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最強だけどカスでごめん 〜暴虐の魔女、千年ぶりに目覚めて神を滅す〜

作者: 芹沢政信


 1


「余がなぜ最強と呼ばれているか、貴様にわかるか?」

「くそっ……! さては幻術を使っているな!」


 鎧を着た騎士の剣が、すかすかと空を切る。

 その一方で、銀髪の男は相手の首根っこを乱暴につかんだ。


「防御結界を打ち破り、不夜城に侵入したことは褒めてやろう。しかし〈聖域〉の魔法に守られたこの身体は、何人たりとも触れることはできぬ。……幻だと思ったか? 残念だったな、ちゃんと実体はある。だからこうして一方的にいたぶることができるのだ」

「おのれ、ゲシュペンストッ!」


 豪奢な広間に、騎士の絶叫が響きわたる。

 ゲシュペンストは高笑いをあげながら、古ぼけた本を開く。


「ははは! 素晴らしい! これが暴虐の魔女が遺した禁呪の力か! グリモアに記された暗号のすべてを解読することができれば、余が神々の頂点に立つ日も近いな!」

「他人の魔法をパクってイキるとは、雑魚にもほどがありますね」


 ぎょっとして振り返る。

 暗がりからコツコツと、足音が近づいてくる。


 ――少女。

 サファイア色の鮮やかな髪。ルビーのように真っ赤な瞳。 

 白と紺を基調にした制服は、隣国エレドアの名門校のものだ。 

 数十年前に女生徒をさらって犯したことがあるから、よく覚えている。


「不夜城のお料理は美味しいと聞いていたのですが、骨つきチキンが絶品ですね」

「まさか食堂からくすねてきたのか? おかしな女だ」


 ゲシュペンストは笑う。

 防御結界を破ってきたわりに手応えがないと思っていたが、納得がいった。


「さては貴様も千年前に滅ぼされた神々の生き残りか。女学生の肉体に宿るのはいい趣味をしているが、人間に飼われるというのは嘆かわしいな。暴虐の魔女がどうなったのか、知らないわけではなかろうに」


 蛮神ハングーレの娘である彼女は、愛する人間のために神々を滅ぼした。

 しかし最後は守ってきた恋人や民に裏切られ、失意のうちに封印されたのである。


「千年前のことですから、よく覚えていませんね」


 少女は食い終わったチキンの骨を投げてくる。

 頭にこつんと当たり、怒りを覚えた。


「いい度胸だ。時間をかけてゆっくりと――」


 待て。

 なぜ今、骨が。


「術式の構築が甘い」

「ほげっ!」


 グーで殴られた。速い。

 いや、それよりも。

 

「存在の座標をずらすだけだと、相手も同じ術を使ってきたら意味なくなるじゃないですか。やるならリアルタイムで座標を動かし続けないと。ほらこうやって」


 また、殴られる。

 防ごうとしても、小さな拳がするっと貫通して顔面を強打されてしまう。


 馬鹿な。

 こんな真似ができるのは。


「私がなぜ最強と呼ばれていたか、あなたにわかりますか?」


 あのときと同じ、邪悪な笑み。

 こいつは人間に憑依した我々の同胞ではない。

 千年もの長きにわたり生き続けた、裏切りの神。


 ――暴虐の、魔女。 


 ◇


 時は数週間前まで遡る。

 王都ナラシカ中央区、ハングーレ宮殿。

 その地下にひっそりと隠された、太古の牢獄。


「君に頼みがある。暴虐の魔女」

「私は寝ているところを叩き起こされるのが一番嫌なのです」


 そう言いながらも、魔女はもそもそと起きあがった。

 ただの人間なら首を刎ねているが、愛しい王様が相手ならば話は別だ。


「封印されてざっと千年。しかしその美しさは変わらないようだな」

「今のひとことで少し機嫌が直りましたよ。レイド様」

「君が大好きなアップルパイを焼いてあげよう。もちろん当時のレシピのまま」

「ふっ……。私はそんな餌で釣られるほど安い女ではありませんが、あなたがどーしてもとおっしゃるなら力を貸してあげるのです。よっこらしょいっとな――うわっとっと!」

 

 千年ぶりに立ちあがったのでよろけてしまった。

 あわやすっ転びというところで、愛しの王様がそっと抱きよせる。


「暴虐の魔女のわりにそそっかしいな。おまけに軽いし、折れてしまいそうなほど細い」

「口説いているように聞こえますね。さては寄りを戻したいのですか」

「君は勘違いしているようだが、俺はレイド・バラシャークではない」

「え……?」

「千年も眠っていたのだからな。とっくの昔に死んだに決まっているだろ」


 愛しい王様とそっくりの男は、魔女にこう言った。


「俺はカルド・バラシャーク。お前が振った王様の、子孫だよ」


 ◇


「うおおおおんっ! ふえええっ! うわああああん! なぜです! なぜ死んでしまったのですう! 私を置いて! 先に逝ってしまうなんてええええっ! あんまりだあああっ!」


 宮殿の奥。レイド王の眠る墓所に招き入れると、魔女はわんわんと泣きだした。

 封印を解いた子孫として、カルドは淡々と説明する。


「君がお寝坊さんだからだよ。罰を受けて封印されて、それが解かれてもスヤスヤと」

「そういうことじゃない! 貴様、この責任をどうやって取る!」

「落ち着け。ご先祖様と顔がそっくりの俺が選ばれたのはそう、つまり」

「別人じゃん。私のホクロの位置、当てられるのかよお前」

「君とレイド王の間にそういうイベントはなかったと言い伝えにはあるが」


 魔女はぐっと黙りこむ。

 小さな身体がいっそう小さく見えてくる。

 相手がおとなしくなったところで、カルドは古めかしい巻物を取りだした。


「これは〈封神目録〉――君が退治した神々とその眷属のリストだ。暴虐の魔女が成した偉業があってこそ、今日までにいたる人間の繁栄がある。一族を代表してあらためて礼を言おう」

「あー? よく覚えていませんが父上の名前もありますね。やっちまったか、彼氏に頼まれて」


「しかし彼らは強大な存在ゆえ、君の力をもってしても完全に滅することはできなかった。千年の歳月をかけて甦り、魂のみの状態となって人間に憑依している」

「つまりそいつらが悪さをしているから、見つけて退治してくれと」


「話が早くて助かる。今度こそ終わらせてくれ、古き神々との戦いを」

「めんどいから嫌なのです。レイド様がいないのなら、もっぺん寝てそのまま死にます」

「そうか……。ならば無理強いはできまい」

「でもせっかく焼いてくれたのですから、アップルパイだけは食べておきましょう」


 ◇


 広々とした食堂。皿の上には焼きたてのアップルパイ。

 魔女はキラキラと瞳を輝かせてフォークを入れていく。


 優しげな笑みを浮かべつつ、カルドは薬指を立ててみせる。

 銀色に輝く、飾り気のない指輪。


「それは……呪物ですか? 禍々しい力を感じるのです」

「さすがは魔女だね。これは我々が千年かけて作りあげた、この世でもっとも強大な楔」

「指輪に見えるのですが」

「ふたつでひとつの道具なのさ。ところでアップルパイ、美味しい?」

「はい――うぐっ!」


 喉のあたりを押さえ、うずくまる魔女。

 高らかに響きわたる、カルドの哄笑。


「はっはっは! こうも簡単に罠にかかるとは、案外チョロいな魔女よ!」

「さては貴様……ぐぐぐ!」

「アップルパイの中に楔を仕込んだ。俺の命令に背けば、この指輪を介して鋭い棘が出る。痛いだろう。呪詛をたっぷり込めてあるからな」


「俺はレイド王のように甘くない。古き神々に父を殺され、母はその身を乗っ取られてしまった。今では敵国のお妃様だ。なぜそうなったのかわかるかい、暴虐の魔女」


 カルドはギラついた目で言った。


「君がちゃんと、責任を果たさなかったからだよ」

「ぐううえええ! おのれ! 可愛い女の子になんたる仕打ち!」



 ◇


 そんなわけでエレドア王立騎士団とともに、ゲシュペンストを退治してきた。

 手柄を取られたくないのか若い連中が我先にと不夜城に乗りこんでいって大変だった。弱いくせに無茶をするから死ぬのだ。地獄で反省しとけ。


 人間を依代にして蘇った〈悪神〉と呼ばれる者どもは、魔物でたとえるならSSS級相当の強さを持つ。しかも時間が経つごとに肉体が神に近づいていき、やがては封印される前と同等の不滅の存在になってしまう。

 そうなったら頭にSを何個つけても足りない『化け物』の完成だ。


 ただ、完全体になる前であれば魂ごと消滅させることができる。

 そのときはまだ神ではなく『人』にすぎないからだ。


 つまり早めの処理が大事。

 ゲシュペンストのように「余は神なり」とはしゃぎながら悪さする馬鹿は楽なほうで、厄介なのは人間の身分を隠れ蓑にしながら着実に力を取り戻していくタイプである。

 

 もちろん暴虐の魔女である自分ならば神同士の戦いになっても遅れを取ることはないが、千年前にやり残した宿題を片づけるのなら封印ではなく滅殺を狙っていくべきだろう。

 それに、人であるうちに母を殺してくれというのがカルドのセンチメンタルなお願いだ。


 若くして玉座についたレイド様と異なり、あのカス男は今のところ次期国王候補というだけの王子様である。いずれは親の『敵』を討つべく戦争を仕掛けるにせよ、まずは国内に潜む害獣駆除からはじめよというのが、彼の叔父であり摂政でもあるレイノルズの言い分だという。

 

