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馬良がゆく  作者: はくび
3/4

馬良の危機

翌日。日が昇り、劉璋の元に張松が報告に来た。

「殿。百叩きの刑が始まりました」

「そうか」

劉璋はゆっくりと立ち上がった。

処刑は城外で行われることになった。馬良は民衆からも信頼が厚い。下手にその姿が目撃されると、収拾がつかなくなる恐れもある。城の裏手に、まさに邪魔者の入る余地のないうってつけの場所があった。背後は崖で人目にもつかない。処刑はそこで行われることになった。

劉璋の到着した時には、馬良はすでにわずかな息しかしていない状況であった。

顔は腫れ上がり、上半身には罪人用の薄い羽織一枚。体から出血した血で服は赤く染まっていた。

それでもたたき続ける兵達。

「待て。死んでしまうぞ」

劉璋が制止を促した。しかし張松。

「殿。まだわずか40回しか叩いていません。あと60回残っております」

「死なれては困る。とどめはこの私がさすことになっているであろう?」

劉璋はゆっくりと六星剣を抜くと、馬良の髪をつかみ引っ張り上げた。

もはやかろうじて生きているとしか思えぬ馬良の首に剣をあてた。

しかしその時だ。

馬良の目がカッと見開き、強烈なパンチが劉璋の腹へ深々と食い込んだ。

今度は金属の音はなかった。

馬良捨て身の攻撃であった。

劉璋は不意打ちを食らい、その場にうずくまった。

その隙に馬良は周りを取り囲んでいた兵士に体当たり。見事包囲網を突破した。

張松が声を上げる。

「クソッ! 瀕死のふりをしておったな!」

取り囲んでいた兵士も不意をつかれた様子で、まったく武器を手にすることもなく馬良の突破を許した。

「矢だ! 矢を放て!!」

張松の命令で兵士たちが弓を構える。

そして矢の雨が馬良に降り注いだ。

しかし馬良は心の中で暗示をかけた。

「当らない…… 劉璋軍の矢なんて当たるものか!」

辺りを確認する間すらない。ただ力の限り走った。

「おい! 逃げられてしまうではないか!」

憤慨する劉璋。しかし張松は冷静な面持ちで言った。

「大丈夫です殿。逃げ道はありません。ヤツの走っていく方向には崖があるのみです」

「そう言われればそうだな。ハハハ」

しかし、矢の雨は休むことなく放たれた。

その中の一本が馬良の肩を貫いた。

一瞬足がふらつくが、それでも足を止めない。

そして、ついに崖の上から勢いそのままに飛び降りた。

一心不乱に走っていた馬良に崖など見えていなかった。

馬良の姿が視界から消えると、矢の雨は止み、劉璋らが後を追った。

崖から下を見下ろすと、ちょうど10メートルほど下ったところに一本松が生えていた。

馬良はその松に引っかかり、かろうじて一命を取り留めていた。

さらにその松から10メートル下は川だった。それもかなりの急流である。

「まったく運のいいヤツめ!」

「殿どういたしますか? 矢を放ってとどめを刺しますか?」

「ワシが処刑を行うはずだったものを…… この距離では六星剣を使いようがない。まあ、ほっておいてもヤツの命は長くないだろう。あのまま松にぶら下がったまま死ぬか、川に落ちて溺死するか……」

「確かにその通りですね」

「せめてものワシから褒美だ。ヤツの死に方はヤツに決めさせてやろう」

こうして劉璋達は引き上げていった。

松の枝によってかろうじて川への直接落下を免れた馬良だったが、その服は体をきつく締め付け、耐え難い苦痛を与えていた。

服が首に食い込み、意識が遠のく。

薄れる意識の中で馬良は自分に言い聞かせていた。

「ここで死ぬわけにはいかない! 孔明殿との約束も果たせていない。それに益州の民も……」

その気持ちからか、最後の力を振り絞り体をよじり続けた。

すると枝に引っかかっていた服が外れ、馬良は川の中に落ちた。

急流に呑み込まれた馬良は、その後消息を絶った……



それからどれほど時間が過ぎたのか……

馬良は目を覚ました。

ここが何処だか分からない。全てがぼやけて見える。自分が生きているのか死んだのかもはっきりしない…… そんな状態であった。

しかし老人のものと思われるその声は、はっきりその耳に届いた。

「これは驚いた! 目を覚ましなさったか、お前さん!?」

「ここは…… どこ…」

「心配することはない。わしの家だ」

「私は生きているのか……」

「生きているとも! しかし驚いたぞ。お前さんは瀕死の状態で近くの川岸に倒れていた。それを見つけたもんだから慌ててここまで運んできたのだが、死ぬのも時間の問題だと思っていたからな」

