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第三話 白衣の少女は創薬中毒


 ふう、不味かった。


 口の中を苦味いっぱいに汚染した飴が消え去る頃には、私は目的地に到着していた。

 近くに他の部室はなく、空き教室ばかりが並ぶ廊下の奥に『創薬部』と手書きで書かれたプレート看板がドアに立て掛けられている。


 うん、ここで間違いない。


 さらに、その上にご丁寧に付箋で【旧】の文字も追加されている。天川さんの言っていた通り、創薬部は今は廃部し、部室だけが残っている状態のようだ。


 すぅー、ふぅー……。


 まずは、深呼吸。その後少し躊躇いながらも、コンコンとドアをノックする。


「す、すみませーん……」


 響くのは木屑を叩いたような鈍い音。

 さすが旧本校舎、現本校舎の鉄筋コンクリートとは違って歴史を感じる木造建築だ。


「——入っていいぞ」


 数秒の間を置いた後に、落ち着いた声がドア越しに返ってくる。中に人はいるらしい。よかった、無駄足にはならなかった。


「で、では」


 私は意を決して、ギィと年季の入った軋み音を立てながら、ゆっくりとドアを開ける。


「失礼し——」


 部室に足を踏み入れると、まず目に入ったのは窓際に凭れ掛かる少女だった。


 左手で白いマグカップを口に含み、右手では器用にも分厚い本をペラペラと捲っている。

 その小柄な体型にはダボダボな白衣をまとい、対照的に真っ黒な長髪は腰まで伸びていた。


 おそらく、私より頭一個分以上低く、身長で言うと140センチぐらいか。

 オーラ——と言えば大袈裟かもしれないけど。

 その人形のように整った顔立ちには、その体型以上にどこか知的で大人びた雰囲気が醸し出されている。


「……ます」


 バタンッ!


 気づけば手を離していたドアの閉じる音がして、その衝撃でハッと我に返る。


 ——見惚れていたからだ、その、姿に。


 不覚にも、見惚れてしまっていたようだ。え、なんでだろう。顔が熱くなる、少しだけ。


「ふう、まだ部室に来たばかりだというのに……」


 少女は小さく呟きながらマグカップを机に置いた後、パタンと分厚い本を閉じ、そのまま右側の本棚にしまった。


 ——そこで、ようやく部室全体が目に入る。


 入ってすぐ前には大きな机。右側奥の本棚には難しそうな本がズラリと並び、左側の棚には化学器具、食器、奥には小さな調理場や冷蔵庫まであった。


 ざっくりと見積もると、約七畳半ほどの室内スペース。私の住むアパートと同じくらいだろう。しかし、そんなワンルームに詰め込むにはあまりにも多すぎる情報量がこの部室にはあった。


「……? どうして突っ立ったままなんだ?」


 私が何も言わず佇んでいるのを見かねてか、少女は訝しげな視線を向けて問いかけてきた。


 ——っとと、気圧されてしまっていた。


 危ない、危ない。


 これ以上変な奴だと怪しまれ、防犯ブザーを鳴らされてしまう前に、用件を伝えなければならない。


「あ、あー、ごめんね。その、まさか中等部の子がいると思わなかったから」


 天川さんの話では創薬部で部長をしていた卒業生が入り浸っているという内容だったから。

 だけど、そうか。

 相談役なんかもしていると言っていた。


 それに、ここは四号館。全学生が入り混じっていてもおかしくない場所だ。

 おそらく、私より先に来た相談者か、或いはその人の妹だったり?


 何にしても、相手が年下なのは助かる。


 私には中学生の妹がいる。年下の相手をするのは同級生を相手にするのよりも何倍も気楽だ。

 何なら、体格だけで判断すれば小学生を相手にしているような気分だ。


 ……いや、制服じゃないところを見るに、案外そうなのかもしれないな。


「ふふっ、その白衣、学校のものを借りたのかな? すごく似合ってるよ」


 にこり。

 私は警戒すべき人間じゃないよ。


 そんな私の言葉に、先ほどまで無表情だった少女の表情筋が少し崩れる。


 ……なんだか、驚いているような……?


