ガラン・グアナフォージャー《戦の泡沫》
「起きろ、ガラン隊員。日朝点呼だ。」
かつては部下だったはずの、顔も名前も覚えていない上官が声をかけてくる。
随分と歳が下である自分の命令で動くのは、彼にとって屈辱だったのかもしれない。
ガランは手を頭の後ろで組み、仰向けのまま天井を見上げていた。
その目はしっかりと開いており、ただ一点を穴が開くほど見つめていた。
そんな状態のガランを上官は気味悪がったのか、「早く起きろよ」とだけ言い残して部屋を出ていった。
「…。」
ガランは今、何を思うのか。
それは本人ですらよく分かっていない。
次から次へと、思いと言うには淡すぎる思考が浮かび上がっては、消えていく。
泡のよう、とでも言えば適切だろうか。
そんなあぶくが、ポコポコと音を立ててガランの脳内を支配する。
次第にそれが弾ける音しか聞こえなくなっていき…。
「…。」
ガランは、一点を見つめていた目を閉じる。
背中から、水面へダイブするように。
ガラン自身の身体が、また新たな泡を生み出す。
何かが起こっている間、水面は凪ぐことはない。
こうしている間にも、どこかで何かが起こっている。
そんなことは分かっているんだ。
水中を彷徨っていると、下から湧き出てくる泡たちの表面に。
今まで起きた出来事が、映っているような気がした。
それがどんなに凄惨な過去であれ、どんなに美しい過去であれ。
泡の表面に映る人の姿は、それぞれの個性が豊かに反映されていた。
世話になった人。
仲が良かった人。
中には喧嘩別れした友人もいる。
だが、それでも。
最後に浮かんできた、ひと際大きな泡に映っていたのは。
「…タイラー。」
彼だった。
アテナ事変後、第二艦隊の捜索は打ち切られた。
敵本拠地近くで消息を絶った第二艦隊。
捜索にはあまりにもリスクが大きすぎた。
連合議会は戦闘開始と共に、早急にその判断を下した。
だが、その決定に最後まで異議を唱え続けた者が居た。
ガランは家に閉じこもりながらも、議会に捜索の要請をし続けていた。
それはなぜか。
気力や覇気は失ったガランだったが、こればかりは譲れなかった。
勘、と言っては安っぽく聞こえてしまうかもしれないが。
第二艦隊は。
タイラーは、まだどこかで生きている。
感じるのだ。
親友の息吹を、助けを求める声を。
その声は、地の底にあったガランのメンタルを少しずつ押し上げることができていた。
戦争というものは恐ろしいものだ。
大切なものを守る、といった本来簡単であるはずのこと。
そういった常識が、一切通用しなくなる状況。
そんな状況に長年身を置いてきたガランからしても、今回は特異な戦争であることは容易に想像がつく。
今まで全く陥ることのなかった、大切な身内の危機。
それが何度も、何度も押し寄せてくる。
感じるのは恐怖か、悲しみか。
そんな言葉では括れないほど絶望的なものかもしれない。
もうあまり、時間はないのだ。
戦闘が勃発するまでの時間は、刻一刻と近づいてきている。
ガランは、とあるプランを考えていた。
地球圏決戦において、戦闘機による攻撃で敵戦艦を撃墜するのはほとんど不可能に近いと考えられる。
そして、まともに正面からやり合えば艦隊戦でも敗北を喫する可能性が高いと踏んでいる。
そう。
要は、地球の戦力ではアテナに勝利することは難しい。
少なくともガランは、今までの経験上そう考えている。
なら、どうするべきか。
ガランには、一つだけアテがあった。
…彼女は、元気にしているだろうか。
ヴァレルの魔の手に堕ちてはいないだろうか。
もちろん、彼女も来たる戦闘に参加することだろう。
彼女と親交を深めていたのは決して無駄ではないはずだ。
このために仲良くなったわけでは、もちろんない。
彼女は、友人である。
タイラーと同じ、かけがえのない友人である。
でもだからこそ、そこに希望を見出すことはできないだろうか。
きっとできるはずなのである。
実質的に戦闘で指揮を執るのはヴァレルであるはずだ。
マレニアが協力してくれれば、ヴァレルを倒すことができる。
ひいては、艦隊戦をなし崩し的に終了させることができるはず。
そして戦闘が終わり、もう一度話し合いの場を設けることができれば。
真のアテナの指導者となったマレニアが、きっと良い講和条件を提示してくれるはずだ。
その場に、ガラン自身は居なくたっていい。
彼女との友人関係だって、一時の夢幻だって構わない。
もしもタイラーが生きているなら、マレニアならば引き渡しにも応じてくれるはず。
ガランは、戦を知った軍人だ。
だからこそ、平和の尊さを知っている。
それは、マレニアにも同じことが言えるのだ。
私は何としてでも、来たる戦闘で『マレニアとの対話』を行う。
それが、今の私に出来る最善の策なのだから。