「ただいま戻りました。お兄様」

「早かったね。喉の調子はどうだい」

「おかげで今でも魚の骨が引っかかったときのような痛みを感じております。お望みどおり隣国で悪さしているゴミムシをぺちんと潰してきたわけですが、『ありがとう』だとか『よくやったね』だとかの言葉はないのでしょうか?」

「当然の義務を果たしたくらいで感謝しろとは、厚かましいにもほどがあるな」

「そりゃあ今の私は、お情けで王宮入りを認められた庶子の娘ですもの。魔法の才能があるから汚れ仕事に使ってやろう。そう言って大臣どもを説得してくださって助かりました」


 カルドは書斎のテーブルに〈封神目録〉を広げると、ゲシュペンストの名が記されたところに羽ペンでバツの印をつけた。

 リストの中では末席も末席。

 それでも人間どもにとっては国を傾かせる程度の脅威にはなる。

 だったらもうちょい感謝してくれてもいいのにな。ケチが。


 内心で毒づいているとカルドが近づいてきた。


「ご褒美はなにがいい。頭を撫でるか、それともキスか」


 王様は微笑みながら、優しくあごをくいと持ちあげてくる。

 やめろ! レイド様と同じ顔だと――。


「あばばばばば」

「冗談だよバーカ。チョロすぎてつまらないな君は」

「乙女の純情もてあそびやがって! 鬼か貴様!」

「腹違いの妹という設定なのに手を出すかよ。アーシャという名前に慣れたかい?」


 返事の代わりに舌打ちする。

 お兄様(偽)は制服姿の暴虐の魔女あらためアーシャ・バラシャークを見て、


「学校に行ってないと聞いたけど」

「だってめんどいじゃん。いだだだ――喉やめろ喉! ちゃうねん理由があるねん。だからちょっと聞いてほしいな可愛い腹違いの妹の話を」


 カルドが指輪に魔力をこめるのをやめたので、アーシャは気恥ずかしそうに言った。


「十代の若者とどう会話したらいいのかわからないのです」

「安心しろ。君は幼いころに母親からも捨てられ、残飯を拾い食いしながら生きてきた庶子の娘だ。貴族が通う学校にいれば間違いなく浮くし友人だって作れるわけがない。そもそも誰も話しかけてこないから休み時間は読書するか寝たふりするかして過ごせ。ああ、間違っても騒ぎだけは起こすなよ。なんかやったら『おげげ』と汚え声を出しながら喉を押さえてのたうちまわるヤバい女にランクアップだ」

「だから学校に行きたくないわけですが!?」


 涙ぐんで訴えかけるとカルドは面倒くさそうにため息を吐いた。


「仕方ない、明日は一緒に登校しよう。俺がそばで守ってやる」

「ええ……!?」


 まさかの展開。千年前に夢見たスクールライフがこんな形で実現するとは。

 ちくしょう。

 このカス男がレイド様であれば、私は泣いて喜んだというのに。 


 2


 聖ランス学園。

 エレドアのみならず周辺諸国から留学にやってくる令息令嬢も多いという、名門中の名門校。

 家柄だけでなく魔力の素質もなければ入学を許されないとあって、黄金色の竜が形どられた校門をくぐる生徒たちはみな気品と自信に満ちあふれている。


 しかしその中にあっても、カルド・バラシャークは別格だ。


 エレドア剣闘大会優勝 最年少記録保持者。現在三連覇中。

 国際魔法技能検定 最高得点者。通算五回。

 冒険者ランクS 前年度『討伐数』『遺物発見数』『迷宮踏破数』三冠。

 聖ランス学園 現生徒会長。

 

 極めつけは、次期国王候補筆頭。

 一般市民はおろか貴族の子にとっても、その存在は『神』に等しい。


「きゃあああ! カルド様あああ! こっちを見てええ!」

「朝から拝めるだなんて、今日はなんて運がいいのかしら!」

「わたくし、もう死んだっていい……」


 通りすぎるだけで失神する女生徒もいた。恐ろしいカリスマ性である。

 とはいえ、レイド様と同じ顔なのだから驚くほどではない。

 外向けの笑顔を振りまいているせいで、アーシャでさえ油断するとときめいてしまいそうになる。

 

「カルド様、そちらの可愛らしいお嬢さんは?」

「僕の腹違いの妹、アーシャだ。どうか仲良くしてやってくれ」

「まあ、あなたが噂の……。苦労なさったと聞いております。なにかあれば力になりますので、わたくしたちを姉と思ってぜひお頼りくださいませ」

「は、はひ」

「御髪がサファイアみたいに綺麗で、羨ましいですわ」

「手足がすらりと長いから、お人形さんが歩いているのかと思いました」

「さすがはバラシャークの血筋。絵に描いたような美少女ですわね」


 すごい。めっちゃ褒めてくれる。

 なんだよ、みんな優しいじゃん。

 良家のお嬢様なんて性格ブスしかいないと思っていたけど、誤解だったかも。


 ◇


 ズタズタに引き裂かれた教科書。

 机に『死ね』『ビッ✖️』『クソ女』などの殴り書き。

 靴入れにネズミの死体。画鋲。トイレの雑巾。

 ピカピカの鞄はご丁寧に泥でべちょべちょにされたあと、ゴミ箱にイン。


 匿名のファンレターもいっぱい。


 カルド様の妹だからって勘違いすんじゃねーぞ、どブス。

 次に色目を使ったら目ん玉えぐるからなボケ。

 庶子のくせに調子のりやがって。体育館裏にこいや。


 ◇


「嫌がらせがすっごいんですが!?」

「ははは。子猫ちゃんたちは行動がわかりやすいから助かる」


 カルドはめちゃくちゃ楽しそうに笑っている。

 さては最初から狙っていやがったな。


「放課後に誰もいない生徒会室に呼びだしたのは、君の反応を見たかったから……ではない。学園での立ちまわりについて、伝えておきたいことがある」

「というと?」

「そのまま底辺スクールライフを送ってくれ。村を焼かれた農夫みたいな顔で」

 

 どんだけ私のことが嫌いなんだこいつは。 

 しかし詳しく聞いてみると学園で虐げられなければいけない正当な理由があった。

 救いがたいことに。


「連中は依代にする人間を選んでいる。魔法使いとして優秀であればあるほど、魂が馴染むのが早くなるからだ。効率を考えて途中で鞍替えする〈悪神〉も珍しくないらしい」

「だとすれば、真っ先に狙われるのはお兄様なのでは?」

「やれるものならやってみろと言いたいところだな。神であろうと魂の防壁を突破するのは容易なことではない。だから基本的に弱っている者を狙う。……母上なんてまさにそうだったよ」


 なんとなく話が見えてきた。

 優秀な若者ばかりが集められた聖ランス学園は、いわば依代の見本市だ。

 どこに〈悪神〉が潜んでいたって不思議はない。


「君は焼きたてのアップルパイさ。魔法の才能を買われて王宮入りした、可哀想な庶子の娘。嫌がらせがエスカレートすればそれだけ、美味しそうな匂いが漂ってくるだろう」

「罠を張るのがお上手ですこと」

「見かねて優しく声をかけてくるやつを真っ先に疑え。良家のお嬢様なんて大抵は性格ブスだし、お坊ちゃんは君のような下賤の娘に好意を抱いたりしない。乳がでかいなら別だが」


 殴ってやろうかと思った。


「私の顔を覚えている可能性は?」

「君が暴虐の魔女として暴れていたのは千年前の話だ。滅ぼされたあとは擦りきった魂のまま封印されていたわけだから、ほとんどの神は忘れている。消し飛ばされる直前に、思いだすことくらいはあるかもしれないが」


「了解なのです。しかし誰も信用できないとは、せっかくのスクールライフが台無しです」

「俺は生まれたときからそうだったから気にならないな」

「だから性格が歪んでしまわれたのですね。お可哀想に」


 カルドは笑いながら言った。


「君は素直なままでいてくれ。騙されて怒っているときの顔が一番可愛いから」

「そう言われて喜ぶとでも?」

「喜んでいるじゃないか」


 アーシャは相手をにらみつける。

 本当に本当に、憎らしい顔だ。



 3


 夢は甘美な猛毒だ。

 現実が救いがたいほど、懐にそっと忍びこんでくる。


「珍しいね。本を読んでいるのかい」

「レイド様。大衆小説もこれはこれで意外と面白いですよ。とくに学園を舞台した女子向けの恋愛小説は神である私ですらきゅんきゅんしてしまいます。世界が平和になったらふたりで登校とかしてみたいですね。これは暴虐の魔女からのささやかなお願いです」