「あなたが助けて?」

「そうだ。その時偶然近くに医者が来ていて、ちょっとだけ立ち寄ってもらったんだ。生きていることが奇跡だと言われたよ。おそらく目を覚ますことはないと……」

「あなたは?」

「なあに…… ただの老人だよ」

馬良はひとまず安心し、大きく息を吐いた。

そして老人の話を聞きながら、必死に過去の記憶を整理していた。

幸い記憶はしっかりしていた。劉璋のことも、崖から落ちたこともはっきり覚えていた。

老人は更に医者の話を続ける。

「医者はすぐにでも手当てすれば助かるかもしれないとは言った。ただ、わしにはそんな金はない。今はどの町も病人で溢れている状態だ。仕方なく、わしが出来るだけの手当てはした。あとは意識が戻るのを気長に待つつもりだったが、まさか本当に目を覚ますとは思わなかった」

ふと自分の肩に目をやると、馬良が矢で負傷した箇所には包帯が巻かれていた。

馬良は老人に礼を言った。

老人の気遣いか、近くで焚き木が燃やされていたため、体は温かく着物も乾いていた。

馬良はふと思い出し、自分の腰巻きに手をやった。

大切な金を忍ばせておいた場所であった。ここばかりは劉璋にも悟られずにホッとしていたのだが、今はどうか?

幸い大丈夫だった。手でその感触を確かめた。金は無事だ。

しかし体を動かすたびに、体中に激痛が走る。全身に電流が流れるような。

これは動くのは無理だ。そう感じた。

「お前さん、あまり動かないほうがいいぞ。酷い怪我をしているのだから」

老人は馬良を気遣った。

しかしそれが馬良であることには気付いていない様子だった。

無理はない。棒で殴られ続け、顔は誰だか分からないほどに膨れ上がり、着物は薄汚い罪人用のものだ。

「それよりいったい何があったのだ? 山賊にでも襲われたのか?」

「そうではない…… 劉璋の暗殺を謀って失敗したのだ。拷問の最中に命からがら逃げ出すことは出来たが……」

「劉璋の命を!? あんたいったい何ものだ? とても正気とは思えない!」

「そうか分からぬか、私の顔…… 馬良といえば分かるかな?」

「なんですって!? 馬良様!?」

老人は驚いた。

「これはエライことだ! しかしなぜそんな危険なことを!?」

「私は今、劉備殿の家来だ」

「あなたが荊州に渡ったことは知っていましたが、何もそんな危険なことを……」

「私は劉備殿に益州を治めてもらいたく、その一心で劉璋を説得したのだが、聴きいれてはもらえなかった……」

「あの劉璋では無理ないかもしれませんな。とはいえ、劉璋も一度は自分の家来だった馬良様に、あんまりの仕打ち……」

「それは覚悟の上。仕方のないことだ。私の力が至らなかったのだ」

「しかしなぜこんなことに…… わしらはずっとあなたを待っていました。あなたが荊州に行ってからというもの、庶民の暮らしは辛くなる一方。町の若い者は皆徴兵され城に出向いていきました。残ったのは年寄りばかり。人手が足りなくなり食物がなくなり…… 餓死するもの。疫病にかかるものが後を絶ちません」

「そうであったか……」

「皆益州を捨て、噂で聞いていた荊州の劉備というお方のもとを目指しました。しかし劉璋は州境に兵をめぐらせ、荊州への逃亡を許しませんでした。我々庶民には到底払えるはずもない金を条件にし、益州に閉じ込めたのです。もはや我らの望みは、あなたが再びこの地に戻ってきてくださるのを信ずることだけでした」

「その気持ちは嬉しいが、劉備殿の配下となった今、益州に居座ることはできない。かといって荊州に戻ることも出来なくなってしまった。劉璋から益州を譲る承諾を得られていない。それに孔明殿との約束も果たせず…… このまま荊州に帰っても劉備殿達に会わせる顔がない」

