闇へ
ただひたすら暗かった部屋に、少しばかりの灯りが差した。
既に空腹と眠気が限界で、身体が思うように動いてくれない。
『初めまして、だな。タイラー・ハイケンベルク殿。』
「誰だ…。」
重い身体を起こしていくと、どうやらここは牢のような一室であるということが分かる。
戸を開けたその先には、何人もの警備兵を周りに侍らせた男が一人立っていた。
『私はヴァレル・ケムカラン。キミにとある提案をしに来た。』
声色の割にやたらとフレンドリーな口調で、タイラーに話しかける。
逆光により表情は把握できないものの、不敵な笑みを浮かべているであろうことは容易に想像がついた。
タイラーは自身に置かれた状況から、ここは敵本拠地であると瞬時に理解。
そして、自身が今話している相手が敵首脳クラスの人間であることも感じ取った。
『最初に一つ、断っておこう。…キミに助けは来ない。』
その言葉に、タイラーは怒りを覚える。
僕達第二艦隊を捕らえたところで、何になる。
坊ちゃんやケネスさん達の力を甘く見るな、と。
『…キミの考えていることは良くわかる。だが既にケネスは死に、ガランは使い物にならなくなっている。』
「…な…に…!?」
『詳しく説明しようか?』
サビつき、動きづらくなったタイラーの脳に、絶望と困惑が染み渡り始める。
ヴァレルは心底可笑しそうに口を開く。
『ガラン・グアナフォージャーは、我が国の首長であるマレニア・オーグメントと定期的に交信をしている。』
敵国となったアテナの、首長と。
親に隠し事はできないものなのである。
『あの娘を十何年と見てきたが、今が一番楽しそうだ。ようやく気の合うお友達が出来たようでな。』
「…黙れ…!」
そんなことを、するわけがないだろう。
あの坊ちゃんが…いつも毅然とした風格の、あの坊ちゃんが…!!!
『ケネスの後釜に就いたらしいが…あの様子では時間の問題だろう。』
信じたくない。
絶対に信じたくはないが、信じるしかないのだ。
目の前に居るヴァレルという男の目には、全く嘘の気配がなかった。
坊ちゃんが、本当に堕落したことを。
偽りだと切り捨てることは、できそうもなかった。
「…それで、お前は僕に何を告げに来た…?」
今になって第二艦隊長であるタイラーを拘束し、敵自ら会話を試みた理由。
その理由が知りたかった。
ただ、ヴァレルの返答はタイラーの予想から大きく違えていた。
『簡単な話だ。ガランとマレニアを殺してほしい。』
「!?」
一つ一つの言葉の意味は理解できる。
だが、それが合わさった文章としての意味を理解するのに、タイラーは多くの時間を要した。
『少なからず今の状況が続けば、この二人の動向は我々にとって不利な方へ転ぶ可能性が十二分にある。』
状況は、地球とアテナの二陣営から、様々な派閥に分かれつつある。
個人個人の一挙手一投足が、戦局に大きく関わってくる。
ここでタイラーがどう動くかが、この戦争において重要である。
そうヴァレルは考えた。
『キミにとっても悪い話ではないはずだ。生き残り、裏切った友を自らの手で引導を渡す。』
明らかに悪い話のはずだった。
だが、この男の言うことが正しいのだとすれば。
坊ちゃんが、本当に裏切ったのだとすれば。
結局誰かに殺されるなら…。
『誰かに殺されるくらいなら、自分が止めを…と、キミは考えるはずだ。』
この男には、とうに見透かされていた。
『形式上は、キミは既に死んだものとされている。我々の味方をする必要はない…ただ、二人を殺してくれさえすればいいんだ。』
ヴァレルの言葉が、妙に優しく聞こえてくる。
『戦後の住処や食べ物は、もちろん保障しよう。』
ダメだ…絶対に。
頷いてはいけない。
ふと、その時。
ヴァレルの腰に目が行った。
黒い拳銃。
その持ち手に、ヴァレルの右手はかかっていた。
ああ、そうか。
僕の命は既に、この男の手のひらの上なんだ。
そう考えると寒気がしてくる。
手足の震えは、とうの昔に始まっていた。
それが食切れによるものか、寒さによるものか。
あるいは…。
『さあ、どうする?』
拳銃に手をかけていない左手を大きく開き、問いかけてくる。
灯りが漏れていたドアの向こうの景色が、彼の左手で隠れる。
タイラーの目に入っていた光が隠れ、闇に落ち。
目線は、下へと降りていく。
『分かってもらえたようで何よりだよ…!』
ヴァレルは拳銃から右手を離し、左手と同じように大きく開いた。
後戻りはできない。
二人に、始末をつける。
暗い牢から、明るい外の世界へと引っ張り出される。
光はありふれているはずなのに、タイラーの目にはそれが届くことはなかった。
僕は、居なくなってしまったあの頃の坊ちゃんに呼びかける。
「ごめんなさい、死ぬのはやっぱり怖いですよ。」
と。




