07:ファントム(4)
◇ ◇ ◇
しかし、当然指がテレビから飛び出してくる事は無く、完全に冬真が握手に応じることを待っている状態だ。
握手しないとダメなのか?
そもそも握手なんて出来る訳が無いだろ。
冬真にはどことなく抵抗があった。
何せ現実には居ない二次元的な少女と握手をするという、なんともイタイ事をするのだ。
冬真は踏ん切りのつかないまま、画面の手前で手を止める。
「何言ってんだ、掴むなんて出来る訳が――」
「もう、ホラッ!」
「おッ!?」
それは一瞬の出来事。
冬真と華は自分の目を疑った。
本の一瞬前、テレビからアリアンロッドの腕が延びてきたと思うと、しっかりと手を握られて引っ張られた。
今は方腕だけをテレビに突っ込んだ、かなり滑稽な状態をしている。
水に手を浸けて波紋が広がるように、テレビの画面にも同じような現象が起きていた。
テレビの画面は割れていない事 (と言うよりも手が入る事)が最大の謎だが、取り敢えず今の彼にはどうでもいい事だった。
「あちゃあ……そんな所でつっかえないで下さい」
テレビが小さい所為で冬真は引きずり込まれる一歩手前で踏み留まっているが、正直なところアリアンロッドの力が強過ぎて腕が引き千切られそうだ。
冬真は声にならない悲鳴を上げる。
けれど次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにした冬真は柄にも無く叫んだ。
否、華に対して怒鳴り声を上げた。
「って、おま! 何して――」
「冬真いつの間に手品なんて覚えたと? もしかして体全部入れっと?」
今の状態を手品か何かと勘違いしている華に、背中をダメ押しされて態勢を崩す冬真。
自然と体は、テレビの中に更に入り込んでしまう。
「手品じゃねぇ! 早く退け!」
「え? じゃー、なんなん? てか、テレビの中に入れるなんて滅多に無かよ?」
冬真は「だからなんだ?」と言おうとしたが、次の瞬間に今まで以上に大きな力で引っ張られた。
――クソッ、こうなったら!
冬真は反射的に、近くに居た華の腕を掴む。
「死なば諸共」や「旅は道連れ」の精神である。
そして冬真と華の二人は一緒に、一気にテレビを通り抜けてしまった。
……――筈だった。
「あいったたた……って、ん?」
「う~ん。あれ? 何も変わって……ない?」
いい具合に冬真を敷物にした華は上体を起こして周りを見渡したのだが、少しも風景が変わっていない事に気づく。
そこへ、アリアンロッドが華と俺に手を差し延べてきた。
そう、変わっていない筈はない。
確かに二人はテレビ画面をすり抜けた。
微かな変化にして最大の変化に、単に気づいていないだけなのだ。
「やっと来てくれましたね?」
「来てくれたって、ココってテレビの中なの!?」
爛々とした目はそのままに、再びキョロキョロと忙しなく辺りを見回す華。
そんな彼女に対して、いい加減に早く俺 (の背中)から降りて欲しいと願う冬真。
このままでは華は、本当に退く事を忘れて話に夢中になってしまう。
「そろそろ降りろよ」
嫌な予感のした冬真は背中を思いっきり仰け反らせて、早く退けと華にアピールした。
漸く退いてくれた事で冬真と華、アリアンロッドは畳の上で向かい合わせに座る。
「いいえ。中――という表現は少し違いますね。どちらかと言えば「裏側」と称した方が適切でしょう」
アリアンロッドが意味深気味に否定すると、冬真と華は揃って首を傾げた。
当然、理解に苦しんだからに他ならない。
「ここは誰もが知りえ、そして行き着く事の出来ない世界、ブラックワールド。私達ファントムは鏡世界――そう呼んでいます。例えば、ここに鏡があるとします。鏡の前に立つ人は「鏡を物質として認識する事」は出来ても、「鏡に映る自分に直接触れる事」は出来ません。鏡の表と裏、次元の違う世界にそれぞれが立っているからです」
「? つまり何が言いたい?」
突然アリアンロッドが哲学的な事を言い出したので、流石の冬真でさえ理解が付いていかなかった。
じれったさに嫌気が差したので、冬真が結論を催促する。
「ふふっ、今の貴方達はまさに後者。「鏡に映る自分に直接触れて」いるのです」
「それってつまり……んッ!? なんだこいつら!?」
アリアンロッドの話に聞き入っていた事もあるが、いつの間にか野蛮そうな怪物に冬真と華は囲まれていた。
普段目に付くような犬や猫から、外国に居そうな程大きなトカゲまで、それぞれが異様な雰囲気を纏っている。
これだけならまだ「怪物」とは呼べないだろう。
そう呼ぶに至った理由は――。
「なんなのこいつら! 角とか羽とか生えてるし……キモッ!」
華の言った言葉が全てだ。
螺旋を描く角を持つ大型犬、ライオンの様な頭と鳥の翼を持つ猫など、異質な生物は多岐に渡る。
更に冬真の家の中に、それらが集合してしまったのだから大混雑だ。
「やはり嗅ぎ付けて来ましたね。彼らは「貴方達を失った私達」の成れの果てです」
少し寂しそうにアリアンロッドは零すのだった。