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第十九話 予感、可能性


「……どうした? 入らないのか?」


 そうして廊下にいつまで立ち尽くしていたのだろう。一向に部室に戻らない私の様子を、羽月さんが確認しに来た。


「は、はひっ?」

「ふ……っ、君、なんだその返事は」


 私の挙動不審すぎる返事に、珍しく噴き出すように笑う羽月さん。珍しいものを見られた。少し得した気分――と思えたら楽だった。


「いや、顔が赤いな……大丈夫なのか?」


 そうならなかったのは、おそらく私の頭が羽月さんでいっぱいになってしまっているからだ。タイミングが悪い。

 今でさえ、羽月さんの一挙一動が気になり、意識してしまう。まるで好きな人の前で緊張している中学生みたいな気分だった。

 ……知らないけど。たぶん、こんな感じだ。


「だいじょうぶ、です」


 私は片言で取り繕う。


「いいや、熱かもしれない。ううむ、今日は話しておきたいことがあったのだが」


 もちろん、見逃されはしない。察しが悪い人間であったとしても、今の私の態度は普通に見えないだろう。羽月さんを相手にしているならなおさらだ。


「いえ、本当に大丈夫ですので。話すべきことがあるなら、話していただいても」


「ああ、別に急ぎの用ではないんだ。また後日、体調が戻ったら話すことにしよう」


 本当に体調が悪いわけではないのに、強がっているように見えたのかもしれない。気遣うように言い聞かされる。


 ……だけど、今私が平常心でいられないのも、また事実だった。心配させてしまうのも悪いし、ここは、ご厚意に甘えて帰ったほうがいいと考えを改める。


「わかりました。じゃあ、今日のところは帰りますね」

「ああ、そうしておけ」


 羽月さんが私の目を見てうなずく。


「それと、今回の依頼のことだが――上手くいったのは、君のおかげだ。ありがとう」


 そして、薄く微笑みながら、私に感謝の言葉を伝えた。――どきり。なぜか私の鼓動が一度大きく跳ねる。


 ……私のおかげ、か。羽月さんは、以前も似たようなことを私に言ってくれた。そう言われるたびに、何か役に立つことをしたのか疑問に思う。


 依頼者に言われるのならともかく、羽月さんに対して何かできたわけでもないのだから。だけど、今の私にそういった言葉を並べる余裕は一切なかった。


「は、はい。ありがとうございます。それでは……」


 熱だと思われているうちに離れよう。私はおそらく赤くなっているのだろう表情をこれ以上見られぬよう、顔を逸らしながら返答し、そのまま羽月さんのそばから逃げるように去った。


「……ほんと。どうしたんだろ、私」


 しばらく歩いて、羽月さんの姿が見えなくなったところで一息つく。頭で考えても答えが見つからないので言葉にしてみたけれど、天から何か降ってくるわけでもない。


 ……とりあえず、帰ろう。


 放課後の文化部が並ぶ校舎は、吹奏楽部や軽音部など、楽器を使用する部は別校舎ということもあり、静寂に包まれ、廊下に響く自分の足音だけが妙に大きく聞こえた。


 窓から差し込む夕暮れの光が、黄金色の帯となって床に伸びている。普段なら何とも思わないであろうこの光景が、今の私には少し切なく感じられた。


 とぼとぼと一年生の靴箱を目的地に向かって歩いていると、ふと視界に見知った姿が飛び込んできた。


「あれ、渡来さん?」


 その正体は、江夏先輩だった。


「あ、どうも」

「今からどこか行くところですか? 羽月さんの姿が見当たらないですが……」

「今日は私が一足先に帰るだけですので、羽月さんはまだ部室にいますよ」

「お帰りになられるのですね。何かご用事ですか?」

「いえ、体調が、あまり。深刻ではないんですけど、大事を取って帰るつもりです」

「なるほど、そうなんですか。それはお大事にしてください」


 心配そうに気にかけてくれる。嘘をついているようで、ちょっと心苦しい。


「ちょうど今、生徒会の活動で部活巡回をしていたんです。今から創薬部に顔を出すところだったのですが……」


 江夏先輩は残念そうな表情を浮かべる。部活巡回。お勤めご苦労さま、といったところだ。私も、話す機会があれば生徒会長とのその後の話を聞いてみたいと思っていたのでタイミングが悪かった。


