第八話 ツーマン・クライマー
「——あの、大丈夫なんですか?」
一旦、生徒会室に江夏先輩と生徒会長を残し、しばらく歩いたところで、私は拭えない不安から羽月さんに思わず確認を取ってしまう。
「大丈夫というのは、江夏くんのことか?」
果たして本当に江夏先輩の依頼を成功させることができるのか——気持ちが逸り、質問に主語が抜けてしまった。「はい」と頷くこともできたが、疑ってかかるようで、躊躇する。
「大丈夫だ、心配しなくていい。今回の依頼には自信があるんだ」
しかし、そんな私の返答を待たず答える羽月さんは、私の目を見て頷くでもなく、胸を張って答えるでもない。
ただ前を見て歩きながら、当然のことのようにそう言い切った。
その声には確固たる自信が感じられる。
ここまでハッキリと言えるのは、よっぽど自信がある証拠なのだろう。
その根拠はどこにあるのか気になった。今までにも、似たような薬を作ったことがあるのだろうか。
同時に、江夏先輩からは色々と話を聞いてしまった以上、どうか自分の想いを伝えてほしいと思う反面、本当に自分の想いを伝えることが幸せなのかという疑問も湧き上がる。
告白——自分の気持ちを相手に伝えるのにはそれ相応の勇気が必要であり、ましてや相手は幼馴染だ。
だからこそ、江夏先輩は創薬部を頼った。
……だけど、その想いを伝えたことで、それまでに築いてきた関係が壊れてしまう可能性だって往々にしてあるはずだ。
——そうだ。
想いを曝け出してしまえば、結果として、良くも悪くも、その関係が以降変わらないなんてことはほぼない。
なぜなら、私はそれを、よく知っている。
過去の記憶が頭をよぎる。
あの時の苦い思い出が、心の奥底からじわりと浮かび上がってくる。
羽月さんはそんな私の心の揺れを察知したのか、ふと立ち止まり、私の目を覗き込むように見つめた。
「これはハッキリさせておくが、今回の江夏くんの依頼の目的は告白をすることだ。恋愛成就ではないぞ」
その羽月さんの言葉は、まるで冷静に私を諭すようだった。
そうだ、江夏先輩は別に自分を好きになってほしいだとか、付き合いたいだとかは言っていなかった。
私はその視線に一瞬戸惑いながらも、頷いた。
「よし、ここで待とう」
靴箱を経由して外に出た後、少し歩くと校舎裏に裏山へと続く木段がある。
すぐ手前には『許可ない者の立ち入りを禁じる』と書かれた看板が立っていた。
その先には青々とした木々が生い茂り、春の柔らかな陽光が木漏れ日となって地面に降り注いでいる。鳥のさえずりが遠くから聞こえて、校内とは全く違う静寂に包まれていた。
「君は、優しいんだな」
羽月さんが髪をかき上げ、そう呟くように言った。その仕草が、見た目に反して大人っぽく映る。
「優しい? どこがですか?」
「今回の江夏くんの依頼について、とても親身になって考えている様子じゃないか」
「それはまあ、乗り掛かった船ですからね」
私もまさかこんな展開に巻き込まれるとは思っていなかった。もしも本格的に創薬部で活動することになれば、今後もこういった機会があるだろう。
「それに、後味が悪いと嫌じゃないですか。気持ちを伝えられたとして……それで幸せになれるとは限らないですから」
私は少し視線を落としながら言った。
優しい——とは、違う。今言った言葉の通り、これは私自身の気持ちの問題でもある。
「……君はこういった議題に一家言あるようだな」
「そういうわけでは……いや、すみません。首を突っ込みすぎないようにします」
羽月さんの言葉に、自重気味に答える。余計なことを言いすぎているかもしれない。
「いや、構わない。ただ、最終的に、私たちは二人の背中を押すだけでいい。そういう依頼だからだ。それ以上のことを考える必要もない」
その声には冷静さが滲んでいた。
「……押すんじゃなくて薬を作って飲んでもらうんですよ」
「ふふ、そうだな。ただの比喩だよ」
ただし、冷徹ではない。仕事を仕事として割り切っているだけ……のようにも見えない。
ただただ、そうすることで全てが上手くいくとわかっているかのようだ。
そんな羽月さんの笑顔が、心の中の緊張を少し和らげてくれた。やっぱり、余裕がある。
この人は、きっと私が思っているよりも多くの考えがあり、それに基づいた行動を取っているのだろう。
「——すみません、お待たせしました」
それからしばらくすると、校舎の方から二人の姿が見え、江夏先輩の声が聞こえてくる。江夏先輩と生徒会長がこちらに向かって歩いてきた。
「お疲れ様。生徒会の仕事は、もう大丈夫か?」
「ええ、おかげ様で。それで、僕らはどうすればいいんですか? 着いていくだけではないですよね?」