「覚えておこう。しかしせっかく君に会いに来たのに、可愛い顔が見れないのは残念だな」


 暴虐の魔女は本をぱたんと閉じる。


「またそうやって私を困らせようとしていますね。気が散って読めなくなりました」

「お詫びをしよう。頭を撫でてほしい? それともキスかな」

「ふふふ。両方」

「じゃあおまけにアップルパイも焼いてあげよう。僕しか知らない、秘伝のレシピで」

「中に婚約指輪を入れてくださるなら、なお嬉しいのです」

「それも覚えておこう。君が忘れたころに叶えてあげるよ」


 ◇


 カルド・バラシャークは目を覚ます。

 ……前世の記憶というやつか。ふざけやって。


 部屋に飾られた鏡。そこに映しだされた自分の姿を見る。

 この身体は俺のものだ。すっこんでいろ、ご先祖様。


 そしてあの女も、俺だけのものだ。


 ◇


「ふひひ。レイドさまあ……。ちゅっちゅ。ちゅっちゅしてくだはあい……」

「おいそこ! なにをブツブツ言っている!」

「私じゃないです。私じゃないですよ?」


 周囲の視線を感じて我に返る。退屈すぎてトリップしてしまった。

 朝も早いうちから全校生徒が校庭に集まって魔法技能のテストとは。


 試験官のサルバンは眉間にしわを寄せたまま、順番が回ってきた上級生に視線を戻した。

 カルド・バラシャーク。

 自分よりはるかに格上の使い手を採点しなければならないとは、あの教師の心中も複雑だろう。アーシャはあくびをしながら、成り行きを見守る。


「――我が求めに応じ、姿を現せ。もっとも気高く、そして古き者よ」


 頭上から稲光。

 誰もがはっと顔をあげると、雲の狭間から巨大な竜が顔を出した。

 虹色に輝く鱗。魔物ではない。

 あれは自然のエネルギーを実体化させた『大精霊』だ。


 歓声があがる。

 心底うんざりしたように、アーシャは呟く。


「お前がやれよ、神様退治」


 もっとも国同士の戦争となれば、前線に立つつもりではいるのだろうが。

 害虫駆除は、腹違いの妹に丸投げというだけで。


 やがて上級生のテストが終わり、アーシャの番が回ってきた。


「君が噂の新入生か。ひとまず一番得意な魔法を見せてみろ」

「みんな死にますけど、いいのです?」


 言った直後、喉に違和感。

 上級生の列に目を向ければ、カルドが笑みを浮かべたまま薬指を立てている。

 攻撃系はだめか。ならば仕方ない。


「では『やったかやらなかったか、わからなくなる魔法』を使います」

「なんだそれ」

「精神干渉系の術です。魂の防壁を突破するのは容易ではありませんが、すぐに意識からこぼれ落ちてしまうような記憶であれば例外的に操作することは可能です。――はい! どんどこどんのどん!」

「今のは詠唱か……?」

「なくてもいけますけどね。サルバン先生、今日は服を着てきましたか」


 サルバン先生はぎょっとして自分の姿を見る。

 もちろん全裸ではない。


「これが『やったかやらなかったか、わからなくなる魔法』でございます」

「君は教師をおちょくっているのか」


 はい! と元気よくお返事しようとしたところで、喉に猛烈な痛みが走る。


「うごおおげえええっ!」

「急にどうしたアーシャ君!? しっかりしろ! 誰か医務室に!」 

 

 ◇


「あっはっは! 君のところのお嬢さんは面白いなあ」

「こちとら笑いごとじゃねえんだよ。あの馬鹿、好き勝手やりやがって」


 腹を抱えて笑う同級生に、カルドはうんざりしたように返す。

 栗色の巻毛。女の子のように見えるが、れっきとした男。

 リーグレット。海を挟んだ向こうにあるダリアの第三王子だ。


「あの子は只者じゃないな。魔法はしょぼかったけど」

「そうか? 俺はぞっとしたよ」


 リーグレットはきょとんとしたような顔をする。


「お前は今日、服を着てきたか」

「……あれっ?」


 もちろん全裸ではない。

 本来なら、わざわざ確認するまでもないことだ。


「しょぼいと思うなら、あの場にいた全員に聞いてみろ」


 ◇


 その日からアーシャに対する嫌がらせはパッタリと止まった。

 全校生徒の前で汚え声を出しながら喉を押さえてのたうちまわった結果である。

 弱そうな女から触っちゃいけないやばい女にランクアップ。

 確かにこれなら、優しく声をかけてくるやつは疑ってかかったほうがいい。


 ◇


 本はぼっち女の味方だ。

 読書中だから話しかけるなよオーラを出すことで、クラスメイト全員からシカトしている事実から目を背けることができる。孤高は私が選択した結果であり、友達が欲しいのに初手でしくじったわけではない。

 

 そんなわけで放課後、図書室で本を見繕うことにした。


 千年前に読んでいた大衆小説は、今や古典として評価されていた。

 物語の中で描かれている学園生活は今とまったく異なるが、ヒロインの不遇な境遇については当時からあまり変化がない。だから余計に刺さったわけである。


 時が止まったような静寂。埃っぽい空気。酸化した紙の匂い。

 ああ、落ち着く。私はこのまま貝になりたい。


「うわああ! それっ! 遥かなるギースの空ですよね! しかも外伝!」

「どわっ」


 いきなり横からでかい声。

 赤毛の三つ編み。

 おとなしそうな風貌の女生徒なのに、目だけガンギマリで怖い。


「わかりますわかりますよお。そのシリーズの外伝は本編完結後にファンが書いたと思わしき二次創作なんだけど、展開や描写は拙いものの文章の節々から漂う原作愛が凄まじくて……ううーん! 神! あたしはとくにオリキャラのセリスが大好きでこの髪型も彼女を意識して」

「落ち着け」


 他人に落ち着けとはよく言われるが、他人に落ち着けと言ったのは初めてだ。


「ごめんごめん。急に語りだして気持ち悪いよね。でも同志を見つけたのが嬉しくって」

「気持ち悪いと言ったその口で同志とは」

「あなたはどのキャラが好き?」

「全員かな」

「浅いわね」

 

 喧嘩売ってんのか?


「ちなみにその外伝、図書館の蔵書だと巻がちょいちょい抜けてて展開がぶつ切りになっちゃうのよね。町の本屋で探しても見つからないし。もしかしたら昔この学園に通っていた生徒が趣味で書いたのかしら。そういうところも謎めいていて捗るわけ」


 そのあとでガンギマリ三つ編み娘は言った。


「あなた、噂のアーシャ嬢でしょ。バラシャークの力で抜けている巻を探してきてくれない?」

「初対面で要求だけ出してくるんですか? コミュニケーション下手すぎでは」

「じゃあ友達になってあげる。あなたもどうせぼっちでしょ」


 お前と一緒にされるの、すげー嫌。

 でも断るとあとで厄介なことになりそうな雰囲気をびんびんに感じる。


「わかりました。探しておきます」

「よっしゃ! あたしはイシア。先輩だからタメ口はやめてね」


 強引に手を握られる。

 これも『見かねて優しく声をかけてくるやつ』に入るのだろうか。


「イシアさん。あなたは今日、服を着てきましたか?」

「当たり前でしょ。全裸で図書室歩いていたらやべーやつじゃん」


 魂の防壁、強いなこいつ。

 さすがはぼっち女。マジで一緒にされたくない。


 ◇


 イシアにおすすめされた官能小説を抱えて帰る途中、生徒会室の様子を見にいく。

 ドアの隙間から覗きこむと、カルドは学友のリーグレット王子らとお喋りしながら日々の業務を片付けていた。

 すごく楽しそうだ。ていうか笑っていると年相応に見える。


 なんだよ。自分だけスクールライフ満喫しやがって。

 ドアをガンと蹴っ飛ばしてから逃げた。

 カルドを含めた全員がびっくりしていた。はっはっは。ざまあみろ。


 4


 夢は過去からの脅迫だ。

 どんなに忘れようとしても、鋭く尖った先端を突き立ててくる。

 喉の奥に引っかかった、魚の骨のように。


「馬鹿な真似はもうやめろ。暴虐の魔女」

「あなたこそ、見え透いた時間稼ぎはおやめなさい。スターロード」

「利用されているだけだとわからないのか? あの人間の男に」


 うるさい男は殺すにかぎる。暴虐の魔女は呪文を詠唱した。

 大地の力を極限まで吸いあげ、燃え盛るマグマの竜を顕現させる。

 一頭だけでは足りない。群れを――『大精霊』の軍勢を。


 業火がスターロードの身体を包みこむ。その余波で数十の村々が蒸発した。

 そんなことは知ったこっちゃなかった。戦いでは常に全力を出すべきだ。


「君はいずれ後悔するだろう。私を選ばなかったことに」

「愛されたくて必死なのですね。お可哀想に」

「悪口というのは鏡だな。自分が一番言われたくないことが口に出る」 


 スターロードは余裕の笑みを浮かべている。

 いつだって上から目線。

 死ぬ寸前であっても、それは変わらなかった。


 軍神と呼ばれた男。

 その黄金色に輝く身体はどろりと溶け、肉や骨があらわになっている。

 しかし〈絶対防御〉の魔法を打ち砕くには、さらなる力が必要だ。


「私はあなたのことが嫌いです。昔からずっと」

「知っているよ。しかし相手に脈がないとわかっている以上、忘れられないようにするためにはこうするほかない。心の端っこにでも残しておいてくれ、スターロードの名を」


 海の力を極限まで吸いあげ、凍てつく氷竜を顕現させる。

 何頭も。何頭も。耳障りな声が消え失せるまで。

 その余波で数百、数千の命が潰えようと、知ったこっちゃない。


 ◇


 夜中に目を覚ますと、たまに泣き叫びたくなるときがある。

 誰かにそばにいてほしいのに、私はいつもひとりだ。


 そうなるだけの理由はちゃんとある。

 なのにいつまで経っても反省しないから、いまだに暗闇の中で腕を抱えて震えている。

 馬鹿なんじゃないかって? 