「でも、創薬部ってまだ廃部扱いですよね?」

「ふふ、そうですね。ですが、羽月さんはずっと部室にいらしてますし、ほぼ部公認のようになっているんですよ」

「なるほど……」

「だから、渡来さんが創薬部を名実ともに復活させてくれたらわかりやすくて、私としても嬉しいのですが」


 創薬部の復活――その話も、ゆくゆくは整理していかないといけない。……その前に、今の私の状態をどうにかしないといけないのだけど。


「……と、体調が悪いのに話し込んでは駄目ですね。気をつけてお帰りください」

「すみません。では、また機会があれば。羽月さんは部室にいるので、よろしくお願いします」

「はい。ですが、生徒会室でも言いましたが、渡来さん自身も、何か頼みなどがあれば言ってください。私にできることであれば、力になりますから」


 何かあれば――その言葉は、流れだけみれば形式的な気遣いのようにも聞こえる。だけど、今の私からすれば、とてもありがたい言葉かもしれないと思った。

 ……どうせ、頼れる人は少ない。数少ない、学内で見知った人間だ。今回のことを、相談してみるのもいいかもしれない。


「……では、少しいいですか? 時間は取らせませんので」

「はい。体調に問題がないのであれば……もちろん、大丈夫ですよ」


 私の言葉に、江夏先輩は意外そうな表情を浮かべた後、快く承諾してくれた。


「頼みというか、質問……聞きたいことがあるんです」


 私は少しためらいながらも、思い切って切り出した。江夏先輩は真面目な表情に切り替え、私の言葉を待っている。


「それで、これは友達から聞いた話なんですけど……」


 と前置きしつつ、羽月さんの名前は伏せたまま、私は最近感じている不思議な感情について説明を始めた。


 ……正直、こんな前置きを入れられても私が同じ立場なら自分のことを話しているのかなと疑いかけてしまいそうだけど、この際気にせずに続けた。


 ――それは、その人と一緒にいると心が揺さぶられること、顔が赤くなったりすること。その人のことを考えると落ち着かなくなること。もう、会いたくないと思ってしまうこと。なのに、会いたいと思ってしまうこと……。


 江夏先輩は真剣な表情で私の話に耳を傾けていた。話し終えると、そのまま少し考え込むような仕草を見せる。


 ――いや、待て。それらすべて赤裸々に言い終えて、私はふと思いとどまる。この説明、完全に……。


「渡来さん、言っていて自分でも答えが出たかもしれませんが……」


 江夏先輩は言葉を選びながら続けた。


「それは、恋の感情なのかな……と思います。私が結城くん……生徒会長に対して抱いたのと同じように」


 その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で何かがカチッと音を立てて繋がった気がした。それは、そんなわけはないと端から蓋をしていた選択肢。……いや、だからこそ、考えないようにしていた選択肢。恋? 私が、羽月さんのことを……?


「あ、あの、渡来さん、大丈夫ですか? やっぱり、体調が……?」


 私が黙っているのを、先に伝えていた体調に結びつけて不安そうに呼びかけてくれている。


「――すみません。大丈夫、です」

「ならいいんですけど……」

「ですが、回答ありがとうございました。参考にします」

「あっ、いえいえ。むしろ、こんなので力になれているのか不安ですが。私なんかよりも、渡来さんのほうがそういう類の話は経験豊富でしょうし……」

「そんなことはないですよ。むしろ、江夏先輩のおかげで別の視点から意見が聞けて、参考になりました」

「それならよかったです」

「……それでは、私はこれで。お疲れ様です」

「はい。お大事に」


 私は、うまく表情を維持できたのだろうか。違和感のない抑揚で返答できたのだろうか。とにかく、ボロを出さないように平常心を保つことを意識した。


「まさか、そんなわけ、ないよね……?」


 考えたくない可能性。そんな嫌な可能性を振り払うかのように、私は足早に家への帰路を急いだ。

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