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第四話 サイコー、惚れ薬との邂逅


「ええーと……一応伺いますが、それも創薬の一部ってことで……?」


 私は、改めてカップの中身を恐る恐る覗き込む。


 液体の色は白……じゃない。濁った灰色? 見た目は不気味で、少し鼻をつくような、甘ったるい匂いもする気がした。その中に投与された小粒の飴玉のように丸みを帯びた——丸薬? は霞んだ赤色。


 ……これも含めて飲んでみろってこと?


「そういうことだ」


 そう言って計量カップが目の前にグイッと差し出される。喉の奥がキュッと締まる感じがする。得体の知れない液体、薬。それを『はい、どうぞ』と渡されても……。


「一応確認しておきますが、飲んで害があるものではないですよね?」


「ああ、君が何かアレルギーを持っているわけではない限り、身体に害があるものは入っていない」


 今までアレルギーとは無縁の生活だった。となれば、後は私の勇気が出るかどうかの問題だ。


「それと、その丸薬はすぐ飲み込んでもいいし、不安だったら噛んでからでも問題ない。まあ、無理にとは言わないがね」


 それで説明は終わりらしい。最後に逃げ道も用意してくれた。


 ……だけど、なんか、こう。くれると言ったものを無下にするのは、よくない気がしてムズムズする。


 静かな部室が、なんとなく重圧を感じさせる。お呼ばれした食事会の手料理が嫌いな食べ物ばかりで、だけどそうとも言い出せずに意を決して食べる覚悟を決めるときの、あれだ。


 なお、そんな経験はない。


「いただきます」


 私は意を決して液体を喉へ一気に流し込む。冷たい液体が喉を通る瞬間、全身が緊張で固まるような。


 ——何だろう、変な味だ。


 見た目に反して少し甘く、それでいて苦い。喉を通った一瞬だけ、カッと熱くなった。体内に広がる感覚が何とも言えない不快さを伴う。


 最後、口内に残った丸薬をコロコロと舌で転がす。


 ……これ、薬? 薬の味というより、見たまま本当の飴のように甘い気がした。ただ、それは液体の味が残っているせいか。なんだか怖くなり、そのまま飲み込んだ。


 一方で、そんな私を見て、羽月さんは少し意外そうな表情を浮かべていた。


「君、あまりにも躊躇がないな」


「そうですか?」


「普通なら警戒するところだ。まさかここまですんなりと飲むとは思わなかったよ」


 予想に反して感心されてしまった。


 ……確かに、普通ならもっと警戒するべきだったかもしれない。羽月さんの意外そうな顔が、胸の奥でざわざわと波立つ。もしかして、私は威勢のいいモルモットのようだったか。


 しかし、本人は気にしていないようであっても、羽月さんには中学生がどうだと失礼なことを言ってしまった粗相がある。その直前の出来事なのもあって、断るのもな、と飲んだ部分もあった。


 だから、全く躊躇がなかったわけでもない。……とはいえ、さすがに学校で毒を振る舞う生徒はいないだろうとたかを括っていた部分もあるけれど。


「もしかして、飲んだら不味かったですか?」


「そういうわけじゃないが……」


 そういうわけじゃないのなら、不安になる言い方はやめてください!


「で、どうだった?」


 ——ど、どう? 次は、そんな唐突で曖昧な問いかけに思わず口ごもった。


 どうと言われても、お世辞でも美味しいと言うべきだろうか……いや、そもそも美味しくなるように作られた物とは思えない。


 だって、計量カップに入った灰色の液体だぞ?


「変な味……でしたね」


 忖度のない感想で応えると羽月さんは満足げに微笑む。


「ふふ、そうかそうか。貴重な意見を聞けたよ、ありがとう」


 なんだろう、その微笑みに、私は不思議な魅力を感じる。こんな小さな体から漂う、その妖艶な雰囲気に。


 ……失礼か。それは今更か? いや、褒めてはいるんだけどね。


「で、これは何の効果がある薬なんですか?」


「それは、惚れ薬だ」


 ——はい? 一瞬、脳がショートした。耳から聞こえた言葉が脳に上手く伝達しなかったかのような。


「すみません。上手く聞き取れませんでした」


 だから、聞き間違いだと思う。


「惚れ薬だ」


「…………」


「『飲ませた相手を惚れさせる薬』」


「…………」


「つまり、惚れ薬だ」


 ——聞き間違いなんかではなかった!


「ななななんてものを飲ませるんですか!」


 私の声が思わず上擦る。勢いよく立ち上がったせいで座っていた椅子が後ろに倒れるが、その音すら掻き消すような声量だった。


 ——惚れ薬。


 羽月さんは、確かにそう言った。


 飲んだのは、私。飲ませたのは、目の前にいる、羽月さん。


 ……ということは?


「これは誰に対して惚れる薬ですか」


「当然、私に対してだ」


 おいおい、当然と来たぞ? 私は呆然としたよ!


「何をそんなに動揺しているんだ」


「は、はい? いや、普通はすると思うんですけど……」


 キョトンとした表情に一瞬で毒気が抜かれる。本当に当然のことかのように堂々としていた。


「もしかして羽月さん……出会う人会う人全員に惚れ薬を飲ませて回ってるんですか?」


 ふと過る想像するだけで恐ろしい疑問。


 な、何だろう、心臓がドキドキと早鐘のように鳴り響いている。頭の芯がぼんやりとしてきた気がする。


 まさか、惚れ薬のせい!? ……それとも、これは病は気からというやつか?


