引き金
『少々離席させていただきます。』
『マレニア様、警護の者を付けさせましょう。ケネス・グアナフォージャーの死が向こう側に漏れれば、外に居る艦隊からの攻撃が始まりかねませんぞ。』
マレニアは銃を腰に付けなおすと、席を立つ。
ヴァレルの目線は、ピクリともしないケネスから動かない。
『いえ、問題ありません。ただのお手洗いですので。』
仮面を押さえ、コツコツという足音と共に部屋を後にする。
『…そうでございますか。おい、我々も船まで移動するぞ。』
ヴァレルは部下の兵士に呼びかける。
『こやつも、素直に取引に応じていれば良かったものを…』
部屋には、ケネスだけが取り残されている。
別々の扉から部屋を出るマレニアとヴァレル。
無言のマレニアとは対照的に、ヴァレルは一言だけ呟いた。
『戦が、始まる。』
コツ…コツ…。
無機質なコンクリートの通路。
その壁、床、天井に自らの足音だけがこだまする。
私は今日、初めて人を殺した。
まだ手の震えは収まらない。
とにかく、今は一人になりたかった。
ヴァレルはなぜ、あれほどまで冷静でいられるのだろう。
彼もまた、私と同じ『平和しか知らない人間』であるはずなのに。
あるいは、だからこそ…なのだろうか。
戦の恐ろしさを知らない。
それは私も、彼も同じことだ。
でも、私はいつも想像していた。
この場所の首長としていつか、かの星を私たちのものにしなければならなくなった時のことを。
私はこの星の暮らしに満足していた。
平和が好きだった。
でも、その時がとうとう来てしまったのだ。
そして、そのきっかけとなる引き金を引いたのは私自身。
これから私の引き金のせいで、万…あるいは億単位の人間が死ぬ。
歩くペースは次第に遅くなり、足が前に進まなくなる。
立ち止まり、横の壁を頼りに体重を支える。
…早く、ヴァレルたちのもとへ戻らなくては。
いつまでもここに居るわけにはいかない。
半ば壁に寄りかかるような姿勢になっていた身体を、腕の力も借りて起こす。
その時、後頭部に何かが当たる感覚があった。
「動くな。」
ああ。
そうでしたか。
『いらっしゃったのですね…ガラン・グアナフォージャー殿。』
その手に持ったリボルバーもまた、引き金が引かれる寸前だった。
「父さん…ケネス総裁を撃ったのはお前か。マレニア・オーグメント。」
『…間違いありませんよ。』
両者の脳は、あらゆる思考を整理しだす。
これは心理戦である。
「ケネス総裁が倒れたことは、艦隊に既に連絡済みだ。…なぜ殺した。」
ガランとしては、ケネスがなぜ死んだのかの事実確認をしなければならない。
「一度生まれた者は、そう簡単には死なない…!!!」
本来ならばケネスが倒れる前に予防線を張っておかなければならなかったが、既に事は始まってしまっている。
もはや開戦は避けられない。
個人的な感情を最大限押し殺し、マレニアに突き付けるリボルバーの引き金を引かないように務めている。
マレニアは、後頭部にリボルバーの銃口を付けたまま微動だにしない。
動いては撃たれるということが分かっているから…と、言いたいところではあるが。
マレニアの中で葛藤が生まれ始めている。
ここで首長である自分が死ねば、なし崩し的に戦争は避けられるのではないか。
そんな思考もよぎってしまう。
だが、そもそもそのきっかけとなる引き金を引いたのはマレニア自身。
今更どうのこうの言えた立場ではない事くらい、自分が一番分かっている。
そして、その葛藤は形を成す。
「…!」
ガランにもそれは伝わった。
震えと、涙として。
マレニアの歳の頃は断片的な情報しかないものの、ガランよりも少し若く見える。
人生経験が豊富な方ではないだろう。
そんな娘が陥ってしまっていい精神状態とは、とても言い難い。
仮面の下から頬を伝っていく涙。
その雫を見たガランの手もまた震えだす。
こちらは恐怖や後悔といった感情から来るものではない。
自らの肉親を殺した張本人を、殺す。
復讐劇としてはよくある展開であるが、実際はそのような爽快なものであるはずもない。
人を殺すことがどれだけの過ちであるかを最も理解しているのは、現時点ではガランである。
なぜなら、肉親の死体を今さっき見てきたのだから。
二人が膠着状態に陥ってから、1分ほどが経過したその時。
静かだった辺りが、轟音に包まれる。
惑星アテナの外殻外で待機していた第一主力艦隊が、その外殻を破壊。
アテナへの攻撃を開始したのである。




