湯けむり温泉のブラック・サンタクロース
今年のクリスマスは、休暇をとって山間の温泉宿で過ごすことにした。
街場は賑やかな夜なのだろうが、私が浸かっているこの露天風呂では静かに湯の流れる音が響くばかりだ。
暗闇に沈んだ遠い山肌に、緊急車両の回転灯が明滅しているのが見えた。
その強い光は、こちらの静謐な空気をもかき乱すかのようだ。
「あの辺りの崖から、男が川に落ちて死んだそうだ」
不意に届いた声に、私は驚いて振り返る。
私しかいないと思っていたが、後ろでひとりの青年が湯に浸かっていた。
「知らなかったよ、事故かね」
「それを今調べているんだろうな」
私より随分と若く見えるが、物怖じしない喋り方をする。
「よりにもよってクリスマスに……気の毒なことだ」
「クリスマスでも人が死ぬことはあるだろうよ。都市部でも今日、車に轢かれてC社の副社長が死んだらしい。運転手の過失のようだが、C社といえばこの国屈指の大企業だ。さっきニュースになっていた」
私は、すぐに言葉を返せずにいる。
「どうした?」
「私は……その会社の、役員だ。副社長は私の上役に当たる」
「そうかい、だとしたら大変だ。今頃あんたのスマホは鳴りっぱなしかもな」
「……知らせてくれて助かったよ、君」
休暇どころではなくなる。私は湯船から立とうとした。
「副社長がいなくなれば、その下のあんたが次期経営トップ候補筆頭だな」
「何……?」
低い声が湯面を這い寄って来る。
「そのために、あんたが仕組んだんだろう?」
私は眉根を寄せて言った。
「何を言っている? 仕組むも何も、運転手の過失なのだろう」
「ああ。車を運転していたのは年金生活のばあさんだ、何しろ動機が無い。だが――」
青年は続ける。
「そこの崖から落ちて死んだ男は、数年前にばあさんの孫を暴走運転で死なせている」
目の端に、回転灯の赤い光が入る。
「……」
「男は懲役くらって今年出所したが、孫は生き返らない。その無念を、あんたが代わりに晴らしてやったんだ。引き換えに、ばあさんに副社長の殺しを託した。お互いが殺した相手にはそれぞれ動機が無い。計画殺人だとは気付かれない……そう踏んだんだろうな」
気付けば青年の姿は、立ち昇る湯気の向こうに見えなくなっていた。
「……馬鹿な」
あの老婆がばらす訳がない。
気付かれるはずがないのだ。
「メリー・クリスマス」
風で流れた湯けむりの向こうに、黒ずくめの人影が立っていた。
「あんたは人殺しの悪い子だ……ブラック・サンタクロースが、迎えに来たぜ」
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