも、少し騒ぎになってしまって……」

「正しいことを言っただけです。恥じることはありません」


 二人はそのまま会場を後にし、馬車に乗り込んだ。  馬車の中でジルが穏やかな笑みを向ける。


「それに、あそこで適度に留めたのも良かったですね」

「え?」

「彼をあの場で徹底的に非難しても、何も良いことはありません。逆恨みされるかもしれませんし、賢明な判断でした」


 エミリアの表情が、ほっとしたような、少し悪戯っぽいものに変わった。


「本当は、もっと言ってやりたかったんですが」


 二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。


「でも、きっと効果はあったはずです。周りの者たちも見ていましたから」

「そうですね……クラウディアの耳にも届くかもしれません」


 エミリアは窓の外を流れる夜景を見つめながら、静かにつぶやいた。


「クラウディアが可哀想……あんなに彼のことを慕っているのに」

「あなたのような友人がいて、クラウディアさんはお幸せですね」


 しばらくの沈黙の後、エミリアは口を開いた。


「血脈や家格だけの関係なんて、やっぱり間違ってると思うの」


 エミリアはジルをまっすぐに見つめる。


「私の大切な人たちが、あんな扱いを受けるのは絶対に許せない」

「あなたの信念は、きっと多くの人を救うでしょうね」


 ジルの優しい言葉に、エミリアの頬がわずかに染まった。


「今夜は本当にありがとうございました」


 馬車が侯爵家の門前に着くまで、二人の間には穏やかな時間が流れた。

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