第二十五話 ギャルシチュ
「渡来さんの家で晩ご飯——嬉しいけど、本当にいいの?」
「は、はい。一人で食べるには多すぎて。……天川さんが、よければ、ですけど」
自分から誘っておきながら、陰キャが急に距離詰めてきてて草、なんて思われてたらどうしよう——なんて感情が湧き上がる。
自然と言葉は絞り出すように声色に。
けれど、その心配は杞憂だったらしい。天川さんの顔は、太陽みたいにぱっと明るくなる。
「じゃあ、遠慮なくいただいちゃうね! ——あっ、お母さんにご飯食べてから帰るって連絡入れるから、ちょっと待っててね?」
そう言うが早いか、スマホを取り出してぽちぽちと手際よく操作する。
「……よしっ、送ったよ! ……あっ、返事きた! オッケーだって!」
え、はやくない? 今の一瞬で「ご飯食べて帰る→オッケー」のやり取りを完走したの?
私なんて、妹に「お姉ちゃん、返事の遅さがおばあちゃんみたい」と評されるぐらいだぞ。
ネット浸りの人間ゆえにタイピングは早いはずなのに、メッセージアプリを通すと急にデバフがかかるのだ。
「ええと、じゃあ……どうぞ」
玄関のドアの先へ促すと、殺風景な一人暮らしの部屋が広がっていた。
入り口からリビングまで白い壁には何も飾りがなく、家具も最低限。
引っ越して一ヶ月以上経つのに、隅にはまだダンボールが積まれている。
「お邪魔しまーすっ」
今のアパートに越して初めての来客。
そのまま部屋まで招き入れると、いつもの静寂が天川さんの明るい声で満たされていく。
殺風景な空間に、少しずつ色が差し込んでいくような、不思議な感覚。
「適当に座っててください。料理、持ってくるので」
「あ、うんっ。ありがとう!」
一応来客用に用意してあった――これまで一度も出番のなかった――座布団の上に、天川さんが腰を下ろす。
「ううーん、いい匂いがするっ。渡来さん、料理上手なんだねっ!」
「いや、たまにしかしないですけどね」
「それでもすごいよ〜。こういうの見ると、一人暮らし憧れちゃうな〜」
キッチンでビーフシチューを盛り付けながら、天川さんの声に耳を傾ける。たしかに、一人暮らしは気楽だ。個人的にはして良かったなと思っている。洗濯とかご飯の用意とか、随所で今までの母のありがたみを感じつつもね。
「お待たせしました」
湯気の立つ皿が二つに、麦茶の入ったコップ。天川さんの待つ机の上に並べ置く。
「たまにでこれならすごくないっ!?」
「あ、ありがとうございます」
……どうしてかな。普段なら、そんな褒め言葉に卑屈になるところだけど、今日のそれは素直にうれしいと思った。
「じゃあ、いただきますっ」
「……いただきます」
手を合わせると、ふたりの声がほとんど同時に重なった。
「あーん……。んん……! すごい美味しい〜! 渡来さん、もしかして天才なんじゃない!?」
一口食べた天川さんが、目を輝かせて言う。
大げさだな、と苦笑しつつ自分も口に運ぶ。
……うん、確かに美味しい。
我ながらよくできたと思うし、それを誰かに美味しいと言ってもらえるのは、よりいっそうに嬉しい。家族以外に料理を振る舞うのは初めてだったが、その相手がまさか天川さんになるとはね。
「天川さんは作らないんですか?」
「料理はお母さんのお手伝いで、ほんとにたまにかな。お菓子とかは、たまに作るけどね」
「そうなんですね。私、逆にお菓子の方はほとんど作ったことないです」
お菓子作り——意外ともイメージ通りとも取れるような。お菓子は妹がよく作っていて、何度か手伝わされたことはある。私は一から作った経験はほぼないけど。
「じゃあ、私が教えてあげる! 代わりに、渡来さんは料理を教えて?」
「あー、うん。……はい」
一瞬、固まる。
私と天川さんが一緒に台所に立つ絵が、どうにも想像できなかったからだ。わざわざ断るのも無粋だと思い、うなずきはしたけど……。正直、実現するとも思えない。
「あ、それでね。今日のホームルームでさ――」
その後も、ビーフシチューを食べながら会話は続いた。
天川さんの話題は尽きず、その陽気さに圧倒される。
私が「うん」とか「はい」とか、たった二、三文字を返すだけでも、天川さんの話題の種は成長期の植物みたいに、すくすくと伸びていく。
そんなやり取りを俯瞰すると、ふと昔の自分を思い出す。
かつての私も、こんなふうに誰かと話せていたのだろうか。
——夢で見た、葵衣たちと笑い合っていた頃の自分と、今の自分。まるで別人のようで、どこかに小さな喪失感が滲む。
気づけば窓の外では夕暮れも終わり、月と街灯の灯りのみが夜空を照らしていた。
「で、部活で――」
話題が部活動に移りかけたところで、天川さんがぱちんと手を叩いた。
その音に、夢からさめたみたいに思考がいまへ引き戻される。
「あ、そうだ。もう、入部する部は決めたの?」
「そ、それは……」
喉の奥で言葉がつっかえる。羽月さんの姿が頭に浮かぶ。
いっそ、思考から外してしまいたいのに。
頭では整理しようとしても、感情が追いつかない。
「えっと、昨日までは創薬部を復活させようと思ってて……」
「え、復活!? じゃあ、渡来さんが部長……ってこと?」
「まあ、そうなりますかね」
「……でも、昨日までって?」
「あー……んー」
どう説明すればいいのだろう。適当に濁せばよかった話題も、私の返答が萎え切らずに変な空気になる。
「……今は、ちょっと先のことはわからないですね」
引っかかりのある返答に、天川さんが小首をかしげる。
けれど、その先のことばが出てこない。
私はどうしたいのか、どうするつもりなのか――自分のことなのに、分からない。
頭の中で言葉が堂々巡りを始めた。
「……創薬部で、羽月さんって人と、何かあったの?」
「っ――」
核心を突かれ、さらに動揺する。
心臓が早鐘を打ち、手のひらに汗がにじむのを自覚した。
「……うん、なるほど」
私が返答に詰まると、天川さんはスプーンを置き、静かにうなずいた。
まるで、私の心の内側をそっと覗き込んで、そっと受け止めるみたいに。
「前から、ちょっと思ってたけど……渡来さん、創薬部や羽月さんの話になると、様子がおかしくなってる……気がする」
たぶん、私の様子はいつもおかしい。……と思われていても仕方ない私だが、それでもあえて言ってきたということは、それだけ態度にわかりやすく出てしまっていたのかもしれない。
……いつもの言い訳や誤魔化した言葉は出てこない。私は何も言い返せず、テーブルの上の食器を見つめる。それが、天川さんの疑問への答えになっていた。




