21:歪んだ死導(5)
窓の外を観察していると、上空の方から青白い光が一瞬だけ発せられた事に気付いた。
それは米粒よりも小さく、ただの点であったのだが、加速度的に大きくなっていく――。
固唾を飲むその一瞬でさえ無い程だ。
「? ……――ッ!!」
はっとした冬真は反射的に素早く体を逸らせては、すぐに森山へと視線を向けた。
――……ぽつり。
再び微かに鼓膜を震わせる、この音。
どうやら雨の正体は、あの光――という事で間違いはないのだろう。
とは言え「自然現象である」のか、若しくは「何者かの介入による意図的なモノ」であるかさえ分からない。
仮に前者であるのならば、今まで冬真に雨が当たらなかったのは単純に運が良かっただけとなってしまう。
だとすれば今後も同様に当たらない、という保証はどこにも無いのである。
逆に後者ならば、何等かの目的があり森山を狙っている事になる。
とは言え、結局冬真がその標的に入っていない保証はないので、何れの場合であろうと警戒しなければならなかった。
更に言えば「どういった原理」で「何が降って来ている」のかさえも解らない状態だ。それらが分からない内は、闇雲に行動しない方が身の為なのだろう。
――そう言えば以前、複合幻影が口から大口径のレーザーを放とうとした時も、確か同じような事があったな。
あの時は複合幻影の頬肉を惨たらしく吹き飛ばす威力であったのだが……威力はともかく、状況は今回と同じ気がする。
まるで冬真を助けるかの様に、同じような超常現象――光の雨――が起こり得るのだろうか?
だとしたら、余りにも虫が良すぎる気がする。
そうこうしている内に雨の頻度は下がり、冬真の体感時間として数分後に止んだ――。
ガラッ……ン。
遠くで、乾いた金属音が廊下に反響する。
冬真がふと視線を向ければ、両腕を肩から失った森山教諭だった者が床にうずくまっているではないか。
床に転がる鈍色に輝く右腕の脇差と左腕の小銃は、辛うじて原型を留めるも蜂の巣が如く見るに堪えない状態だ。
例の雨によって腕の大半を吹き飛ばされ、残っている部分の方が圧倒的に少ないのだから。
片や身体の血色は悪く、鬱血した時の様な深紫色に全身が染まっている。
生きているのか、死んでいるのかと問われれば、迷わず死んでいると即答してしまえる程だ。
その上、年季の入った黒のスーツはボロボロに破け、自身の血と埃で薄汚れている。
ここまでくれば最早、教諭の威厳など微塵も感じられなかった。
いや、寧ろ人であるかどうかも怪しい――故に、言い表すのならば「ゾンビ」が妥当だろう。
「グ……ゾ、ガギがァぁぁアっ……」
枯れた声を振り絞り、ずるずると床を這ってまで冬真に襲い掛かろうとする森山。
どのような信念があれば、どれほどの覚悟があれば……人がヒトを捨てるに至るのだろうか?