「そんなわけないだろう」


 今度は真顔に低いトーンで返される。


 バカか? とでも言いたげな様子だ。

 おかしいのは私なのか、それとも世界の方か……?


「じゃあなんで——」


 疑問を尋ねようとすると、それに先んじて羽月さんが口を挟んできた。


「それで、私に惚れたのか?」


 惚れた? 私に? ええっと、つまり……。


「私が、羽月さんに惚れたかどうか、というお話ですか……?」


「もちろん、そういうお話だ」


 羽月さんの言葉に混乱しながら、頭の中で考えがぐるぐると回る。深く考えては駄目か。羽月さんへしっかりと目線を合わせ、私は私の感情に問いただす。


 ……なんか、急に頭が冷静になってきた。


 まず、飲んだ感想だ。少し喉が熱くなり、何となく頭がボーッとしたぐらいで、変な味の飲み物だったなという感想の他ない。それも十分に違和感か……?


 ……まあ、それはともかくとして、だ。問題は、それで惚れたかどうかだ。


 惚れた腫れた——だなんて深く考えれば考えるほどに抽象的過ぎるワードだが、今回は惚れ薬を飲んだ効果があったかどうかでしかない。


 そういうことであれば、別に目の前にいる羽月さんに対して抱く感情は。薬を飲む前と今とで何も変わりない。


「とてもヤバい人だという確証を得ました」


 だが、その一点だけは揺るぎない事実である。


「つまり、惚れ薬の効果は無かったわけだ」


「はあ。まあ、そういうことになりますね」


「それならば問題あるまい。それは失敗作だったようだ」


 ……まあ、確かに?


「所詮、試薬として作った物だからな。初めから成功、効果があると期待していたわけじゃない」


 その言い分に偽りがないのであれば、私の心配は無駄な徒労に終わっただけだ。


「それならそうと最初から言っておいてくださいよ」


「最初に私が薬の説明をしていた間、君は眉を潜めていたじゃないか。あれは薬の効力を信じていなかったからだと思ったのだよ」


 まあ、すぐホイホイと信じられるものでもなかつわたのは事実だけど……い、いや、待て待て。


「惚れ薬となると、内容が、内容だったので。もしも本当だったら——って考えると困るじゃないですか」


 少し納得しかけたところで思い止まる。

 なぜなら、それまでに説明された薬の効力と今の惚れ薬のような物では他者に与える影響度が違う。


「困る……か。君が私のことを好きになると、何かイケナイ理由があるのか?」


「……だって、私たちは女同士、ですし」


「ああ、そうだな。そこに問題があると君は思うのか?」


「そんなの、それは……」


「君が引っ掛かっている部分は、相手が私かどうかではなく、性別が同じだからなのか?」


 待って、私は、何を聞かれているんだ?

 羽月さんの言葉の裏に何を求められているのか分からない。喉の奥がきゅっと詰まったような息苦しさ。


『—— ——』


 知らないけど、知っている。ヒトがヒトを好きになるということは、悪にもなりうる。


 ……ああ、だめだ。


 思い出したくないことで思考を遮られそうになり、頭をぶんぶんと横に振る。


 答えはまだ、出せそうにない。


「…………どっちでもよくないですか、それ」


 結局、言うに事欠いた私は、まるで拗ねた子供のように、突き放したような言い方で返答してしまう。

 それに気づき、ハッとして羽月さんを見てみると、少し驚いたような表情をしていた。


「こういった質疑応答も、試薬をより完成品に近付けるための過程の一つなんだ。……すまない、嫌な質問をしたな」


「い、いや、それは……」


 ……そうだ。もし今突っ込むべき場所があったとしたら、説明も無しに人の感情に干渉しようとした倫理観の方か。

 冷静じゃなかった——まだ、私は昔のことを引きずっているのかもしれない。

 せっかく、新しい生活で全てをやり直そうと決めたのに。私はまた、失敗ばかりを繰り返している。


「もしも本当に惚れていたとしても、拮抗薬を投与する用意はあった。だから、そんな顔をするな」


 そう言って羽月さんは白衣のポケットから何粒もの丸薬が入った小袋を掲げる。


 そんな顔——私は今、どんな顔をしているんだろう。


「……でも、その拮抗薬が今回の惚れ薬のように、失敗作になってしまうこともあるわけですよね」


「いや、その時失敗に終わっても、いずれは作るさ。見ての通り、私は天才だからな」


 羽月さんは、そう胸を張って言い退ける。

 その言い分に、根拠は含まれていない。なのに私は、その姿に説得力を感じてしまう。


 まあ、格好といい、創薬活動といい、明らかに一般人とは掛け離れた思考を持っているのは間違いない。


「では、行く行くは惚れ薬も……?」


「ああ、惚れ薬に関してもいずれ完成薬を——と言いたいところだが、今回のは実験的な側面が大きい。別に依頼が入る予定もあるし、暫くはノータッチだ」


「依頼……」


「そう。それで私は、その依頼に沿った薬を作り、依頼者に試薬をすることで——」


 そこで羽月さんの言葉が、まるで何かを思い出したかのようにハッと止まる。


「そういえば、君の用事を聞いていなかった」


「あっ、そ、そうでしたね」


 ——そうだ、そうだった。本題がまだだった。


「こほんっ、その、実は、入る部を決めかねていまして」


 答えて、思う。


 え、なに。

 ここまでの展開からの、このしょうもない相談は。

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