07:搭乗日(2)
つまるところ、冬真の言い分としては「煉は人として敬うに価しないから敬わない」ただそれだけの事だった。
冬真も年上に対して少々言い過ぎな気もするのだが、古参である彼も最初から舐められたくはない――そういった感情が少しはあったのだろう。
「随分と舐めた口利くじゃねぇか、小僧!」
「たく、舐めてンのはどっちだ……っ!」
近づいて来た煉に胸倉を掴まれた冬真は、不快な浮遊感を覚える。
身長差も相まって完全に宙に持ち上げられた冬真は、息苦しさに目を顰めた。
ただ、抵抗する素振りはない。
「う……っ、くっ」
気管を圧迫されて思う様に呼吸が出来ない冬真は、小さな声を漏らしながら煉の次の出方を窺っていた。
顔を近づけて射貫くような睨みを利かせる煉は、それ以上に冬真へ手を出す事はなく――おそらくこの時、煉自身も冬真の出方を窺っていたのだろう。
「ちょ、ちょっと! 何しているンだ!? 冬真の顔、青ざめてじゃないか! 止めてくれ!」
その様子を見ていた夏希がすぐさま仲介に入ると煉は冬真を突き飛ばし、これ見よがしに舌打ちを吐き捨てた。
まるで「邪魔が入った」とでも言いた気な表情を浮かべながら。
「だ、大丈夫か冬真?」
「えほっ、ごほっ……まぁ、な。サンキュ」
駆け寄る夏希を片手で制し、むせながらも呼吸を整えて礼を言うと、冬真は煉をじっと視界に捉える。
「別に舐めた訳じゃねぇ。ただ、短気過ぎるアンタを素直に年上と見なせない。それだけだ」
「……、ち……」
彼がそう言い放つと煉はすっかり黙り込んでしまった。
先程の勢いがあるのならば食って掛かって来るかと思っていた冬真としては、実に意外な反応である。
ぶっきら棒な冬真の言葉が煉の心に届く筈もないが、沈黙に戻って貰えて何よりだ。
冬真はそう思いながらも、胸倉を掴み上げられた際に落としてしまった自身の携帯電話を拾い上げる。
そして流れる様に通話履歴からとある人物の番号を探しては、すぐさま通話口を耳に充てがった。
「ど、どこに掛けるンだよ?」
すると高崎が少し焦り気味に冬真へと訊く。
彼の焦り方からして大方、冬真が警察にでも電話を掛けていると勘違いをしたに違いない。
「誰」ではなく「どこ」に掛けたのか訊いたのが、その証拠だ。
けれども冬真としては、これくらいの事で警察を呼ぶつもりはなかった。
「遅刻魔。いい加減に来ないとバスに間に合わないからな」
「っあ!! そうそう! 間に合わないって言ったら、祐紀と想ちゃんもだよ。あたしも電話かけてみる!」
そう言う華は、さっと携帯電話を取り出して、二人に電話を掛け始める。
流石は女子と言うべきだろうか、携帯電話の扱いには手馴れているらしい。
そうこうしている内に、漸く恭平に電話が繋がった。
――このまま「お留守番サービスに接続します」という電子コールが聞こえたら、仕方なく置いていくつもりだったが……ちっ。
「もしもし、冬真か? てか、なんで今舌打ちしたと……?」
「してない。つか、オマエ今どこにいる?」
受話器の向こうからは、慌てふためく恭平の声が聞こえる。
その上、バタバタと周囲の音が騒がしい所を鑑みると……いや、熟考せずとも判る事だ。
――恭平の奴め、今の今まで寝ていたな。
思わず冬真はそう直感した。
「あ、はは。鏡世界で情報検索中。つか、早く来いって催促じゃろ? 分かっちょって。でも、あと少し待って! マジで!」
「まさか、鏡世界を経由してくるのか?」
この男、JP'sの誓約書の中身を把握していない。
第一、以前にも華を交えて話をしたはずなのだが……どうやらその時の話が全く耳に残っていなかったらしい。
幻影を私的な目的に使用してはならない、と。
(説明するのが)もう二度目であるそれの本質は「犯罪に使うな」という考えからくるものだ。
犯罪になんて手を染めないなどと、高を括るのは大いに結構な事だろう。
けれど、どこまでが犯罪でどこまでが許容範囲なのか……その線引きをどこに置くかを見据える事が出来なければ、ただの理想論で終わってしまう事になる。
それを未然に防ぐ為に、名護がこういった方策を採ったに違いない。
そもそもが、高校生には荷の重い判断なのだ。
単に鏡世界を経由すると言っても、フィクションに登場する瞬間移動となんら変わらない。
それに情報検索さえしてしまえば訪れた事のない地まで行く事も可能なのだから、一般のフィクション作品のチートよりも質が悪い。
それこそ可能な犯罪を考えればきりがない。
不法侵入だろうが、強盗だろうが、仕様も無い考えを巡らせれば女子更衣室の覗きだって可能である――それも痕跡一つ残さずに。いや、それには語弊があるか。
星ヶ峯壇の詳細情報検索を起動すれば、「情報検索をした」という情報が出てくるのだから。
とはいえ、今回は本当に遅刻回避の為だから、名護さんも赦してくれるだろう……多分。
「しょ、しょーがねぇじゃん。大丈夫、バレねーって!」
「仕様が無いって、お前……その自信、まさか常習犯か?」
軽いノリで話す恭平は悪びれる様子もなく、笑っている。
こういう風に「幻影を行使するという行為」の認識を下げていく事が、孰れ犯罪に繋がるという事を彼は解っているのだろうか?
いや、解っていないだろう。
「ぎッくぅう!!」
「あからさまな反応するな。名護さんからの処遇は知らンが、とにかくバス停から離れた所に出ろ。良いな?」
現に、その意識の低さが行動にも現れている。
電話越しにわざわざ「ぎッくぅう!!」などと、誰が言おうか。
冗談でも笑えない。
――処遇は名護さんに任せるか。