第十二話 どういう人間
「そもそも、なんで惚れ薬なんてものを作ってたんですか?」
昨日の創薬部での出来事を思い出すと、まず惚れ薬を飲まされた瞬間の混乱が胸に蘇る。飲んだ瞬間、喉がカッと熱くなった。少し甘くて、苦い。
あの時の感覚は今でも残っている。もしかすると、あれは本当に何かの効果があったのではないだろうか。そんな疑問が頭の片隅にずっと居座り続けているからだ。
「もちろん、理由はある」
あるらしい。何も愉快犯の犯行というわけではないらしい。
「あれは会長の依頼を事前に受けていた流れで、もしも薬に効力がなかった時のための保険だ」
羽月さんの発言には、いつも一切の迷いが見えないように見える。だからこそ、自分の発言こそ何かおかしいのでは、と萎縮してしまいそうになる。
「保険……?」
思わず首を傾げる。羽月さんは窓際に立ち、外の桜並木を眺めながら説明を続けた。
春の陽光が窓から差し込み、羽月さんの白衣を柔らかく照らしていた。その光景には不思議な神秘性がある。それは研究に没頭する学者の絵画を見ているような錯覚。パッと見ただけでは中学生のコスプレ衣装のようなのに……。
「私は、江夏くんが会長くんを好いていることは何となくわかっていた。しかし、会長くんはよそよそしい態度の江夏くんの気持ちを知りたがっていた」
「はい、確かにそうでしたね」
「だが、私の口から江夏くんの好意を伝えるわけにはいかない。……そういうわけで」
羽月さんは私の方を向いて続けた。
「江夏くんに惚れ薬を飲ませて、好きの気持ちを肥大させようと思ったんだ。気持ちが抑えきれなくなれば、会長くんは自ずと江夏くんの本心を——相手が何を考えているか。それがわかるからな」
「…………えっと、なぜそんな突飛な発想になるんですか?」
私は半分呆れながら返事をする。部室の古びた木の机に肘をつき、先日の出来事を思い返す。もしかしたら、状況次第では惚れ薬を私以外に使用するという別の可能性もあったのか。
羽月さんは柔らかな微笑みを浮かべながらも、その瞳には真剣な光が宿っていた。
「しかし、君にも覚えておいてほしい。一見突飛に思える考えでも、それを実現させようとする行動力がなければ、新しい何かを”創造する”ことはできないんだ」
——確かにそれは、普通の人間には到達し得ない領域だろう。
そんな羽月さんの奇抜な思考に呆れながらも、その大胆さに心の奥底で少し感心してしまう自分がいることに気づく。
……駄目だ。その相反する感情に、頭がくらくらとしてきた。
私は深く考え込む。ゼロから何かを生み出すこと。それには大胆な発想と強い行動力が必要だ。何かを創造することの大変さ——それが羽月さんにとっては薬なのだろう。
「まあ、そんな難しい顔をするな」
羽月さんが苦笑しながら言った。
「君は必要以上に物事を重く考えてしまう傾向があるようだからね」
私の思考の海から引き戻されるような感覚に、少し戸惑いを覚えた。
また見透かされてしまった。羽月さんの洞察力は時として居心地の悪さを感じさせる。自分でも気づかないうちに、表情に出てしまっているのだろうか。
「それよりも、朗報だ。今朝、江夏くんと会長くんが感謝の言葉を伝えに来てくれたよ。私たちのおかげで薬の効果がありました、と。どうやら、交際することになったようだ」
「本当ですか?」
思わず身を乗り出して確認する私。盗み見のような形で二人が抱き合った瞬間は見てしまっていたため、何となく想像はついていたが、本人らの口から正式に聞けたのならよかった。胸の中にあった小さな不安は取り除かれた。
「ああ。だが、今は必要以上に噂にならないよう、周りには黙っているそうだ。また改めて君にもお礼を言いに来るだろう」
羽月さんの言葉が、夕暮れ前の部室に静かに響く。窓から差し込む柔らかな光が、古びた木の机や本棚に優しい影を落としている。私は無意識のうちに肩の力を抜いた。
「私は特に何もしてませんけどね」
「そんなことはないぞ。私としても、君の協力に感謝しているよ」
そう言われても、素直には受け取れない。草花の採取も薬を作る過程も、結局は全て羽月さんが一人でこなしていたからだ。私は会話の節々で多少口を挟んだだけにすぎない。
「しかし、君は納得していないようだな」
