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第二十六話 それでいい


「……前、渡来さんに創薬部について聞いたとき、三日前の夕飯を思い出す薬とか、告白する勇気が出る薬とか、そういう薬を作ってるって言ってたよね?」


 ああ、そんなことも話したっけ。

 たぶん、江夏さんの依頼を受けた次の日のことだったと思う。……そう考えると、天川さんとはほとんど毎日、何かしら話してるんだなと気づく。


「それで、どんな薬が欲しいかって依頼を受けて、実際に薬を作るっていう……あってるよね?」


 私は頷いた。

 天川さんはいつになく真面目な顔をしていて、その真剣な眼差しに、思わず息が止まる。


「そのときに、今度私も薬作ってもらいに行ってみるって話もしたと思うんだけど……」


 たしかに、そういう話はあった。あのときは冗談だと思って流してたけど。……いや、今その話をされても、ちょっと困るな。

 もし薬の依頼をするために私に仲介を頼みたいという話であれば、今の私じゃ羽月さんとまともに顔を合わせられそうにない。


「今、私も相談——依頼、してみようかな。渡来さんに」

「……相談を、私に? 薬を依頼するってことですか?」

「うん」

「え、いやでも、私は羽月さんみたいに薬は……」

「大丈夫だよ」


 ――作れない。

 そう言いかけた言葉を、天川さんがやわらかい口調で遮った。

 ……ということは、私でもどうにかできる内容なのかな。けど、それくらいの悩みなら、天川さん自身で解決できてしまいそうにも思える。


「私の依頼はね……」


 少し間があいて、すっと息を吸う音がした。

 まるで、これから言う言葉に助走をつけるみたいに。

 その仕草に、私は反射的に背筋を伸ばしていた。


「『悩んでいる友達の助けになる薬』が欲しいの」


 そして、そう言い切った天川さんの真っ直ぐな眼差しに、息を呑む。


 その言葉の意味を考える。……いや、考えるまでもない。

 卑屈な私でも、すぐにわかってしまった。

 ――その“悩んでいる友達”というのは、きっと私のことだ。


「なんでそんなことを、私なんかに……」

「そんなの、友達だからだよ」


 一歩距離を取ろうとした私から目を逸らさず、天川さんは笑って言い切った。


 その言葉には、胸の奥に突き刺さるようなあたたかさがあった。

 あまりにもまっすぐすぎて、どう受け止めればいいのか分からない。

 その瞳に映る自分が、情けなく思えた。


 ――私なんかが、そんな言葉をもらっていいんだろうか。……天川さんという“友達”を受け入れてしまって、いいんだろうか。


 いつかのように、すべてが崩れてしまうのが怖い。そんな感情が、ないとは言い切れなかった。


「――ごめん、天川さん」


 気づけば、衝動的に謝っていた。

 天川さんの眉が、ほんの少しだけ動く。


「あ……や、やっぱり、迷惑……だったかな」


 少し震える声。私はすぐに首を横に振った。


「違う」

「……え?」


 困ったように目を丸くする天川さん。その瞳の奥に、ほんのり涙が滲んで見えた。

 きっと気のせいじゃない。その感情の揺れの原因が私のせいだと思うと、胸がきゅっと締めつけられた。


 ……今までも、何度も天川さんは私に声をかけてくれた。

 そのたびに私は本心を隠し、取り繕って、心を閉ざすような態度で示してきた。

 それでも、天川さんは深く踏み込まず、笑顔で毎日のように話しかけてくれた。


「……私と天川さんは、友達なんだもんね」


 ――そう、天川さんは、私の友達だ。


 今まで曖昧にしてきた言葉を、はっきりと口にする。

 それは今まで避けていた部分。だからこそ、私にとってはとても大きな一歩だった。


 驚いた顔を見せたあと、「……うん」と天川さんはふんわり笑って頷いた。

 その笑顔に、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


「天川さんの、『友達の助けになる薬』が欲しいって依頼……私、受けることにする」


