善悪
「…マレニア。」
『なんでしょう?』
広い草原は、いつも二人を暖かく包み込む。
片方が持つカップがテーブルに付いたかと思えば、もう片方のカップが離れていく。
それぞれが自分のタイミングで、カップに口を付けている。
「…キミは、悪くないよ。」
端的な言葉だったが、マレニアにはその言葉の意味が細部まで伝わってくるように感じた。
ガランが何をもって『悪くない』と言ってくれているのか。
何について言及した言葉なのか。
その全てが、身体に染み渡るように理解できる。
…でも。
でも私の罪は、そう軽いものではないはずだ。
マレニアの表情はまた暗く、落ちていく。
だが、それに待ったをかけたのは、ガランの次の言葉だった。
「人は皆、善い人なんだ。」
マレニアは少々、その言葉の理解に時間をかけた。
「どんなに悪人と呼ばれる人だとしても、その行動の裏には何らかの信念や信条があるんだ。」
ガランの言う信念、それは。
「たとえそれが傍から見れば信念とは呼べないものでも、その人が行動したのには何らかの理由がある。それを私は、信念と呼ぶんだよ。」
人が一つ一つの行動に付与する理由。
それはどんなに小さな理由だろうと構わないものだ。
誰かを殺すにしても、それには理由がある。
その理由は、行動をする本人にとっては善い選択なのである。
たとえそれが、どんなに糾弾されようと、否定されようと。
そして、別の人間や、大切な人の命を奪おうと。
「キミはヴァレルに命令され、私の父を殺した。それはただの事実であり、善悪では計れないものなんだよ。」
マレニアにとって、この事実は後悔するべきものなのかもしれない。
だがそれはあくまで結果論である。
その当時最善だと思って行動したことを、咎める人もいるだろう。
それは当たり前の話である。
肉親を殺され、怒り悲しまない人はいない。
しかし、そこには必ず理由があるのだ。
単純な善悪では計れない、理由が。
ガランの善悪論では、悪人は居ない。
なぜなら、全ての人の決断には『理由』という正義があるからだ。
「人にはそれぞれ正義がある。その正義を貫き通せる人は善い人だ。」
争いというのは、なにも正義と悪の戦いではない。
各々が持った理由という名の正義が、時としてぶつかり合ってしまう場合があるのだ。
その理由はその時その時で本当にまちまちで、『死にたくない』『生きたい』という単純なものの場合もあれば、もっと複雑に絡み合った感情が露わになって生まれるものもある。
ガランの正義は、自らの正義によってこの動乱を引き起こした男へと向いていく。
「だから、私は戦いでヴァレルを殺す。これが、私の『正義』だから。」
そう、ヴァレルもまた、自らの正義のためにガランを殺しにくるだろう。
たとえそれが自らの地位向上などという、一般的には邪な考えとされるもののためだとしても。
生きる上で生まれる、行動する理由。
その理由を持った人間は、総じて善い人なのだ。
だから。
「ヴァレルも自分の正義を持った善い人なのだろう。だが、私の敵なんだ。」
善い人かどうかと、自らの前に立ちはだかってくるかどうかは全くの別問題。
いや、むしろ善い人同士であるから対立するのかもしれない。
「ヴァレルは、誰よりも『理由』が強く、重い。自分の信念のためなら何でもするといった具合に思える。」
ガランが危惧していたのは、ヴァレルが地球での決戦前にマレニアに手をかけること。
そして、その疑念は真実のものとなりかけた。
さらにガランは言う。
「僭越ながら申し上げるが、キミの家に火を放ったのはヴァレルだと…私は思う。」
『ガラン殿…何もかも、貴方の仰る通りでした。』
壁を背に泣きながら、あの時の会話を振り返る。
あの時彼は、私は悪くないと言ってくれた。
それがどんな暴論でも、少しばかり救われる気がした。
貴方の大切な人を殺した私が、悪くないわけが無いのに。
…。
『…ッ!!!』
その時私は気が付いた。
あの言葉は、私のために取り繕ってくれた言葉ではないのだと。
彼は軍人だ。
今まで数えきれないほどの人を葬ってきただろう。
なら、あの言葉にも納得がいく。
『ガラン殿、貴方は…。』
あの言葉は、ご自身が。
ガラン殿自身が、救われるために考え付いた結論なんじゃないか。
ガラン殿が葬ってきた人、一人一人にも大切な家族がいたはず。
それに彼は傷心してきたのだ。
だから、あのような善悪論を自分に言い聞かせてきたのだ。
だとするのなら、私はなんてことをしてしまったのだろう。
あろうことか、彼の大切な人の命を奪い。
自分のために言い聞かせてきた理論を、私のために使わせてしまった。
…。
ガラン殿。
私の心は決まりました。
貴方も似たような事を考えていらっしゃるはずです。
決戦の日まで、私は必ず生き延びます。
そして、その先も。
生き延びて見せます。