「ところで、旧・創薬部の元部長を探しているんだけど、今日はいないのかな?」


 突然の知らない人間の訪問にビックリしているのかもしれない。人生の先輩として、私がリードしなければ——なんてね。

 数年振りに他人に微笑みかけた気がする。これぞ秘義・お姉さんモード。


 まあ、任せてくれ。


「…………おそらく勘違いしているようなので告げておくが、私は中等部生徒ではない」


 …………ん? あー、えっと……。


 なんて?


「まさに今、君が尋ねた本校高等部の卒業生だ」


 ワタシがリードしなけれバ?


 ダレが、マカセテクレって?


「そして、ここ旧・創薬部の元部長は私だ。ちなみに、大学二年生——年齢で言えば、十九歳だ」


 ——バッドコミュニケーション。


「申し訳ございませんでしたっ!」


 私は速攻で頭を下げ、速攻で謝罪の言葉を返した。生まれてこの方私史上、一番失礼な発言をしたという自信があったからだ。


「いや、こういうやり取りには慣れているんだ、問題ない。…………まあ、ここまで子供扱いされたのは初めてだったが」


「あああああすすすすみません、すみませんっ」


 思わず膝も曲げ、床に手を付く。私の土下座は軽いぞ!


「なんだその壊れたロボットのような反応は。私なら大丈夫だから普通にしろ」


「う、うう。で、ですが……」


「その状態の方がやりづらい。いいから、一旦椅子に座ってくれ」


「……は、はいぃ……」


 チラチラと表情を伺うと、本当に困っていそう——というか、ドン引きされていそうだったので、言われるがままに椅子に座る。


 すると、少女——彼女は納得したように頷いた。


 ああ、もう。


 事実を知ってから改めて見ると、子供じみているのは体型だけだ。よく見れば最初からやけに大人っぽい雰囲気と所作だったじゃないか。


「……落ち着いたか?」


「はい……改めてすみませんでした」


「さっきも言ったが、この体型のせいで実年齢通りに見られることは少ないんだ。慣れているさ」


 フォローが入る。だとしても、私は事前に旧・創薬部に卒業生が入り浸っているという情報は聞いていた。しっかり確認してからの判断を下すべきだった。


「しかし、それを避けるために白衣を着ているところもあるのだが……あまり効果はないようだ」


 そう言いながら、これなら大人っぽく見えるだろう? と言わんばかりに、両手を広げて自分の身体を見渡している。


 正直、それに関してはあまり効果はないように思う。コスプレにしか見えなかったというか……。


 い、いや、これ以上の粗相は許されない。本音はお口チャック。


「まあ、そんなことはいいんだ。君は客だろう? まず名前を聞いてもいいかな」


 これまでの言葉通り、本当に気にしていないのだろう、切り替えが早い。私も切り替えねば。


「え、あ、わっ、渡来綿音です」


「……ふむ。わたらい、わたね……」


 とはいえ、そこでコミュニケーション能力まで上昇するわけではない。


 しどろもどろに答えると、彼女は考え込むようにして私の名前を繰り返した。

 まるで私の名前に何か思い当たる節でもあるかのように。


 それとも、単に私の受け答えが聞き取りづらすぎただけか。……アリエール。


「ど、どうかしましたか? 私の名前になにか?」


「いや……なんでもない。ただ、君のような子を見かけたことがなくてな」


「ああ、それなら私、先日入学式を終えたばかりですから。新入生です、高校一年生です」


 学年が違えば知らなくても珍しくないとも思うけど……でも、天川さんは創薬部の人として知っていたんだよな。有名人とも言っていたし。


 それが中高一貫校の特色なのか、それともこの人自身が特殊なのか。


「それに私、外部受験生なので」


 まあ、どちらにしても、内部進学組ではない私のことを知らないのは当然だ。その返答を聞いて、納得したように頷く。