 私には、羽月さんみたいに巧みに舞台を整えて、プラセボ効果を生み出すような真似はできない。


「だから、私の助けになってほしい」


 ただ、自称天才で無茶苦茶な羽月さんのいる創薬部。

 こんな私を友達だと言ってくれた天川さん。

 今は、そのどれも手放したくないと思ってしまう。


「うん……! 私に任せてよ!」

「……ありがとう」


 純粋無垢な力強い言葉に、全身を打たれる。

 ――うん、大丈夫。

 心の中で、もう一度そう呟いてから、私はゆっくりと口を開いた。


「天川さんとは朝のホームルームで、何度か創薬部について話したとは思うんだけど……」


 どこからどう話せばうまく伝わるのか、頭の中で整理しながら言葉をつなぐ。


「前に、創薬部はどうだったって会話をしたとき、惚れ薬を飲まされたって話、覚えてる?」

「もちろん! すごい衝撃的だったし……」

「だけど、それは失敗作で、効果がなくて」

「うん、それも言ってたね」

「そう、うん。なかった、んだけど……はず、だったんだけど」


 喉が詰まる。

 ここからが本当の“告白”になる。

 深呼吸して、緊張をなんとか誤魔化した。喉が少しだけ震える。


「私、後になって、羽月さんのことを……意識し始めた」


 天川さんは、黙って聞いてくれていた。

 その眼差しに救われるような気がして、私は続けた。


「それで、気づいたんだ。私、羽月さんのことが好きなんだって」


 息を呑むような気配がした。

 静まり返った空間の中で、自分の鼓動だけがやけに大きく響いている。


「だから、これは惚れ薬のせいだって思った。アレは失敗作じゃなくて、ちゃんと効果があったんだってね」

「そ、そんな……あっ、でも、もし効果があったら拮抗薬がどうとかって言ってなかったっけ?」


 私の話に驚いた表情を浮かべていた天川さんが、ハッと思い出したように言う。よく覚えてくれている。


「そう。私も拮抗薬をもらおうと思ってた。でも、その話をする前に――羽月さんの、創薬部での本当の目的を聞いて」

「本当の目的?」

「うん。創薬部で作っていた薬は、全部プラセボ効果を利用した偽薬だった……ってこと」


 私はできるだけ正確に、羽月さんから聞いたことを伝える。

 羽月さんの薬は全部偽薬であり、あくまでプラセボ効果を研究するためのもの。

 そして、そのカラクリを知った瞬間、プラセボ効果で効力を発揮している羽月さんの薬の効果はなくなってしまうこと。


「だからつまり、私の“好き”って気持ちは、惚れ薬のせいじゃない。……だけど、好き。だから、それがプラセボ効果なのか、それとも本当の感情なのか……ぐちゃぐちゃになって、わからなくなって」


 言い終えると、天川さんはしばらく黙っていた。

 ……そりゃ、混乱するよね。自分でも整理しきれてない話だもん。


 静寂が、やけに長く感じた。

 時計の針がゆっくり進む音だけが、やけに大きく聞こえて、心臓の音がそれに重なって響く。


 ――拒絶されるかもしれない。

 そんなの知らない、気持ち悪いって言われるかもしれない。

 葵衣が浴びせられたあの冷たい視線や言葉を、私にも向けられてしまうかもしれない。


 でも、どうなっても受け止める。

 それが、今の私の“覚悟”だ。


 ……ほんとは、怖かったけど。


 やがて、天川さんはゆっくり目を閉じ、少し間を置いてから言った。


「つまり、渡来さんは……羽月さんを好きになって、最初は薬のせいだと思ったんだよね?」

「うん」

「でも、もともと薬には惚れ薬の効果なんてなくて……それでも、今も、羽月さんが好きなんだよね?」

「……うん」


 小さな声で頷く。

 次の言葉を待つのが、こんなに怖い。心臓が押し潰されそうな感覚に、引き離したい視線を無理やり繋ぎ止める。


 私は、天川さんからの言葉を待って——。


「じゃあ、それでいいと思う」


 ——それでいい。


 天川さんは、真っ直ぐに私を見て、小さく笑った。

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