第二十話 平熱でスキ
家に帰ってからしばらくして、乱れていた感情も徐々に落ち着いていく。一応、体温も測っておいた。三十五度三分。むしろ、世の平均体温より低め。私にとっては、ザ・平熱だ。
……となると、やはり私の顔が赤いのは発熱によるものではない。この事実に、心臓が妙な跳ね方をする。
その後はいつものルーティン染みた行動のもと、夕食とお風呂を済ませ、ベッドに横たわった。携帯を手に取り、あるものを確認するために画面を眺める。
「ナンダコレ」
気がつけばつぶやいてしまっていた。放課後に大宅先輩と交わした会話が蘇る。
『今回描いた漫画の主人公、渡来ちゃんがモデルみたいなところあるからね。ヒロインが、羽月さんで。……あっ、後出しでごめんね?』
『うんうん。羽月さんとあんなにラブラブしてくれてたから描けた話だよ。そのおかげで私、自分が本当に描きたい話が何なのか……それを思い出すことができたんだ』
あのときに言っていたことは、本当だったんだ。私は思わず頭を抱えながら、「オタ香」と表示されるアカウントを改めて見る。まるで証拠を確かめるかのように、慎重に画面をスクロールする。
トップには『感情の機微(1/4)』と漫画の画像が添付された投稿が固定されていた。イイぞ数は前回バズった投稿と比較して半分も満たないが、それでも十分すぎる数だと思う。……それよりも、問題はその漫画の内容だった。
話をかいつまんでまとめると、真面目で几帳面な高校生の主人公は、学校の化学部で助手として活動していた。ある日、彼女は謎めいた美人の先輩と出会う。先輩はさまざまな研究に没頭しており、その知識と情熱に主人公は次第に惹かれていく。
ある日、先輩が開発中の感情増幅装置を誤って主人公に作動させてしまう。その結果、主人公の先輩への隠れた感情が増幅され、奇妙な状況が次々と巻き起こる。冷静沈着な主人公が思いもよらない行動を取るようになり、周囲を驚かせる。
一方、先輩も主人公の変化に戸惑いながらも、彼女の純粋な感情に心を動かされていく。二人は薬の影響を抑えつつ、徐々に互いの本当の気持ちに気づいていく。
……なるほど、私と羽月さんを参考にしたと言っていただけあって、登場人物の容姿やしゃべり方に既視感がありすぎる。まるで鏡を見ているような気分だ。
『尊い』『こういう話も描くんですね』『口角が裂けた』
漫画へのコメントにはさまざまな感想が並んでいた。どうしてだろう。自分に言われているわけではないのに、なんだか恥ずかしい。この漫画の登場人物は厳密には私ではないのに、私に似せられているというのは理解できてしまう——だから恥ずかしい。
私は誤魔化すように頭を横に振り、気を紛らわす目的で大宅先輩が他に何か投稿していないか、一旦その漫画から目を離し、画面をスクロールする。
『インスピレーション湧きすぎてご飯抜いて作業してるけどあの二人のいる空気があまりに尊すぎたのでその記憶をご馳走に口に詰め込み頬張りながらペン走らせてる』
『時代は”ユリ”。……なんだよなぁ……』
『名前のおかげで実質後輩ちゃんに”オタク先輩”って呼ばれるの、さすがに気持ち良すぎるんだワ』
……あまりに模範的オタクの投稿すぎて、間違いなく大宅先輩のアカウントだと確信が持てた。それよりも前の投稿に遡ると『もうむりぽ』『今日もパソコンの前で唸ってるだけで一日が終わった』などなど、漫画が描けないと嘆いていた期間であることがわかるように、疲弊しきった内容となっていた。その苦悩を語る姿を実際に目にした今、ちゃんと漫画を描き上げたという事実が感慨深い。
……主人公は私をモデルに、ヒロインは羽月さん。
大宅先輩は私と羽月さんがラブラブしていたおかげもあって描けたと言っていた。そう思わせるような雰囲気を作り上げてしまっていたのだろう。
そういえば、用事があったらDMしてこいと言っていた。江夏先輩にしたように、相談してみようか。私は大宅先輩のアカウントDMに、まず私であることを明かし、漫画の感想を打ち込む。どうせ何もつぶやいていないようなアカウントだ。バレても問題ない。
『渡来です。漫画読みました。恥ずかしかったですけど、面白かったです』
打ち込んでから一旦アプリを落とそうとすると、すぐに通知が来る。一分も経ってないぞ。
『やほ、読んでくれたの? ありが10!!!』
なんか古いな……。その次に、江夏先輩にしたようにこれは友達の話と前置きし、羽月先輩への気持ちの変化や、自分の感情の混乱について、名前は伏せて簡潔に説明した。
『それ、恋じゃんね。で、それなんてギャルゲ?』
三秒で返信が来た。
『教えて教えて教えて教えて続き気になりすぎて授業中しか眠れなe』
……とりあえず、このままにしておこう。
私は枕元に携帯を放り投げ、天井を見上げた。瞼を閉じて深く深呼吸をすると、胸の奥がざわついて、落ち着かなかった心が徐々に正常に稼働し出した。
……散々悩まされ、相談もして、考えて、ようやく結論が出た。
「……私、羽月さんのことが好きなんだ」
そう言葉にすると、なんとなくしっくり来た。同時に、自分の心の内を認めた瞬間、頬が熱くなるのを感じる。今まで恋なき人生だったけれど、ここに来て。よりにもよって、私が、恋を。しかも、女の子を相手に。自分でも信じられない気持ちだ。
しかし、なぜそんな感情を抱いてしまったのか。原因はわかっていた。ここ数日間、羽月さんと行動を共にしたからこそ、私が羽月さんを好きになったのだと納得させられてしまう。
江夏先輩が依頼した『告白する勇気が出る薬』
生徒会長が依頼した『相手の考えていることがわかる薬』
大宅先輩が依頼した『インスピレーションが湧く薬』
羽月さんは、すべての依頼をことごとく成功させてきた一方で、私が見た中で唯一効力がなかった薬があった。出会った初日に飲むよう促されたアレだ。思い出すだけで頭が痛くなる。
『飲ませた相手を惚れさせる薬』
いわゆる“惚れ薬”だ。思えば、試薬品だったから、と効果がなかったことに羽月さんもすぐに納得していたけれど、あの薬だけがたまたま失敗に終わったと考えるのは、今思うと少々違和感が残る話だ。
結果として、今の私が答えだ。試薬品ゆえに効果の表れにズレが生じたのかはわからない。だけど、この現状をまとめると私が羽月さんを好きになってしまったのは、あの薬が原因に違いなかった。
「……明日、拮抗薬をもらおう」
そう心に決める。あの日、もしも惚れ薬に効果が出ていたら、拮抗薬を用意していたと羽月さんは言っていた。ならば、頼めば用意してくれるだろう。
正直、惚れ薬のせいとはいえ、「羽月さんのことを好きになってしまったので治してください」と言わなければならないのは躊躇したくなるところだ。でも、このままではいけない。背に腹は代えられぬというやつだ。
うん。そうと決めたら、だんだんと心も落ち着いてきた気がした。むしろ、すっきりした気分だった。
……じゃあ、そろそろ寝よう。
部屋の灯りを消して、毛布に包まる。早く明日になれ——はやる気持ちを抑え、私は瞼を閉じた。羽月さんの顔が脳裏に浮かび、なかなか眠れない。……これは、拮抗薬をもらうまでは治りそうにはなかった。




