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第二十一話 いつかのゆめ


 ――その日、私は夢を見た。

 ただ、夢というには意識が半分残っているような、この感覚は以前にも味わったことがある。夢だと理解しながらも、どうしようもなく俯瞰的な視点で眺めるしかない状態だった。


 舞台は教室の中。窓から見える景色。見覚えのある面々。

 ……わかった。これは、中学生の頃の記憶だ。思い出したくもない過去の記憶が、映画のフィルムのように次々と紡がれていく。


 どうしてだ。最近は、ようやく見なくなっていたのに。なぜ今、この記憶が蘇るのか。


「――しばらく、道徳の時間では多様性について思考していく時間とします」


 教室に先生の声が響く。私の視線の先には、ちゃんと話を聞く姿勢を取っている、中学生の頃の自分。あの頃の私は、今よりずっと明るくて、素直だった。


「今回は取り上げる議題はまず、同性愛。いわゆるLGBTについて——」


 先生の解説を聞きながら、クラスの反応をうかがう。興味津々な顔、困惑した表情、無関心の者。さまざまな反応が入り混じる中、グループディスカッションの時間へと移っていく。

 当時一番仲良しだった葵衣に加えて、三年生になってから自然と仲良しグループのようになっていた二人を加えた四人組。


「LGBT、か……」


 そのワードはネットやニュースで何度か見聞きしたことがあった。授業でやるには、中々に現代的で、センシティブな内容だと思った。


「……綿音は、どう思うの?」


 葵衣が慎重に、出方を窺うように尋ねてきた。どう思う――そう聞かれても、あまり深く考えたことはなかった、というのが正直なところだった。

 それに、私は中学三年生に至るまで好きな人ができたことすら一度もなかった。周りとの恋愛に関する温度差に、自分には恋愛感情というものが欠落しているのではと不安になる瞬間もあった。なのに、そんな自分がこの議題に意見していいのだろうか。


