19:歪んだ死導(3)
新技である【合段・氷龍】を叩き込んだ頬は見るも無残に骨が砕け散り、肉――と言うよりもただの皮だけ――がだらりと垂れ下がっていた。
普通ならば喋る事も出来ず、ましてや痛みで精神崩壊を起こすレベルだ。
それでも常時「うひひ」と不気味な笑い声を漏らす森山は、きっと痛覚が完全に麻痺してしまっているのだろう。
「……、……たく」
森山の今の姿がとても哀れに思えてならない冬真。
自分を殺しに掛かる森山に同情する気は無いのが、それでも彼はマモンの被害者なのだ。
――早く、マモンを引き剥がしてやらないとな。それに俺も、体中を撃たれて痛てぇ。
「ロッド! 情報検索で幻核の正確な位置を特定しろ!」
「ふふっ、そんなこともあろうかと既に検索済みです。森山教諭のスラックス、その左後ろポケットで間違いありません!」
冬真の後方で待機していたアリアンロッドに情報検索を頼むと、彼女は直ぐに位置情報を意気揚々と報告した。
彼女は冬真、冬真は彼女――どうやら幻影と長く一緒に生活する過程で、意識共有の精度も高くなっているらしい。
「へぇ、やるじゃん? スラックスの後ろポケ――ッ!?」
一度彼女の方へと視線を向けていた冬真が再び森山を視界に入れると、彼は思わず息を呑んだ。
この僅か数秒で森山の外皮が濃い紫色に変色し、息苦しそうに喉と頭を抱えていたからだ。
「これは、一体……?」
「あの方が、酷い欲求不満に陥っている証拠です。……変異しますよ。それも更に厄介に――」
丸く大きい二重の目を細め、アリアンロッドが言う。
すると彼女の予言が現実化するように、右腕の長刀は縮小し、左腕の銃は砲身が伸びた。
縮小した刀は二尺程で幅の広い脇差となり、砲身の延長した銃は細身の小銃となる。
――まさか、先程の戦闘を学習したって事か?
狭い室内での戦闘では小回りの利いた方が有利であるし、廊下に出て間合いを大きく取ってしまえば遠距離射撃も有効である。
つまり森山は戦場と敵に合わせて、自身の体を最適化している、という事だ。
「確かにロッドの言う通り、厄介だな――ンッ!?」
冬真が冷静に森山を観察していると、異形と化した“奴”が脇差を逆手中段に構えて突っ込んできた。
「ひひ、ヒッ!!」
そして冬真の懐へと飛び込んだ森山は、脇差を素早く振り抜く!
森山の取り回し易くなった刀身の一閃は、先程までのそれとはまるで別物だ。
一瞬前の考えではバックステップを踏んで回避行動を取ろうと考えていた冬真であったが、躱し切れないと瞬時に直感する。
直ぐに行動方針を切り換え、黒杖を体に這わせるように寝かせて防御姿勢を取った。
「チぃッ!」
森山の横一閃の威力は凄まじく、衝撃が黒杖を通じて掌をビリビリと痺れさせる程だ。
――ったく、なんなンだ、こいつ! さっきよりも力が強くなってやがる。
ただの見掛け倒しとはワケが違う――マモンの力は相当に厄介なのだろう。
それに混鏡世界特有の薄紫色の霧を全身に纏っているのは一体?
「って、考えても仕方が無い。十六の段――……」
とにかく今は幻核の破壊が優先だ。
冬真は両手で黒杖を持つと、腰を落として中段で霞の構えをとる。
穂先一点に意識を集中させ、黒杖を固く握り締めた。
一撃。一撃で仕留める――。
「ぎヒヒッ! グぅぅうガァアッ!」
森山は先程と同様に、正面から突っ込んで来る!
攻撃に対する思考や武器の構えもさることながら、獣の様な叫び声も相まって、今の森山は知能の低い怪物同然だ。
――これで、貫け!
冬真は左足を強く踏込み、黒杖を前方へと体重を乗せた鋭い突きを繰り出す。
「衝ォオッ!!」
穂先が森山の骨盤辺りに――触れ――食い込み――貫通する――。
けれど、その手応えのあまりの無さから、冬真の心には違和感と疑心が渦巻く。
まるで空振りでもしたかのような感覚。
一体これ……は!?
「霧散していく……?」
下腹部を槍で貫かれた森山の姿は、紫の霧となって消えてゆく。
冬真がその光景を目で追っていると、後頭部に何か硬い物を押し付けられた。
続いて不気味な金属音――まるでドアの錠を開けたかのような、酷く短く淡泊な音が、骨伝導で直接脳に響く。
銃の撃鉄を押し上げる音だ。
そんなもの、先程までは無かった筈――にも関わらず、敢えて音を演出すると言う事は、冬真の恐怖心を煽るつもりなのだろう?
初撃の獣染みた剣戟と呻き声は、どうやら囮だったらしい。
まんまと一杯喰わされたワケだ。
何が、知能の低い怪物か?
相手を見くびっていたのは自分の方ではないか。
冬真は降参の意を示して両手を上げた。
けれど、森山は“そんな事”など、望んではいなかったらしい。
「終わりダ、糞餓鬼ッ!」
引き金に手を掛ける音が聞こえる――きっと、これも演出なのだろう。
「諦めるには、ちと早いの。フリンッ!」
黒杖が黒霧馬の名を叫ぶ!
瞬時に冬真の後頭部と森山の銃口の隙間に、するりと入り込んだ黒霧馬は即座に密度を高めた。
発砲音と金属音の反響はほぼ同時――。
黒霧馬が身を挺して冬真を銃弾から守ったのだ。
一瞬だけ呆気に取られた冬真であったが、黒杖の一喝で我に返る。
「これッ! 次じゃッ!」
「ッあ、あぁ――七ッ!」
七の段・旋にて、背後にいる森山の頭部側面に向け、冬真は横薙ぎの一撃を放つ!