 うるせえな。こちとら千年生きているんだぞ。

 今さら変えられるか。馬鹿は死ぬまで馬鹿なんだよ。

 だから早く誰か、私のことを殺してくれ。


 ◇


 宮殿の奥にある墓所に足を運ぶと、先客がいた。

 今、一番会いたくない男。


「眠れないからレイド様に慰めてもらおうと思ったのに」

「奇遇だな。俺も眠れない夜はご先祖様に恨み節を呟いている」

「用が済んだならさっさと消えてくれませんか? そこは私の場所なのです」


 カルドは石碑の傍に腰かけている。

 そうしていると愛しいあの人が霊になって出てきてくれたようで、癪だった。


「昨日のテストはなかなかの見ものだった。『やったかやらなかったか、わからなくなる』魔法」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

「あのあと俺なりにちょっと考えて、こんな推測をしてみた」


 性格の悪いカス男は楽しそうに言った。


「君はあの魔法を自分にもかけているのか? 過去の失態を忘れるために」

「残念ながら、期待していたほどの効果は得られませんでしたけど」

「思っていたより繊細なんだな」

「可愛く見えてきましたか?」

「哀れには感じられる」


 アーシャはちっと舌打ちする。

 まあいい。会ったついでだ。

 面倒くさい要件を済ませておくことにしよう。


「遥かなるギースの空。その外伝を探しています。たぶん王宮の図書室に置いてあるかと」

「俺が頼んだ探し物は、君が過去に殺し損ねた相手だったはずだが」

「いいじゃないですか。私のお友達作りに協力してくださいよ」


 ◇


 翌日の朝。

 寝不足の頭をふらふらと揺らしながら登校すると、アーシャにさらなる試練が待ち受けていた。校門の前に教師が立ち、生徒たちの鞄の中身をチェックしているのだ。

 これが噂の持ち物検査か。なんだってこんなタイミングで。


「アーシャ君、おはよう。昨日はあのあと大丈夫だったか?」

「お、おかげ様で。ご迷惑をおかけしてすみませんでした、サルバン先生」


 へらへら笑いながら通り過ぎようとする。

 が、すれ違い様にがしっと腕をつかまれてしまう。


「鞄の中を見せなさい。バラシャーク家の人間だろうと特別扱いはできん」

「はははは。どうにかなりませんかねえ」


 サルバン先生は無言で首を横に振る。

 さて、この場をどうやって切り抜けよう。鞄の中にはイシアと約束した『遥かなるギースの空 外伝』の抜けていた巻……はともかく、彼女から借りた官能小説も入っている。


 つまりバレたらやばい女から、やばくてドスケベな女にランクアップだ。ちくしょう、あのクソオタクぼっち女。私にこんな危険物をよこしやがって。

 でも内容は最の高だったので感謝はしときたい。ありがとうございました!


 目を泳がせるアーシャに、サルバン先生は訝しげな視線を向けている。

 面倒くせえから後回しにしておきたかったが、致し方あるまい。

 ここは切り札を使うことにしよう。


「ずいぶんと様変わりしましたね、スターロード」

「そういう君は、あのころからまったく進歩がないな」


 動揺を誘ってみたがさほど効果はなかった。

 無慈悲にも白日のもとに晒される、官能小説。

 アーシャはため息を吐く。

 私は千年かけても、この男から余裕の笑みを崩すことができなかったらしい。


「放課後、生徒指導室に来なさい。アーシャ・バラシャーク」


 ◇


「なぜ私がスターロードだとわかった」

「さあ? なんとなくですかね」

「しらを切るつもりかね。昔はもっと素直でいい子だったのに」

「相変わらず上から目線でむかつくのです。ぼろくそに負けたくせに」

「私があのとき本気だったとでも? 愛しい女を前にして」

 

 放課後のひとけのない生徒指導室。

 アーシャは旧知の敵と火花を散らす。


「愛していたというわりに、私の顔は覚えていなかったのです」

「痛いところを突いてくるな。実際のところ、校門の前で名前を呼ばれるまでは君が暴虐の魔女だと確信が持てなかった。滅びる前の記憶なんて曖昧だから、小柄な女子生徒はみんな昔の想い人に見えてきてしまう。我ながらつくづく教師に向いていないと思うよ」


 さらっととんでもねえこと言っているぞ。

 別の意味で身の危険を感じてしまった。


「神というのは存外に忘れっぽい生き物らしい。しかしそれが救いでもある。過去の罪を忘れて、新しい人生を歩むことができるのだからな。たとえばこの、サルバン・グラントのように」

「寄生虫の分際でよく言う」

「君はなにか誤解しているようだが、この男は落馬して植物状態になっていた魔法使いだよ。見つけたときから抜け殻だったのだから、依代として再利用されてむしろ幸運だったと言える。今でもこうして働いて、路頭に迷うはずだった妻子を養っているわけだし」


 スターロードは得意げに言った。


「私の経歴を徹底的に調べあげてみなさい。過去に罪を犯した形跡がいっさいないことがわかるはずだ。さてここで君に質問。なにをもってスターロードを〈悪神〉とする」

「カルドならきっとこう言うのです。――神は存在するだけで罪なのだと」

「我々にとっては人間こそが罪だよ。その最たる者があの人間の男と、その意思を継いで君のことを縛りあげているご子孫様だ。恋は盲目と言うが、さすがに度が過ぎている」


 無言でにらみつける。

 千年の歳月を経ても、この男は私に対して上から目線だ。


「君のご主人様と話がしたいな。彼は今、どこにいる」

「今日は生徒会の用事で忙しいらしいのです」

「自分は青春スクールライフを謳歌して、化け物退治は妹に丸投げか。つくづく救いがたい」

「首に縄をつけられている以外は、わりかし自由にさせてもらっていますからね。籠の鳥にされるよりかはいくらかマシなのです」


 生徒指導室の壁に、ぴしりと亀裂が走った。

 今こうして会話している間にも、スターロードは空間を侵食しようとしている。

 完全な状態ではないものの、ゲシュペンストとは比較にならないほどの『脅威』だ。

 

 二回戦目でいきなり序列の最上位クラスか。

 さすがに骨が折れるかもな。これは。

 

「ハングーレ様は誰よりも君に期待をかけていた。我々からすれば羨ましさを覚えるほどに」

「父親がかけるべきは期待ではなく『愛情』なのでは?」

「今では私も妻子を持つひとりの父親だ。叱りつけたところで娘が言うことを聞いてくれないという苦労は身に染みているよ。そういうすれ違いを放置した結果、悪い男に引っかかって道を踏み外すことになるわけか」 

「あなたは悪い男にすらなれなかった」

「ふむ。一応は自覚があるのだな。利用されていたのだと」


 怒りで頭が沸騰しそうになった。

 髪が逆立ち、天井にぶらさがっていた照明が弾け飛ぶ。

 暗がりの向こうに、昨日夢に出てきた男と同じ笑みがある。


「詫びるべきではあるのだろう。偉大なるお父上から愛娘の『管理』を任された許嫁として。私が与えるべきは神としてこうあるべきというお説教ではなく、掛け値なしの『愛情』だったわけだ。私はあのとき君がとてつもなく強く自由に見えたから、内側に隠されていた本質に気づくことができなかった。今もひとりぼっちで泣いているのかい? 誰からの愛も得られなくて」

「黙れっ!」


 激しい光がほとばしる。

 スターロードは椅子に腰かけたまま、防御結界を展開する。

 しかし完全に防ぎきることはできなかったようだ。その表情は苦悶に歪んでいる。

 ようやく、余裕の笑みが消え失せた。

 しかし私のほうがよっぽど、平静を失っている。


「そして今の君は、前よりもっと悪い男に引っかかった」

「首に縄をつけられているという意味ではそうですね。不本意ながら」

「本当に?」

「なにが言いたいのです」

「安心しているのではないかなと思って。束縛とは愛情の裏返しだ」


 笑った。ひどい冗談だ。

 私はそこまで、歪んじゃいない。


 スターロードはため息を吐くと、なぜか唐突に教師の顔に戻った。

 生徒会室の机にぽんと、例の危険物。


「シリアスな会話をしている最中に、思いださせないでほしいのです」

「いや、こういう物を愛読しておいて被虐的な趣味がないというのは無理があると思って」

「ち、違う! それは先輩が押しつけてきた本で……っ!」


 くそ! 嫌な汗が出てきたじゃないか!

 なんで前世が許嫁の教師に、こんな責苦を受けなくちゃならんのだ!


「対話とは相互理解の第一歩だ。双方の関係性が徹底的に破壊される前であれば、改善に向けての有意義な情報交換を交わすことができる。君は決して、籠の鳥であることを嫌がっていたわけではない。むしろその逆。痛みを覚えるほどに、可愛がってほしかった」


 殺そう。心からそう思った。

 これ以上、不都合な真実が暴かれる前に。

 大丈夫。私は忘れっぽいから。

 いつものように魔法をかければ、今までどおりの『自分』でいられる。


 雰囲気の変化を感じ取ったのか、スターロードの顔に緊張が走る。

 しかしすぐに再び、余裕の笑みを取り戻した。


「残念だが、私を殺すことはできない」

「そう言って消し飛ばされたやつ、たくさんいますけど」

「切り札がある。とっておきの」


 スターロードは机に置かれたままの、官能小説を開く。

 中から出てきたのは、一枚の紙切れ。


 没収したあとで挟んでおいたのだろう。

 問題なのはその内容だ。

 紙切れに記された名前を見て、アーシャは顔を歪ませる。


「すでに契約は交わされている。私の、無条件降伏だよ」


 ――情報提供者として協力するかぎり、身柄の安全を保証する

 ――カルド・バラシャーク。


 ちくしょう。ふざけやがって。

 あのカス男の狙いは最初から、これだったのだ。


 ◇


 アーシャは勘違いしていた

 カルド・バラシャークが〈悪神〉絶対殺すマンだと。


 しかし考えてみると、あの男の第一目的は母を依代にして復活した〈悪神〉への復讐だ。

 いずれはレイド様の子孫としての責務を果たすにせよ、優先すべきは『神を滅ぼす』ことではなく『敵国に攻めいる準備を整える』だ。

 そのためにまず国内に潜む害虫を駆除し、宰相である叔父を納得させなくてはならない。


 だが〈悪神〉の多くが依代の身分を隠れ蓑にして潜伏している。

 しらみ潰しに探していくのは時間がかかるのだ。

 そのうえ、カルドの望みは『母が人間であるうちに殺す』こと。


 うかうかしていたら目的を達成できない。

 ならばどうするか。


 ――情報提供者ないし、内通者。


 スターロードがもし敵側の事情に精通しているのならば、契約によって無力化した上で協力関係を結んでおけば、情報提供によって潜んでいる連中を一網打尽にすることも不可能ではない。