「いいんじゃないかな?」


 とは思いつつ、そもそも普段あまり考えることがないテーマを考える、というのが根本的な趣旨の授業だろうと判断した私は、率直な意見を口にした。


「身近にそういう人がいても、特に何も思わないよ」

「あーね。最近? 結構、そういう人もいるって話だよね。私も偏見とかないかな」

「ね。今時普通かも。たまに同棲パートナーのショートとか流れてきて、私見ることあるもん」


 私の意見に続いた二人も、肯定的な意見だった。


「そ、そっか……うん。そう、だよね」


 すると私を含む三人の意見を聞き終えた葵衣は、安心したような表情を浮かべた。


「……葵衣、どうしたの?」


 いつもと違う様子を不思議に思った私は、葵衣に問いかけた。


 ――やめて。聞かないで。それ以上、しゃべるのはやめた方がいいんだ。


 手を伸ばして止めようとしても、私の体は動かない。過去の自分と、葵衣に叫びたくなる。


「あ、あのね。この四人にだけ、言おうと思うの。実は、私――」


 その先の言葉は――


「実は……私、男の子じゃなくて、女の子が好きみたいなの」


 その言葉を聞いた当時の私は、一瞬頭の中が真っ白になったのを覚えている。


「その、レズビアン……って言うらしいんだけど」


 恐る恐る続きの言葉を紡ぐ葵衣を見て、私はすぐに我に返る。


「そうだったんだ。……言ってくれてありがとう、葵衣」


 そうやって反射的に出た言葉は、嘘偽りない心からの言葉だった。そんな私の言葉に、他の二人も釣られるように頷く。葵衣の顔が、安堵の表情でほころんだ。


 ――放課後、いつものように葵衣と二人で歩く帰り道。


「ありがとう、綿音。私、引かれちゃうかと思って……本当は、言うの……怖かったの」

「ううん。私のほうこそ、気づかなくてごめんね。でも、私は絶対に葵衣の味方だよ……!」


 そうして私は、葵衣に無責任で耳障りの良い言葉を投げかけたのだった。




「……朝か」


 ちゅんちゅんと小鳥のさえずりが聞こえてくる。目覚ましより先に目が覚めたようだ。後で鳴ってしまわないよう事前に止めておく。毛布を剥ぎ取り、起き上がる。


 ……眠い。浅い夢を見ていたせいか、ぐっすり眠れなかったようだ。早起きのわりに、目覚めが悪い。だけど、二度寝する気分じゃない。


 そうだな……珍しく朝食を作ってみようか。それとも、朝の散歩でも楽しむか。


 そんなことを考えながら、私はただベッドに座り込んだままでいた。ぼーっと天井を見つめ、昨日のことを思い返す。


 羽月さんのこと。惚れ薬のこと。拮抗薬のこと。考えれば考えるほど、寝起きの思考回路はショートしてしまいそうだ。


「……あ」


 ふと我に返り、時計を見ると、すでに通常の起床時間をはるかに過ぎていた。朝食や散歩どころか、いつもの準備をする時間すら危うい状況になってしまっていた。




「おはようっ! 今日はギリギリセーフだね?」


 ホームルームの始まる一分前、遅刻ギリギリに教室に入ると、もうすっかり見慣れた景色の中、私に挨拶してくれる天川さんが前の席にいた。


「おはようございます」


 気のない挨拶を返す。無表情な私と比べて、天川さんは太陽のような笑顔だ。月と太陽か。……いや、表現が綺麗すぎる。陰と陽くらいがちょうどいいか。


「ねえねえ、渡来さんは文理選択、どうする予定なの?」


 だから、会話をスムーズに進められるんだろう。……って、急に文理選択? 文系、理系の話? 確か、選択の時期は三学期だったはずだけど。


「昨日、先生がホームルームで明日現時点での文理選択の希望を聞くって言ってたけど……覚えてない?」

「……言ってたっけ?」

「うん、言ってた」


 私が小首を傾げて確認すると、天川さんに苦笑される。そんな会話をしていると、ホームルーム開始のチャイムが鳴り、先生が紙束を持って教室に入ってきた。


「よーし、今からホームルーム始まるが――よし、全員いるな。まずは昨日言った文理選択の希望を聞く紙を配るから記入してくれ」


 早速、答え合わせが出た。やっぱり、本当だった。


「どうしよう、何も考えてなかった」


 昨日そんな話が出ていたなんて、まったく聞いていなかった。文系、理系か。うーん。急に言われても……いや、本当は急じゃないんだろうけれど。これ、人生の分岐点みたいな重大な選択だよね、さすがに。ゲームでいえば、セーブポイント必須のイベントだ。


「まあ、これで決まりってわけじゃないらしいから、適当に書いておいてもいいんじゃないかな?」

「まあ……そうかも。全然考えられてないし、適当でいいかな……」


 確かに、今回は現時点での希望を確認するという話なだけで、最終的な決断は三学期までにしておけばいいということだろう。今から考えるにしても、頭が回らない。


「じゃあ、私が代わりに書いておいてあげるね!」


 そう言って天川さんは前の席から順に流れてきた私のプリント用紙を差し出してきたので、私はうなずいた。


「はい、できた! でも渡来さん、創薬部に行ってたりで理系っぽいけどね。だけど、私と一緒にしといたっ」


 その文系か理系かを記入する欄には、文系のところにチェックが入れられていた。そりゃ、ギャルは文系か。妙に納得してしまう。


 ……それで言えば、羽月さんはどうなんだろう。少し気になった。……まあ、理系かな。普通に考えれば。雰囲気とか、しゃべり方とか。何より、白衣だし。


「……? 大丈夫?」

「あ、うん。はい。ありがとうございます」


 そんなことを考えている間で返答のない私を見て、不安そうな表情で天川さんは問いかけてくる。


「なら、よかったけど……考えごと?」

「うーん……はい」

「何か困ったことがあったら言ってね?」

「ありがとうございます」


 あまり煮詰まらない答えになる。羽月さんのことを考えていました――と一言で片付ければいいものの、そこに好きという感情が乗っているのを自覚してしまっているせいで、言葉にしづらい。それを言うなら、その原因も話す必要が出てくる。とはいえ、詳細に説明するのも大変だし、天川さんに言うような内容でもない。


「じゃあ、記入し終えたら紙を回収するぞー」


 そこで先生の声がし、紙は前の席に流されていく。


「ねえねえ、文理どっちにしたっ?」

「私? 私はね――」


 早速文理選択の件で天川さんが前の席の子に話しかけられていて、そこで会話も終わった。なぜだか、朝は天川さんと会話をするのが日課のようになっている気がする。不思議な話だ。私がギャルと会話するのが日課だなんて。


 だけど、それよりも今は、他のことで頭がいっぱいだった。うまく説明できないけど。……心がざわついて、胸騒ぎがする。そんなホームルームだった。

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