「そうだ、察しが良くて助かるな。君たちには、裏山のどこかに咲いている薬草を探すのを手伝ってもらいたいんだ」
生徒会長の質問に対して、羽月さんはどこから取り出したのか一枚の紙を私たちに見せる。
そこには解像度の低い写真が何枚かプリントされていて、手書きのメモも加わり、草花の見分け方や特徴なども記されている。
「まずは、薄紫色の花だ。それから——」
簡単に説明をしつつも「まあ、見ればわかる。大体の生えてる場所は把握しているからな」と最後は適当に締め、私たちは四人で裏山の木段を登り始めた。
木々の間を縫うように続く道は、時折急な斜面を見せながらも、四人で並んで歩くには不十分な狭さだ。
自然と私と羽月さん、江夏先輩と生徒会長と二人ずつ肩を並べる構図となった。
……なんだか、ダブルデートみたいな構図だな、と思ってしまったのは、依頼のせいで思考が恋愛脳に囚われてしまっているからだろうか。
「この裏山、そこそこ広いんですね。整備された道は狭いようですが……」
「そうだな。学校の敷地内とはいえ、ほとんど手付かずの自然が残っている場所だ。だからこそ、貴重な薬草も見つかりやすい」
羽月さんの言葉に、私は頷く。ここはまるで別世界のように静かで、街中の喧騒からは遠く離れている。
それにしても、本当に自然のままにしているのだろう。足元には苔むした大きな石があり、その周りには湿った土の香りが漂っている。
慣れている羽月さんは簡単に歩いてみせるが、しっかり足元を注意して歩かないと——。
「きゃっ」
「っとと、危ない。大丈夫か?」
声が聞こえて後ろを振り向くと、江夏先輩がその石に躓き、転びそうになっていたところを、生徒会長が咄嗟に腕を伸ばし支えていた。
ひゅう、まるで少女漫画のワンシーンのようだぜ。
……と、わざわざ言葉にして雰囲気をぶち壊すほど無粋な私ではない。
「は、はい。すみません」
その手をしっかり掴みながら、江夏先輩の顔は一瞬驚きと安堵が混ざり、そしてすぐに赤く染まった。
「さすがに斜面がボコボコだな。危ないから僕に掴まっておいた方がいい」
「で、ですが……」
生徒会長の気遣いに、江夏先輩は言葉を濁す。
頬を赤く染めているところから、単純に恥ずかしいのだろう。視線を下に落として、どうするか迷っている様子だった。
生徒会長の方も手を差し出した手前、返答がないままでは気まずそうに困った苦笑を浮かべる。
「——そうだな。君も私の腕を掴んでおくといい」
すると、唐突に羽月さんが私に腕を差し出した。
「……はい?」
「だから、足元が危ないだろう? いいから、言われた通りにしておくんだ」
いや、別に私は——そう断りを入れようとしたところで、羽月さんの思惑を察する。
江夏先輩はきっと、すぐ横にいる生徒会長によって心が揺れているのだろう。そんな状態で歩いていると危なっかしい。
しかし、私たちの目がある状態で身を寄せるというのは、恥ずかしいのだろう。
だからこれは、江夏先輩へ向けた恥ずかしくないですよというポーズのようなものなのだろう。
「じゃあ……お願いします」
そう言って、私は羽月先輩の白衣の袖を摘むようにして掴んだ。
「……確かに、歩きやすいです。江夏先輩も、私たちと同じようにして歩いた方がいいと思います」
「ああ、そうだろう。会長くんは男だから、私よりも断然安全だろうな」
そうして私たちが同じようにしているところを見せることで、江夏先輩の心に安心感を与えることができればいい。
こういう視点からの気遣いを思いつくところに、羽月さんの凄みを感じる。……その代わりに、私の心臓には悪いのだけれど。
「で、では……」
その言葉を聞いて、江夏先輩も生徒会長へとおずおずと遠慮がちに腕を掴んだ。その様子に少し驚いた表情を浮かべた生徒会長は、すぐに優しく微笑み、二人は安定した歩調で進んでいく。
「…………これ、本来羽月さんが私の腕を掴んだ方が絵面的には正しいですよね」
そんな微笑ましい二人には聞こえない声量で羽月さんに囁いた。
並んでいるとよくわかる。私と羽月先輩では、頭一個分以上の体格差がある。そのせいで今の私は前屈みのような体勢になっていて、むしろ歩きにくいくらいだ。
すると、そんな私の心情を察したのか、羽月さんはチラリと私を一瞥した。
「……君よりも、私の方が先輩なんだぞ?」
そう拗ねたように言って視線を逸らし、また前を向いた。
……なんか、可愛いな。その身長差も相まって、愛らしくも思えてくる。
口調や雰囲気は、こんなにも大人っぽいのに。
そんな意外な羽月さんの反応に、私は少し得をした気分になったのだった。