「そういうことか。どこから来たんだ?」


「隣地方ですよ。一応関東ですけどね。城南中学ってところです」


「……なるほどな。ありがとう、紹介感謝するよ」


 ……なんだかな。少し、引っかかるやり取りだったけど——別に話の腰を折るほどのものでもない。


「いえ。それで、その……」


「——と。そうか、私の紹介がまだだったな。私は羽月玖美はつき くるみだ。よろしく頼む」


「ありがとうございます、よろしくお願いします」


「そんなに畏まる必要はないぞ。まあ、好きに呼んでくれ」


「わかりました。えっと……羽月、さん?」


 ひとまず、無難に。大学生相手だし、このぐらいの距離感が正しい……んだよね?


 羽月玖美——私の記憶に思い当たる名前ではない。初対面で間違いない、と思う。


「ちなみに外部生という話だったが、ここがどういう場所なのかは理解しているのか?」


「創薬部、ですよね」


「ああ。とは言っても、元々私が創部し、私しか居なかった部だ。今では廃部して部室だけが残っている」


 羽月さんはそう言って肩をすくめる。

 へえ、部員は一人だけでも部として成り立つのか。


 部活動の入部は学校のルールとして決まっている。

 もしかしたら部の発足自体、結構簡単に認められるものなのかもしれない。


「では、そんな虚室に訪ねてくるということは、君は何か訳ありかな」


「訳あり……というのも大袈裟ですが、相談役? をしていると聞いて。……正しい情報でしたか?」


「そんな役というほど、大それたものではないんだがな……」


 自重気味に笑う。けれど決して嫌がっているわけでもなさそうだ。


「それに、相談役とも少し違うな。私の元には、よく依頼者は来るがね」


 羽月さんはそう言うと椅子から立ち上がり、棚から計量カップと下の引き出しから白い粉の入った小袋を取り出した。


「創薬部——文字通り、私は新しい薬を創ることを目的に日々研究、活動をしている」


 その後、白い粉を計量カップに入れ、次に冷蔵庫から無地の紙パックに入った液体を混ぜて——何をしている? え、危ないヤツ? じゃ、じゃないよね?


「簡単に言えば、私が行なっている活動内容は”普通であれば誰も作れない”か、“誰も作ろうとも思わない”ような薬を創薬する……というものだ」


 そんな興味深い説明も相まって、私は羽月さんの言葉と行動から目と耳が離せないでいた。


「それで、これは今まで私が作ってきた薬たちだが——」


 そう言って棚の引き戸から何やら怪しげな小瓶を取り出し、それをテーブルに並べる。

 小瓶の中からは色とりどりのカプセル剤や飴玉のようなものが次々に落とされ、全て種類が別のものだとわかるようになっていた。


「まず、これは三日前の夕飯を思い出す薬。それは水中で息を止めるのが少し長くなる薬。次は左右靴下を履き違えない薬で——」


 は、はあ。


 ツラツラと一錠ずつ丁寧に説明してくれる。くれる、けど……。頭の中で「???」が乱舞している。


「なんだか、個性的な薬ばかりですね」


「なんだその信用ならないという表情は」


「い、いえいえ、そんなそんな」


 私は慌てて手をひらひらと振る。

 ……とは言ったものの。

 正直、どれもこれも胡散臭い薬にしか見えない聞こえない。


「……本当に効果があるの?」


 あっ、声に出してしまった。


 そんな疑いの目を向ける私に対し、羽月さんは特に怒るでもなく「ふむ」と一つ頷く。

 その後、先ほどまで手を動かしていた液体の入った計量カップを取り上げ、飴玉のようなものを中に入れた。


「まあ、ものは試しだ。これはちょうど今日試す予定だったものだ。飲んでみてくれ」


 あっ。


 えー、怖すぎません?


 私は数秒前に放った、自身の発言を嘆き呪った。

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