既にヒトである事を捨ててしまった今となっては確認する事も出来ないのだが、彼はどんな想いだったのだろう。
どんな想いで、教職の道を選んだのか――。
「冬真、止めをさしてやれ」
ノートはそう言うと粒子化を始め、黒杖となって冬真の手に収まる。
そして床を這う森山を黒杖で俯せにひっくり返した冬真は、彼のスラックスから幻核を取り出した。
通常は半透明で緑色をしたUSBフラッシュメモリの様なものなのだが、これはどういう事だろう。
「この幻核……赤い?」
「ほぅ? 赤い幻核が珍しいのかえ?」
「いやいや、珍しいだろ。普段は緑色だからな」
「そりゃあ、近年巷で流行っている最新版じゃからなぁ」
「巷? 流行り? そりゃ、一体どういうことだ?」
「なんじゃ、名護からの「めぇる」を読んだンじゃなかったのかえ?」
「知ら……んッ!」
なにやら盛大に不穏なフラグが立ちそうな単語をつらつらと口にする黒杖さん。
それに、止めの一言が「名護」ときたものだ。
何はともあれ冬真は幻核を床に放り投げると、黒杖の穂先を突き立てた。
すると「パキッ」という短い音と共に幻核は粗く砕ける。
直後、鏡の割れる音と共に混鏡世界化が解け、漸く現実世界へと戻って来る事が出来た。
一番気になっていた森山の体は、五体満足の身体で冬真と一緒に現実世界に戻って来ていた。
但し、顔色はとてつもなく悪い。
混鏡世界に居た時と比べて、身体の変色は肌色に戻ったものの、青白い表情を浮かべていたからだ。
彼はきっと現在進行形で、生死を彷徨っているのだろうか。
時折、小さな呻き声を上げているから、生きているのは確かの様だが……。
「それはそうと、名護からのメールがなんだって?」
「さぁの? まァ本人に直接聞くのが良かろうて。それよりも、マモンはどこかえ?」
「ッ!! ……逃げられた、な」
本当は事情を知っているノートが、意地の悪い笑みを浮かべながら冬真に問う。
これには冬真も、愚の音も出なかった。
「ま、まぁまぁ! それは次に活かしましょう、ね?」
粗く砕けた赤い幻核を拾い集めながら、アリアンロッドが二人を宥めに入る。
彼女の言う通り、次こそはマモンを捕まえなければならない。
自業自得ではあるものの、こんな被害者を出さない為にも。
それよりも今は、名護の件があっさりと受け流されてしまった事に、冬真はあまり納得できないでいた。
けれど三週間も寝ていた冬真の携帯電話のメール受信件数は膨大な量である。
名護からのメールを探す為に、全てを閲覧していてはそれこそ日が暮れる。
――仕方ない、明日直接訊くか。にしても……七つの大罪、悪魔・マモンの存在。それと、赤い幻核の存在。更に、数週間後に控えている期末定期考査。考える事が多いな。
「そーだな。つか、コイツどうスっか……」
ぐったりと倒れている森山は、どうやらいつの間にか気絶しているらしい。
これでは、自力で起き上がれる筈もなかった。
とは言え、このまま校内に放置して帰るのも寝覚めが悪い。
「放って置く訳には……いきませんよね。交番にでも送り届けます?」
「……、……それしかない、か」
冬真は森山の腕を自分の首に回すと、膝に力を入れて立ち上がらせた。
普段から身体を鍛えている冬真でも、現実世界で大人の体重を支えるには幾分筋力が足りなかったらしい。
この時、冬真は「せめて、意識くらいは回復していて欲しかった」と切実に感じていた。
「重い……くそ……」
どうやら先程の戦闘による疲労も相まって、冬真は引き摺ってゆっくりと歩くのがやっとのようだ。
何が悲しくて、中年男性――それも自分を殺そうとしてきた男――を介抱しなければならないのか。
いくら悪魔の影響があったからとしても、その悪魔を住み着かせる要因を作ったのは自分自身だと言う事を、後日に言って聞かせる必要がありそうだ。
まぁ、本人がこの時間に何があったのかを覚えていれば、の話だが。
ようやく交番に森山を届ける――否、面倒事を押し付けた冬真は、肩をぐるぐると回して凝り固まった筋肉をほぐした。
時間帯も時間帯であるし、疲労が極限まで溜まった冬真は、思わず伸びと欠伸が同時に出てしまう。
「――|わやぁ(お前)、敷宮さん家んトコん子じゃろ? どげんしたとッ!? 何があったとね!?」
出てきた当直の警官が、驚きの声を上げた。
それもそうだ。
高校生が、ぐったりとした大人を真夜中に運んできたのだから。
「こんヒト、そん辺で飲んだくれちょったぽか(=酒を飲み過ぎて酔いつぶれていたっぽい)。溝に落ちそうじゃったで、拾ってきよった」
「じゃっちね。そや良か事したな! じゃっどん……わや、今何時やっち思っちょっと? 次見つけたら補導すっでね!」
「あ、はは。こン事は内緒にしちょっちくんやい。もうせンで」
その人はどうやら冬真とは顔馴染みの警官だったらしく、その後一言二言、話をしてから帰路へと着くのだった。