旅立ち
「この場所で、間違いはないと思う。」
『はい。地形や空気感もそのままです。』
2月20日。
アテナの夜明けを見届けた地球軍第一艦隊は、地球本土に帰還。
心身の酷使を鑑みて、各自には長期の休暇が与えられた。
ガランの武勲と説得を受け、地球連合はマレニアに処分を下さない事を決定。
一人の人間として、地球に迎え入れられることとなった。
「冬ももうすぐ終わりだ。」
『そうですね。長い、長い冬でした。』
二人が見上げる空には、太陽と。
少し離れたところに、『夜明け』の痕跡である爆発痕が。
人工の、小さな恒星とはいえ。
光速の物体が衝突し、超新星爆発を引き起こしたとあれば。
天文学的にはあまりにも近いこの場所では、昼間でも見えるほど明るく輝くのである。
生々しいと言えばそうである。
だが、ガランは不思議と嫌悪感は抱いていなかった。
あの場所に行けば、いつでもまた親友と会えるような気さえしていた。
『この場所は、私にとって自室のようなものでした。』
あの場所と違うのは、照らす太陽の距離と大きさ。
手が届かないほど遠く、大きい太陽は。
やはり唯一無二の存在なのだろう。
もし目を開くことができたとしても、こうして目を閉じて陽に当たっていたであろうことは容易にわかる。
それくらい、心地が良い。
「…なら、ここに留まってもいいんだぞ?」
『…いえ。』
マレニアは太陽に手をかざし、仮面越しに空を見上げる。
あの太陽は、こんなに眩しくはなかった。
本来は見えぬ目にも、それは明らかである。
『同じ場所に留まるのは、もうこりごりです。』
マレニアの表情は穏やかで、何かから解放されたような。
そんな顔をしていた。
ガランも、そんなマレニアを見て嫌な気はしていなかった。
草原に立ち尽くす二人。
春の始まりを感じさせる、まさにあの草原と同じ暖かな風が吹き抜ける。
『一つだけ、質問しても?』
「なんだ?」
マレニアはその場に座り、ガランへ『隣に座ってください』というジェスチャーをした。
その動作のまま、ガランは隣に腰を下ろして手を後ろにつく。
ここには机や椅子も無ければ、コーヒーを出現させる機能もない。
それは当たり前のことなのだが、この景色を見ているとどうしてもあの場所のことが思い浮かぶ。
半分夢のような、あの場所が。
『あの時、私を撃たなかったのはなぜですか?』
その時のことは、もうほとんど覚えていない。
思い出してまで答えるには、少々精神力を使い過ぎる。
「…血を見るのは苦手でね。」
『軍人にあるまじき言葉ですね』
「だろ。」
無難な言葉で会話を紡ぐ。
だが、それが真実であるはずなのだ。
今のガランにとっての世界は、マレニアにとっての世界とほとんどの場所が一致している。
良くも悪くも、これまでの常識が全てぶち壊され。
ここ数週間で築き上げた価値観が、そのほぼ全てを埋めている。
一連の動乱は、多くのものを与えてくれた。
だが、それ以上に多くのものを奪い去っていった。
長くの間維持していた関係性も、お互いが保有する戦艦も。
なにもかもが、長い宇宙の歴史からしてみれば一瞬というにも短すぎる時間で消え去った。
だが、この戦争が終わればまた。
人々は何一つ変わらない生活を営んでいく。
そう考えれば、不変でもあるのかもしれない。
小さな銀河の、小さな恒星系の一角で起きた小競り合いである。
確かに、人は死んだ。
大いに死に、残された人物も多く居る。
だが、それでも。
この瞬間、この一瞬まで。
誰が居ようと、誰が居なかろうと。
それが望まれた存在だろうと、望まれなかった死だろうと。
その逆もまた、しかり。
全てが終わった、今がただ在る。
「そろそろ行くか。」
『はい。』
太陽が頂点に達する時刻。
ガランはそんな陽の光を一瞥すると、マレニアに声をかける。
二人は再び立ち上がり、どこかへと歩いていく。
西暦2677年、2月20日。
地球標準時正午ごろ。
ガラン・グアナフォージャーおよびマレニア・オーグメントが消息を絶った。
二人はヨーロッパ地区を訪れたのを最後に、一切の音沙汰もなく消え去ったのだ。
ほぼ同時刻、宇宙港では収容中の護衛艦The Athenaが忽然と姿を消していることが確認される。
捜索が開始されてから48時間が経過したが、両名および護衛艦の情報が現れることはなかった。
二人の行方を知る者は、誰もいない。
【傍受された音声記録:26770220】
「目星は付いているのか?」
『そんなに決め打ちでいかなくても良いではないですか。』
「すまん、性格が出た。」
『いいえ。少し前なら私もそう訊いていたと思います。』
《5秒ほどの間》
「アテナの書籍には何か記載はなかったか?」
『ありました。その情報を基に航行しようと思います。』
「ああ、もう私はあまり口を出さない方が良さそうだな。」
『そんなことありません、話してくれた方が楽しいです』
《男女の笑い声》
【通信可能領域を超過しました】
プラネット・ナイン【アテナの夜明け】 完