 潰すことより探すことのほうがずっと大変。ならば敵として始末するより、スパイとして利用したほうがよっぽど効率的に目的を達成できる。


 そこでふと、アーシャは疑念を抱いた。


「無条件降伏の契約書は、いつ結んだのです?」

「君が目覚めるよりも前だな。だから彼は私がスターロードであることも承知している」


 また前提が覆された。


「つまりこの〈悪神〉探しは、ただのテストだったと」

「千年ぶりに目覚めた暴虐の魔女が、使い物になるかどうかのね。おめでとうアーシャくん。君はあのご先祖様以上に邪悪な男の課題を、見事にパスしたわけだ」


 近くにあった椅子を蹴っ飛ばした。

 とんだ道化じゃねえか、まったく。

 いつか絶対、ぎゃふんと言わせてやる。


 心にそう誓いながら、スターロードが交わした契約書を見る。


 一、封印から蘇りし神々の情報を惜しみなく提供すること。

 二、〈悪神〉や依代の性質についての研究に検体として協力すること。

 三、エレドア諜報部による二十四時間体制の監視をつける。

 

 などなど。無条件降伏というだけあって、清々しいほどに不公平。


「この条項に不満はなかったのですか?」

「ふたつも弱みを握られている以上、従うほかあるまい。ひとつは、私は君に対して本気を出すことはできない。ふたつめは、契約書の最後を見たほうがわかりやすいかもしれん」


 契約書に視線を戻す。

 身柄の安全を保証する、のあとに注釈があった。


 ――妻子に対しても同様。


 アーシャは首をかしげた。これではまるで……。


「愛しい妻や我が子を人質に取られたら、抵抗する気も起きないよ。誰かさんと違って、私はそれなりに進歩しているのだからね」

「本気で楽しんでいるってことですか? サルバン・グラントとしての人生を」

「君も結婚して、家庭を持てばわかる」


 既婚者のマウント、むかつくなあ。

 前世の許嫁で今は教師の男は、人間として新しい幸福をつかんでいるらしい。

 そんで、すっかり牙を抜かれた軍神の弱みにつけこんだのがカルドってわけか。


「ところで君はなぜ、私がスターロードだとわかったのかな。敵ではないと理解したのであれば後学のために教えてもらえると助かるのだが」

「だからなんとなくですってば……と言いたいところですけど、仕方ありませんね。ヒントをあげましょう。題して、神々が忘れっぽいメカニズム」


 5


 カルド・バラシャークはご機嫌だった。

 生徒会室で雑務をこなしながら、陽気に鼻歌を歌っている。


 アーシャは今ごろ、サルバン先生から真実を聞かされて目を丸くしていることだろう。

 昨日の夜、王宮の図書室で本を探すがてら報告を受けたが、彼女はすでにあの男が〈悪神〉だと目星をつけていた。得意げに推理を披露する姿を思いだすたびに、顔がにやついてしまう。


 犯人はお前だ! サルバン先生!

 残念! 私は協力者! ドッキリ大成功!

 

 ははは。想像するだけで楽しくなってくる。

 あの女がもっとも輝くのは、調子こいてはしゃいですっ転んだときである。 


「いいことでもあったのかい、カルド」

「可愛い妹に仕掛けたイタズラが成功したもんでね。次に顔を合わせたときに泣きべそかかれながらギャンギャン騒がれるのかと思うと、背筋がぞくぞくとしてくるのさ」

「うわあ……。ど変態だあ……」


 リーグレットはドン引きしている。


「俺もお前も王子様だ。心の闇くらい抱えているだろ」

「一緒にしないでくれよ。ていうか君の場合、好きな子に構ってもらいたくて意地悪しちゃうわけでしょ。どっちかっていうとガキっぽくない? 愛情表現」


 カルドは無言で肩をすくめる。

 図星だった。


「君が腹違いの妹とどうなっても興味ないけど、大切に思っているのなら優しくしてあげないと嫌われちゃうよ。そうなったら困るのは自分のほうじゃない?」

「いや、むしろとことん嫌われたい。ゴミを見るような視線を向けてほしい」

「やっぱりど変態じゃん」


 かもしれない。

 しかし誰に対してもそういう感情を抱くわけではなく、あくまでアーシャ限定の歪んだ愛情だ。そもそも優しくしたり甘やかしたり愛を囁いたりしたところで、彼女はきっと俺のことを『レイド様』と重ねるだけである。


 なにせお顔がそっくりだから。

 忌々しいことに。


 ご先祖様の代用物にされるくらいなら、まったく別物として振る舞ったほうがいい。嫌われ、恨まれ、憎まれ――あのまん丸とした真っ赤な瞳が、ほかならぬ『カルド様』に向いてくれるのであればそのほうがずっと嬉しい。


 相手は暴虐の魔女だ。

 普通に愛したところで、振り向いてくれるとは思えない。


「次はどうやって虐げてやろうかと考えている。腹黒王子様仲間としての意見を聞きたい」

「僕に裏の顔なんてありませんけど!?」

「いいや、官能小説のパターンだとお前みたいなキラキラしたやつには絶対やばい性癖がある。地下室にちっちゃい女の子を監禁していたりする」

「兄妹揃ってドスケベな本読んでるんじゃないよ。聞いたぞ、アーシャ嬢が先生に没収されたの」


 そのあとで、リーグレットは言った。


「怪談でも聞かせるってのはどうだい。よくあるじゃん、聖ランス学園の七不思議とか王都の都市伝説とか。女の子ってホラー好きだったりするし、ちょっと驚かせるくらいなら害はないんじゃないかなあ」


 カルドはテーブルに積み重なった書類をひとつひとつ片付けながら、思案する。

 

「お前はこんな噂を知っているか。心が弱った人間に憑依する神様の話」

「いいんじゃない? 怪談っぽくて」

「この学園の中にもいるかもしれないぞ。ほら、お前のすぐそばに……わっ!」

「頼むから泣かさないでよ。妹さんのこと」

 

 その返しには笑った。

 あいつの場合、泣くどころか嬉々として殴り飛ばすに違いない。


「しかし実は連中にも弱点がある。それを知っていれば、人間かそうでないかの見分けがつく」

「凝るなあ、設定」 

「依代に憑依するとき、神様は無理やり『自分』を魂の器にねじこんでいく。しかし人間と神ではサイズが違うから、端っこが器からはみだしてしまう。あんなふうに」

 

 カルドは部屋の隅にある袋を指さす。

 中にはゴミがパンパンに詰まっていて、結び口から紙束の端が飛びだしている。


「日常生活を送るぶんには支障がない。はみだしていても繋がっているわけだから、あくまで魂の一部としてそこにある。端っこに置いておいた記憶を思いだすのに、ほんの少し時間がかかるというだけだ」


 アーシャも忘れっぽいが、あれは単に自分にそういう魔法をかけているからにすぎない。まあ、元々ちょっと足りないところはあるのかもしれないが。


「話がなんだか、怪談から離れているような気がするけど」

「これは昨日の夜、可愛い妹から教えてもらったアドバイスだからな。依代に憑依した〈悪神〉は魂の器からはみだしている部分がある。だから狙うのならまずはそこ。障壁の範囲から外れて無防備になっている、取るに足らぬ自分の『端っこ』さ」


 リーグレットを見る。


「ところでお前は今日、服を着てきたか?」

「もちろんだとも。……ああ、やられたなあ。昨日のあれで、バレていたのか」


 悪い神様はキラキラした笑顔のまま、あっさりと本性をあらわにする。

 あの場にいた全員に同じ質問をしていれば、こいつも気づいていたはずだ。


 ――『やったかやらなかったか、わからなくなる魔法』


 それに引っかかっていたのが、自分とサルバンだけだったことに。


「人間よりも我々のほうが、精神干渉に弱いというのは盲点だった」

「化けるのなら尻尾も隠しておくべきだったな。暴虐の魔女いわく意識を集中していれば、干渉を防ぐことも不可能ではないらしい。端っこをつかまれそうになったら、無理やり引っこめて器の中に押しこんでおけって話さ」


 とはいえ、予備知識なしでは難しいだろう。

 カルドとて、指輪を介して魔力の流れを感知しただけ。

 魂の外側を『触られた』ことさえ、最初は認識できなかった。

 

 恐るべきは術を操る精度の高さだ。人間には効果のない魔法だったからよかったものの、そうでなかった場合のことを考えると肝が冷える。

 攻撃されていることにすら気づけないなんて、反則じゃないか。


「お前との付き合いも二年くらいか? 地下室に女の子を監禁している事実もなさそうだし友人として見逃してやりたいが、あいにく協力者は妻子持ちのおっさんひとりで十分だ」

「なら仕方ないね。君を殺しておさらばするよ」

「その前に怖い魔女が来るぞ。生徒指導室と生徒会室は、同じ校舎の一階と四階だからな」


 カルドは薬指を立てた。

 楔は呼び鈴としての効果もある。

 喉をくいと引っぱってやれば、すっげえ嫌な顔をしながら飛んでくるだろう。


 だが、リーグレットは追いつめられた獣の顔をしていなかった。

 暴虐の魔女と真っ向からやりあえるだけの自信があるか。

 あるいはこの場から逃げるための切り札を備えているか、だ。


「あらためて自己紹介しよう。僕の名前はヘルズゲート。君が〈封神目録〉と暴虐の魔女の活動記録に目を通しているのなら、どんな魔法の使い手かすぐに察しがつくはずだ」

「――断絶領域、か」

「ご明察。千年前の神界大戦において、彼女が最後まで手を焼いたのが天空の座に施された防御結界だ。あのときと同じく僕の『作品』は最終的には破られてしまうだろうけど、君を殺すくらいの時間は稼げるはずさ」


