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タイラー・ハイケンベルク《漆黒のバラ》

肌に触れる感触、その全てが不快である。

やけに高級そうなこのローブも、その繊維の一本一本がチクチクと表皮を刺しているような気がしてならない。


自身の周りをぐるりと囲む、ゴテゴテとした装飾。

悪趣味なこの部屋は、自分にあてがわれたモノだ。

戦闘までのおよそ十日間、ここで生活をする必要がある。


控えめに言って最悪である。


自分でも薄々気づいてはいる。

もう、自らにポジティブな感情は戻ってこないのだということは。


二人を殺し、それからどうする?

ヴァレルが皇帝となった新たな世界で、どう生きるつもりだ?


『どの面下げて』という言葉が一番似合うのではないだろうか。

そんな思考が、タイラーの負の感情を更に増大させる。


不快感は怒りに、怒りは殺意へと変わっていく。

暗く、闇より暗く、尚暗く。


周りの誰もが味方だった、あの時はもう遠い昔。


誰よりも頼りになった二人目の父は既に死に。

誰よりも愛すべき親友は、もういない。


居るのはただの売国奴だと、自分に言い聞かせる。

何故自分がここまで怒り狂っているのかすら分からない。


そうだ。


この世界は分からないことだらけだ。

今自分が正しいと思うことをすればいい。

彼らを抹殺することが正しいのであれば、それをするまでだ。


アテナが正しいとは思わない。

ヴァレルが正しいとは思わない。


それと同時に、地球が正しいわけでもないのだ。


正しいのは、自分だけ。

そう信じるしかなかった。


タイラーは部屋を出て、自らが乗る戦艦へと足を運んだ。

逃亡を防止するための警備兵は、無表情で両脇に付いてくる。

フードを深く被ったタイラーと、二人の警備兵。


その様相は、傍から見れば暗黒卿とその部下である。

だが内実は全く違う。


二十代半ばという、この立ち位置に立つにしては年端もいかない青年。

そして、その両脇を固めるのは絶対的な力によって遣わされた警護人。


タイラーからすれば片時も休まる気がしないだろう。

あの部屋も、言ってしまえば監獄だ。

今までよりも幾分か暖かく、光の差す監獄である。

戦艦の保管庫に着くと、そこには見たくない顔があった。


『おはよう。タイラー殿。』


「…。」


手を上げて気さくに挨拶をしてくる、忌むべき存在。

この全ての元凶に、良いように使われるという事実だけではらわたが煮えくり返りそうになる。

だが、自分にはその道しか残っていなかったこともまた事実。

あくまでこの怒りは抹殺対象の二人に対する怒りとして処理することを、自身の脳に強いた。


『それにしても、なにもない所からよくもまぁこんなものまで作り上げたものだな。』


ヴァレルは第二艦隊の戦艦を見上げながらしみじみといった具合に呟く。

5000年前、タイラーたちの先祖は何も持たずに地球へ島流しとなった。

道具も何も持たず、自らに合う大気組成であるかどうかも分からない星に。


『面白い。もっと我々も気を遣って見ておくべきだった。』


ヴァレルは顎髭を撫でながら、気味の悪い笑みを浮かべる。


『この成長スピードなら、もう少しで我々の文明レベルを超えていたかもしれない。私がこのタイミングで生まれて良かったのではないか?』


反吐が出る。

この男の発言に、いちいち反応していたらキリがない。

ヴァレルが作る新秩序に己が組み込まれることとなっても、できる限り接触はしたくないものだ。


『かの星には、我々には想像もつかないような素晴らしい力があるのかもしれないな?知っていたら教えてくれないか、タイラー殿。』


タイラーはその言葉を完全に無視し、戦艦の身体に手を触れる。

ひんやりとした金属の感触は、自身に戦が近いことを思い出させた。

もう、己がこのどうしようもない戦争から逃れることはできないのだろう。


それも、本来の立ち位置とは全く違った形で。

アテナと地球という、大きな枠組みに入ることを許されず。

ただ一介のお雇い暗殺者として参戦することしか許されない。


どこで道を間違えたのだろうか。

後悔の念が湧き続け止まない。


だがその思考すら無駄だということに今更気づき。

タイラーは塞がれた空を仰いだ。









何もない、とは言い難い人生だった。


家にも、友人にも恵まれた。

渇きは、無いように思えた。


あまりにも優秀な友の後ろを、ずっと付いて回ってきた。

比較されたことも、無かったわけではない。

それでもタイラーは、自身なりのやり方でこれまで生きてきた。


順風満帆、だからこそ。

色のない人生を送ってきてしまったのかもしれない。




『バラ色の人生って何色なんだ?いろんな色のバラがあるだろう?』




そう訊いたのは、誰だったか。

昔の記憶は思ったよりも褪せてはいないようだ。


だが、その言葉はやけにタイラー自身の琴線を刺激した。

確かにそれはそうだと、自分でも納得した。

当時の自分が色にこだわっていたわけではないと思う。


しかし心のどこかで鮮やかな赤への執着があったのだろう。


孤独な死神はこう呟く。

どんな色でも構いやしない。

自分の色の、バラを咲かせるのだ。


それが、光を全く反射しない漆黒のバラだとしても。


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― 新着の感想 ―
バラの色の会話が最初にでてきた時には、たあいない冗談ぼいやり取りでしたが、それがここにきてすごく深く重く感じてしまいます(。>_<。)
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