「それでしたら、なんとか益州に身をおいてはくださらんか? 皆歓迎することでしょう」

すると老人は意を決したように立ち上がった。

「それよりも、すぐ医者を連れてきます。まずはその怪我を治すことが先決。あなたが馬良様であると分かれば、医者も金を要求することはないでしょう」

そう言うと老人は身支度を始めた。しかし馬良がつぶやく。

「金ならあるぞ」

老人はその手を止めた。

そして指示にしたがい、馬良の体に強く巻きつけてある布を解いていった。その内側には金が大量に隠されていた。

「これは驚きました! こんな大金をお持ちだったとは…… なんということでしょう。もっと早く知っていれば……」

老人は後悔した。

「申し訳ない。この金に気付いていれば、もっと早く治療ができたのに」

「謝ることはない」

「しかし、これで医者も文句はないでしょう。今からでも遅くはない。すぐに医者を呼んできます!」

老人が家を飛び出そうとしたとき、再び馬良が止めた。

「待ってくれ」

「馬良様! どうしたというのですか!? このままではあなたのお命が!」

「残念だが…… 私の怪我を治したところで意味はない……」

馬良はやっとの思いでかすれた声を出した。老人が聞き返す。

「なにをおっしゃいます! あなたがいなくなったら益州の民はどうなるのですか!?」

「心配ない。劉備殿がいる」

「確かにあの方は立派だとは伺っていますが、いつになったら益州を平定してくださるのです!?」

「殿と劉璋は同じ漢王室の血を引いている。それゆえ殿は益州侵略をためらっておられるのだ」

「そういうことですか。それであなたが劉璋の命を狙うことに?」

「そうだ。劉璋がいなくなれば殿が益州を攻めない理由はなくなる」

「それならば話は早い。あなたが再び劉璋と戦い勝利してくださればいいのです。民衆もあなたに従うはずです。劉璋を討つためなら、命を捧げる覚悟の者も多いはず」

「残念だが、私のこの体では無理だろう。劉璋を討つことはできない」

「ですから一刻も早く治療して、民衆と力を合わせ、劉璋に反旗を翻せばよろしいではないか」

「そんなに甘くはない。民百姓をいくら集め戦ったところで、劉璋に勝つことは到底不可能。逆に多くの犠牲を出すだけだ。それに最初に言った通り、今の私は劉璋の配下ではない。劉璋の暗殺を謀ったことで、私は完全に劉璋の敵という立場になった。私が単独で劉璋を暗殺したとすれば、それは劉璋の部下の裏切りで済んだでしょう。しかし軍勢を集めて戦ったりすれば、これは立派な戦。我が殿の御意志に反するものだ」

「そういうことは解りませぬが、まずあなたの怪我を治すことを優先することに間違いはないはず。医者を呼んできます」

「待つのだ」

「まだ止めようとなさるのか!?」

「よいか。私の話をよく聞いてくれ。時間がないのだ。劉璋は荊州に兵を進める気でいる。もしそうなれば、殿には戦う気がない。荊州を明け渡してしまわれるだろう。以前孔明殿が言っておられた」

「劉備という方のことは分かりません! しかし今、わしにはあなたを助ける責任がある。違いますか!?」

馬良は意を決して言った。

「あなたにお願いしたい。私を…… 私を荊州に連れて行ってくれ」

「何を言われます!? 怪我の治療もせずに? 死んでしまいますぞ!」

「死んでも構わない。頼む、私を荊州に!」

老人は全身の力が抜け膝から崩れた。それは馬良を見殺しにするも同じ。馬良は更に続けた。

「この金があれば荊州に渡れる。やってくれるか?」

「正気とは思えません。わしにその決断をしろとおっしゃるのですか? もっと有意義な金の使い方はないものでしょうか?」

「この金はもともと荊州と益州を往復するために持ってきたもの。無駄な金は持ってきてはいない」

しばらくの沈黙の後、老人は力なく言った。

「あなたの考えていることが分かりませぬが、あなたの頼みを無視することはできません」

「やってくれるか?」

「わしに出来ることであれば……」

その言葉に馬良も安堵の表情を浮かべた。

「しかしこれだけは教えてください。益州はこの先どうなってしまうのです?」

「心配はいらない。益州には素晴らしい未来が待っている…… 約束しよう」

そう話すと馬良は再び眠りについた。


次回最終回 30日予定

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