 自分が死ねば、楔は効果を失う。

 喉に刺さった魚の骨がなくなれば、彼女はわざわざ神様退治をしようとは考えない。やる気がなくなった相手を尻目に、ヘルズゲートはまんまと逃げおおせることができるわけか。


 生徒会室の壁がぐにゃりと歪み、足もとの床が亀裂を走らせながら崩壊していく。ひび割れたところから覗くのは階下の教室ではなく、底なし沼のような闇。


 スターロードほどではないにせよ、序列上位の強大な〈悪神〉――しかも厄介な一芸に秀でた魔法使い。

 あっという間に形成逆転。追い詰められた獣は自分のほうになっている。


「やっぱり監禁するタイプだったな、お前」

「拷問を楽しむほどの猶予がないことは残念に思っているよ。暴虐の魔女が結界を破るまでにざっと一時間はかかるとして……いや、念のため三十分くらいで見ておくか。それまで粘れたら君が生き残れる可能性も出てくるかもしれないね。せいぜい足掻いてみなよ、天才君」


 冗談じゃねえ。そんなに待っていられるか。

 しかもボロクソにやられたところをあいつに助けられるなんて、屈辱的にもほどがある。


 果てしなく広がる暗闇の中、カルドは指揮者のように手をかざす。

 眩ゆい光を放ちながら、黄金色の竜が顕現する。


「昔からずっと思っていたんだよな。椅子に座ってじっとしているのは性に合わねえって。だから勉学よりも腕を磨くことに時間を割いてきた。戦うための」

「無駄な努力だなそれは。人は神に勝てない」

「やってみなくちゃわからねえだろ。俺は――」


 女の背中に隠れて平気な顔をしているようなやつには、なりたくねえ。

 聞いているか、ご先祖様。

 お前のことだよ。くそったれ。


 ◇


 カルド・バラシャークは幼いころから歩むべき道が決められていた。

 偉大なるご先祖様と、そっくりの顔で生まれたからだ。


 千年前に描かれた『レイド様』の肖像画の前に立ち、臣下の者たちに大人びた笑みを向ける。

 当時の国王であった父もまた、誇らしげにこう言った。


「お前が生まれる前の日、夢枕にご先祖様が現れてお告げをなされた。神々の封印は完全ではない。其方の子は余の分身として大いなる役目を背負うことになるだろう――と」


 押しつけられるのは『責任』ばかり。

 なぜ俺だけが、こんなにも不自由なのか。


 そのうえ当時の資料を調べていくと、レイド王は歴史の教科書で語られているほど優秀でも名君でもないことがわかった。

 武芸も魔法もからっきし。長所といえば人当たりのよさだけ。


 結局すごかったのは、暴虐の魔女。

 ご先祖様は惚れた弱みにつけこんで、最強の神様をうまく利用しただけ。

 尊敬できる人物ならまだよかったが、そんなクズ野郎の背中を追いかけるのはごめんである。

 

 塗り替えてやらねばならない。

 思い知らせてやらねばならない。


 そのための第一歩として、おあつらえ向きの挑戦が目の前にある。

 人の手による、神様退治。

 俺は『レイド様』より、ずっと優秀でかっこいい男。


 カルド・バラシャークだ。


 ◇


 右腕に絡みついた竜の口から、凄まじい稲光が放たれる。

 S級の魔物なら一発で蒸発する最上級雷撃魔法。


 さすがにSSS級の〈悪神〉ともなると致命傷になるとは思えないが、いったん距離を取るための牽制としては十分な威力だ。相手が仰け反った隙を突き、カルドは暗闇の中を疾駆する。


 断絶領域。

 外界から切り離された空間を作りだし、その中に対象を封じこめる結界。

 

 神々の魔法だけあって、とんでもない効果と規模だ。

 空間がどれほどの広さなのか、把握することさえできない。おまけにここは術者が作りだした『領域』なのだから、どんな罠が仕込まれているかわかったものではなかった。

 不意打ちを警戒するも、ヘルズゲートは暗がりの向こうから朗らかに声をかけてくる。


「ひさしぶりにやるかい、決闘」

「一年の夏以来か? あのときは俺の圧勝だった」

「くすぐったかったよ。君の魔法」


 再びの雷撃。しかし簡単に弾かれてしまう。

 一発目は喰らっていたはずだが、ダメージを受けているようには見えない。

 属性の相性が悪いのか。それとも単純にパワー不足なのか。


 カルドは腕に絡みついた竜を槍に変え、連撃を放つ。

 一撃一撃がアダマンタイト製の盾を易々と穿つ程度の威力はあるはずなのだが、ヘルズゲートは素手でひょいひょいと軽くいなしていく。

 リーグレットだったころは悲鳴をあげて逃げまわっていたくせに。


 腕が伸びきったところで矛先をつかまれ、空高く投げ飛ばされてしまう。

 槍を再び竜に変える。

 空中でその背にまたがって勢いを減衰させたあと、くるりと着地。


「僕も好きな子をいじめちゃうタイプみたいだね」

「ほざけ。お前はどうせ身体目当てだろ」

「気づいていたのかい。君は依代としてとても魅力的だし、献上品に捧げるにはもってこいなのさ」


 誰に? とはたずねなかった。

 スターロードからすでに〈悪神〉たちの組織があることは聞いている。

 母親の肉体を奪った『敵』も、その一味だったはずだ。


「今のでちょうど十五分くらいか」

「残念なお知らせだけど……結界の中では時間の流れがゆるやかになるから、外ではまだ一分も経っていないよ。手足を裂いてから引きずりまわすくらいの余裕はありそうだね」

「俺はまだ本気を出していないぞ」

「僕だってそうだよ。じゃあここでもうひとつ、残念なお知らせ」


 ヘルズゲートは得意げに言った。


「断絶領域のメリットについて。ひとつ、獲物を逃さずに始末できる。ふたつ、援軍に邪魔されずに始末できる。みっつ、空間の中に罠を仕込むことができる。でも僕はこの手の魔法の専門家だから、さらにもうひとつ効果をつけ加えた。なんだと思う?」

「ヒントをくれ」

「千年前の僕には必要なかったけど、今の僕にとってはとっても有益な魔法」


 女の子のように愛らしい王子様の姿が、くしゃりと潰されたように歪んでいく。黒々とした渦に変化したかと思えば、周囲の暗闇と同化して、その姿がまったく見えなくなってしまった。


 直後、膨大な魔力の波動。

 さきほど出されたクイズの答えに気づき、カルドは舌打ちする。


 人間に憑依した〈悪神〉は、魂だけの不完全な状態。 

 本来の姿を取り戻すには、時間がかかる。

 その前提が今、崩れてしまった。


『この空間においてのみ、僕は完全な神として存在できる。それがこのヘルズゲートが新たに編みだした魔法――名づけて〈極限神界〉さ』


 ◇


 本来の姿を取り戻した神様に、もはやリーグレットの面影はどこにもなかった。


 山のように巨大な甲冑騎士。表面は黒々としているが淡い光を放っており、膨大な魔力を帯びていることがわかる。

 バイザーの隙間から蛍火のように輝く両眼が覗いている。依代の華奢な姿からは想像できない、見るからに武闘派な佇まいだ。


 カルドは即座に思考を切り替えた。

 竜をさらに巨大化させ、最大出力の攻撃を放つ。

 雷撃ではなく聖なる光。

 大精霊の中に溜めこんでおいた数ヶ月ぶんの魔力を、一気に放出する。


 とっておきの切り札。あのスターロードにして「これなら〈悪神〉に対抗できる」と言わしめた一撃。

 だが、あくまでそれは『不完全な状態』での話。

 本来の力を取り戻した神様相手には、まったく通用しなかった。


「だめか。うんざりするほど絶望的な実力差だな」

『君はよくやったよ。人間にしては』


 さてどうしたものか。

 こうなってしまうと、粘るだけでも一苦労だ。


 俺はご先祖様よりずっと優秀でかっこいい男だと思っていた。

 だが、現実は残酷だ。

 途方もなく強大な神様を前にして、早くも万策が尽きて棒立ちになっている。


 人は神に勝てない。

 ならば同じ神様をそそのかして、同士討ちを狙うべき。

 都合のいいことに頭の足りない女の子の神様がいて、おまけにそいつは誰よりも強かった。


 レイド王は正しい。

 真っ向から立ち向かうなんて馬鹿のやることだ。


 プライドなんて捨ててしまえ。

 そうすりゃ簡単に勝利を手にできる。


「いいや、俺はまだ諦めないぞ」

『なぜだい? 答えはすでに出ているのに』

「くそだせえ男にはなりたくねえからだよ。クズでも、雑魚でも」


 見栄っ張りだからな。負けず嫌いだからな。

 憧れちまったからな。

 ご先祖様じゃなくて。王様じゃなくて。

 すべての神様をぶちのめした、最強の神様に。


 そりゃそうだろう?

