09:搭乗日(4)
気持ち的に一段落した冬真は、視線を男性に向けた。
――流石、兄妹だな。
本当によく似ている。
ふと冬真がそう思うのも無理はなかった。
彼のパーマ掛かった黒髪に、フレームレスの眼鏡という風貌は正に祐紀と瓜二つだったからだ。
きっとその場に居た誰もがそう思ったに違いない。
「おはよう! んー、やっぱり恭平君は来ていないみたいだね。僕は桐谷瑛史郎――祐紀の兄だ。皆、よろし……げほっ、げほっ」
祐紀の兄は柔和な笑みを浮かべながら、その場に居た全員の顔を確認するように見渡した。
そして初対面の人間が多い事を悟ると、軽い自己紹介をしようとする。
けれどもそれは、突然の激しい咳で思うようにままならなかった。
大学では空調の効いた部屋で講義を受けているのだろう。
どうせ、ただの夏風邪だ。
「ほーら、やっぱり。無理するからぁ。兄貴、体弱いんだから大人しく我家居っちょればよかったといに(=家で留守番してな)。まぁ誘ったのは悪かったけど……」
冬真がそう考えていると隣で祐紀が話を遮り、一発だけ脇腹を軽く小突く。
それでも本人は「うぐっ」などと声を漏らしていたから、鳩尾にでも肘が入ったのだろう。
――にしても身体が弱い、ね。
冬真としては妙にその単語が引っかかったので、祐紀に耳打ちでこっそりと事情を探ろうとする。
「体が弱い?」
「あぁ、うん。ちょいと、ね」
いつもの祐紀ははっきりと言いたい事を言うタイプである――にも関わらず、この時の彼女はどうにも煮え切らない返答をした。
追及される事を恐れてか、誤魔化す様な乾いた笑いを浮かべながら。
祐紀の反応を汲み取った冬真は、何か彼女達にも事情があるのだろう感じていた。
それに加えて先ほどからやけに静かにしている華・千鳥・高崎の三人の反応を察するに、あまり表立って話して良い内容では無いのだろう。
――これ以上踏み込んで訊くのは野暮だな。
「そか、分かった」
そう思った冬真は深く追及する事を止め、了解の意を祐紀だけに伝わる様にこっそりと示した。
「そう言う訳にはいかないだろ。高校生だけで旅行なんて、まだ早いぞ?」
「そーかもだけどぉ。まぁ、修学旅行の予行演習ってコトで! 兄貴は先生役ね!」
「またそうやって、強引に。みんな……迷惑を掛けるかも知れないがよろしく」
明るく笑って振る舞う祐紀に半ば諦めた瑛史郎は、集合したメンバーへと向かって浅く一礼した。
見た目以外は真逆な兄妹なのだろう――祐紀と違い、瑛史郎はしっかりとした青年である。
彼の行為に対して皆は目を見開いて驚いた。
無論『そういった』言葉を発するのは本来、立場が逆というモノだからだ。
「いや、それはこちらの台詞だ。こちらこそ、よろしくお願い致します」
一番に口を開いたのは夏希だった。
彼女は直ぐにその場に立ち上がると、深々としたお辞儀を彼に向ける。
日本人から一番遠い夏希がそんな行動をするものだから、他のメンバーもあわてふためいた。
そうして少し時間差はあったものの、各々が「よろしくお願いします!」と口にする。
経緯はどうであれ初対面同士の彼らは、少しは打ち解ける事が出来たのだろうか……?
これから数日の間、寝食を共にするのだ。
無論、寝室は男女で別々なのだが。
「あッ! ようやくバス来よった!」
これから先の事を冬真が憂いていれば、底なしに元気な千鳥は腕をぶんぶんと振ってバスを指さした。
すると彼女の陽気な反応が、メンバー全体へと伝播していく。
彼女の指した先の大型バスのシルエットは、徐々に大きさを増していった。
輪郭もはっきりとしだしたバスは冬真達の存在に気付いたのか、短い間隔で二度クラクションを鳴らす。
「おー、ホントだ! もうすぐだな!」
「あたし、めっちゃ楽しみー!」
現地に着いたら「有名なあそこに行きたい!」だの「郷土料理や美味しい物を食べたい!」だの「土産にするのは何が良いか?」だのと、あちらこちらから話題が入り乱れていた。
お互い――彼らとバス――がコンタクトを取れた事で、周囲の和気藹々とした空気がより一層に濃度を増していったのだろう。
そんな中、仕様も無い問題が一つだけ残っていた。
翠子が待合室のベンチから静かに立ち上がると、向かってくるバスとは逆方向に視線を向ける。
そして日除けの為に小さな両手を瞼に添え、彼女は遠くへと目を凝らした。
「幸村さんの姿が、まだ見えません」
そしてクルリと上半身を反転した翠子は冬真に向かってぽつりと零す。
春に行われた健康診断で、両目の視力が「八」などと聞いた事も無い判定を受けていた彼女が言うのだ。
少なくともこの直線上には恭平は居ないのだろう。
「あのポンコツ、一体いつまで掛かってンだ?」
先程の電話ではJP'sを経由して待ち合わせ場所に合流すると言っていたのだが、一向に姿を見せない恭平に不信感を募らせる冬真。
火の粉――幻影の不正使用によるお咎め――が自らに降りかからなければ、別にどうなろうと構わないスタンスの冬真であったが、これ以上時間を押されては恭平が何をしでかすか分かったものでは無い。
そう……例えば、一般人である祐紀達の目の前で鏡世界から出てくる、とかだ。
そもそも冬真はそれを一番に危惧していた。
冬真の脳裏に名護の言葉が再び響く。
「JP’sの事は絶対にバラすな! 情報漏洩は、警察の沽券に掛かるモンだ。良いな? もーし、バレた時は……――」
その後“いかにもな悪役”の笑い方をするものだから、冬真の耳には嫌に名護の言葉が残ってしまっていた。
他人の為に罰を受けるなど、堪ったものではない。
考えただけでもぞっとする話だ。