07:混鏡世界(3)
そいつは麒麟と呼ばれる幻影であった。
動物園で見られるキリンと似て首と四肢が長いのが特徴。
「下等種族・ヘルハウンドが我に盾突こうとは――」
「へへっ、今はあんたが誰だろうと構わねぇ! やってやろうぜ!」
恭平の手には俺達と同様、粒子状に霧散した麒麟が手の平に集まり成形する。
それは麒麟の体と同じ深緑色をした片手剣。
片刃で細身、反りのない真っ直ぐな剣身に鋭い剣先をしていた。
柄の端には臙脂色のフサフサとした毛が付いている。
「でりゃ!」
恭平の姿が消えたと同時に、黒狼付近で恭平の声が聞こえた。
振り向くと恭平が黒狼の後ろ足に蹴りを入れている。
途端に奴は豪快に吹き飛び、壁に激突した。流石の黒狼も完全に怯んだ。
「へへっ、どーだ! 現役エースストライカーの蹴りは!」
「まさか恭平も稀人だったなんて。さっきの心配返してよ!」
安心して徐々に滲んでくる涙を拭いながら、華は言葉とは裏腹に微笑んでいる。
そこへ情報検索の終えた銀杖状態のアリアンロッドが会話に加わった。
「情報検索完了。幻核は狼さんの頭の中にあります。おっと、そうでした。冬真、華さんは最初から使っているからいいんですけど、ちゃんと幻装と幻術は使って下さい。これらは貴方の眠れる力。扱い方は知っていますよね?」
「幻装と幻術? 眠れる力? もしかしてコレの事か?」
少し半信半疑だった冬真だったが、アリアンロッドの言う通り不思議と知識はあるみたいだ。
脳内に幾つも浮かぶ呪文のような文章――きっと、コレの事だろう。
どうやら声に出してその文章を読めば良いみたいなのだが、如何せん一文がやたらと長い。
けれど不思議と全部読む必要は無いと思えた。
これは冬真自身の潜在能力。
多少端折っても、問題は無いだろうと考えたワケだ。
「なるほど、最初に言っとくが効果は知らん。氷冷の棺にて永久に眠れ――コキュートス」
本当は今の十倍長い文章が続いていたが、存外問題無く発動した。
急速に周囲の気温が下がったかと思えば、次の瞬間には幾重の細い氷の柱が狼を囲うように立ち上がり、網目の細かい格子を形成した。
そうして出来た物は、言うなれば氷の牢獄。
とても綺麗で幻想的な――牢獄である。
黒狼は術の中で身を縮れこませて小刻みに震えている。
どうやら術の内外でも気温差があるらしい。
驚くべき事に、奴の全身は氷漬けになってしまった。
一方の華と恭平もコキュートスの所為で肌寒くなる。
特に華の凍え方は尋常では無く、青ざめて血の気が引いていた。
「と、冬真! 早く仕留めて下さい! 華さん死んじゃいます!」
アリアンロッドが焦りの声を上げる。
その理由も分かりきっていた。
分かっていたのだが、何故か急な眠気と気怠さが冬真を襲う。
異常に体が重く、視線が徐々に下がっていく。
気付けば冬真はうつ伏せに倒れていた。
「恭平、あと頼む」
「しゃーね、麒麟ッ!」
三人の中で一番余裕のある恭平が、必然的に動く事になる。
冬真が術を解除すると同時に、恭平が未だ体の自由を奪われている黒狼の頭を突剣で真っ二つに斬り裂いた。
途端に力を失ったのか、黒狼は霧散して消えていく。
同時に周りの空気が軽くなるのが分かった。
どうやら混鏡化と言うものが完全に解けたようだ。
漸く普段の夜に戻った。
アリアンロッドや麒麟も混鏡化が解けた事によって鏡世界に還る。
「よっしゃ、しょーり! 見た? 見た?」
現実世界に戻るや否や、恭平は一人で燥いでいた。
恐怖で一時期隠れていた、「異世界に行った」という興奮が蘇ってきたのだろう。
そんな恭平を他所に術が解けたからか、華の顔色も少しずつ良くなってきていた。
「あれ?」
急に恭平が廊下に尻餅を付き、そこで漸く自分自身の異変に気付く。
初めてであれだけ動いたのだから、当然恭平にも疲労はあったワケだ。
色々と整理したい事はあるが、それはまた後日という事で今日はもう現地で解散する事にする。
華は冬真の方が、家が近い為、冬真が送って行く事にした。