羽月さんの鋭い洞察力には嘘はつけそうにない。その瞳には、私の心を見透かすような光が宿っていた。
「……正直、見直しましたからね」
言葉を選びながら、少し俯いて答える。
昨日の一件が終わったから感じていた感情を本人に伝えると、なんとなく恥ずかしくなった。
「君が私のことをどう思っているかはわからないが、私はそんなたいそうな人間じゃないぞ」
冗談っぽくもなく、冷静な表情で羽月さんが言う。その言葉が謙遜ではなく、本音なのだろうと思うぐらいには、羽月さんの人となりを理解してきた。
しかし、その言葉が逆に羽月さんとの距離を感じさせた。
期待されて、その要望以上に応える。それがどれだけ凄いことなのか。凡人とは一線を画すこの人には、わからないのかもしれない。
「羽月さんは頼まれた依頼以上のことは考えない、というニュアンスの発言をしていましたが……その先で失敗している人を見ると、やっぱり後味は悪いだろうなと思いますから。これは勝手な想像というか、私の感覚ですけど」
「まあ、そうだな。それは否定しない」
羽月さんは頷きながらも冷静な表情を保ち、私は改めてその意図を考える。
「ですが、羽月さんは、まるで全てが上手くいくのがわかっているかのようで……実際、その通りになりました」
言葉に詰まりながらも、私は率直な疑問をぶつけた。
事前に生徒会長から依頼を受けて、その後に突発的に江夏先輩からの依頼があったという話だ。そのまま二件の依頼をこなし、結果も上々とは、一体どこからどこまでが計算だったのだろうと勘繰ってしまう。
窓の外からは、帰宅する生徒たちの声が遠くに聞こえ、日常の一コマが流れていく。その光景が、今の状況とは不思議なコントラストを成している。
「結果的に、運良くそうなったというだけの話だ。君は何か物事に取り組む前に、成功した後のことではなく、失敗した後のことを考えるタイプだな」
唐突に、一方的に、私の人生観まで見透かされてしまう。その言葉に動揺を隠せず、返答の言葉を探す自分に気づく。
「それは……」
反論しようとするも、うまく言葉が出てこない。喉元まで出かかった言葉が、そこで止まってしまう。
羽月さんの言葉が鋭く、真理を突いているように感じたからだ。自分の心の奥底にあった何かが、その言葉によって明るみに出されたような感覚に襲われる。
「物事を深く考えるのは悪いことではない。ただ、それが君の行動を制限しているなら、少し考え直す必要があるかもしれないな」
その言葉で、少し前までの自分を思い出す。
——それは、無鉄砲で後先考えずに行動していた頃。自分にも、そんな時はあった。それが今ではこんなことを言われるようになった。その変化に気づかされ、複雑な気持ちが胸に広がる。
成長なのか、それとも後退なのか。答えが見つからないまま、私は窓の外に目をやる。校門に続く道と校舎裏が見え、昨日の二人の情景が浮かび上がる。
あの二人は勇気を出して一歩を踏み出した。それに比べて私は、いつからこんなに辛気臭く薄暗い考えばかり抱くようになってしまったのか。
「……じゃあ、そういう考えになれる薬はあるんですか?」
かと言って、今の考え方を変えたいと願うわけでもなく。それで失敗するのが怖いからだ。いっそ、ここは創薬部。羽月さんになら、どうにかできるか聞いてみる。
「君の場合は——どうだろうな。自信を持って大丈夫だと言える自信は正直ないな」
しかし、そんな羽月さんの言葉に少し驚く。いつもの自信に満ちた態度とは違う。
羽月さんにも不確かなことがあるのだと知って、少しだけ安心する。完璧に見える人にも、わからないことがあるのは当然なのだろう。
「それは、どうしてでしょう」
「君のような人間を相手にしたことがないからだ」
それは一体、どういう意味で……?
疑問が頭を巡り、答えが見つからない。単に扱いにくいタイプ……ということなのだろうか。どちらにしても、その曖昧な答えが気になって仕方がない。
その瞬間、コンコンというノックの音が部室に響いた。誰だろうかと思いながら、私は視線をドアに向ける。羽月さんも同様に、その方向に目をやって、私たちの会話はそこで一時停止する。
また、依頼者だろうか。今日の一日も、慌ただしくなりそうな予感がした。