 男ってのはいつだって、強いやつの背中を追う。


 俺がなりたいと願ったのは、レイド様じゃない。

 お前だよ、暴虐の魔女。


 ヘルズゲートが腕を振りあげる。

 直後、禍々しい黒炎の塊が頭上から降りそそぐ。

 

 冒険者として実戦を積んできた。

 上位の〈悪神〉ともやりあえるように準備してきたつもりだった。


 だが、完全体と化した神と決闘するはめになるとは想定していなかった。

 おかげで反撃するどころか、避けるだけで精一杯だ。


 暴虐の魔女に教えを乞うべきだった。せめて王宮の書庫に眠っているグリモアの解読方法だけでも知れたなら、今よりは確実に強くなれていたはずだ。


 しかし結局、プライドが邪魔した。

 あの女を師と仰ぐなんて我慢ならない。

 憧れよりも理屈よりも、見栄を取った結果がこれだ。

 

 それで今、みっともない姿を晒しているのだから、ざまあねえよな。 


「わかった。負けを認めよう。俺はもうちょい素直になるべきだった」

『今さら命乞いとは。それとも時間稼ぎのつもりかい?』

「お前の見積もりだと、あいつが結界を破るのにかかる時間は三十分くらいなんだよな。この空間の中では時間の流れがゆるやかになるのなら、外ではまだ二分か三分ってところか」

『絶望的だね』

「そうでもないさ。暴虐の魔女なら――」


 ビキビキと、軋むような音が鳴り響く。

 空間全体が悲鳴をあげるように。

 まるで外側から強引に、こじ開けられているかのように。


『馬鹿な……! いくらなんでも早すぎる……っ!』

「天才ってのは予想のはるか上を行く存在なんだよ。その点、俺はせいぜい秀才止まりだな」


 しかもあいつは神様だ。

 最強の。規格外の。常識破りの。


 空間の一角が砕け、小さな拳が勢いよく飛び出てくる。

 穴が広がったところでよいしょっと声。

 制服姿の女の子が、中に入ってこようとする。


「ピンチですかあ? いいザマですねえ? 助けてほしいですかあ?」


 にやにや笑いながら、無様に追い詰められているところに話しかけてくる。

 見りゃわかるだろ。さっさと手を貸せ。


 しかしカルドがそう返す前に、暴虐の魔女はふっと真顔になった。

 空中の穴から上半身を出したまま、こう言った。


「ごめんなさい、こっちも大ピンチなのです。お尻が挟まりました」 


 6


「お前マジでなにやってんの」

「あっ……冷たい。助けにきてあげたんだからもうちょい優しくしてくれてもよくないですか?」


 暴虐の魔女は手をばたつかせながら「ふー!」だの「ぐぬぬ」だのと間抜けな声を出している。しかし一向に穴に挟まった尻は抜けないらしい。

 なんと無様で可哀想な生き物。

 こんなやつに教えを乞うなんて、絶対にごめんだ。

 ヘルズゲートですら唖然としたまま、手を出そうとはしてこなかった。


 やがてスポンと弾けるような音がして、暴虐の魔女は勢いよく地べたに落下した。頭から激突したあと団子虫みたいにくるくる転がって、最後は潰れた蛙みたいにうつ伏せのまま大の字になる。

 竜から降りてそばに駆け寄り、しばらく様子をうかがう。

 

 微動だにしないな。

 とりあえず横っ腹を蹴っ飛ばしてみた。


「おごっ! 鬼か貴様っ!」

「死んでなかったか。頼むから真面目にやってくれ」

「私はいつだって真面目なのです。真剣に『今』を生きているのです」

「それでこのザマなの?」


 反論できずに泣きべそをかいていやがる。

 あとで自分に魔法をかけて忘れようとするんだろうな、この失態も。


 やがて暴虐の魔女はこほんと咳払い。


「あなたはヘルズゲートですね。千年前は瞬殺だったので顔はあんまし印象に残っておりませんけど、あなたが施した結界魔法にはまあまあ苦戦したような覚えがあります。しかし当時の癖がそのまんまなので、繋ぎ目を破いて中に入るくらいなら秒でいけました。さてどうします?」

『交渉しよう。君はそのままなにもせず、カルドを殺すところを見ていてくれ』

「なるほど。楔による縛りさえ消えてしまえば、私は自由になれるのです」


 カルドは降参の仕草をする。

 その手があることに、気づかれてしまった。


 レイド様とそっくりの俺を見殺しにはできまい。

 というのが一応あるものの……正直どこまで通用するか自信はない。


「しかしお断りします。私には計画があるので」

「ん? お前なんか企んでいるのか」

「ええ。そのためにあなたが必要なのです、カルド」


 この展開は想定していなかった。

 なんとなく視線に不穏なものを感じるが、いかに。


「まず〈封神目録〉に記された神々を手当たり次第に狩っていきます。奴らは魂のみの存在ですが、その内側には膨大な量の魔力が宿っているので『素材』として価値があります。たとえばゲシュペンストはすでに、ほら」

 

 暴虐の魔女は制服のポケットから珠のような物を出した。

 あれが神々の魂に宿っていた魔力の……結晶?


「この魂魄を二百個くらい集めます。そんで禁呪を用いてレイド様の魂を現世に呼び戻します。魔法の構築式はこれから研究しますが、はるか昔に前例はあるのでなんとかなるでしょう」

「待て待て待て。さてはお前」

「はい。次にカルドを殺します。抜け殻になった肉体にレイド様の魂をイン」


 ぞっとした。

 よくもまあそんな邪悪な計画を思いつくものである。


「どうです? 我ながら完璧な――うげげげっ! なにしやがる!」

「楔を用意しといて心底よかったと思うよ。このどカスが」


 カルドはため息を吐く。

 しかしそれでこそ、暴虐の魔女だ。


「つまりお前としても〈悪神〉の魂を二百個集めて禁呪を編みだすまでは、俺が殺されてしまうと困るわけか。ご先祖様の魂をこの肉体に移植するにしても、殺されてすぐの新鮮な状態でないと成功率が下がるから」


「ふふふ。あなたもそういった術にお詳しいようで。個人的にはもうちょい成長してからのほうが嬉しいというのもあります。レイド様と最後にお会いしたのは二十代前半のとき。なのでそのくらいまで待っておくのがベスト。ほら蘇生するといっても生きた屍人みたいにするのが限界ですし、やったらそこで年齢が固定されちゃうじゃないですかー」


 本当にこいつ、俺のことをご先祖様の代用物としてしか見ていないんだな。


「お前がきっちり責務を果たしたあとなら、この身体は好きにしてもいいぞ」

「え、いいのです?」


 にっこりと笑いかける。

 もちろん、そのときになったら全力で抵抗するけどな。


 楔がある以上、こいつは俺に逆らえない。楔を解除する魔法を編みだしたとしても、そのときまでにこいつよりも強くなっていればいいだけの話だ。


 ご褒美があったほうがやる気は出るだろ?

 強くなる理由は多いに越したことはないだろ?

 お前も。俺も。


「ではでは、話がまとまったところでお掃除をはじめましょう。学園に巣食う害虫をぺちっと潰して、私の崇高なるレイド様復活計画の贄とするのです」

『そう簡単にいくと思うかい? あの短時間で結界を破ってみせたのはさすがと言いたいところだけど、今の君からはあのころのような威圧感を感じない』


「千年も怠惰にお眠りしていたわけですからね。身体は鈍っていますし戦闘勘だって取り戻すのにはだいぶ時間がかかりそうな気がいたします。相手が完全な姿のお父様やシーイーオウあたりだったら厳しかったかもしれません」


 唐突に親の『仇』の名前が出てきたので、カルドは身構える。

 暴虐の魔女にとっても準備は必要なわけか。より強い敵とやりあうための。


「しかしあなたは雑魚も雑魚。一芸タイプの使い手が得意な魔法を破られたあとなのですから、完全体になっているといってもたかが知れています。千年前だって瞬殺だったわけですし、今回もそうなると考えるのが普通でしょう。それともまだなにか切り札が?」

『あるとも。この領域の中では短時間だけ能力を倍にすることができる』

「素晴らしい。中ボスくらいには格上げしてさしあげますわ」

『抜かせっ!』


 事前の宣告どおり、ヘルズゲートの身体がみるみるうちに巨大化していく。

 さすがは神々の戦いと言うべきか、魔力の桁が振りきれている。

 その力動を浴びるだけで、鼻から血を垂らしそうになってしまいそうだ。


 カルドは暴虐の魔女を見る。

 ヘルズゲートの〈極限神界〉は彼女にとっても未知の魔法だ。

 だからか、とても興味深そうに眺めている。


「呑気に分析してないでさっさとケリをつけてくれ」

「いいでしょう。ちょうどいい機会だからあなたに見せてさしあげます。暴虐の魔女である私が神々との戦いの中で編みだした究極最強魔法、その名もアニヒレート・デス・サイクロン」


 暴虐の魔女は両手を広げたあと、目を閉じる。


「とんでもない威力なのですが使うと星ごと粉々に吹っ飛ぶので、事前に強固な防御結界を張っておく必要があるという非常に面倒くさい魔法です。しかし今回は敵のほうが下準備を済ませてくれていますからそのままぶっ放します。あ、もうちょい近づいといてください」

「お前の足もとにある円陣の中に入っておけば、範囲の対象外になるわけだな」

「ですです。相手もそろそろ攻撃してきますし、詠唱も長いので早口でいきまっしょい」


 カルドが肩を寄せると、彼女は即座に喉を震わせる。呪文を唱えているというより、旋律に乗せて詩を詠んでいるような雰囲気だった。


 ◇


 時は満ちた

   我 暴虐の魔女の名において 命ずる


  光    闇     海

    地     風  


    万物に宿る   力   の

  すべてを            えーと

   なんか      強そうで     難しそうな


   混沌   混沌だ混沌

        それを  渦のごとく


  この指先に  集め      今こそ放たん

 すべてを

    灰燼と   化――べっくし!    


