夢
「なんてことない合意条件でしたね、父さん。」
「ああ、おまえと離れ離れになった時は少しひやりとしたがね。」
ケネスはそう言って笑う。
アテナとの首脳会談は、ケネスの提案により『アテナの住民を移民として受け入れる』という形で幕を閉じた。
まずは最初のひと月に10万人から。
人口が増えてきたとはいえ、まだまだ地球に空席はある。
月や火星の開発計画も徐々にではあるものの進んでいる。
当面の暮らしは問題ないだろう。
地球の中の問題は、まだまだ残っている。
宇宙の深淵に目を向けるのは、もっと先になりそうだ。
でも、これだけの大きな仕事をした後だ。
休暇を取って、どこかに旅行でもしたいところである。
「タイラー、お前はどう思う?どこに行きたい?」
地球への帰り道、ガランは珍しく職務中に無線で雑談を持ちかけた。
第一艦隊のすぐ後ろ。
そこにはアテナに保護されていた第二艦隊がついて来ている。
『僕は坊ちゃんの行きたいところならどこへでも、ですね。』
その返答に、思わずガランの顔にも笑みがこぼれる。
「…そうか。じゃあ色んな所へ行こう。アテナの人々にも、地球の素晴らしい場所を紹介したい。」
光速での飛行が可能になった今でも、行ったことがない場所なんて山ほどある。
この小さな地球という星の中だけでも、である。
我々の素晴らしい地球という星を、くまなく見て回りたくなった。
『残り2.5天文単位で、地球圏に到達します。』
「了解。減速を開始してくれ。」
反物質ブースターを停止。
およそ秒速30万キロを維持していた全艦隊の速度が、ゆっくりと落ちていく。
遠く、遠くでキラキラと光っていた青い光が、徐々に近づいてくるのが分かる。
「秒速7.9キロまで減速。地球圏を3周してから大気圏に突入する。」
『Yes, sir.』
我々の故郷の、青い星。
この地を発ってから一日と経っていないはずなのに、やけに懐かしく感じる。
「減速最大、大気圏突入。」
ガランのその声で、全艦隊が地球へ吸い込まれていく。
艦の周囲は赤い炎に包まれるが、何の問題もない。
もちろんこの艦は、大気圏突入時の高熱にも耐えられるように作られている。
「父さんも、お忙しいでしょうが休暇が取れたら連絡をしてください。いつでもお付き合いしますので。」
『そうですよー!僕もケネスさんと話すの好きですから!』
ガランの言葉に、タイラーが相槌を打つ。
三人は古くからの付き合いであるということは、ご承知いただけているであろう。
「自分で言うのもなんだが…私も、もう充分働いたと思っている。このアテナに関する仕事が終わったら、引退するつもりだ。」
「それはそうです。父さんは戦時中から働き過ぎです。」
景色は雲を突き破り、真っ青な海が待ち受ける。
ガランは笑みを浮かべながら、また艦隊員に指示を出す。
「スピードメーターを秒速から時速へ変更。時速300キロまで落として宇宙港へ入る。」
姿勢制御と減速、そのための逆噴射ロケットが音を立てる。
着陸態勢が整った。
第一・第二艦隊は港へ入っていく。
「私は艦隊員の点呼やらなんやら、手続きがまだ残っていますので…父さんは先に帰っていただいてもよろしいのですよ?」
「いやいや、せっかくだから一緒に帰ろうじゃないか。タイラー君も家は近いし、仕事が全て終わったら連れてくるといい。」
ガランはその言葉が、とても大切なものであるように感じた。
仕事を手際よく終わらせ、ケネス、タイラーと共に帰路につく。
「こうして三人で話すのも、なんだか久しぶりですよね。」
かなりの大荷物を背負っているタイラー。
それは恐らく、暇を勝ち取った証だろう。
「すまんなぁ、私も仕事でキミたちに寂しい思いをさせてしまったかもしれない。」
二人の子供が歩く一歩後ろを、大きな歩幅で見守るケネス。
年長者の余裕、威厳、そして責任。
いつまで経っても、子供は子供なのである。
「僕にとってもケネスさんは第二の父です。いつも良くしてくれましたから…」
「そう言ってくれると、嬉しいねぇ。」
二人は笑い合いながら話し続ける。
そしてその様子を、ガランも微笑みながら見守っていた。
「では、僕はこっちなので。また会いましょうガラン坊ちゃん、ケネスさん!」
住宅街の分かれ道、その反対方向にタイラーは消えていった。
「我が家ももうすぐだな。」
見慣れた道を、ただ歩く。
ガランとケネスの歩幅は違えど、その歩くスピードは自然に合っていた。
そして到着したグアナフォージャー家。
ケネスが鍵を開け、ガランに入るように促す。
リビングヘ向かう廊下。
そこで、ガランは玄関の扉が閉まった音を聞いた。
振り返ると、そこには誰もいない。
ガランは、リビングの机に置かれたマグカップを見て思い出す。
あの悪夢は、夢ではなかったのだと。




