17:天災の調査(3)
無論何度試みようとも、混鏡世界の範囲内に存在する全ての電子機器は、電波を受信してなどいなかった。
このままでは救援さえも呼ぶ事が出来ないではないか。
「えぇ、まぁ。ないです」
先程の悪鬼の印象が根付いてしまった冬真から無意識に目を逸らせながら、か細い声でアリアンロッドが答えた。
彼女の心中も察する事は出来るし、誰もフォローしてくれないのは同情さえ芽生えてくるのだが、如何せん今回は自業自得なのだ。
「ふぅん?」
結果、彼女の言葉を全く信用していない冬真は質問したのは良いが、あまり乗り気の無い様子だ。
それは「本当かよ……けっ」などと悪態――とは言っても心の声なのだが――さえ聞こえてきそうな程である。
アリアンロッドは焦りの表情を浮かべつつ、弱々しい呻き声を漏らしながら話を続けた。
「し、信じて下さい、冬真。自然現象である天災の混鏡世界には幻核は不要なのです。だから解除条件は時間経過のみ、なのです」
「へぇ……?」
完全に白けてしまった冬真は相変わらず気の無い返事をしつつ、自身の携帯電話の画面に視線を落とした。
飛行機に異変が生じたのがおおよそ十一時二十五分頃であり、現在の時刻は十一時五十分である。
という事は混鏡世界に侵入してから二十五分と言ったところか。
「つまり、勝手に解除されるまで待て、と?」
「ええ、まぁ……そう言う事になっちゃいますね」
未だに罰の悪そうな表情を浮かべながら、アリアンロッドがすごすごと言葉を返す。
こればかりは人ならざるものである幻影であっても、どうしようもなかった。
「えぇっ!? なっちゃいますね、って――しばらくこのままなのォ!?」
驚いた表情を浮かべて大声を上げるのは、冬真とアリアンロッドの話を隣で聞いていた華だ。
いや、彼女だけではない。
冬真達の周りで話を聞いていたJP’sメンバーを始めとして、祐紀達一般人もであった。
彼らについてはソレだけではなく、懐疑的な視線もちらほらと織り交ぜられている気がする。
勿論それは、気の所為ではなかった。
アリアンロッドと祐紀達は、そもそもが初対面であるのだから。
その上、銀髪碧眼という日本人離れした顔立ちと、現代日本では悪目立ちしてしまう聖職者風の衣装。
百人に訊けば百人が「アリアンロッドを外人だ」と答えるのは、火を見るよりも明らかである。
容姿はともかく衣服に関しては「センスがない」と押し通せば済むかもしれないが、決定的なのは流暢な日本語を披露している点だ。
怪しいにも程があるそんな彼女を、せめてでも「頭の逝っている痛い娘」と認識してくれる事が関の山だろう。
「ねぇねぇ、何でそげんこと知っとっと? 貴女、誰ね?」
そう訊くのは祐紀である。
見ず知らずの人間の言う事を鵜呑みにする程、流石の彼女も馬鹿では無かったらしい。
祐紀は怪訝そうに目を細め、彼女なりにアリアンロッドの言葉の真偽を見極めている様子であった。
「もじょか(=可愛い)ねー! お人形さんみたかぁ! それ、コスプレじゃろ? わっぜ(=凄)かー! |てげ(=とても)、わっぜかー! 都会ン人かねー?」
対照的にやいのやいのと騒いでいるのは千鳥想である。
外人――明確に言えば外人では無く幻影なのだが――を見る事自体が想にとって初めてだったらしく、目を爛々と輝かせながらアリアンロッドの周りをぐるぐると見渡していた。
「? ……、……っは!」
会話に夢中だったアリアンロッドが想に気付いた時には、自身の周囲を知らない人が既に囲んでいるではないか。
それも少々険しい表情を浮かべながら。
とは言え能天気な彼女としては、いつの間にか人気者になった気分であったりする。
――この人達は……確か冬真のお友達ですね。視線が痛いですけど……あぁ、自己紹介が未だでしたね!
この時冬真は、どことなく彼女が余計な事を言いそうな気がしていた。
アリアンロッドがアホ面を晒している時は、大抵ズレた思考回路が起動した時だと最近ようやく気付いたからだ。
だから冬真は彼女に制裁を下す為に、自身のサンダルを脱いで素足になった。
「申し遅れました。私は冬真のふぁん――」
このままでは幻影という、一般人には意味不明な単語を出しかねん彼女。
質問を煽るような単語を出してみろ。
皆がみな、質問攻めに遭う事は免れないだろう。
――(失敗を)学習しないバカに制裁執行だな。
そんなポンコツの尻に冬真は素足の裏を当てがり、器用にも指で尻を挟み、一気に捻り上げた!
「――んひぎぃいぃぃいッ!!??」
「っっ!!?? なにごとっ!?」
先程までは四つん這いの懺悔ポーズであった彼女が、一度尻を捻ると面白いくらいに飛び起きる。
あまりにも唐突であり激しい反応であったからか、その場に居合わせた全員がビクリと肩をビクつかせてしまった。
そしてどこかしら、彼女の叫び声が卑猥に聞こえてしまった男性陣――と言うのはここだけの話である。
反対に冬真としては、猛烈な怖気が走っていた。
もう一人の自分がこうまでも『Mッ気』体質ならば、冬真自身もなのではないか? と妙に勘ぐってしまったからだ。
「コイツはアリアンロッド。夏休みの間、ホームステイで預かっている」
「ぁ、あぁあ……アリアンロッドと申……しましゅぅぅ」
涙腺崩壊の一歩手前で堪え、声を震わせながら自己紹介をする。
◇ ◇ ◇
これは後日談であるが、アリアンロッドが「後でお尻を見たら鬱血してハート型になっていました!」などと『嬉しそう』に報告してきたので、誰も居ない場所と時間を見計らい、今度は全力で引っ叩いてやった。
その結果『鬱血ハート』は見事に『真っ赤な手形』に上書き――消去――される事となったそうな。