 ◇

          

「うは。すっげえくしゃみ出た」

「頼むから真面目にやってくれないか!?」


 全力でツッコミを入れている間にも、ヘルズゲートの攻撃が迫る。

 頭上の空間を埋め尽くすほど巨大な黒炎の塊が、隕石のごとく降り注ごうとしている。


 円陣は、あくまで自分が使う魔法の対象から除外するだけの結界だ。

 外からの攻撃にはめっぽう弱い。


「ごめんごめん。なんか新しい魔法、編みだしちゃいました」

「……え?」


 小さな指先から放たれたのは、ふわふわと漂うシャボン玉。

 カルドがぽかんと口を開けながら眺めていると、やがて上空の黒炎と衝突。

 次の瞬間、シャボン玉の中に吸いこまれるようにして消えてしまった。


『そんなふざけた話があるかっ! くしゃみが……詠唱だと!?』

「魔法はこういう偶然があるから面白いのです。もっぺんやれと言われたら難しそうですが、名前だけはつけておきましょう。アニヒレート・ダークスフィア」

『あば――』


 ズゥン。

 ヘルズゲートもまた、シャボン玉の中に吸いこまれて消えてしまった。


 周囲の景色が徐々に本来の姿を取り戻していく。

 生徒会室の椅子にぽすんと腰を落とし、暴虐の魔女は言った。


「しくった。回収できなかったじゃん、あいつの魂」 


 カルドは言葉が出てこない。

 これが最強の神、暴虐の魔女の力か。

 やることなすことすべてが、めちゃくちゃだ。

 

 果たして越えられるのだろうか。

 俺はこの――『化け物』を。


 7


 こうして長い一日が終わった。

 生徒会の役員であり人気者でもあったリーグレット王子の失踪。

 それは聖ランス学園にしばらくの間、暗い影を落とすことになった。


 悲観に暮れるあまり不登校になった女子生徒もいたという。王子の母国ダリアから捜査員が派遣され、交友関係を中心に事情を探っている。


 カルドも沈痛な面持ちで聴取を受けていた。

 白々しい男だ。それとも親しい友人が〈悪神〉だったことに、複雑な感情もあったりするのだろうか。


「俺が? そもそも学園にいる連中を友達だなんて思ったことは一度もねえ」

「そうなんですか。じゃあ私と同じですね」

「一緒にするな。この底辺ぼっち女が」


 ひどい。

 誰のせいでそうなったと思っているのか。


 しかしあの日以降、アーシャの環境にはちょっとした変化があった。

 持ち物検査でえぐめの官能小説を没収されたことが、噂になったからである。


 おかげでいっそう誰も近寄らなく――なるかと思いきや、逆になぜか頻繁に話しかけられるようになった。

 表向きは今でもぼっち女だが、たまに廊下の端っこや校舎の裏で、


「あなたが噂のアーシャ嬢ね。実は彼氏のことなんだけど……ごにょごにょ」

「まあ、そんなことがあったのです?」

 

 見知らぬ生徒からのお悩み相談。

 どういうわけか、恋愛経験豊富な悪女ということにされていた。

 殿方とお付き合いしたことすらないのに。


 とりあえず本に書いてあった知識を色々と教えた。

 そしたらさらに噂に尾ひれがつき、女子の間で一目を置かれるようになった。


 おかげで底辺スクールライフから脱することができた。

 思っていた感じとはだいぶ違うが。


 ◇


 夜。王宮の書庫に足を運ぶと、カルドが本を読んでいた。

 見覚えのある装丁。

 というより、暴虐の魔女のグリモアだ。


「解けないのです? 暗号」

「なんとなく読んでみただけだ」

「習得したいのです? 私が使っていた魔法」

「別に」


 こいつ、案外わかりやすいやつだな。

 顔にめっちゃ『嘘』って書いてあるじゃん。


「そういえば報告書に、ゲシュペンストはグリモアの一部を解読していたとあったな」

「あの男は〈悪神〉としてはクソ雑魚でしたけど、暴虐の魔女の研究者としてはそれなりに優秀だったようです。彼の研究室にはこんな珍しい本もありました」

 

 テーブルにぽんと一冊の本を置く。

 ――遥かなるギースの空 外伝


「悪名高き不夜城の主が、女子向けの恋愛小説を愛読していたとは」

「新しい魔法を習得するためには、クリエイティブな感性も必要なのでしょう」


 カルドは鼻で笑いながら、ページをめくっていく。

 しかし途中で手を止め、唖然としたような顔をする。


 暗号を解くために必要な『鍵』がどこにあるか、わかったのだろう。

 暴虐の魔女はクスクスと笑いながら言った。


「あとで感想、くださいね」 


 ◇


 私は人間らしい生活に憧れていた。

 恋愛小説に出てくる主人公の女の子みたいになりたいと、願っていたのだ。

 

 しかし神はどうあがいても神である。

 しかも最強で、暴れまわることくらいしか能がない。

 だから最後はひとりぼっち。部屋の隅っこで膝を抱えて泣くはめになる。


 ただ、救いはある。

 遥かなるギースの空 外伝。

 グリモアの暗号を解く『鍵』として書いたお粗末な二次創作。

 それが今でも細々と読み継がれていることは、素直に嬉しかった。

 

 大好きな小説の世界に入りこみ、登場人物のひとりとして学園生活を謳歌する。

 当時の私が抱えていた願望は、ちゃんと『人間らしい』ものだったのだ。

 だから千年を経てもなお、女子生徒の共感を得られている。

 

「必ず部活動に入る決まり、ですか」

「バラシャーク家の人間だろうと特別扱いはできんからな」


 サルバン先生に告げられて、アーシャは心底うんざりしたような顔をする。

 つい先日リーグレット王子の後釜として、生徒会の役員に任命されたばかり。

 放課後は生徒会と部活の板挟み。

 憧れのスクールライフっぽくなってきたものの、華々しい立場には『責任』が伴うことを失念していた。底辺ぼっち女のままでいたほうが、気楽でよかったかもしれない。 

 

 いや、そういう怠惰な性根がアーシャ・バラシャークという『人間』を教室の隅っこに追いやっているのではなかろうか。

 千年前に憧れた環境に今、立っているからこそわかる。


 私は神だからぼっちなのではない。

 カスだからぼっちなのだ。

 

 神であることは変えられないが、カスであることは努力次第でどうにかなる。

 スターロードだって、聖ランス学園の教師として新たな人生を歩んでいるのだ。

 今から変えていこうじゃないか。私の青春。

 

 そうと決まれば部活もキラキラしたところを選ぼう。

 チア部とか箒レース部とか、騎士道部のマネージャーとか。

 

 文化系なら朗読愛好会というのもある。学園の中庭で優雅に茶をしばきながら難解な詩を朗読するという、いかにも良家のお嬢様が嗜みそうなやつ。なんと高価なお菓子まで食える。


 しかし入部希望届を握りしめながら廊下を歩いていると、アーシャの前に立ちはだかる影があった。忘れもしない赤毛の三つ編み、ガンギマリの目。


「ふふふ、待っていたわよアーシャちゃん! 先日は外伝の抜けていた巻を探してきてくれてありがとう。その功績を称えあなたを我が『秘密文芸倶楽部』にお招きいたします」

「イシアさん……。あの、私はもう」

「ともに語らうのよ! 遥かなるギースの空の素晴らしさについて! そして原作と同等かそれ以上に尊い外伝についても感想を交換しましょう。実はあたし以外にも好きな子が――」


 ◇


「それで結局、入ったのか。マニアックなほうの部活に」

「よりクリエイティブなほうと言ってくれませんか? 仕方ないのです。自分が書いた同人小説の強火ファンしかいないコミュニティですよ。私が作者と知らずにみなさん賞賛コメントを浴びせまくってくるから、自己承認欲求満たされまくってトリップしかけました」

「楽しんでいるじゃないか。憧れのスクールライフ」


 思っていた感じとはだいぶ違いますけどね。

 カルドは私と話している最中も、グリモアを解読しようと躍起になっている。

 いつのまにか夜に王宮の書庫で、肩を並べながら本を読むのが日課になってしまった。


「それにしてもイシア・ゼノハートに認められるとはさすがだな。彼女はああ見えて学園一の才女だぞ。魔法使いとしての知識と頭脳にかけては、俺ですらまったく歯が立たん」

「へえ。ただのやべえ先輩じゃなかったんですね」

「生徒会に誘ったこともある。だが『あたしは孤高にして頂点なので』と言われて断られてしまった。まさに筋金入りのぼっち女。お前をスカウトするのも納得だよ」


 う、嬉しくねえ……。

 ぼっちはぼっちを惹きつける。そしてぼっち同士で群れるのだ。

 お互いに、お前とは一緒にされたくないと思いながら。


「せっかくなので新作を書いてみようと思うのです」

「くだらない恋愛小説を?」

 

 うるせえな。読んだ感想がそれなのがむかつく。


「いえ。千年ぶりに目覚めた魔女が、悪い神様を退治していく話です」

「そりゃあずいぶんと読み応えがありそうだな」

「今のままだとラブシーンが足りませんが、そこは妄想でカバーしましょう」

「ふうん?」


 カルドはグリモアを読む手を止め、顔を上げる。


「協力してやろうか。お前のクリエイティブな活動に」

「またそうやってからかうおつもりですね。レイド様と同じ顔で」

「俺はご先祖様よりいい男だぞ。ほら、もっとよく見てみろ」


 近い。

 待て待て待て。そんなに顔を近づけるな。


「やっぱりそっくりなのですが」

「違うところを見つけるまでは、離さない」

「まつ毛は長い? 鼻はそんなに変わりませんね。口もとは――」 


 ぐっと肩を寄せられる。

 は?


「ご褒美だよ、暴虐の魔女」

 

 アーシャは呆然としてしまう。

 唇にはまだ、湿った感触が残っている。


 レイド様、ではない。

 この男は決して、愛しいあの人とそっくりではない。


 ――カルド・バラシャークだ。

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